ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

解釈それぞれ?

 
  解釈それぞれ?
 
   解釈それぞれ
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41568338.html
   2019/8/11(日) 午前 11:37
   この記事は、新しいブログには、載せていないようです。
   http://mn266z.blog.jp/archives/2019-08.html
   スピ系のが多いそうです。スピ系にもいろいろあります。
 
 
ボンヤリ言語の成り立ちを表すような文章です。
 

相手に合わせた言葉遣いをしているのだというのは、
ネット上で口汚い言葉を使っている者がよく言う台詞に似てる。

 
早速、自分が言われそうなセリフを、先に書くわけです。
うわべだけの丁寧語を向けられるのは、殴られるより悪い。
 

「お前に合わせて汚い言葉を使ってるのだ! 
汚い言葉を投げつけられると、どんな気持ちになるか、身をもって知るがいい!」というやつである。

 
身をもって知ることの、まるで無い楽山のようです。
そのベースがアドラー教、表れがボンヤリ言語です。
 

この信者は、大川隆法の言葉の汚さに気付きつつも、
意図的か、無意識かは分からないが、できるだけ好意的に解釈しようとしているのだろう。

 
カルトは、大方、そうなのでしょう。
楽山は、何事にも確信が持てないので、ボンヤリ言語を発明しています。
そして根拠も説得力もなく、シャロームに好意的です。
 
柔らかく言えば誰もが聞いてくれると思うのでしょう。
しかし、代わりに、嫌らしさ満載となっているのが、今までの経過です。
 

これは冷めた見方をすれば、解釈それぞれってことになるのだろうけれども、
「この宗教は本物だ」「この人は神だ」といったん思い込んでしまったばかりに、
たとえその思いに反する事実を目の当たりにしても、
自分の思いを継続するために
自分の思いに合致する解釈をこしらえ続けなければならぬとしたら、
これは大変だろうと想像するし、気の毒に思う。

 
この典型こそ、シャロームの、神の啓示?ゆえ議論無用の無罪妄想信仰なのです。
シャロームは、そういう訂正不能信条を身にまとい、一切の反省を放棄しています。
 
思いに反する事実や理路を全く理解しようとしないのが楽山であり、
楽山は、思いに反する事実から目を逸らします。
 
自分の思いに合致する解釈と言っていますが、
つまり、それが、騙されやすい人へのボンヤリ言語となっているのです。
 
煙に巻くようなもので、反対しにくく、
また、はっきり言わないから、どこが悪いとも言いにくい
という性質を文章に表した筆致なのです。
気の毒というより、卑劣だと思っています。
 

恥ずかしながら自分もそういう状況に陥っていた経験があるので、この大変さはよく分かるつもり。
だから本当に気の毒に思う。
とはいえ、本人はあっけらかんとした性格で、
そういうことには全然頓着しないし、苦痛は感じませんというのであれば、
私の思いは自己投影しているだけで、まったくの見当違いということになるんだけどね…。

 
今は、楽山自ら、ボンヤリ言語で、詭弁の解釈を通そうとしています。
性能の悪いロボットのようにリピートが多く、
人間と違って、疲れてくじけて、やめるということがなく、
ボンヤリ言語は、カルトなんかの危険はありませんよ
と言いたげな甘い筆致で、誘ってくるのです。
甘すぎて、何を言いたいのか、分からないまま引き込もうとしてきます。
 
解釈など、どうでもよいのでしょう。味方になってくれればよいのでしょう。
上から、従えと言うのではないが、いつのまにか、同じところにいて当たり前というような
刷り込みの手法が、楽山のアドラー教のボンヤリ言語です。
HSのような硬派のカルトより、いっそう、陰湿な軟派のカルトなのです。
決して真に受けないように願います。
 
 
  悔い改め?
 
   悔い改めと赦し (『イエスという男 逆説的反抗者の生と死』田川健三著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41568315.html
   2019/8/11(日) 午前 10:03 
   これも、新しいブログには乗っていないようです。
 
 
読み取りにくい本の写真を載せています。はっきり読めれば批判されるからでしょう。
このような姑息な真似と、書かなくてもいいような文章が楽山の生業(なりわい)のようです。
 

でも改めて読み返してみると、「~とすれば」「~はず」という仮定や思い込みの強さを感じさせる言葉が目立つのは気になる。

 
仮定は仮定です。「~はず」は、前提が正しいかどうかが問題となります。
楽山が気にするのは、何も、自分では、はっきり言えないからでしょう。
 

またこれと似た考え方としては、他宗教において「人は特別な何かをするまでもなく、既に赦され、救われている。ただこのことに気付いているか、気付いていないかという違いがあるだけだ」というようなものがあったかと思う。

 
気づいているかどうか、ということは、よく宗教で言われますが、楽山のアドラー教では、気づかなくてもいいよ、と言ってあげるのでしょうか。それは、何の助けにもならないわけです。
 
つまり、気づきに導くほどの説得力が無いものだから、その否定を前提にして、ボンヤリしているだけなのでしょう。それは、人を一歩も前進させず、心を少しもアクティブにできません。
 
結局、無駄ばかりで、読むほうは、うなずくか、さもなければ、疲労するだけですから、たまったものではありません。
 

とすれば上の考え方は、とてつもなく特殊な考え方だとは言えなそうだ。別に驚くほどでもない。思想は時代を下るにつれて、とことん極端な方向に突き詰められていくことはそう珍しくないし、上の解釈もその例なのだろう。

 
極端な偏執を是とするのでしょうか。真実は変わらず、変わってゆく時の流れの中で、変わるな、進むな、と言っているようなものでしょう。何も、語ったことにならない楽山とは時間の無駄遣いをすることになるでしょう。気づかない者が、自己正当化を図っているだけ。詭弁だらけの楽山。
 

ただもしイエスが当時すでに上のような考えに到達していて、それを公然と口に出していたなら、これはとてつもなくすごいことだったにちがいない。

 
キリストは、楽山とは違います。楽山は、嫌なことは極端と呼ぶのでしょう。楽山は、ボンヤリ曖昧なところに逃げて、何を、キリストと比較して、何の根拠で、キリストを評価しているのでしょう。この楽山と時間と伴にしないでください。無駄に疲労するだけです。楽山は、何の答えも持ち得ていません。
 

聖書は奥深い書物であって、その中から様々なものを取り出せるという話を聞いた覚えがあるが、著者の解釈もその一例なのだろうと思う。

 
このように、様々なものと言って、正邪を区別できず、発散して、とりとめのないことにしかならないのです。それが、ボンヤリ言語、楽山の筆致です。
 
真実は、様々ではなく、一つです。人に、その真実を、言葉で一通りに表せないのは、人間が不完全な存在だからです。同じ言葉でも人によって受け取り方が違ったり、あるとき分かっても、別のときには分からなかったり、これは、人が、神でない証拠なのです。決して、真実が様々でよい、ということではありません。
 
楽山のアドラー教では、気に入らないことは無視する、という、自己中の生き方で、気に入ったものだけで生きてゆくことになります。
 
それは、受ければ、学習も成長もなく、児戯に等しく、駄々っ子のまま大人になります。
伝えれば、人間を鈍麻させ、無反省と無思考と無感動の砂場でヘラヘラ笑って遊ぶような、人間の全般的な劣化を招くカルトです。楽山の言説に、既に、その症状が表れていることなのです。
 
いつもながら、とても気色の悪い文章でした。これで人を騙つもりでしょうか。しかし、油断すれば、だまされる人がいるでしょう。楽山を信頼しないでください。書いている総てが、根腐れを柔和に見せかける楽山の芝居だと思っておいたほうがよいです。
 
私は、楽山とシャロームに対しては、今まで、できる限りの厳しい批判を向けて生きました。正常な神経を持っている人なら、なぜ?どこが?ということを問わずにはいられず、自分について考え込むはずです。その良識を持っていない、欲望だけ、そして自尊だけの彼らだから、平気で、おとしめや、言いがかり、言い訳に、専念できるのです。ゆえに、彼らは人間として明らかに異常だと判断しています。そのことを確かめるための批判でもあったのです。彼らは、自尊のために、弱みを見せることの出来ない種類の存在として、なおも、弱き心の人に、下心で働きかけてくるでしょうから。
 
 
(2019年09月09日)
 
 
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戦争責任

 
  戦争責任
 
   戦争責任:コメント欄
   https://blogs.yahoo.co.jp/nogatera/56495244.html
    かなり前のコメント欄。私のコメントは、おもに記事用です。
    批判対象は、shalom シャローム(シャロム、あなた、彼)です。
 
 
世辞を言っては、誇大的になり、脱線して、馬脚をあらわすシャロームです。相手の言ったことに尾ひれを付けて、激しくボロクソ?に賛同すれば、一人前の思想家になれると思っているのでしょうか。
 
