ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

堕ちてゆく

 
  堕ちてゆく
 
   悪魔の誘惑に対する救いと勝利の道
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28973239.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
約8年間、キリスト者ではないという証拠を表しても、どんなにバレても、応える様子を示してこなかったのが、シャロームの特徴です。いかなる理路の異常も、人格の異常も、背教の証拠も、無視できる不感不応の性質、出来事を受けて考え行動するということが全くできない。
 
キリスト者ならできない、人間ならできない、そういうことを繰り返し実行し続けているシャロームに対しては、根気強く、出てきたものを証拠として積み重なてゆくのが、カルト批判ということになります。一度、二度、三度、誘惑しても、なお飽き足らず、今も誘惑を続ける悪魔の様態を表しています。
 

★今日のみ言葉★(2019.4.29)
「質問からの確認」

 
一つの記事で誘惑し、基本的な破綻をきたしても、何事もなかったかのように、平気で次の記事を書いてくる。反省せず、訂正せず、答えた様子もなく、また誘惑してくる、これが悪魔性の特徴です。
 

一般的に、クリスチャンはイエスを神の子であり、神であったと信じていますので、
人間としてのイエスのことを無視しがちです。
未信者は、逆にイエスを人間として見ていますので、神の子であるとは信じていません。
そして、聖書の福音書では、イエスはむしろ、人間としてご自身を示しておられます。
その上で、イエスを神の子と受け取るのはその人の信仰によるのです。
この観点から、未信者への伝道において、
人間としてのイエスの方を先に見ていく必要があると、わたしは思っています。

 
シャロームは、キリストの人間性の重要性を全く理解していません。シャロームは、神に背き、キリストに背き、悪魔の様態と言動を見習い、それこそ人間離れして、笑えるのでしょう。シャロームは、キリストの物や肉体への奇跡を信じ込み、人間にも理解と共感が可能な、キリストの、慈しみや、人間性への深い洞察と思慮について、全く無視して大言壮語を繰り返してくるのです。
 
このような人だけは、いかに寛容な神も、赦しようがなく、救いようがない、という証拠を、積み重ねてゆきます。このような悪魔性に対しては、これを否定することで、逆に、信仰とは何か、ということを学んでゆくしかないのです。
 

聖書のマタイ4:1-11のところの内容を確認しています。
お話の内容を確認していく中で、人によってはそこから教えられること、
新しい気づきを与えられることもあります。
ですから、この内容の確認は、初めて読む人だけではなく、
誰にでも必要だとわたしは思っています。

 
シャロームの記事の内容を確認してゆく中で、そこから偽善とか背きとか悪魔性とかいうものが、どういうことかを読み取って、自らの信仰に、新しい気付きを与えられることもあるでしょう。
 

ここでは、悪魔のことを「試みる者」、また「サタン」とも言われています。
同じ悪魔のことが、このように別の言い方で言われています。
1回目の誘惑も、2回目の誘惑も、同じように
「もしあなたが神の子であるなら」と悪魔は言っています。
そのことを証明するために、石をパンに変えてみてはどうかという提案をしています。
また、そのことを証明するために、
神殿の高いところから飛び降りてみないか、と言っています。
それによってあなたが神の子であることが、
誰の目にもはっきりしますよ、と言っているわけです。

 
シャロームの悪魔性は、数えきれない記事とコメントによって表されてきました。記事によるカルトの誘惑は、「もしあなたがキリスト者なら」ということに、いちいち違反して、パンを石に変え、魂の奇跡を超常のホラー話に変え、何の節操もなく神の栄光が与えられる、などという背きゆえに、シャロームが、背教の悪魔性であることが、誰の目にもはっきりしてゆくのです。
 

そのように試みる者に対して、イエスはどのように対応されたでしょうか。
エスはご自分の意見や考えもあったと思いますが、聖書のみ言葉をただ引用して、
しつこいまでに誘惑してくるサタンに向き合っておられます。
3回とも、そのように対応しておられます。
このようなイエスの悪魔に対する対応の仕方は、
わたしたちにも関係があるのでしょうか。
次回に続きます。

