ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

悪魔の導き?

 
  悪魔の導き?
 
   神の導きと悪魔の導き
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28969517.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、
悪魔が彼をどこかへ導くのというのでしょうか。神と並べて、導きと書いています。
 
神の導きによる恵みは、罪の自覚、罪の告白、罪の悔い改め、などです。
 
これらは、シャローム自身が否定し、シャロームに、一貫して、無いものです。
そして、これらは、悪魔に、一貫して、無いものです。
シャロームは、よくぞ、悪魔を、テーマにしたものです。
 
>★今日のみ言葉★(2019.4.25)
>「悪魔の誘惑」
 

神の存在を漠然とは信じている人は、この日本の国には少なくないと思います。
そしてまた、悪魔の存在を信じている人も結構いるように思います。
善良な人に危害を与え、強力な敵として現れてくる悪魔的な存在は、
漫画やアニメの世界にも出てくるようです。
そして、その悪魔的な存在に対抗し、
それを倒す正義の味方のような存在もまた、出てきます。
大人も子どもも、これは単なる想像だけの世界ではなく、
心のどこかで悪魔の存在を認めているのではないかと思われます。
では、この悪魔とはどういう者かを聖書はどのように教えているでしょうか。
その悪魔の誘惑というのは、今日もあるのでしょうか。

 
映画に出てくるような、怖い姿の悪魔は見たことありませんが、人の心に巣食う悪魔なら、その人の性質に表れてくるでしょう。罪を認めず、悔いることなく、改めることなく、尊大で傲慢で、何を言われても平気で、心にもない世辞の丁寧語と聖書語を並べて、罠を掛けるように、ひそやかに、言いたいことだけを刷り込んできます。
 
謝った後で、負けるが勝ち(笑い)と書いたりして、平気で嘘を吐き、詭弁をもって誘惑してきます。言うことで満足し、言われることを想定せず、返す必要を全く感じていません。今日のシャロームの悪魔の記事は、今までの批判記事でのシャロームの言い分に、当てはまってはいます。
 

聖書の中に、こんなお話があります。
=========
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれました。
悪魔に試みられるためでした。
そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられました。
すると試みる者がきて言ったのです。
「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
エスは答えて言われました、
「『人はパンだけで生きるものではなく、
神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

 
シャロームは、世辞であっても、騙されて頷く人の口から出る一つ一つの賛同の言葉で悦に入って生きているようです。だから、何の弁明も出来ないのに、何も気にせずに、また、記事とコメントを書いてくるのです。さびしいから、ではなく、それが、人を食って生きているシャロームの、食欲なのです。どんどん、批判と指摘の数量が積み重なり、言動にホラーに相応しい不気味さとなってゆきます。
 

それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、
神殿の屋根の端のところに立たせて言いました、
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。
『神はあなたのために御使たちにお命じになると、
足が石に打ちつけられないように、手でささえるであろう』と書いてありますから」。
エスは悪魔に言われました、
「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

 
シャロームは、神を試みる代わりに、神を、罪を認めなくても、何を仕出かしても、何の文句も言わずに、自分に奇跡のご利益を与える神?を信じています。その分、人間を捨てています。実際、シャロームは、人間の共感は必要ないと言って、それを訂正していません。
 

次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、
この世のすべての国々とその繁栄ぶりとを見せて言いました、
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
するとイエスは言われました、
「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
すると、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えました。
(マタイ4:1-11口語訳より)

 
シャロームは、罪を認めず、悔い改めをしないのだから、神にだけは、仕えていません。
 

では、このお話の概略を文字を見ないで、もう一度、想像してみてください。
頭の中にイメージできるでしょうか。
イメージできたら、聖書を見ないで話をしてみると、もっとはっきりしてきます。
場面に分けると、この話はいくつの場面に分けられるでしょうか。