(コメント欄)
 
(シャロームのコメント)
nog*t*raさん おはようございます
生きとし生けるのすべて空気と水がなければ生命の維持ができません。
日本人は空気と水との関係をお祓いと禊(ミソギ)という宗教儀礼化し、人間関係と社会、国家の礎としているようです。
空気を読み、その流れを察知すること、下に流れるのを常とする水が流れを失えばたちまち淀み、腐敗し始めます。死海化します。
ですから、お祓いと禊によって淀み、腐敗した関係を清められたかのように偽装する風習が日本文化となっているようにおもわれます。
そのような日本の文化、風習、伝統が日本語という言語化されているのですから、本当に英語という全く異質な文化、風習、伝統が言語化され、英語になっているのですから、異質な事柄を排除するという日本語の世界と異質なものとしての交わりには矛盾を統合する世界観がなければ本当に難しいと思われます。
それが‘私は絶対に日本人を信用しない”という言葉の意味だと思います。
[ shalom ]
2019/7/23(火) 午前 9:15
 
(私)
シャロームこそが、何事も中身が理解できないために、そういう腐敗の隠蔽と偽装を専門にやって、自分と異質なものを強制排除し、単方向の断定で、自尊と自己正当化をしているのです。にもかかわらず、シャロームは、民主主義の仮面を付けて、今日も、自他のブログで、正義の味方を気取っています。
 
(シャローム
きっと英語の世界の基礎となっているキリスト教は日本文化にとって、水と石、あるいは油のような関係と言えるのかもしれません。日本教キリスト派は水と油が混じり乳化したキリスト教と言えるのか知れません。
 
(私)
水、石、油、そして、乳化に、たとえた意味を書かないのは、その場の思い付きで、浮かれて書いているからです。シャロームの、浮かれ節と、ボロクソ節は、ほぼ同質のものです。賛同するつもりで浮かれて前者となり、批判しているつもりで浮かれて後者となります。どちらも、シャロームの手にかかれば、話を単方向に固着させ停滞させ、進まなくする作用しかありません。深める要素が何もないのです。
 
(シャローム
やはり世界観のない日本語の世界にとって、英語の世界を理解することは難しいだろうとため息をついてしまうことだと私は感じますね。
 
(私)
世界観のない日本語の世界、英語の世界を理解することは難しい、ということを、シャロームは、理解できているはずはなく、また、思い付きだけで言っていますが、これは、明らかな、ごますりです。やたら、世辞で同意して、自己満足するシャロームの性癖です。
(私)
英語圏への、あからさまに卑屈な姿勢を示して、ごまをすり、太鼓持ちのようにブログ主を持ち上げ、ブログ主と同意見で深く分かっているふうを装います。シャロームの卑しさは、何も分かっちゃいなくても、相手を肯定しまくって、ごまをすれば、自分も便乗して、一人前の思想家として見なされると思ってしまうことです。浅ましいシャロームです。
 
(シャローム
そのような日本の文化、風習、伝統が日本語という言語化されているのですから、本当に英語という全く異質な文化、風習、伝統が言語化され、英語になっているのですから、異質な事柄を排除するという日本語の世界と異質なものとしての交わりには矛盾を統合する世界観がなければ本当に難しいと思われます。
それが‘私は絶対に日本人を信用しない”という言葉の意味だと思います。
[ shalom ]
2019/7/23(火) 午前 9:17
 
(私)
シャロームは、ここで、英語を礼賛して、日本語の矛盾を統合するべきだと、ブログ主に、舌先三寸で歯の浮くようなセリフで、ご機嫌取りをしています。シャロームは、根拠を何も書いていません。言われたことを誇張して断定して、「日本人を信用しない」という意味にまで至っています。
(私)
矛盾を統合する世界観と、気安く結論の言葉だけ出して、統合の中身を何も書かないまま同調するのも、シャロームの、ごますりです。シャロームは、いつも、空想か妄想で、何も始まらない結論を出して、いい気分になります。相手の話を大仰に拡大して自説の「日本教」に拡大して、豪語することが快楽なのでしょう。内省による考察が皆無です。
 
(シャローム
山本七平さんは日本人にキリスト教を伝えることは不可能だ、本来のキリスト教と異質な日本教キリスト派にしてしまうと言っておられることと同じような意味ではないかと思います。でも不可能だと言われる山本七平さん自身が日本人キリスト者ですし、空気の研究などという日本文化の本質である空気の支配を明らかにすることができたのですから、不可能ではないと証明しておられることに希望があります。
 
(私)
不可能だとか、不可能ではないと証明とか、理路が乱れています。シャロームは、お構いなしに、奔逸して、やがて、滅裂となる思路を、自覚しない人です。お構いなしのシャロームは、賛同すれば、受けるだろうと、浮かれています。
(私)
日本教キリスト派にしてしまう、とは、恐らく、日本人は日本教徒だから、キリスト教を信じても、日本教キリスト派になる、という乱暴な言葉の組み合わせか、造語か、思い付きでしょう。知識人気取りで、説明もなしに載せてくるのが、シャロームの特徴です。
 
(シャローム
しかし、小室直樹さんが指摘しておられるように、山本七平さんの鋭利な洞察に対して日本人はあまり深く理解しようとしていないのではないかと感じます。
私も日本人キリスト者の一人ですが、日本のキリスト教会もあまり関心を持っているようには思われません。
 
(私)
シャロームは、信条が真逆であり、決してキリスト者ではありません。シャロームは、本も、聖書も、読んで曲解しているので、それらに斬られていることに気づかないのです。日本教についても、日本教キリスト派などという造語で、気安く語りますが、そのような教派は、ありえないでしょうし、総てが、シャロームによって空想話に転化されたものです。
(私)
シャロームは、罪を認めず悔い改めない背教者の一人です。ご機嫌取りと自己正当化のためには、どんな嘘もついてくるシャロームです。殆ど、総てが嘘、出まかせ、その場の継ぎはぎの言葉合わせなのです。一人前の思想家と思われたい、という、快楽原則だけのようです。
 
(シャローム
きっと英語の世界の基礎となっているキリスト教は日本文化にとって、水と石、あるいは油のような関係と言えるのかもしれません。日本教キリスト派は水と油が混じり乳化したキリスト教と言えるのか知れません。
やはり世界観のない日本語の世界にとって、英語の世界を理解することは難しいだろうとため息をついてしまうようなことのように私は感じますね。
 私は英語をほとんど話せません。
[ shalom ]
2019/7/23(火) 午前 9:19
 
(私)
水と油が混じり乳化した、ということで、何か明らかになるでしょうか。比喩が、比喩で終わり、具体的な理路が皆無です。つまり、言えるのかもしれません・・と書いて、何が言えるのか、どう言えるのか、まるで説明していないということです。こういうことを調子に乗って、語って、いい気持になるシャロームです。私の経験から、シャロームと話をした前と後で、何か、深くなったり、明らかになったり、具体的になったり、ということは、一度もありません。
 
(シャローム
戦争責任についていえば、個人という責任主体のない空気支配による戦争という国策ですから、だれに、何処にも責任を追及することも、負うこともできないと思います。
そのことを明確化し清算できないまま戦後日本が民主化されたと考えているなら、大いなる錯覚としか思われません。
その亡霊が今日安倍政権長期化という現実になっているようです。
コメントがダブっているようですみません。
[ shalom ]
2019/7/23(火) 午前 11:23
 
(私)
シャロームの、よさそうだと思う言葉を拾って取って付けたような「個人という責任主体のない空気支配による戦争という国策」という言い方も、ひどくぞんざいな、言葉のサラダと言うべきものでしょう。
(私)
さらに、シャロームは、ブログ主の意見を、強引に自説に結び付けて、膨らませて、前からの日本の政治や歴史の付いてのボロクソ節につなげて、それゆえに、大袈裟に賛同して、いい気になるようです。
(私)
戦争は個人の責任主体で語れるのでしょうか。あるいは、ダイレクトに空気支配によるのでしょうか。深いところを、シャロームは全く見ないまま、順を追うことなく、いつも、大仰な結論を書いて、言い得た気分になるのです。そして、明確化、清算できない、という言葉ですが、まず、その前に、文章が、何も明確ではないのです。
(私)
個人という責任主体のないのは、誰よりも先に、シャローム自身なのです。
 
(ブログ主さん)
「 > shalomさん
 >戦争責任についていえば、個人という責任主体のない空気支配による戦争という国策ですから、だれ に、何処にも責任を追及することも、負うこともできないと思います。」
空気の支配を正当化していては、何事も前には進みませんね。昔ながらの山桜かな。
戦争も、自然災害のように見えている。
意思の存在を認め、個人の意思による国の舵取りができるようにならないと、日本の政治は日本人のものにはなりませんね。
 
