ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

古い批判記事の続き:シャローム批判

 
「讃美の家」批判10: shalomシャローム批判
聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」
 
未承認コメントの続き
 
 聖書のみ言葉の黙想→「イエス信仰と人依存」
  
記事全体として
牧者などの人に依存した信仰の在り方を
あなたが語れば以下のような感想~批判にしかなりません。
※  
>人に依存している時、わたしたちは自分の問題と責任が
>人にあると信じて疑おうとはしません。
※  
人と人との間で起こった問題の責任が
人にないとでも言うのでしょうか。
人間関係というものを考慮に入れていない言葉です。
 
(私)
自分に向けられた批判を
自分に依存しているからだという汚い言い訳です。
こういう言い方が、シャロームの常套手段です。
 
※  
「自分は人に何をしても許される。自分に責任はないから。」
と言っているようなものです。
2011/7/9(土) 午前 3:18[ st5402jp ]
 
>わたしたちが過去体験した怒りや悲しみ、
>怨念、挫折感、無力感、罪責感によって
>背負わされ自分が自分であることを否定され、
>自分を生きることのできない心の苦しみ、
>悲しみの為に、人への深い怒りと不信によって
>人の支配によって呻き苦しんでいるからのようです。
※  
苦しみの種をまいたのは自分であるのに
「苦しんでいる人のほうが悪い」と言っているようなものです。
苦しませているのは、あなたのひとつの行為であり、
また支配しようとしているのは、あなたであるのに・・・
※ 
あなたにだけは言われたくない言葉です。
2011/7/9(土) 午前 3:20[ st5402jp ]
 
>わたしたちの苦しみや悲しみの問題と責任は人にある
>という偽りの真理と怒り、裁きを捨て去る必要があるようです。
>なぜならそれが人に対する依存の鎖だからです。
>すでにイエスによって鎖は砕かれているのです。
※  
あなたは片足で人を踏みつけながら、
それを人に見えないように隠しながら、
見えないまたは見ないことをよいことに平気で説教をして、
「苦しみや悲しみの問題と責任は人にあるというのは偽りだ」
と言っているようなものです。
※ 
したがって「裁きを捨て去る」というのは
片足で人を踏みつけながら
そういう自分に責任はないから責めることをやめよ
と言っているようなものです。
2011/7/9(土) 午前 3:23[ st5402jp ]
 
原因が残り続けていて何も解決していないのに、
人に対して、現に続いている問題を問題にするな
と言うようなものです。
※  
あなたが自分の足の下に踏み潰したもの、つまり
あなた自身の問題を正視することをやめたときから
 ・・・ずっと・・
 自分が踏みつけた足元が血まみれで腐れかけているのに、
あなたは清潔な服を着て人に語れるのでしょうか。牧者よ。
※  
祈りと黙想の場においても、あなたが
「イエスによって鎖は砕かれている」という信仰で、
許しを祈り、許されることを感謝し讃美するような
白々しい場面が想像されるだけなのです。
※  
原因がなくならない限り、結果がいかに空しくとも、
批判を書き続けざるを得ません。
2011/7/9(土) 午前 3:26[ st5402jp ]
 
「赦し」と書かずに「許し」と書いた理由は分かりますよね。
これからも解決策を講じようとは思いませんので、
そのことを「前もって許可」してくださいという祈りになるからです。
2011/7/9(土) 午前 3:38[ st5402jp ]
 
 (2011年07月09日)
 
 
聖書のみ言葉の黙想→「膨れあがる不安」
※  
>安心、安全を保証していたかのように思っていた大地が揺れ、
>自然が牙を剥いた時、
>豊かな生活、人との関係、社会という保証が幻想だったことを思い知らされ、
>人は生きている者ではなく、
>生かされている者であることに気づかされる恵みの時なのです。

死んだ人にどういうつもりなのでしょうか。
被災者は「生かされている者」「恵みの時」と感じるでしょうか。

>主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた

これを震災に当てはめてよいのでしょうか。
感情が、人間から、ずれてはいないでしょうか。
2011/7/13(水) 午後 5:07[ st5402jp ]
 
※ なお上の引用の下部は
旧約聖書詩篇46章8節だが、9節は
「主は地の果てまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。」
という戦争をやめさせる神をたたえているようである。
  
 (2011年07月13日、追加)
 
 
聖書の御言葉の黙想→「キリスト馬鹿」

>そもそもキリスト教信仰は人間にとっては奇想天外な信仰なのです。
  
同意します。
 
(私)
※ 本来のユーモラスな意味ならば・・ということです。
シャロームは、言い逃れに使っています。
  
>クリスチャンという呼び名の由来は
>キリスト馬鹿というあだ名だったのです。
※  
「キリスト馬鹿」?
※  
 自分を「馬鹿」と呼ぶ人は、
へりくだる人であって、
人を下に見る「上から目線」を持ちません。
したがって
「キリスト馬鹿」は
人の意見を封殺するような行為をしません。
※ 
あなたは「キリスト馬鹿」ではなく
「キリスト権威」なのです。
あなたは、また白々しい嘘をつきました。
2011/7/18(月) 午前 1:21[ st5402jp ]
 
 (2011年07月18日、追加)