ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

キリスト信仰

信仰とは人間とは

信仰とは人間とは 信仰とは、超常の奇跡を信じることを本質とはしない。物や肉体に起こる奇跡を信じたとしてもそれで信仰が深くなりますます奇跡が起こるということはない。何故なら物や肉体に起こる奇跡は神の御心と計画によるのであり人間が関わってよいこ…

知るべきこと

知るべきこと 旧約から信仰の節操を学び新約から信仰の愛を学ぶ 旧約聖書から全知全能・全知全能・永遠不変という神のあり方を表す言葉を受け取ることはそれを理解することではなく(人間に理解できることではない)神と人の決定的な違いを創造主と被造物の…

信仰について

信仰について まとめのようなもの キリスト信仰について: まず旧約聖書と新約聖書から信仰の分別、節操、弁えと言うべきものがあります。 神は、創造主であり、全知全能で完全であるが人は、あらゆる点で不完全であり、罪を犯す性質を持っている。 しかし、…

感情と人格

感情と人格 人間が人間であるために必要なものはという簡単ではない問いに対して 必要な無形のものとしては知識とか論理性とか才能や能力によることを重視する人が多いかもしれませんが 私は、いちばんにむしろ感情の中の悲しみをあげておきたいと思います。…

知らないこと

st5402jp.livedoor.blog 知らないこと 私がレスとしてコメントに書いたこと: 「神と神の国、私もよく知らないです。 聖書を読んで、知らないことを弁えて、キリストを好きになることが信仰です。私にとって希望がそこにしかないからです。」 人に、ひょいひ…

ゆるすこと

ゆるすこと 赦すな、そして、許すな 何でも気安くゆるされると思っている者を けっして赦すな、そして、許すな キリスト者ならゆるすのが当然だと思って 笑う者を ゆるしてはいけない キリストは偽善者をゆるしてはいない 自分が赦されたように人を赦しまし…

非合理の器

非合理と合理 人にとって神は そして信仰は元々非合理である 神の合理を人は理解できない 人知は神を信じる信仰という非合理と人の合理を区別するために与えられている 恐ろしいのは信仰という非合理を人の合理に結びつけることだ 非合理について人の合理で…

祈りと讃美

祈りと讃美 長崎から東京まで という距離は、 地図があるから ある程度把握できる。 その時間はと言うと交通手段によって変わる。 飛行機か記者か車かなどによる。 昔の人は歩いたのだから大変だ。 しかし、天国までとか永遠とかになると まるで把握できない…

「祈り、でもでも」(修正)

祈り、でもでも 祈りたい気持ちがあって祈ることがあるから まだ信じているのだろう実際には毎日のように祈っているが でも祈ったからといって何か変わるのかどうか変わるとして それは目に見えるのかどうか どちらも人には分からない 信仰は神に従うことな…

脅し?

脅し? 宗教が あるいは宗教を利用して人が人を脅すというのは例えば このままでは祟りが来ますよ といった文言で おもにカルトにおいて おこなわれることだろう。 人が人を脅すのではなく神が人を脅すのでもなく 人は神を恐れるべきである というのは全知全…

恐と畏

恐と畏 いつのまにか聖書において「かみをおそれる」が「神を恐れる」ではなく「神を畏れる」になっている。 恐は こわいと感じること畏は敬いかしこまること 私はこの変化を嫌悪している。 何らかの辻褄合わせが働いていると思うからだ。 神は救う御方だか…

現代の偽善者

現代の偽善者 二千年前の キリストの時代には偽善者は分かりやすかった。 聖書のパリサイ人と取税人の祈りにおいて多くの人は、かなり、はっきりと分かるだろう。 尊大で傲慢なパリサイ人と赦しを乞う以外になかった取税人は明らかに違っていました。 現代の…

陰から光へ

陰から光へ 愛を知りたければ愛のない世界の有り様を知ることだ。 憎しみ、恨み、嘲り、罵り、そして言葉と肉体の暴力の世界 真善美を知りたいときも同様である。 陰性を知ることで その対極を想起することが必要だ。 陽性ばかりを見て良かったと言っても人…

不思議さがし?