(私)
空気のようだから、個人の意思がなく、深い思慮がなく、大きな災いを自然災害のように、過ぎ去るのを待っているだけの右往左往、ということになるのでしょうが、浮かれたり、怒ったり、乗せられたり、揺さぶられたり、為すがままの、これは、むしろ、シャロームの言葉遊びに表れています。
(私)
いつもシャロームは、告発調のボロクソ節と、ごますり調の賛同で、全か無かで、結論にショートするのが生業です。だから、今までも、生産的な何ものも生まれてこなかったのです。シャロームの自己満悦によるシャロームの自己満悦だけの完成だからです。
 
(ブログ主さん)
>そのことを明確化し清算できないまま戦後日本が民主化されたと考えているなら、大いなる錯覚としか思われません。
そうですね。民主主義を通して自己の意思を表す現実が必要ですね。
「>その亡霊が今日安倍政権長期化という現実になっているようです。
 我々に意思が存在しなければ、どうにもならない。閉塞感が募るばかりです。
[ nog*t*ra ]
2019/7/24(水) 午前 5:24
 
(私)
ブログ主さんは、シャロームのショートサーキットを、具体的に解説する役割になっています。
 
(シャローム
> nog*t*raさん おはようございます
コメントありがとうございます。
「我々に意思が存在しなければ、どうにもならない。」
そうですね。意志と時制がなければ、主体的に歴史検証能力もないのですから、どうにもならない募る閉塞感を突き破ることは難しいですね。
いや閉塞の原拠である酷会、否、国会が象徴ですが、その国会にれいわ新選組の船後さん、木村さんが送り込まれたことが風穴になるかもしれませんね。国会私物化安倍政権最大無二の功績でしょう。(笑)
[ shalom ]2019/7/24(水) 午前 8:48
 
(私)
「(笑)」を入れる必要があったでしょうか。シャロームは、意思に、"時制"を加えて、サービスしたつもりなのでしょう。国会を酷会と言って軽妙な皮肉のつもりで、れいわ新撰組を風穴だと持ち出し、国会私物化安倍政権最大無二の功績、という、ボロクソ節の皮肉を言って、ゴチャゴチャに取りそろたつもりで結論を出した気分で、眼と顔が脂ぎって、眉がつり上がって、奔逸している笑いの「(笑)」は、たぶん、のぼせと慢心の高笑いだと思います。
(私)
いつも独り芝居なのです。独りで結論を出したつもりで高揚気分の上機嫌になるのです。こういう、結論を豪語する傾向は、むしろ、政権の人々に多いような気がします。じっくり深く考えたくない、スパッというと気持ちいい、反省とかしない、議論したくない派、ということですが。
(私)
前から言ってきたことですが、権力を除けば、シャロームは、体質的に、実に、政権内の人々とABsに、よく似た権威主義だと思います。シャロームは、じっくり深く考えること、反省すること、しんみり嘆くこと、改めようとすること、こういうのは、大嫌いのようで、私が関わった約8年間、一度も、そういう姿も跡形も、見せたことがありません。
 
(私)
私は、シャロームについて、キリスト教よりも先に、楽山などのアドラー教の、気に入らないことは無視する、などの処世信条がベースにあって、そこからキリスト教を解釈し、うまくできたと、罪は改めなくても赦されるから気にしなくていい、という人格破壊的偽信条に至ったのではないかとさえ思えてきます。
(私)
偽信条によって、キリスト教をけがしながら、さらに、日本をボロクソ節でけなしながら、結局、日本を全否定することが目的ではないかとさえ思い始めています。そう思いたくなっても不思議ではないほどのシャロームの日本に対する異常なボロクソ節なのです。シャロームは、ヤフーブログで、韓国の教会の動画を勧めていましたし、また、韓国に知り合いがいるとも言っていました。
(私)
楽山と易坊も仲間なのでしょう。ひょっとしたら、自称ヨシュアも自称マグタラも?・・だとしたら、これは陰謀ですし、話にならない彼らのキリスト信仰?についての見解と相まって、彼らの作為と悪意と陰謀は、決定的であります。恐ろしい企てが進行中でないことを、また、反日感情がベースにないことを、祈るばかりです。
 
 
(2019年09月08日)
 
 
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議論と保身(11)

 
  議論と保身(11)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。一部編集。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
(私)
だんだん、本性を表してきました。楽山とシャロームの意地の悪さが全開です。
 
(楽山)
stさんの意見は、的外れのことが多いけれども、
その原因は、この辺りにあるのでしょう。
気の毒なのは、
stさんは、構造、本質が分からないために、
自分が的外れなことを言っていることも分からず、
それがために、
なぜみんな自分の意見を理解してくれないんだという
不平不満、苛立ちを抱えているだろうということ。
 
(私)
私が書く動機は、何度も言ってきたことです。不平不満や苛立ちではありません。
それが、文章から分からないのは、楽山の読解力不足です。
それに、最初から、あなた方の話で満足できる人は、いてもお仲間だけだと思っています。
 
(楽山)
これは本当に気の毒だけども、
本人が気づかない限りは、
外から何も言っても無駄であるし、
誰にもなんともできないのだから仕方がない。
 
(私)
仕方がないと言いながら、なお、おとしめてくるのも、
批判する大きな動機にも理由にもなるでしょう。
楽山は、化けの皮がはがれて、もろに侮辱しています。
 
(楽山)
stさんが、他人の意見に素直に従うタイプであれば、
別だろうけど、
そうではないのだから、傍からはどうもできない。
結局は、stさんと話しても徒労に終わるという結論になる。残念。
2019/8/30(金) 午前 9:39[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山が「他人の意見に素直に従うタイプ」と言っているのは
騙されやすくて従順な犠牲者のことを言っているのです。
(私)
残念と書いていますが、私のほうは、徒労は承知の上で書いています。
ある時点から、言っても無駄だろうとは思っています。
批判として、有害で邪悪な言説に、貼りつけるやり方です。
 
(楽山)
>shalomさん
私の方でも、この辺りで終わりにします。
あとは、stさんに反論してもらい、
記事保存、ブログ整理するだけ。
最後まで、
優しいお心遣い、ありがとうございました。
2019/8/30(金) 午前 9:46[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
偽善者同士の仲間ぼめは、何とも言えない気色の悪さです。
(私)
楽山とシャロームは、和みに誘ってきますが、決して和んではいけないブロガーです。
 
(楽山)
stさんの反論があったら、
それでコメ欄を閉めて、コピペ保存するつもりでしたが、
相変わらず、おかしなことばかり書いてます。
もうそれらをいちいち指摘する気にはなれませんが、
分かりやすい箇所を少し書くと、この辺りです。
2019/8/30(金) 午後 1:26 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)

>おかしなことばかり書いています
 」
このようにカルトの浮かれ具合は、侮辱することしか出来なくなることに表れてきます。
このような人たちに、誰が導かれたいと思うのでしょう。 
 
(楽山)
「 
>>stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。
 」

>楽山から「愚か」も飛び出してきました。丁寧な楽山の、面影はありません。
こういうことなんです。
2019/8/30(金) 午前 11:19st5402jp
 」
私は自虐的なことは、わりとよく書いてます。
自分のことを、愚か者、迂闊者、ばか…いろいろ。
だから上の文章は、いつものことです。
でも、stさんは、どうも
私がstさんのことを「愚か」と言ったと誤読してるっぽいです。
stさんはこの手の勘違いから
ああだこうだ騒いでることが、ちょいちょい見受けられます。
2019/8/30(金) 午後 1:27 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山が、文脈とも筆致とも理路とも言わず、構造と言ったのは、
ニュアンスが把握できないために、機械的に考えているからのようです。
日本語のニュアンスが分からない人のようです。
これは、自虐に見せかけた侮辱です。
「stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。」
つまり、あんな奴と付き合ってる自分が嫌になったというのと同じで、
では、stについては、どう思っているかと考えてみると、
相手している楽山自身が愚かに見えるほどに、愚かだと言っているわけです。
決して自虐ではありません。いや、寒気がするほど、悪質な言い方です。
 
(楽山)

マリアさんは、モラハラ男は拒否するという当然のことをしただけ
 」

>楽山から「モラハラ男」とか飛び出しました。
>2019/8/30(金) 午前 11:19st5402jp
 」
stさんのなかでは、
私は「モラハラ男」は使わないことになってるのでしょうか。
モラハラ男、DV男…普通に使いますけどね。
モラハラ野郎、DV野郎でも使えます。
マリアさんの記事を読んだら、そういう感想を持つのは当然でしょう。
ここは何というか、
楽山のまちがいを批判するというよりも、
楽山のことは全て否定したい、ケチつけたいという本音が、
あからさまになってしまってます。
カルトだから批判するのでなく、
憎くてたまらないから批判するという感じ。
これは恥ずかしいことです。
2019/8/30(金) 午後 1:32 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山が丁寧ではなくなったことを言ったのですが、
モラハラ男」のどこが普通なのでしょう。蔑称というものです。
楽山の丁寧な言葉遣いが嘘だったという意味です。
やさしそうな言い方をしてきた楽山が
野獣の本性を出しているだけだから分からないのです。
(私)
侮辱しかできないため、侮辱の度合いを酷いものになっています。
これが、ケダモノの性根というのでしょう。
嫌悪感は、半端なくありますが、憎しみではありません。
憐れみでもありません。この者たちは公共での話をする資格がない
という実感です。
 
