ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

キリスト信仰と批判

「排泄の口、誰の前で幼子?」3

NTTより電話がありました。今日が、光接続の工事です。私はネットの仕組みが分かっていないので、ブログを休むのかどうか分かりません。 「排泄の口、誰の前で幼子?」3 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12457324506.html を修正して再録します。 排泄…

イデオロギー3

イデオロギー3 ここでは、イデオロギーと題していますが、信条や教条など、思想が言葉や理屈で固定され、心の直感的共感を持たないものを意味しています。宗教にも、政治にも、あらゆる分野に深く関係する非人間的な固定・固着の教条です。 (ネットより)…

謙虚3

謙虚3 神を知性で捉えて理解することは出来ません。これは地上の人間にとって真実であります。したがって、神を、・・のはずだとか決めつけて、自分に都合が悪いからと否定するなどという無神教カルトは成り立ちません。 しかしそう言いながら、解釈におい…

神と人と言葉3

神と人と言葉3 私が、"理路" という言葉を使い、"論理" という言葉をあまり使わない理由については、前にも述べたことがあると思います。論理という言葉が、いかにも理屈だけという印象があるからです。 数学や物理学なら、理屈だけでよいのかもしれません…

神を恐れる心4

神を恐れる心4 記事「神を恐れる」を修正加筆して再録 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/111022.html 信仰の弁えは、神を恐れる心から生まれます。神は漠然としているのではありません。漠然などという言葉を神に当てることは出来ません。キリストに…

超常と日常3

超常と日常3 聖書に書いてある超常現象、つまり、処女懐妊、物や肉体の奇跡、肉体の復活について、信じていると言うことは空しいと言わざるを得ません。何故なら、超常現象の奇跡を信じても、そういう奇跡は、少なくとも、人間には理解できないことであり、…

知るべきこと3

知るべきこと3 旧約から、神と人の関係、という信仰の節操を学び新約から、キリストの共感、という信仰の愛を学ぶ 旧約聖書から全知全能・絶対完全・永遠不変という神のあり方を表す言葉を受け取ることはそれを理解することではなく(人間に理解できること…

理由2

理由2 私は、宗教と信仰を、自分が、生きられるか生きられないか、という考え方をするしかない人です。上手く生きるかどうかは、二の次です。ご利益などは、私の思いにおいては、圏外です。 しかし、巷の宗教、特にカルトの話を聞くと、上手に生きる、楽し…

政教分離について2

政教分離について2 ・・信仰者の立場から 政治と宗教さらには信仰は別に考えるべきです。 「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」という聖句もあります。 (マタイによる福音書、口語訳)イエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザル…

神と人知3

神と人知3 超常への憧れから信仰者になった人は現実問題に向き合うことが苦手になるかもしれません。現実問題に疲れた人が、何らかの機会を得て、信仰者になる場合には、信仰は、超常ではなく、キリストの愛と共感によって、心で受け取っていると思います。…

自由と解放3

自由と解放3 信仰は欲望や、世俗のしきたりや、先入観や偏見などの戒律みたいなものに縛られる心から基本的に神の御心を思う世界へ生き方の方向を変えることです。神様のほうを向くという表現もあります。つまり生き方の方向転換と言えるでしょう。 こだわ…

祈りとは3

祈りとは3 祈りは人から神への言葉による唯一の音信であります。 そこにのみ、言葉での神に対する人の自発性が表れます。 出来事思うこと感じたこと学んだこと悔いていること罪の告白赦しと導きを乞うこと 信仰を固定してはいけません。 心の中が定まったか…

悲しみと脅し

悲しみについて 悲しみを楽しいことで打ち消すと悲しみは消えるのではなく心に潜伏するかもしれません。 悲しみを心の履歴書の一頁としてください。それが出来れば悲しみは人生の履歴の記録になるでしょう。 悲しみは隠したり抑え込んでしまうと見えない傷と…

祈る心3

祈る心3 「祈り、でもでも」修正、加筆。 祈りたい気持ちがあって祈りたいことがあるからまだ信じているのだろう実際には毎日のように祈っているが殆ど、そのときの心境の吐露 でも祈ったからといって何か変わるのかどうか変わるとしてそれは目に見えるのか…

存在について

存在について 私たちが存在し、存在していることを自覚しているのは、いかなる科学的、または、哲学的プロセスを経ていても、全て、私たち人間の五感を通して得られたことを基(もと)にしています。つまり、五感のない存在は、何も認知しえず認識しえないと…

