ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

退行の繰り言

退行の繰り言 神は、悪を容認しているのだろうか? (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) 2020年04月29日 http://mn266z.blog.jp/archives/24588088.html 楽山は、今度は、HSだけでなく、キリスト教否定のキレ気味の記事を2つ書いてきました。…

信仰は

信仰は 信仰は史実に依拠しない史実であってもなくても信仰は生まれるからであるまた信仰は出来事に依拠しない さらに信仰は人にも組織にも依拠しない 信仰は神への恐れとキリストの愛のみに依拠する 与えられるためには人間らしい温もりと潤いが必要である …

いちばん大切なもの

いちばん大切なもの この世において、キリストの心が伝わるのを妨げようとする者の話には、聖書とキリストの話を、奇跡や超常の話ばかりにして、いちばん大切なキリストの心から遠ざけようとする誘惑があります。 1.キリスト教について、人間離れした呪(…

詭弁と公共の害(2)

詭弁と公共の害(2) (罵詈雑言、辛辣な比喩について) 相手が、無根拠の罵詈雑言相当の悪口である場合、ストレスがたまる。その場合、相手は、こちらの言い分を全く無視して読んでいないことがしばしばである。それが、カルトのストレス回避であり、こち…

悪い例だけを刷り込む

悪い例だけ刷り込む 宗教は幸福感を得るための手段である! (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) http://mn266z.blog.jp/archives/24540094.html 楽山日記(LD) 2020年04月25日 楽山の、偏向した、安っぽい、悪い材料だけ見せてくる詭弁の、宗教…

憂さ晴らし?

憂さ晴らし? 山口敏太郎と藤倉善郎、そして幸福の科学(HS) 2020年04月23日 (抜粋) http://mn266z.blog.jp/archives/24514557.html 楽山の、やたら長い記事です。殆どツイッターからの引用で、責任回避するとともに、キリスト教を、揶揄したくて、否定し…

詭弁と公共の害(1)

詭弁と公共の害(1) おもにカルトのマインドコントロールのための詭弁に対して、心得るべきことを、一応、まとめておきたいと思います。あくまで、今、考えられることを書いています。 ここでいうカルトとは、犯罪行為の有無にかかわらず、反社会性に結び…

見当違い

見当違い 悟りとは何か?(『漱石全集月報』) http://mn266z.blog.jp/archives/24499132.html 楽山日記(LD) 楽山が、二人の小説家の言葉を、単純と言っています。単純なのは、楽山です。 >野村傳四氏によると、夏目漱石は悟りについて次のように言ってい…

人を疑わない?

人を疑わない? 人を疑わないこと(『漱石全集月報』) http://mn266z.blog.jp/archives/24485520.html 2020年04月21日 自分にマイナスの言葉を当て反省に見せかけている楽山ですが、一方で、批判者を反面教師と呼び、批判をまともに受け取っていない自己正…

神について語るには

神について語るには(再) キリストや聖霊についても同様ですが神という御方を考えるとき全知全能の神については私たちの概念の箱には到底納まらないということを言いたいのです。 神と聖書について人間が持つべき箱は修正可能な分かったつもりの箱と分から…

信仰とカルト

信仰とカルト キリスト信仰とカルトとの違いを考えてみます。 キリスト信仰について: きっかけは讃美歌であったりキリスト者(クリスチャン)の話であったりネットで聞いた説教であったりしますが結局は、聖書から学びます。 聖書の解釈について本やネット…

獣皮の詭弁

獣皮の詭弁 最善の悔い、癒しとは? (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) 2020年04月18日 http://mn266z.blog.jp/archives/24435705.html 楽山は、悔い改める前に赦されると言い、シャロームの、悔い改めなくても赦されるから罪を気にしなくてい…

信仰者の感謝

信仰者の感謝 感謝だけでは信仰は語れない 感謝する人の善い話と感謝しない人の善くない話だけでは信仰は語れない 感謝できないこともある人の心 人の心に触れ人の心を通して人の心を考えなければ神の下にある人の信仰は語れない 悲しみから仰ぎ祈り求めると…

不正について

不正について 今回は、私が疑問に思っていた聖句です。引用、長いです。 キリストのたとえ話です。一貫して言われていることは、神の正しさと、人の思っている正しさとの違いです。そのことは、人の定める倫理・道徳の相対性を示しており、さらに、自分は正…

双方向(再録+加筆)