(楽山)
上の点について、
stさんは、修正釈明するかしないか自由に決めてください。
その後は、コメ欄は閉じて、stさんとの交流は終わりとします。
2019/8/30(金) 午後 1:33 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
俄然、命令調になってきた。
ふざけないでください。荒らしの本領発揮の筆致が出ているということは、
今までの丁寧な書き方が読者を騙すための三文芝居だったということです。
野獣登場ということです。あなたは、そういう人。
 
(シャローム
> st5402jpさん こんにちは
 
(私)
この白々しい挨拶のことを言っても、同じように書いてくるのは
底意地の悪い証拠ですが、前にも書いたと思うが、
シャロームは、またしても、むしろあざ笑うかのように挨拶を入れてきます。
これが、シャロームの、不感不応のモンスターたるゆえんです。
 
(シャローム
「(私)
私が書く動機は、何度も言ってきたことです。不平不満や苛立ちではありません。
それが、文章から分からないのは、楽山の読解力不足です。
それに、最初から、あなた方の話で満足できる人は、いてもお仲間だけだと思っています。
2019/8/30(金) 午前 11:37st5402jp返信する」
 」
長いお付き合いですが、stさんの批判に同調し、支持し、交わりを続けている方はおられますか。
stさんの執拗なたくさんのコメントを読まれ、stさんにやめるようにたくさんコメントされた方を思い出しますが、stさんも覚えていて、それらの人はみんな荒らしであって、私のなりすましであるとか、仲間であるとか繰り返し書いておられますね。みなさん読解力がなかったのでしょうか。
2019/8/30(金) 午後 1:58 [ shalom ] 返信する
 
(私)
私は、シャロームと楽山をいっしょに批判しよう、ではなく、何よりも二人に関わらないようにと、いつも、お願いしています。だから、シャロームに関わる人が少なくなればよいのです。いなくなれば、もっとよいのです。
(私)
数を頼むのは、下種の勘繰りです。私に、批判をやめるように言ってきた人は、事情をよく知らないか、シャロームの丁寧語に騙されている人です。シャロームは、悪性度が、普通とは違うのです。そのことが、このシャロームの嫌らしい嘲りのコメントに表れています。そして、シャロームにだけは、分からないのです。
(私)
シャロームは、お前には仲間がいないだろうと、私をおとしめています。
神に従っている人は、このような、自分のほうが偉いみたいな言い方はしません。
シャロームが、神もキリストも聖霊も信じておらず、恐れてもいない証拠です。
(私)
カルトには仲間がいるものだから、このように、
仲間がいないだろうと、侮辱してくるのは、今に始まったことではないのです。
シャロームの本質は、他者を下に、自分を上に置くことだという表れなのです。
仲間が多いかどうかで、測れると思っている偽善者の吐く息を覚えてください。
 
(シャローム
stさんに同調し、支持し、私に対して注意された方のHNを教えてくださいませんか。私は一度もSTさんのきびしい度重なる警告にもかかわらず、一人もおられませんよ。
 
(私)
シャロームは、私が孤独であることをもって、仲間のいる自分を誇っているのです。このように、数に物を言わせることが、何よりも、シャロームが下種であることの証明なのです。
(私)
こういう、卑怯で、低劣で、嫌らしい皮肉を言ってくるのが、化けの皮の剥げつつあるシャロームの特徴なのでしょう。もっとひどくなるでしょう。
(私)
真実は、孤独のうちに、目覚めとして、開かれるものです。
シャロームのように、誰かを騙して、誰かに褒められて、開かれるものではないのです。
ましてや、シャロームの最悪な皮肉や当てつけで、真実が明らかになることは永遠にないのです。
 
(シャローム
確かに自由さんは初め、私のコメントが皮肉のようで、そんなコメントがSTさんの批判を招くのではないのではないかと注意されたことは覚えています。
 
(私)
批判というものは、特に務めと意識している批判者にとっては、偽善者のコメントなど、全く当てにはしていないのです。
 
(シャローム
はじめ好意的にstさんにかかわっておられた方は私がSTさんの思いや気持ちをよく理解されると思ってSTさんに紹介したverさんと今から一年ほど前から関わりが始まった自由さんでしょうか。
しかし残念ながらおふたりとも結果はご存知の通りです。
いくつものブログを開設して、つづけるのも大変でしょう。
stさんも5402生まれなのですから、若いとは言えませんが、徒労に終わるのではないでしょうか。
それともまた新しい人を探し出して続けられますか。
続けるのも自由、やめるのもSTさんの自由な意思にかかっているのであって、誰の責任でもありませんよ。
Shalom!
2019/8/30(金) 午後 1:58 [ shalom ] 返信する
 
(私)
ずっと前に関わった人のHN"ver"を持ち出してきました。手段を選ばないシャロームです。"ver"がシャロームを批判できなかったため、シャロームは、ネット寿命を延ばしていますが、それを、まるで、正しいことであるかのように言っているシャロームの無反省は、妄想宣伝家の、パリサイ人以上の偽善者ならでは・・なのでしょう。
(私)
この「Shalom!」という挨拶も、嫌がらせとして、いつも付けてくるのです。
シャロームは、悪意の人、時々の最後には脅迫しか手段がありません。
侮辱して悦ぶサディストだと書いたのは間違いではなかったようです。
(私)
そして、恩着せがましく、丁寧語で、お前しだいみたいなことを書いてきます。
この丁寧語に騙される人が、いなくなることを祈り願って止みません。
(私)
私は、もとより、孤独を覚悟の上で、批判しています。新しい人を探し出して世辞を言って、認められたがっているのは、シャロームに他なりません。
(私)
私の自由は当たり前のことです。言論の自由を勝手と勘違いして、言論の責任を負わないシャロームは、長きにわたって、嘘八百の妄想を宣伝してきました。総ては、シャロームの無責任で起こっている闇の不祥事を、私は、私の責任の範囲で批判しています。
 
 
(2019年09月07日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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議論と保身(10)

 
  議論と保身(10)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
シャロームが乗り込んできました。また、楽山とシャロームの、決して自らの非を認めず、成り立たない言いがかりを繰り返し言ってくる有り様が明らかになっています。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん おはようございます

(楽山)
私は、シャロームさんより先に、stさんと知り合ったし、
 」
「(私)
それは、疑惑もあること。そして信頼していない楽山の言うことに過ぎない。
2019/8/30(金) 午前 1:06 st5402jp 返信する」
 」
stさんは妄想と疑惑の中で生きておられるのですから、どこまで行っても誰とも対話など成り立ちませんよ。
2019/8/30(金) 午前 9:12[ shalom ]返信する
 
(私)
対話が成り立たないと言いながら、私のライブドアブログのほうに、妙なコメントを入れてきたことを、2つの記事にしています。(9月3日のこと追加)
(私)
「妄想の中で生きている」、と言いながら、「生きておられる」と敬語です。
シャロームの丁寧語が、いかに、侮辱的であるかがわかるでしょう。殴られるより怖いことを、平気でしてくるシャロームなのです。シャロームの言うことは、何も、まともに受け取ってはいけない、という根拠をシャローム自身が示しています。
 
(シャローム
stさんの心を傷つけ、心のエネルギーを消耗させ、乗っ取った人へのstさんの正当な批判を受け容れない限り、悔い改めないと責め立てずにはおられないのでしょう。stさんにとってそれは無理もないことですが、stさんの批判のもとに、言われる通りです、マイリマシタ、と屈服し、謝罪するなら、stさんはすぐやさしい人にヘンシンされるでしょう。
 
(私)
いつもながら、吐き気のするようなシャロームのコメントです。私が、何か、乗っ取られたということを何度も言ってくるのですが、例によって根拠は皆無なので、これが妄想なのだと思います。つまり、シャローム作の怪談が、ずっと続いています。現実に生きていないような奇妙な異常なのです。
(私)
私は、謝罪など求めていません。シャロームと楽山には、言説を変える気がないのなら、やめなさい、と言っているのです。とても有害です。私のように抗える人は、議論好きな人ですが、恐らく、多くの人は、そうではないからです。
(私)
シャロームは、マイリマシタという屈服を勧めています。また、そうすれば、私はヘンシンされるのだそうです。これほど、恐ろしい脅迫があるでしょうか。あるいは、マイリマシタと私に言えば私が批判をやめるだろうと言っています。私は、まいらせるために批判をしているのではなく、シャロームと楽山の言ってることが広まれば誰にとっても有害だから批判しているのです。
 