不思議さがし? キリストの十字架より二千年 今も奇跡が中心なのか。 驚くべき奇跡だ ゆえに信じなさいというのが信仰ならば ベースとなる伝道の骨格が カルトと同じだ。 キリスト信仰は人間なら誰でも持っている心で理解し共感できる信仰なのだから不思議さ…

不可視の世界

不可視の世界 前の記事「人の復活」を修正しているときに不可視、つまり目に見えない世界について感じたことを ここに書いてみたいと思います。 視覚だけでなく五感で直接感じることの出来ないこと善悪、真偽、是非、正否、などを さらに、神、キリスト、そ…

人の復活(修正)

人の復活(修正) 死人が蘇る話よりも先に考えるべきことがある 信仰はその原初から神への依存であり自立した信仰などありえず信仰は紛れもなく神に人が依存し甘えることに他ならない 語弊があるなら神のみに依り頼むことと言ってもよい 多くの信仰者は同意…

信仰と固定

信仰と固定 人間が信じられることは人間性で理解できて人間性で共感できることです。 聖書にはたくさんの奇跡が書かれていますが キリストを理解できるのは人間の知性で理解できることであり人間の感性で共感できることです。 したがって奇跡そのものを信じ…

涯(はて)の恵み

涯(はて)の恵み 私が、いちばん嫌になる伝道~説教の形式がある。 これこれを信じますか。 この質問形式は、 信じたら信仰者、 信じなかったら非信仰者、ということを意識するようだ。 嫌なのは、 「これこれ」が超常の言葉で溢れていること。 私には分か…

人間・非人間(修正)

人間・非人間 ぼうっとしていても感情の起伏は激しい その激しさが あまりにも弱い だから思い上がって妄想的になって多幸的になるか 攻撃的になるか逆に何の希望も幸福もなく死を待っているだけの人になるか この落差は自分で作っているに過ぎないのだが空…

神に任せるということ

神に任せるということ すべて神に委ねて、神に任せていますということを無責任や怠慢の言い訳にすることがあります。 神に任せるということを常習的に言い訳にしている者もいるようです。 私たちは、それぞれ、できることをするべきでしょう。できることをせ…

好ましさとバランス(修正)

好ましさとバランス バランスの取れた発言はバランスが取れているだろうか好ましい人間関係は本当に好ましいだろうか 人間は言葉で好ましいことを言ってもその言葉通りになっていない自分を振り返ることなしには本当に好ましくはなり得ないだろう 信仰につい…

人間関係(修正)

人間関係 神を信じるとはすべての人間関係を相対化することだが人は人間関係の中で生きている 縦と横の関係親族や友人や仕事や宗教や思想を含めたあらゆる組織と社会 世話になり助けてもらい世話をして尊敬を得る 小さな縦の頂点に立つと小さな国の王様に近…

排泄の口、誰の前で幼子?

排泄の口 神も聖書も謎だらけだが救いと恵みの後に先に戒めがあっても祈る姿勢くらいは持っていられる しかし信仰と聖句について言行不一致の不正直な人が同じようなことを言ったりするとなぜか違和感から不快になることさえある 自分も言うかもしれないのに…

信仰は(修正)

信仰は 信仰は史実に依拠しない史実であってもなくても信仰は生まれるからであるまた信仰は出来事に依拠しない さらに信仰は人にも組織にも依拠しない 信仰は神への恐れとキリストの愛のみに依拠する 与えられるのは人間らしい温もりと潤いである 奇跡と神秘…

死者と救済

死者と救済(修正再録) 神は生ける者も死せる者も支配し救済するというのは神の全知全能からの思いであるしかし死んだ人のことはもちろん神が生きている人をどう支配し救うかについて全知でも全能でもない人が確信できることは何もない 一方「神は死んだ者…

カインとアベル

カインとアベル カインとアベルについて、聖書は簡略な書き方をしているので、なぜ、カインが退けられたのか、ずっと分からないでいます。カインの子孫を見ると、レメクという乱暴者が出ています。 (創世記、口語訳)4:23レメクはその妻たちに言った、「ア…

マリヤとマルタの愛(加筆・再録)

マリアとマルタの愛(再録) 前にも記事にした箇所ですが、また、少し追加修正して再録します。 (ルカによる福音書、口語訳)10:38一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。 10:39この…

原初の信仰から

原初の信仰から 最初に信じたことがダイレクトに心を揺さぶったのであるならそれは後付けされた理屈を否定する。 生きている個人が最初に信じたことつまり原初的で根源的な信仰こそが後付けされた傲慢な辻褄合わせの「確信」を否定する人が作った信仰の尾ひ…

みにくい羊

自らを呪っているような祈りのようなものです みにくい羊 みにくい羊はいてはいけないのでしょうかまばらに毛も禿げ落ちて太るだけの羊は病んで痛みにほろほろとよろよろと躓きながら人里離れて奥山で草を食みながら命が尽きるのを待っています 飼い主に殺し…

謙遜

謙遜 例えば元気で熱心な牧者や信仰者にもありがちな発言として「「神のうちに生き、動き、存在している」という視点に立つとき、私たちの存在の意味や価値を謙遜に見極めることができる」 折に触れて自分について神の意思は?と考えるのは信仰者としては当…