信仰と固定(再)3

信仰と固定(再)3 人間が、神と関わることは、祈りであり、それが全てであります。 神が、人間と関わるのは、人間には、知る由もないことであります。 人間は、神の全能を知って、神の味方になるのではなく、神を恐れるべきなのです。 神を理解すること、…

矢印の人々3

矢印の人々3 神話と奇跡信仰に生きる人たちは、都合のよい出来事を奇跡に結びつける。「何度、奇跡に救われたことでしょう」「私たちは、いつのときも安らかです」・・怪しい宣伝文句になってゆきます。カルトに顕著ですが、キリスト教にも、そういう傾向を…

人の復活3

人の復活3 死人が蘇る話よりも、先に考えるべきことがあります。信仰はその原初から、神との関係への人生の依拠であり、生きる理由の依存でもあります。自立した信仰などありえず、信仰は紛れもなく、神に人が依存し、かなり甘えることに他なりません。 語…

信仰者の感謝2

信仰者の感謝2 感謝だけでは信仰は語れない 感謝する人の善い話と感謝しない人の善くない話だけでは信仰は語れない 感謝できないこともある人の心 人の心に触れ人の心を通して人の心を考えなければ神の下にある人の信仰は語れない 悲しみから仰ぎ祈り求める…

善悪3

善悪3 何が正しくて、何が間違っているかなど、善悪の厳密な結論は、風さえも支配されるところの全能の神ならば分かるでしょうが、風を追うような私たちに分かるはずはないのです。 (伝道の書、口語訳)1:17わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚…

キリストの心2

キリストの心2 キリストは、救われる人々に対して、物や肉体の奇跡をおこなっただけでしょうか。否であります。こんなことが出来るから従え、という救い主でしょうか。否であります。 確かにキリストは、神の権威をもって語ったかもしれない。物や肉体の奇…

敬虔5

敬虔5 (過去記事「謙遜」を修正アップ) 例えば元気で熱心な信仰者に、ありがちな発言として、「「神のうちに生き、動き、存在している」という視点に立つとき、私たちの存在の意味や価値を謙遜に見極めることができる」というのを聞いたか読んだかしたこ…

時と風2

時と風2 時は風のようなものだ あの日の時と今の時とそれほど変わりはない 同じような時が日々の必要を告げる あの日の風と今の風とそれほど変わりはない 同じような風を頬に受けている 私たちの変わりようといったらどうだろう 時は風のようなものだ 流れ…

信仰は3

信仰は3 信仰は史実に依拠しません。史実であってもなくても、聖書によって信仰は生まれるからです。また信仰は出来事に依拠しません。 さらに信仰は人にも組織にも依拠しません。信仰は神への恐れとキリストの愛のみに依拠します。 与えられるためには人間…

教条主義2

教条主義2 繰り返す決まり文句は、心の面倒を見ない。 教条は、心の面倒を見ない。 教条化した思想は、心の面倒を見ない。 イデオロギーは、心の面倒を見ない。 そこにアクティブな波動がないからだ。 (ネットより)きょうじょうしゅぎ【教条主義】権威者…

当てにならない3

当てにならない3 私たちは実に当てにならない世界に住んでいます。実際は、当てにならないのは私たち人間の心であり内部なのです。神様は当てにならないかということなら、心の支えとして信じている人はいます。 望んだ奇跡が常に叶うという信仰?なら、当…

いちばん大切なもの2

いちばん大切なもの2 この世において、キリストの心が伝わるのを妨げようとする者の話には、聖書とキリストの話を、奇跡や超常の話ばかりにして、史実か事実かどうかで追いつめるてゆく、というやり方です。それは、いちばん大切なキリストの心から遠ざけよ…

神について語るには4

神について語るには4 キリストや聖霊についても同様ですが、神という御方を考えるとき、全知全能の神については、私たちの概念の箱には到底納まらないということを先ず言いたいのです。神と聖書について人間が持つべき箱は、修正可能な分かった "つもり" と…

聖書におけるサイコパス

聖書におけるサイコパス 悲しむことなく、悔いることはありません。後悔するとき、人は、悲しんでいます。悲しみと悔いは、人間の高等感情です。 そして、悔いることのないまま、改めることはないのです。 正義や慈善とかではなく、悲しみを知ることが、人間…

矛盾の信仰3

矛盾の信仰3 神は人知を超えた御方だから、神は人知を超えた奇跡を起こされるのだと、なぜか、神の奇跡とその意味を得々と語る人がいます。神は人知を超えているのに、なぜ神の奇跡を人知が説明できるというのでしょう。そのような説明は不可であり、それが…