(シャローム
でも心の不信、疑惑はなくなりませんから、いつも人の言葉や行動を見張り続け、
「 (楽山)
私は、シャロームさんより先に、stさんと知り合ったし、
(私)
それは、疑惑もあること。そして信頼していない楽山の言うことに過ぎない。」と、
自分の疑惑、妄想に人を引き込み、取り込み支配せずにはおられなくなり、際限なく、繰り返されるでしょう。
そして、
 「stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。」と思わせるのも、stさんの思うツボでしょう。
今日はyahooブログの最終日!
The Endにしませんか?
私のために多くの時間と労力を費やさせてしまいました。
感謝とともに申し訳ない気持ちです。
また逢う日まで
Shalom!
2019/8/30(金) 午前 9:12[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームの怪談が続いています。私は、いつも、訂正不能へ誘導するカルトのシャロームについて警戒し、また、警戒を呼び掛けており、これからも、できるだけ、呼びかけ続けます。
また、支配、妄想、などと決めつけるのは、もはや、繰り言になっています。根拠が何もないから、繰り返すしかないのです。
 
(楽山)
さっきは、ざっと流し読みしただけだったけど、改めて読むと酷いね。

>ブログとコメント欄は公共物です。参加者を限ることは出来ません。それを、楽山は、そして、シャロームも、私有物のように恣意的に運用しているのです。
 」
ブログは一般公開するのであれば、
法律や公序良俗に反しないことを求められるのは当たり前のこと。
 
(私)
「酷いね」と、根拠を示さずに、自分を審査員みたいに高みに置いているのが分かる楽山です。公共においては、ますます、嘘はいけない、詭弁もいけない、さらに、もちろん、社会悪はいけない。それを、平気でやってきたのが、楽山とシャロームであります。悪意がないとできない楽山の発言です。
 
(楽山)
でも、公開、限定公開、非公開や、
コメ欄の自由開放、承認、非承認、削除などは、
ブログ主の判断に任されているのが現実です。
もしそこに恣意的な運用があれば、
支持者を失うという結果になるでしょう。
 
(私)
シャロームは、嘘吐きの偽善者で、恣意的に削除・不承認で、不承認によってコメントをいっぱい隠しています。楽山は、根拠のない一方的な言い張りを繰り返しています。
二人とも、反省と修正と成長する機能が無いので、
二人とも、支持者だけでなく、ブロガーの資格を失うべきです。
(私)
承認、非承認、削除が、ブログ主に任されているからこそ、ブログ主には慎重さが求められるのです。特に、テーマが大きければ大きいほど、影響が大きいからです。そのことを弁えず、我が物として、偽りで支持者を得るために、恣意的に運用しているのが、シャロームと楽山です。法の外で行われている詐欺と言ってよいのです。
 
(楽山)
stさんは、自分のコメント連投を認めさせたいのか、
ブログは公共物で、参加者を選別できないとおかしなことを言ってます。
2019/8/30(金) 午前 9:33[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
ブログが公共物であることを否定するとは、反社会とも言えそうなほど非常識な楽山です。
公共物だからこそ、ときに不穏当な場合は、記事をサーバーが削除します。
私がサーバーに報告し、自称ヨシュアは、記事を削除されたことがあります。
それ以前に、ブロガーに良識が求められるのは、言うまでもないことです。
 
(楽山)

>話すな、話すなら批判する、というような脅しの言い方はしていないと思います。
前といっしょですね。また印象操作でしょう。
>2019/8/30(金) 午前 0:51st5402jp
 」
文脈を読んでください。
私が言ってるのは、
「stさんはこう言った」ではなく、
「stさんの言葉をこう受け止めた」ということです。
 換言すれば、
「stさんの言葉に、こういう印象を受けた」ということです。
 
(私)
だから、それは、いずれも間違っているという指摘を続けるのが、批判です。
当たり前のことが、分からない楽山。
 
(楽山)
「こういう印象を受けた」という正直な感想を述べただけで、
「印象操作だ!」と非難されても困ります。
それじゃあ、自分の思ったことを正直に言うこともできなくなってしまいます。
2019/8/30(金) 午前 9:34[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
印象操作について、何に誘導しているかも書いたのですが、それに対する弁明はしないし、できないのが、楽山とシャロームです。
(私)
操作という言葉がついているのだから、意図をもって何かの印象を吹き込もうとする企てが、印象操作ということです。その都度、説明してきたのに、強引に一般論的な話に持っていって、「正直に言うことも出来なくなって」などと、被害者面をしている楽山です。騙すということは、こういう言い方の詭弁を使うのだという見本でしょう。
 
(楽山)

>あなたは、有害な誘導のブログをやめるべきです。
止めないならば、必然として、批判記事とコメントを当ててゆくことになります。
 」
私はこれを、
「ブログをやめろ!
やめない限りは、批判記事と連投コメントを続ける!」
という脅しだと受け止めます。
ていうか、
stさんは、シャロームさんは丁寧語で人を騙すと非難してるけど、
これはもろに投影ですね。
stさんこそ、上の様な丁寧語を使って、
人に圧迫を加えてる。
2019/8/30(金) 午前 9:34[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
私の丁寧語は、私が批判しているシャロームの丁寧語ではありません。私が言う、シャロームの丁寧語というのは、必然がなく場違いに丁寧に見せかけるバカ丁寧な言葉遣いということです。
(私)
私は冷静に書こうと努力しているということです。普通の書き方です。つまり、丁寧語で人を騙すのが投影だというのは、またしても、根拠のない楽山の妄想的な繰り言です。
(私)
また言ってる。「やめろ!」という脅し文句は言わないのです。
ストレートな言論を妨げるからです。しかし、罵詈雑言は、ときに言うことがあります。
今回の楽山のように、キレ気味というわけではありませんが。
(私)
やめないで、続けると、成り行き次第では、多くの被害者が出ると思うから言っています。
ただでさえ、人間を感動させたり、糧になったりが、皆無です。
あるのは、誘導と、幼稚な安い道徳と、やさしいお人柄と言ってもらうための、
世辞でしかないという判断です。
 
(楽山)

>どう考えても、私を支持する気など最初から微塵もない楽山です。
 」
ヨシュアさんは、私をst側とみて、st自由同一人物説を唱えました。
易坊さんは、私がstさんに賛同するコメントにツッコミを入れてました。
stさんの発言をみてると、記憶の変換などが、ちょいちょい見受けられます。
2019/8/30(金) 午前 9:35[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
「st側とみて、st自由同一人物説」は、楽山の問題です。妙な書き方をしています。
私に対しては、記憶の返還と言うが、自らの作為の無視と健忘には無頓着なのが、楽山で、
そういう人は、言説全体が、恣意的なものにしかなりません。アドラー教の症状でしょう。
 
(楽山)
「>>ついでに言うと、
シャロームさんは、コメ欄をそのままコピペしてたけど、
stさんは、コメ欄をコピペし、さらに後から文言をつけたし、自説を補強してるのを見た記憶がある。
 >それは、当たり前にすることですよ。何を言っている。
 >2019/8/30(金) 午前 1:06 st5402jp
 」
ここは、stさんの公平公正に関する感覚がよく分かります。
たとえば、右翼と左翼が議論して、
あとで一方だけが言葉をつけ足したうえで、出版したならば、
これはアンフェアとして強い非難を受けて当然ですが、
stさんはこれに問題は感じないらしい。
2019/8/30(金) 午前 9:36[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
本は修正が出来ません。だから、ブログの修正可能は便利なのです。
アンフェアではありません。そういうものだという了解が成り立っておれば。
あなたは頑として、そこに、こだわって、了解不能にしたいようです。
あなたと違って、私は、修正によって成長可能でありたいからです。
あなたは、ずっと命がけで、ブログを書いてゆくつもりでしょうか、
でも、ならば、もう何度も死んでいることになりますが。
愚かですね。墓穴、また掘ってる。
 
(楽山)
今回のやりとりで、改めて感じたことですが、
stさんはどうも、構造が分からないタイプらしい。
まず
コメ欄の上の方で、
シャロームさんと私は、
日本は戦前も戦後も空気に支配されてることは変わらない
というような話をしてたけど、
stさんはこんなことを書いてきた。

>戦後日本は、戦前と少しも変わっていないでしょうか。戦前ならば、反政権の人々は、捕らえられていたでしょう。
 」
2019/8/30(金) 午前 9:37[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
どこか、間違っているのでしょうか。
構造が分からないと、また、決めつけてくる、楽山のナルシシストぶりです。
 