双方向 (再録+加筆) キリスト信仰においては、私たち信仰者が、愛される対象であり、同時に、愛する主体でもあります。同時にキリスト信仰においては、キリストが、愛する主体であり、愛される対象でもあります。つまり、双方向です。 神聖は、決して理屈…

詭弁で滑る

詭弁で滑る 厭世的な宗教は存在し得るのだろうか?2020年04月14日 (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) http://mn266z.blog.jp/archives/24370630.html 楽山日記(LD) 楽山は、厭世について書いたつもりのようですが、実際は、楽山の無神論の無…

凶暴な偽善

凶暴な偽善 ユダは地獄に堕ちたのか? (『ライ麦畑でつかまえて』サリンジャー) 2017年09月20日 http://mn266z.blog.jp/archives/17512795.html 楽山は、反キリスト教であることを隠してきたようです。2020年4月12日の記事中にリンクを付けた先の記…

凶暴な詭弁

凶暴な詭弁 『憎悪の宗教 ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』定方晟著 憎悪の宗教―ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」 http://mn266z.blog.jp/archives/24345230.html 楽山日記(LD) 2020年04月12日 楽山は、ケダモノの牙を、抑制…

ヒーロー気取り

ヒーロー気取り 事実は一つでも、その感想は人それぞれ異なる!? (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) 2020年04月11日 http://mn266z.blog.jp/archives/24326061.html まるで、説教壇か山上で教えを垂れるような、しかも全部が空っぽな豪語が結…

無反省の婉曲と本音

無反省の婉曲と本音 人は見たいものを見て、信じたいものを信じる!? (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) http://mn266z.blog.jp/archives/24301762.html 2020年04月09日 楽山日記(LD) 見たいものが、そんなに見れるでしょうか。楽山だけが、…

神と人の未分化(4)

神と人の未分化(4) 神様に、心寄り添うこと。 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ プラス思考、自分を信じる、クソ悪い人間、どんぱち、など、人に勧め、人のことを言っていますが、いつのま…

隠された攻撃性

隠された攻撃性 神義論、弁神論について(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) 2020年04月07日 http://mn266z.blog.jp/archives/24263242.html 楽山日記(LD) 楽山は、またしても、神についての幼稚な疑問を投げてきました。誰も分からないという…

神と人の未分化(3)

神と人の未分化(3) 神様に、心寄り添うこと。 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ 感傷的な言い方が多いのですが、曖昧よりもじわじわと、人が神に近いのだと刷り込みながら、実際は、特に自…

神と人の未分化(2)

神と人の未分化(2) 神様に、心寄り添うこと。 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ 以前、自称マグダラは、キリスト者の証明として、洗礼に関するらしい何かの書類の写真を出してきました。キ…

神と人の未分化(1)

神と人の未分化(1) 神様に、心寄り添うこと。 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ 久しぶりに、偽キリスト教カルト、自称マグダラ&ヨシュア・ラインを批判します。今回は自称マグダラマリア…

救われる条件(2)

救われる条件(2) キリスト者になると柔和な人間になるとあるいは社会的基準においても善人になると思われているかもしれません。 信仰の結果として善を目指すでしょう。 しかし、実際は、必ず善人になるかどうかは分かりません。普通の人間と同じように頑…

努力と我執

努力と我執 2020年04月03日 宗教的な不可知論者?(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著) http://mn266z.blog.jp/archives/24209254.html 楽山には、自分がどれだけ的外れか、自覚がないのです。かつ、一言も、反論も弁明も成り立ったこともないのに…

武装?

武装? 神の前に、祈るときに、正直のみを用意することを"武装"と言いました。もちろん武力や暴力のことではありません。 考えてみました。 祈りにおいて精いっぱい正直であること言い換えれば、努めて正直であることこれが信仰を持つ人間ならば誰でも意識で…

当てにならない

当てにならない 私たちは実に当てにならない世界に住んでいる。実際は当てにならないのは私たちの心であり内部である。 入力は総て感覚器を通している。内部処理は総て脳が行っている。いずれも寿命が尽きればなくなるものでありこれらは寿命がある間は維持…

逆説

逆説 ある事柄について神の御心を思います。悪のほうに従ってはいけないと思えば善のほうを選ぶはずです。しかしそれは完璧でしょうか。 先ず、人に、善悪の判断が、神と同様に正しく出来るでしょうか。否であります。 既に完璧な正しさについて不可であると…