 
そのような悪魔性に対して、私たち真実のキリスト信仰を求める者は、どのように対処するべきでしょうか。聖書の御言葉をシャロームがいかに曲解しして引用し悪用しているか、いかにシャロームが、信仰に不可欠な節操である魂の砕かれた敬虔とは逆であるかを読み取ってゆくべき機会とするしかありません。
 
シャロームは、上の引用記事などどうでもよいのでしょうか、ここから、妄想的に思い込んでいる日本の歴史と政治と社会に対するボロクソ節を書きまくっています。
 
或る政治思想のサイトでも、同じことをして、さらに、分かってもいないのに世辞の賛同を示したり、自分の読んだ本を、自分は妄想に取り込んだだけなのに、読めと執拗に勧めたり、読んだかと問い詰めたり、流れもお構いなく一方的に妄想話を書いて、キリスト者一般を辱めるような迷惑なコメントを、鼻息荒く、書きまくっているのです。そこだけでなく、一方的な書き込みは、他のキリスト教サイトなどでも、常習的に見られることなのです。涎を垂らして食い物を漁る野良犬の所業だと思います。
https://blogs.yahoo.co.jp/nogatera/56462275.html 
および、2,3の記事のコメント欄。
 
>《shalomのコメント》

日本も74年前までひとりの人であった天皇を現人神と信じさせられ、
天皇のために死ぬことは名誉の戦死であり、戦死をすれば英霊として
靖国神社に祀られると教えられ、300万人余の人々が無謀な戦争のために死にました。
軍属ではなかった学生たちも学徒動員され、戦争の犠牲となりました。
皇国史観のもとに天皇は現人神であると祀り上げたのは、政治権力者たちでしたが、
もし、当時の国民が天皇は現人神であるかもしれないが、
私たちと同じひとりの人間であると考えることができたなら、
このような沖縄戦で4人のひとりの国民がなくなったり、
広島、長崎に原爆投下による、また日本中の都市が爆弾の雨によって破壊され、
焼け野原となった悲惨な結果を招くことはなかったかもしれません。

 
天皇の戦争責任を書いています。上のサイトでも書いていましたから、シャロームは、天皇は日本の王様だから何とかなっただろうと全面的に天皇を責めているのです。天皇は自ら手を汚すだけの実権を与えられていなかった軍国主義ということを無視して、人間として考えなかったと言っています。何でも人のせいに、天皇のせいに、政治のせいにするような、正義の味方ぶって幼稚な短絡をまくしたてるような、こういう国民にだけはなりたくない。
 

1946年1月1日天皇人間宣言をしました。
戦前の政治機構も、財閥も解体され、日本は廃墟の中で産声を上げたのです。
途方もない人の命と血が流され、民主主義国家日本の誕生だったのです。
民主主義は西欧キリスト教諸国から始まりましたが、
その誕生の歴史も多くの人の命と血が流された事実を否定できません。

 
流血の事態があったこと
は誰も否定していません。正義の味方を気取って流血を嘆くだけなら誰でも出来ることです。そして、神への自己中心からの讃美とともに、偽善者がしばしばすることです。
 

神が人となり、神が人を救う出来事がイエスキリストの誕生、生涯、死、よみがえり、
聖霊の傾注によって成就して、生きるキリストのからだとしての教会が誕生しました。

 
聖書語の羅列も、誰でも出来ることです。背きと裏切りのシャロームの言い分には、讃美の実質が何も伴っていません。シャロームの讃美の空回りです。こういうのを偽善と言います。
 

教会の誕生は神の御子イエスキリストの血が流されましたが、
それは神ご自身が人の罪を贖うために血を流された出来事でもあります。
なぜなら、どのような人であっても、罪ある人は人の罪を贖うことは出来ません。
ただ神おひとりだけが人の罪を赦し、救うことができるのです。
神ご自身も人の罪を赦し、救うためには罪の裁きなしに赦すことが出来ないのです。
なぜなら、神は愛なる方でありますが、同時に聖なる方であり、義なる方だからです。
神の愛は人の愛とは異なり、ご自分の聖と義を否定することのできない愛だからです。