 
この引用記事の文章がシャロームに悪用されるのは、このような思わせぶりな書き方をすることがあるからかもしれません。
 
神の言葉に生きることは、聖書を真逆に解釈して慢心するシャロームに当てはまりません。神を試みないことについては、シャロームは、神に妄想を当てはめていることで、むしろ、神を、飼い犬のごとく扱っているわけですから、いっそう悪質な背教です。
 
ただ神にのみ仕えることは、シャロームは、神にだけは仕えていないし、神と対極にある悪意と偽善に使えていると言ってよいでしょう。神ではない対極に仕えているなら、仕えている先は、神の対極は、何なのかという話です。
 
 
>《shalomのコメント》
 
>「イエスは御霊によって荒野に導かれました。悪魔に試みられるためでした。」
 

荒野・砂漠は人の生存の困難なところです。
日本のような自然環境に生きていては想像もできない所です。
厳しい戒律によって神による秩序なしに生活どころか生きることもできない所です。
聖地イスラエルの周りはそのような厳しい自然に囲まれています。
神に御子イエスは神の御霊である聖霊によって、そのような荒野に導かれたのです。

 
厳しい戒律によるものと、神の望まれる秩序が、一致しなかったことは聖書において明らかです。神の望まれる秩序が、愛によるものであることは明らかです。それは、世辞しか言わないシャロームには、一度も、まこととして表れたことがないものです。
 
神の子イエス・キリストは、なぜ、聖霊によって導かれ、悪魔の試みにあわれたのでしょう。キリストが、イエスという人間の肉体を持って、悪魔の誘惑に打ち勝ち、人の愛を包み込んで、神の愛、すなわち、アガペーを、人間に示す使命を託されていたからでしょう。
 
シャロームは、リップサービスの讃美言葉と、教理と解釈の上っ面を舐めるようなことしか書けないのです。シャロームは、人間の愛を知らず、また、さらに、神の愛を知らないからです。可能性だけでも知っていたら、今日のような成り行きにはなっていません。ゆえに、神の愛というと、シャロームは、分かっているふりをするしかなく、超常の言葉を並べて取り繕ったつもりなのでしょう。
 

まもなく蛍シーズンがやってきます。
わが町にも最近蛍が飛び交う公園があり、お祭りがあります。
多くの人々が木々と水の畔を飛び交う蛍に大喜びします。

 
このような、時候の言葉に騙されないでください。ここで、季節の話題から始めれば、弱い人々が心を許すことを、シャロームは知っているのです。蛍の情景を思い浮かべて、シャロームの話を聞かないでください。シャロームの辿る道は、心がやせ衰えて、ホタルの墓へと向かう道です。
 
 

神は神の国が来たとの福音を人々に告げるために、
神の御子イエスを荒野の導かれたというのです。
一方悪魔は試みの中にあるイエスを高い山に連れて行き、
この世のすべての国々とその繁栄ぶりとを見せたというのです。

 
神の国が来たのでしょうか。近づいたのではないでしょうか。キリストの言葉は「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)ではないでしょうか。主の祈りは、御国を来たらせたまえ、ではないでしょうか。つまり、まだ、地上に、神の国は来ていないのです。来たのは、神の国ではなく、救い主なのです。
 
いい加減な解釈で説教話をしてもらっては本当に困るのですが、シャロームは、キリスト信仰を破壊する方向に、進み、書いていることに気づかないのです。
 
シャロームは、神の国に住んでいるつもりでしょうか。それは、キリスト信仰ではありません。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
12:27
もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
12:28
しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
 (マタイ12:27-28、新約聖書
 
これは、イエスが、救い主キリストであることを示していると思います。キリストが、人々のところに来たのだから、そこに神の国がある、という見方なのでしょうか。キリストは、地上に、ずっといてくれるわけではなかったことを、キリスト者は知っています。来たのは、救い主なのです。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
17:20
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
17:21
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
 (ルカ17:20-21、新約聖書
 
また、神の国の成就には、シャロームが言うような神の奇跡だけでもたらされるものではなく、人と人とのかかわりが大事であることをキリストは語っていると思います。それが、神の国は、人々の間にある、という言葉になっています。
 