(楽山)
また、私はこう書いた。

幸福の科学では、
「〇〇は悪を広めようとしている。私たちはそれを阻止するのだ」というような妄想をして、今は宏洋氏を攻撃対象にしてます。
stさんは、シャロームは悪を広めようとしている、私はそれを阻止しているという風に、これと同種の妄想をしてます。
2019/8/29(木) 午後 7:08[ 楽山 (自由) ]
stさんはこう反論した。

>>幸福の科学では、
 「〇〇は悪を広めようとしている。私たちはそれを阻止するのだ」というような妄想をして、今は宏洋氏を攻撃対象にしてます。
 」

>私と関係ないことを、こちらに向けても意味がない。
2019/8/30(金) 午前 0:59st5402jp
 」
2019/8/30(金) 午前 9:37[ 楽山 (自由) ]返信する
私はこうも書いた。

マリアさんの新記事を読んだけど、
喧嘩腰な感じなのに、
コメントやり取りなど交流を求めてくるって、よく分からんですな。
ホント、世の中にはいろいろな人がいるものだ。
>・自分を誇ってなんになる。
 」
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43325580.html
 2019/8/29(木) 午後 7:35[ 楽山 (自由) ]
stさんの反応はこう。
>楽山は、なんでこの流れで、自称マグタラのことを言い出すのだろう。
2019/8/30(金) 午前 1:10st5402jp
2019/8/30(金) 午前 9:38[ 楽山 (自由) ]返信する
結論としては、stさんは構造が分からないらしいということ。
構造が分からないということは、本質が分からないということ。
 
(私)
長く書いても、楽山の言は、理路になっていない。構造?が分かっているつもりの楽山の悲惨。
(私)
楽山は、構造と呼んでも、説明していない。別の人が入る必要も必然もないのです。なんでも利用したいし、利用したつもりになってる楽山です。ここでの話に無関係な藁にすがる理由も。
(私)
楽山は、私を、構造?が分からないと、おとしめるための原始的な攻撃。
楽山の言うところの構造が分かると言ってくれるのは、恐らくお仲間だけ。
楽山は、言論において、宗教において、構造が本質だと思っている。
いつも月並みな文章構造を拝んでいる偶像崇拝だからだろう。
(私)
私は楽山を、文脈が、理路が、心が、分からない人だと思っている。
それで、私に、本質が分からないと言ってくるのは、自分を見ていない証拠だろう。
だから、楽山は、第三者の記事でも何でも引っ張ってきて、私をおとしめる。
(私)
私は、少なくとも、構造?よりは、理解に努めることができる人間の理路と情緒において、楽山とシャロームを批判している。楽山の構造?という言論は、段ボールの空箱なのだろう。
 
(私)
楽山とシャロームは、自己中心だから、何としても勝ちを求める。けっして非を認めない。言ってることがボロボロになっても、なお、まともを装う見苦しさが表れています。
(私)
私は、キリスト者のつもりだから、務めを果たそうと努めているだけ。
私の不備と罪は、気づいたときに、ありのままを祈って、神に捧げるのは言うまでもないのです。
キリスト者は、そうして、赦しと癒しと導きを祈り願う修正可能な生き方ですから。
(私)
この修正可能こそ、シャロームと楽山には全く見られないことで、
悔い改めを通して、成長可能に結び付く信仰生活のあり方なのです。
 
 
(2019年09月06日、同日一部修正)
 
 
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議論と保身(9)

 
  議論と保身(9)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
(私)
楽山の化けの皮がはがれてきています。カルト信条を前提として、根拠とできない者は、結局、言い張って、相手の言うことを妄想と言うしかなくなるのです。
私は、楽山とシャロームの考えを妄想と言うのに、信仰、特に、キリスト信仰として、矛盾する、というより、真逆だという根拠を示しています。
 
(楽山)
stさんのコメントは、ざっと読んだけど、
例のごとく、妄想だらけになってます。
 
(私)
自己中心の妄想観念で、決して誤りを認めない、あるいは、認めることの出来ない体質を持つ者は、こういう無根拠の、結論だけしか言えなくなります。それにしても「妄想だらけ」というのは、柄が悪くなった、というより、今まで、柄の悪さを隠していたことの証拠でしょう。
 
(楽山)
よく言えば、
「私はこのように受け止めています」という解釈問題だけど、
stさんの場合は思い込みが激しいので、
解釈問題というよりは、妄想問題になってます。
 
(私)
このように、続いています。ずっと続くのでしょう。根拠のないカルト信条から出発していると、根拠は示しようがないのです。
 
(楽山)
事実関係については、この削除、未承認の話くらいでしょうか。
「言い分が通らないと」「嫌がらせ」「自覚のない人」「怖い」は、
推測、感想の類で、他人が言っても仕方ないことだから放置します。
 
(楽山)

>楽山は、言い分が通らないと、削除したり、未承認にしたり、嫌がらせを言ったりしてきました。
自覚のない人は、これだから怖い。
 」
シャロームさんはコメント削除ありの人のようだけど、私は違います。
 
(私)
違いますと言っていいのですか?削除したこと結構あったのでは?
 
(楽山)
個人情報の暴露など、裁判所に呼ばれそうな案件でもなければ削除しません。
未承認は、会話に割り込んで連投されるのは邪魔だからで、
 
(私)
邪魔者は消せ・・を地で行くことを言っています。
 
(楽山)
ブログ移行時は、承認して、コピペ保存するつもりです。
stさんはこれほど批判を続けてるのに、
いまだにシャロームさんと楽山の違いがわかってないです。
2019/8/30(金) 午前 7:00 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
似たようなものだと思っているから、成りすましを疑うわけです。
 
(楽山)
ところで、私は、
カルトか否かの判断基準は、
藤倉さんの記事によってます。
違法行為や人権侵害があるかないかという基準です。
これでみると、
シャロームさんについて、
 違法行為や人権侵害があったという証拠はないので、
シャロームさんはカルトとはいえないという結論になります。
stさんは自分の中の基準や推測から、
シャロームはカルトと断じてるようですけど、
 違法行為や人権侵害の証拠を出せない限りは、
stさんの主張が広く受け入れられることはないでしょう。
・カルトの定義をめぐるあれこれ|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞)|note
 https://note.mu/daily_cult/n/nad21561cfe0a
2019/8/30(金) 午前 7:01 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
都合の良い基準ですね。
これだと、犯罪に及ぶ前はカルトではないということになります。
早期発見・早期対処は全くできないことになります。
楽山は、都合がいいから、そう望んでいるということでしょう。
 
(楽山)
また悔い改めについては、
私がシャロームさんに質問した時に、
悔い改めは必要だという確答を得たと記憶してます。
 
(私)
楽山は、詭弁だとバレていることを持ち出しました。
シャロームは、悔い改めは必要だが、神が与える、と言ったのです。
つまり、悔い改めていないのは、神が与えていない証拠なのです。
前に書いたと思います。楽山は、記憶障害もあるのでしょうか。
(私)
悔い改めたかどうか、日々悔い改めているかどうかだけが、問題なのです。
シャロームは、悔い改めた、悔い改めている、とは言っていないのです。
それをごまかすために、神が与えるなどという安い詭弁を言ったのです。
 
(楽山)
stさんは、
シャロームは悔い改めてない、
悔い改めたなら、それは表に現れるものだ、
シャロームにはそれがないから、悔い改めはしてない、
悔い改めは必要ないと考えてるのだ
というような論法をしてたと記憶してますが、
これはstさんの推測、解釈にすぎず、
事実として主張することはできません。
 
(私)
理非を弁えない思い切った断定をしてきたものです。
悔い改めたならば、発言に、考え方に表れるのです。
人生が変わるのですから。
楽山は、すっ飛んでメチャクチャなことを言い出しました。
アドラー教は、素っ頓狂でもあったのでしょうか。
 
(楽山)
ちなみに、私から見ると、stさんの内面はこのように想像されます。
私はシャロームのせいで心を傷付けられた、
シャロームは私に謝罪すべきだ、
でも謝罪していない、
悔い改めは必要ないと考えているのだ、と。
 
(私)
信仰の問題を、個人の感情問題にすり替えようとしています。
これでも社会悪ではないなどといえるでしょうか、否です。
やはり、安っぽい刷り込み&すり替え屋だったんですね。
いちばん悪い路線に入っているようです。
 
(楽山)
これだから、stさんのシャローム批判は、謝罪要求のように聞こえます。
私の想像は間違いかもしれませんが、今のところそう感じられます。
2019/8/30(金) 午前 7:02 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
間違っています。というより、公論を謝罪要求に、すり替えています。
今になって、こんなことが通用すると思っている。見るべきものもなく、堕ちた楽山。
見苦しい。
 