 
政治と歴史から、一挙に、二千年にわたる宗教と信仰の話に、無節操に飛んでいます。このような、文脈もお構いなく、いきなり蓆(むしろ)で荒っぽく、こすりつけるような書き方が、流血の傷を残す荒廃し腐敗した筆致であることに気づかないままの、シャロームの特徴です。
 
神の愛は人の愛とは異なり、ご自分の聖と義を否定することをしない愛です。
シャロームは、何をもって、神の能力を規定しているのでしょう。シャロームは、信じてなどいないから、神の聖と義を勝手に、我が物のように悪用しているのです。 
 

前置きが長くなってしまいましたが、本文記事のはじめに
「クリスチャンはイエスを神の子であり、神であったと信じていますので、
人間としてのイエスのことを無視しがちです。」とあります。

 
この問題に、このあとの文章は全く答えていません。
 
前の記事に書いたように、シャロームは、詭弁とボロクソ節を交えた妄想しか語れないのです。
「浅ましさの増悪」
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20179348.html
 

エスキリストは真の神であり、真の人であるからこそ、
神による救いのわざを成就することのできる神の御子であり、
また罪なき真の人であるからこそ、罪ある私たちの罪を負って、裁きを受けられ、
贖うことができる方として、神の約束に従って遣わされたのです。

 
超常の仕組みで、超常の救い主イエスを書いているだけです。
 
ここからは、超常話とボロクソ節を絡ませ、あとは、唾(つば)を飛ばして来そうな、浅ましく白々しい讃美の機関銃です。シャロームは、ずっと、こういう書き方しかできないのです。
 

エスさまに対する初めの悪魔の荒野での誘惑は
人にとって一番切実な生きるために必要な食べることに対することでした。
神ご自身を信じるよりも、もしあなたが神の子であり、石をパンに変える力があれば、
すべての人はあなたを救い主と信じ受け容れるに違いないでしょうという誘惑でした。


今も世界中のすべての人が生活問題を解決し、
豊かな生活を与える人を神のような人として歓迎されるに違いありません。
アベノミクスも嘘か真か?看板に偽りありの約束ではないでしょうか。
アメリカのトランプさんも、中国の習近平さんも石をパンしようとしているようです。
パンのように見えていて、実は石のようですから騙されないようにしたいものです。

 
意見でも批判でもなく、悪口ですね。
 

また悪魔は神殿の高いところから飛び降りてみないか、と言っています。
これはきっとあなたが神のようなものであることを証明すればという誘惑ですね。
天皇は現人神だからと誘惑をされ、だまされたことを忘れると、
歴史は繰り返すという危機がまじかに迫っているのです。
広い意味で人によって産みだされた神ならぬものを神とする偽りの偶像信仰です。
日本はかつては世界第2の経済大国でしたが、今はどうでしょうか。
世界の偶像礼拝大国です。

 
天皇を、偶像か悪魔だと言いたいのでしょうか。現人神思想は政府が刷り込んだものではないのでしょうか。シャロームの信条は、暴力的です。
 
偶像礼拝大国・・その場で作ったみたいな勝手な大袈裟な造語を語るのもシャロームの特徴です。今までにも、民主主義ならぬ神主主義?、心神症ならぬ霊心症?、三権分立ならぬ五権分立?、などがあります。
 

また悪魔はイエスさまを高い山の上に連れて行き、
この世のすべての繁栄している国々を見せて、
悪魔礼拝をすれば、それらのすべてをお前にあげようと誘惑をしています。

 
このことが、
 

いま米中が世界の覇権争いをしています。
アメリカは中国にこれまでの世界一の覇権を奪われないように
アメリカ・ファーストと、世界中の国々をアメリカの言うがまま支配しようとしています。
一方中国は世界第2の大国として、アメリカを追いこすために、
一帯一路の世界戦略によって世界に対する覇権を築きあげようとしています。