人と人の間の関係を、全く自己中心に無視してきたシャロームには、神の国の、欠片もありません。神の国の温もりも潤いもありません。シャロームには、神の国に至るための、ひとときの愛も、ひとしずくの涙もありません。
 
 

生きるこもできない荒野とこの世のすべての国々とその繁栄を見れる高い山!
どちらが私たちの心をひき寄せるでしょうか。
もちろん高い山でしょうね。

 
キリストが悪魔に試されたというのに、私たちの心をひき寄せると、それが当然のように言っています。シャロームは、大きく高いものばかり見たいし、見ているし、それを口を大きく開けて豪語したいようです。それゆえ、シャロームは、自分自身を、全く見ていないのです。
 

そして悪魔が見せてくれたものを見、手に入れようとしているようです。
その結果人が、わたしたちが.見てるもの、手に入れているものはなんでしょうか。

 
シャロームが、自身の見ているもの、手に入れているものの、とびきりの邪悪さに、どんでん返しのように?、気づくまでは、シャロームの言葉は、ことごとく廃棄されるべきものです。
 
 
この後、シャロームは、新聞からの引用記事を追加しています。
 
>今日もその一端を示している記事がありました。
 
ゲーム依存の話のようです。長いので引用は端折ります。
 

「自分は狂ってるな」ゲーム依存、9年間で8回入退院…男性の苦悩
5/10(金) 10:50配信 西日本新聞

 
恐ろしいことです。シャロームは、このゲーム依存の男性を、悪魔の誘惑に堕ちた人として引用している文脈になります。これでは、社会問題が、まるで、ホラー映画みたいになってしまいます。こういうことを、平気で、むしろ正しいことをしているつもりで、してくるのが、シャロームなのです。
 

神は、悪魔はいるのか?いないのか?
人の知性や理性ではわからない。
しかし、悪魔の試みに心を許すと、結果は悲惨である。
心は麻痺しているので気づきも、危機感もない。
しかし、聖書はその荒野にイエスを試みられた神が待っておられると告げています。

 
このように。そして、悪魔に魅入られたくなかったら、自分のように、神を信じよ、と言っていることになります。悪魔の存在は、一般の記事で書かれたことだとすれば、恐らく比喩的な意味合いだと思いますが、シャロームは、聖書の悪魔と、同列に考えてしまっています。
 
しかし、そのシャロームは、ゲーム依存の男性より悪質です。何故なら、この男性は、ゲーム依存で、自分が苦しんでいますが、シャロームは、嘘と妄想に固まり、それを一方的に吹聴することによって、他者を苦しめているからです。
 
シャロームには、良心がありません。自分を高めるのに、分別も節操もありません。何でも、自分の都合で結び付けます。つまり、物事を、適切に処理して、ここで、この話はまずい、というような判断をするための良識もないのです。
 
シャロームが、引用でも、転載でも、自分で書いたのであっても、記事を書けば、大方、このような不適切な理路?を、お構いなしに、当たり前のように書いて、満悦してしまうのです。常識的な範囲で考える知性さえも壊れているので、推敲も校正もなしです。
 
シャロームは、こう書いたら不謹慎ではないか、非常識ではないか、主題のすり替えになりはしないか、誰かが傷つかないか、そういう気遣いや思いやりの、最低限の良識としての思考と情緒が欠損しているとしか思えません。
 
人が認識できる悪魔は、聖書の悪魔ではなく、ホラー映画の悪魔でもなく、悪意という名の、人を悪事へ誘う心の性質、つまり、何らかの動機で生じたところの、人を傷つけたい、あるいは、傷つけても悪いと思わない精神の働きです。自己中心、思考停止、反省不能、訂正不能、気配りのなさ、短絡的感情が、そこにはあるのです。まさに、シャロームに、ずっと当てはまって、見られてきたことです。
 
 
(2019年05月10日)
 
端折る(はしょる)
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
https://st5402jp.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
 
 
 
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]  
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]