(楽山)
前にも少し書いたことだけど、
易坊さんから、
stさんはシャロームさんを誹謗中傷していると言われた時は、
正直、いまいちピンときませんでした。
でも今は、いろいろ見てきたし、
自分が批判対象になったことで、上の指摘は納得できます。
たとえば、私は、アドラーの課題の分離に一定の価値を認めてますが、
stさんは、これをもってアドラー信者と揶揄し、
私がアドラーに盲目的にしたがってる信者か何かのように喧伝することを躊躇しないようです。
そこを注意してもやめない。
易坊さんの指摘は当たりです。
2019/8/30(金) 午前 7:03 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
開き直ったようです。易坊とも仲間、正体と言ってよいでしょう。
楽山、易坊、シャロームの、3者成りすましが、にわかに真実味を帯びてきます。
 
(楽山)
マリアさんの記事は、
いつも喧嘩腰で、侮辱してくる相手とは
メール、コメントのやり取りはできないという話だけど、
昨日これを読んでから、時間が経つにつれて、
stさんとやり取りしてる自分が、ますます愚かに見えてきた。
 
(私)
楽山から「愚か」も飛び出してきました。丁寧な楽山の、面影はありません。
こういうことなんです。
 
(楽山)
でも今朝、記事を見たら、反論コメントがあったっぽい。
マリアさんは、モラハラ男は拒否するという当然のことをしただけなのに、
これに異論を述べる人がいるなんて、やはり世の中にはいろんな人がいるものだ。
・自分を誇ってなんになる。
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43325580.html
2019/8/30(金) 午前 7:05 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山の、「あったっぽい」発言の、いい加減さ。「モラハラ男」とか飛び出しました。
私は、自分を誇ってはいません。だから、日々、祈っているのです。
誇っているのは、あなたと、シャロームと、楽山の、ナルシシストと、
慎みのない信仰命がけ自慢の呪術使い自称マグタラです。
いや、これは、相当、悲惨です。
 
 
(私)
困ったら、手段を選ばず、個人をおとしめて侮辱して、疲労させるという手段をするしかないのがカルトです。言い方が、だんだん荒くなってゆきます。テーマとは違うことで、おとしめてきます。
(私)
完全になれるのです、という信条をキリスト教として語っていた自称ヨシュアもそうでした。自分が上である、という傲慢をふだんは隠し、根底に訂正不能に持っているのです。
(私)
ヤフーブログが終わりますから、また、別のところで、彼らは、人々を、やさしい言葉で勧誘してゆくのでしょう。引っ込みの付かない信者とともに。私は、いつまで書けるか分かりません。いつか、大問題となったときには思い出してください。
 
なお、この批判シリーズは、(11)まで続きます。
 
 
(2019年09月05日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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議論と保身(8)

 
  議論と保身(8)
 
   嫌われる勇気
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
   楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
   批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
 
 
(私)
楽山の理路の乱れと、別のところから引用して、私をおとしめ、自分が言われそうなことを、私に向けてくる筆致が、とても悪質です。丁寧語は、ときに、殴られるより悪いことがあります。
 
(楽山)

>このような者の言説で、社会を染めようとするなど、以ての外であります。
 」
これも妄想です。
幸福の科学では、
「〇〇は悪を広めようとしている。私たちはそれを阻止するのだ」というような妄想をして、今は宏洋氏を攻撃対象にしてます。
 
(私)
私と関係ないことを、こちらに向けても意味がない。
楽山は、私の言ったことを妄想だと決めつけて、理路も根拠も共感も説得力もなく、人の言ったことまで引用して、私をおとしめようとしているだけです。まっすぐ、というものから、最も遠い人。
 
(楽山)
stさんは、シャロームは悪を広めようとしている、私はそれを阻止しているという風に、これと同種の妄想をしてます。
2019/8/29(木) 午後 7:08 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
何が妄想なのでしょう。シャロームは、一度も弁明したことがないのです。
また都合の悪いことを無視している楽山です。
楽山いわく、繰り返し、妄想です、妄想です、妄想です・・何を語ったかというと悪口だけなのです。
 
(楽山)

>よって、恨みと妄想が巨大化するほど、他者は近付かないようにしなければなりません。
 」
stさんは、シャロームさんの嫌味を責めるけれども、
なんのことはない、ご自身もそれをやってます。
たとえば上は、私の言葉を改変して嫌みを言ってます。
ただこれがために、stさんはご自身の欠点を自ら暴露してます。
分かりやすいように、二つの文章を並べるとこうです。
楽山「恨みと妄想が巨大化するほど、他者は近付けなくなります」
st「恨みと妄想が巨大化するほど、他者は近付かないようにしなければなりません」
 
(私)
改変ではなく、私に向けられたものが、方向違いだと示しています。こういうのは、嫌味とは言いません。実際、楽山のこの一連のコメントは、何の弁明にもなっていません。根拠を示しているのが私、示せないで嫌がらせをしているのが楽山です。だから、それは、あなたのことですよ、と返すのです。
 
(楽山)
私が言ってるのは、
大方の人は、ヤバい人のことは本能的に察知して、
近付かないし、近付けないということです。
 
(私)
ヤバい人というのは、まさに、楽山とシャロームのことです。ずっとわたしは、そう言ってきました。弁明できずに嫌がらせだけしてくるわけですから。同じようなことを、同じような決めつけで書いても無駄です。だから、この二人に近づかないようにと、批判記事を書いているのです。
 
(楽山)
もしうっかり、近づいてしまっても、
じきに気付いて逃げないではいられないんです。
でも、stさんは、私は本能について書いてるのに、
「近付かないようにしなければ」という意志の問題にしてます。
stさんは、私の文を解せず、ヤバい人を察知する感覚も分からないのかもしれません。
2019/8/29(木) 午後 7:11 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
そんなことは、ありません。世に蔓延る大きなカルトは、多くの犠牲者を出しています。
本能だけでは駄目なのです。カルトに対しては意志が必要です。
何をとぼけたことを言ってるんだ。
(私)
良識と意志が、楽山の敵らしいです。
言ってることがボロボロになってきました。
それでもナルシシストは、自己正当化をしてくる体質なのでしょう。
 
(楽山)

>彼らの根底には、自尊があり、自尊が、ことあるごとに恨みを生じて、負けることなど、反省することなど、想定していないのでしょう。
 」
ここは投影になってます。
 
(私)
根拠なしに、投影と言えば反論になると思う気安い楽山。根拠を持たず説明が出来ないからです。シャロームもだが、執拗なだけです。
 
(楽山)
私は、自分の記事やコメントを、
ごみ扱いする人がいても仕方ないことだと思ってます。
私とは異なる価値観を持つ人からしたら、
私の意見はごみとされても仕方ない。
シャロームさんについても、
自分の記事やコメントを否定されたからといって
腹を立ててるのを見たことはありません。
 
(私)
放置すれば、小さくない害があるからです。今止めておかないと、人格破壊と社会の破壊です。
楽山は、ゴミ扱いして、それで終わると思っているようだが、自覚のない人は、これだから怖い。
 
(楽山)
でも、stさんは自分のコメントが削除されたと怒り、恨み言をいいます。
 
(私)
シャロームと楽山は、言い分が通らないと、削除したり、未承認にしたり、嫌がらせを言ったりしてきました。自覚のない恣意的で権威的な者は、これだから怖い。
 
(楽山)
自分の意見が理解されないと、理路を解しないと相手を責めます。
 
(私)
理路の理解力がない、あるいは、理解する気がないと、指摘するのです。
そういう人でも、カルトの宣伝だけはしてしまうから、怖いのです。
 
(楽山)
自分と自分の意見は尊いもので、それを理解しないのはバカだと思ってるからでしょう。
だから上のコメントは、ご自身のことを語っておられるのだと思います。
2019/8/29(木) 午後 7:12 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
バカではなく、罪と悪と偽善だと言ってきました。
楽山の、対立を個人同士のけんかに貶めようとする詭弁。
そして、また、向けられそうなことを、こちらに向けています。ますます醜い。
 
(楽山)

>遣り取りと、私のコメントは、記事にして、一般の読者に公開することは言うまでもありません。
>これで、公共に、一般の人々に、何かを訴えているつもりでいるのは、ナルシシストくずれでなければ出来ないでしょう。
 」
ここは投影と妄想です。
stさんはシャローム批判などを記事にして広く訴えかけてますが、
シャロームさん、楽山はそんなことをしてるでしょうか。
 