 
米中の争いと、どう、直接、関係があるのでしょうか。政教ごった煮です。
 

世界の人口は2019年5月15日現在75億4345万人です。
2050年には91億人になると予想されています。
食糧問題、人口問題、エネルギー問題、地球温暖化問題、環境破壊、異常気象など
ますます深刻になることは世界中の誰の目にも明らかです。
だれが、どの国が高い山の頂点に立つとしても、
地球規模の山体崩壊してしまう危機が目前に迫っているのです。
悪魔は生ける神の栄光を表わすために造られ、人に委ねられた被造物全体が破滅し、神の栄光と、神に仕えるすべての人に滅びをもたらそうと今も誘惑し、働いています。

 
シャロームの話は、実に規模が大きくて大仰です。危機を煽りたいのでしょうか。自分のように奇跡を信じよと言いたいのでしょうか。私は批判者だから読みますが、読むだけ時間の無駄です。
 
>しかし、神の救いの礎はすでに、神の御子イエスキリストによって堅く据えられています。
 
その、神の御子イエスキリストに、真っ向から背いて、罪を認めず悔い改めもしないのが、シャロームです。彼は、現代のパリサイ人であり、荒らしの友達であり、偽善者であり、カルトであり、反キリストです。
 

エスさまは悪魔の誘惑に対して、人の言葉やわざによって立ち向かうのではなく、
神の言葉によってのみ立ち向かわれました。
私たちも悪魔の誘惑に対して、人の言葉やわざによってではなく、
神の言葉に立つべきなのです。悪魔は神の言葉を嫌い、憎みますが、
神の言葉に前には退くほかに道がないのです。

 
どんなに批判しても、退かない悪魔性が、シャロームであります。
 

神はイエスさまが受けられた荒野での悪魔の誘惑によって、
神に造られ、愛されていながら、悪魔の誘惑により罪を犯し、
神を見失った私たちの救いのために、イエスさまをつかされ、
神による救いの道を明らかにしておられるのです。

 
罪は悔い改めなくても赦されるから、気にしなくていい、という発言を、訂正しておらず、書いた記事からも訂正された跡が見られないシャロームが何を言っているのか。
 
今では、もはや、シャローム自身が、悪魔の誘惑です。
 

またイエスさまが体験された荒野での悪魔の誘惑は
神に愛されている私たちがこの世で受ける誘惑であり、
また悪魔サタンの誘惑に対する勝利の唯一の道を明らかにしておられるのです。

 
キリストは悪魔の誘惑に勝利する唯一の道を明らかにしている、と言っていますが、悪魔の誘惑に、シャロームは、勝利どころか、ひたすら、従順なのです。だから、間違えても反省せず、正直さの微塵もなく、罪を犯しても悔い改めることなく、悔い改めは神が与えると豪語して、悔い改めない責任を神に転嫁しています。そうして、シャロームの総ての記事が、見せかけの、嘘っぱちの、偽善の、ペテン師の記事として、堕ちているのです。
 
(シャローム

問6.あなたはご自分の全人格を構成していることについてどのように考えていますか。
 聖書の言葉と一致していますか、またどのような違いがありますか。
 違いがあればその理由についても考えてみてください。

(私)
「全人格を構成していることについて」「どのように」
まさに、詐欺師が、何とでも答えられるような、広すぎて、大きすぎて、曖昧な質問なのです。はっきり言って、言葉で表せそうにないことです。わかるでしょう。こういう質問だから、シャロームは、何でも言えるわけです。
「浅ましさの増悪」
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20179348.html
 
言ったとおりになっています。
いくら豪語しても、答えにならず、だらだらと、しまりもなく、見苦しい限りです。
 
また、最初のほうの
「人間としてのイエスの方を先に見ていく必要がある」
そのキリストの、洞察力についても、慈しみについても、シャロームは、知性も感性も破壊されているので、何も書けず、重みも実質もない讃美言葉の、流涎のごとき酸味に終始しています。
 
 
(2019年05月16日、同日一部修正)
 
流涎(りゅうえん)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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