(私)
事の重大性を理解していないのですね。それとも、とぼけているのでしょうか。
今までと同じように書いてゆくなら、害毒、災い、果てしないものがあります。
 
(楽山)
もっとよく現実を見てください。
 
(私)
もっとよく現実を考えてください。
 
(楽山)
stさんはシャローム批判に大きな意義を見出してるようですが、
実際にはこれは、一般に訴えかけるような社会問題ではなくて、
ネット上で、誰かが誰かに粘着するという
よくある個人間のSNSトラブルにすぎません。
stさんが粘着を止めれば終わることであり、
これは誰の目にも明らかです。
いちいち一般にアピールする必要もないことです。
もういい加減に気づいてください。
2019/8/29(木) 午後 7:13 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
楽山は、個人間のトラブルに過ぎないと言っています。そうでない重大さを何度も言ってきたのに、今になって、こういうことを言うのは、今までの流れを無視しているアドラー教によるのでしょう。
(私)
また、言い逃れで逃げています。決して個人では済まないことが、楽山とシャロームの執拗なネット活動に表れています。最も悪質なのは、過ちと罪と偽善の可能性を最初から無視していることです。
 
(楽山)

>不都合を無視して、返せると思ったところだけ返して、しかも、成り立たないことを決めつけて言い張るだけで、また、さらに醜さを増している楽山に、言われたくはないし、言う資格はないと思います。楽山は、ずっと、言い張るだけの、駄々を捏ねるおっさんです。
 」
これは妄想と投影です。
私は、stさんの妄想に付き合う気はないし、ブログも見てません。
それでもstさんは大方から支持されているわけでもないらしい雰囲気は伝わってきてるので、
stさんの言うことは信じないでください
などと、わざわざ主張する必要も感じません。
一方、stさんの方は、シャローム・楽山批判記事を連発してるようです。
 
(私)
私は、罪と偽善の可能性を最初から無視している楽山とシャロームが批判対象で、かつ、不感不応の訂正不能だから、批判記事を書いていますし、書いてゆきます。批判コメントは、その粗原稿のようなものですが、言っていることは、記事と同様です。
(私)
究極的には、支持を得るためではありません。キリスト者として、信仰を悪用した悪と偽善に対して、務めそして努めとしてやっていることです。どこまで出来るかは分からないが、出来ることをしなければ、怠慢になり、それを批判禁忌の先入観で言い訳するなら、偽善になってしまうからです。
 
(楽山)
あちこちのブログを訪問して、自説の宣伝もしてるらしい。
 
(私)
あちこちで宣伝しているわけではない。また印象操作している卑怯な楽山。汚い。
あちこちでシャロームが勝手なことを書いているので、批判している。ここもそうだ。
 
(楽山)
当ブログのコメ欄に来て自説を主張しまくり、それが受け入れられないと大騒ぎもする。
言い張り、駄々をこね、醜態をさらしているのが誰であるかは明らかです。
2019/8/29(木) 午後 7:14 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
大騒ぎしている人がいるのですか。楽山のねちねちと、シャロームのボロクソと、私の目一杯の拙い批判があるだけです。都合の悪いことは、総て相手のせいにする自己中の特徴。
 
(楽山)

>楽山とシャロームは、ここのところ、際立って汚く醜いものを、毎日、見せてきて、それでも羞恥心を覚えないのが特徴です。
 」
これは自己中な考え方です。
 
(私)
羞恥心を覚えないことを指摘するのが、自己中だそうです。めちゃくちゃですね。
 
(楽山)
自分の美醜の判断、羞恥心を基準として
他を裁くことを当然としていて、
その愚かさを全然分かってない。
 
(私)
裁きではなく、継続的な批判であり、判断と指摘である。
楽山が、それを愚かというのは、都合が悪いからに他ならない。
 
(楽山)
ちなみに今、私が感じてる恥ずかしさは、ここを見てる人に、
stに粘着されたあげく、いちいち相手してる楽山はバカだ
と思われてるかもということです。
 
(私)
それは、楽山の問題だ。
 
(楽山)
だからそろそろ、話は切り上げて、スルー体制に戻ろうと思ってます。
ブログ整理もしないといけないし、
失礼。
2019/8/29(木) 午後 7:15 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
それが、楽山の判断だ。自己中のアドラー教らしい。
 
(楽山)
そういえば、
シャロームさんが、コメ欄をコピペ記事にしたら、
stさんが怒ってたのを見た記憶がある。
stさんは、コメ欄をいつもコピペ記事にしてるのに、
同じことをシャロームさんがやったら激怒してたのだった。
これって、もろに自己中でしょう。
 
(私)
シャロームの引用は、選択的引用で、恣意が働いている。シャロームの恣意は自分信仰だから、恐ろしい。
 
(楽山)
ついでに言うと、
シャロームさんは、コメ欄をそのままコピペしてたけど、
stさんは、コメ欄をコピペし、さらに後から文言をつけたし、自説を補強してるのを見た記憶がある。
 
(私)
それは、当たり前にすることですよ。何を言っている。
当たり前でないのは、正面からではなく、周辺のことまで持ち出して、しかも詭弁と印象操作で、相手を、おとしめ、けなし、侮辱すること、それが、楽山とシャローム
 
(楽山)
これは、どちらが公正公平かは言うまでもない。
 
(私)
このように、自己中ナルシシストは、世辞以外では、決して、非を認めず、勝者として上から決めつけてきます。そして、正しいのは自分のほうだと、公正という言葉を自分に結び付けます。私は、正しさの最終的な裁きを、神に委ねています。
 
(楽山)
私は、シャロームさんより先に、stさんと知り合ったし、
 
(私)
それは、疑惑もあること。そして信頼していない楽山の言うことに過ぎない。
 
(楽山)
シャロームさんには皮肉はよくないとか、ダメ出ししたりもしてたけど、
この手のことをちょいちょい見てれば、
どうしたって、stさんのシャローム批判を支持することはできないです。
残念ですけど、しょうがないです。
2019/8/29(木) 午後 7:33 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
どうしたって、と言ってるのは努力していることをアピールする刷り込みであり、どう考えても、私を支持する気など最初から微塵もない楽山です。楽山もシャロームも、努力など、しないと思いますし、また、少しも残念などとは思っていないと思います。作為ですから。
 
(楽山)
マリアさんの新記事を読んだけど、
喧嘩腰な感じなのに、
コメントやり取りなど交流を求めてくるって、よく分からんですな。
ホント、世の中にはいろいろな人がいるものだ。
・自分を誇ってなんになる。
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43325580.html
2019/8/29(木) 午後 7:35 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
自称マグタラは、怒りっぽい保身の鬼なんでしょう。批判すると、豹変して、批判者を呪い、霊の祟りのようなことを言います。また、命も惜しまないような信仰自慢を言うのは、キリスト者ならば神を恐れるので、控えるものです。楽山は、なんでこの流れで、自称マグタラのことを言い出すのだろう。
(私)
手段を選べなくなったとしか思えません。楽山は、今は交流のない人をも引用して、おとしめてきます。私は、楽山とシャロームについては、やり取りも交流も、無駄だと分かったうえで、批判を貼りつけてきただけです。
 
 
(2019年09月04日)
 
 
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コメントを読む(2)

 
  コメントを読む(2)
 
   「コメントを読む」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/2431413.html
   コメント者:shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
また、シャロームがコメントを書いてきました。何度も書いてきた、うんざりするような強がりです。
やはり、この世を去るあたって、・・嘘でした。これで、シャロームは楽しいんでしょうか。
 
1. shalom
 2019年09月03日 08:49
おはようございます
 
ブログは変わっても邪推と妄想はstさんの専売特許。
stさんの信頼を失っても、わたしに失うものは全くありません。
私が今にも死にそうではないかとお気遣い?のようですが、
今のところ急いではいません。
stさんの今後のご健康と幸多からんことを祈ります。
Shalom!
 
 
2. st5402jp
 2019年09月03日 10:14
 

ブログは変わっても邪推と妄想はstさんの専売特許。
stさんの信頼を失っても、わたしに失うものは全くありません。

 
既に、人間性の多くを失っています。
だから、あなたに、そのことを指摘しても、
あなたを説得するつもりはありません。
長い長い経験から、ずっと前から信頼などありませんし、
あなたは話にならない人だと分かっているから。
 
ビクともしないぞアピールは見飽きたので書かなくて結構です。
あなたは不感不応だから、何とも思わないのでしょう。
これは、あなたならではの異常なのです。
 
 
3. st5402jp
 2019年09月03日 10:15
 

私が今にも死にそうではないかとお気遣い?のようですが、
今のところ急いではいません。

 
では、前のコメントの
 
>この世を去るにあたっての良いお土産話になりました。<
 
このような書き方をするのは
あなたらしい壊れた日本語表現です。
 
 
4. st5402jp
 2019年09月03日 10:15
 

stさんの今後のご健康と幸多からんことを祈ります。
Shalom!

 
心にもないことを世辞だから言ってくるのは
あなたの嘘が根深いことを表します。
 
私は、あなたを批判するのであって、
あなたと話し合うつもりは、とうにないのです。
正常な受け答えが、あなたにはできないからです。
ここもそうですね。
 
 
(2019年09月03日)
 
 
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