ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

忍ばせる者

 
  忍ばせる者
 
   批判対象:楽山ブログ
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013
   楽山のブログ
 
 
(私)
相変わらずのボンヤリ曖昧言語で、ほのめかすようにすり込んできます。
カルトや荒らしや偽善者やサディストというのは、
詭弁として、誰もが当たり前に肯定することに、さりげなく結びつける
という細工をしてきます。4つの記事について批判します。

 
 先に進むことができる人
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013
 

某カルトを見ていると、
教団の外の人(一般人や批判者)と交流し、
 対話を重ねることができる信者は、
やがては退会して次のステージに進み、
教団の外の人は敬遠して、
 仲間内でかたまりたがる信者は、
そのまま教団にとどまり続けることが多いようだ。

 
(私)
外に出る人は退会し、
仲間と付き合う人はとどまり続ける
と言っています。
 

必ずそうなる
 というわけではないだろうが、
 少なくとも自分の見聞の範囲では、
そういう傾向はあるようだ。
人とのつながりは、やっぱり大事だなと思う。

 
(私)
人とのつながりは大事、という誰もが肯定しそうなことにつなげています。
怖いことです。カルトにとどまり、カルトの仲間と付き合うことを暗示しているのです。
 
 
 夢と希望
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41541315.html
 

あんまり
空想ばかりなのは
困りものだけど、
あんまり
現実的過ぎるのも
つまらない。

 
(私)
極端な例を挙げて、それはいけないが・・と、安全アピールしたうえで、
空想の世界に生きることを暗示します。こういう刷り込みのようです。
 

それだと、
夢や希望を持てず、
元気が出なくなりがちなので。

 
(私)
空想しないと、元気や夢が持てず、元気がなくなると言っていますが、
楽山の言う空想は、非現実からカルトへの道だということを忘れるべきではない。
 

世の中には、
そうならない人もいるかもしれないけど、
自分の場合はそういう感じかな。

 
(私)
「過ぎるのもつまらない」「夢や希望」「元気」「感じかな」
前から言っているボンヤリ言語の特徴です。
楽山は、そういう感じではなく、気に入らないことは無視する、
という自己中心のアドラー教を、宣伝し、伝染させる人です。
 

心が干からびてしまわないように、
夢と希望は大切にしたい。

 
怖い誘導です。「夢と希望」という言葉で肯定を促しながら、実際は、
空想の世界からカルトへの道を否定すると、心が干からびるという話になっています。
 
 
 当たり前のこと
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41541324.html
 

最近は、
人を批判するのは避けたい
という気持ちが強まっているけれども、

 
(私)
批判が全くの詭弁であったことを、批判するのは避けたいと言って、
しっかり整っている自分をアピールし、正当化したいようです。
 

自分には、どうも、
これはなかなかに難しい。

 
(私)
楽山の難しさは、悪口を婉曲的に言うのを止めないことでしょう。
彼の書く文章を読むと、気持ち悪く、どこか痒くなります。
むしろ、だましなれた年長者の臭いがします。
 

批判は止めようと思いつつも、
ついつい
批判的なことを言ってしまうのだから情けない。

 
(私)
楽山は、事実の一部の都合の良いところだけを取って、全体の結論とし、そこから、当てつけの悪口を言いますが、一度も、批判も議論も、成り立ったことがありません。シャロームに似ています。
 

ただそれでも、
相手の身になって考えるというのは、
むやみな批判を抑制する効果はあるように思える。

 
(私)
楽山は、相手の身になって考えることは、私の知る限りありませんし、シャロームと同様、共感性には著しく欠けているようだから、できないと思います。最初から、敵味方を分けていたようです。シャロームは味方、私は敵、という前提でしか説明できないことをしてきました。だから、詭弁が露骨になるのです。
 

相手の立場であれば
そういうことを言うのもしょうがないとか、
もし自分が相手と同じ立場にあったら、
同じことを言ったり、したりするだろうとか、
そういうことを考えていると、
人を批判し、裁こうとする気持ちはしずまるみたいだ。
こういうことは、
昔から言われていることだし、
誰もが知ることだろうけれど、
改めてその価値を知らされた気がする。

 
(私)
批判の代わりに、ボンヤリ言語によって、「みたいだ」「気がする」と、
当てつけ、ほのめかし、暗示、という陰湿な手段で、悪口を刷り込もうとしています。
 

やっぱり
当たり前のことって、大事なんだな。

 
(私)
このように、当たり前のことに、自己中心とボンヤリ言語のカルトを結び付けるのです。
本当に、気持ち悪く、怖い人です。
 
 
 もの忘れ
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41541336.html
 

最近はどうも
記憶力の低下を
実感させられることが増えてる。
人の名前を思い出しにくいとか、
お使いを頼まれても、
メモがないと買い忘れするとか…。

 
記憶の低下から何を言いたいかと思えば、
 

記憶には、
さっさと忘れた方がいいこともあれば、
きちんと覚えておくべきこともあるだろうし、

 
忘れたほうがいいこと:
今までの記事とコメントから、気に入らないことでしょう。それが楽山のアドラー教です。
覚えておくべきこと:
今までの記事とコメントから、アドラー教の自己中心の勧めでしょう。そして今回は、ボンヤリ言語の詭弁の刷り込みに専念しているようです。
 

脳みそが自動的に両者を区別し、
忘れるべきことは忘れ、
覚えておくべきことは覚えておくような
つくりになっていたら、よかったのになあと思う。

 
「よかったのになあ」で、何を伝えたつもりでいるのでしょう。
 

そういえば、
三浦綾子の本で、
年取ったクリスチャンの話が書いてあったのだった。
書名は、例のごとく忘れてしまったけど、
そのおじいさんは、認知症で、
みんな忘れてしまいましたが、イエス様のことだけは決して忘れません
と言っていたという話。

 
こういう感じで、自分のために、人の話を利用するわけです。
本当にそう思っているかどうかは別です。
 

自分はクリスチャンではないし、
特定の宗教を信じているわけでもないが、
それでも、この話は心にしみたのだった。
こういうところは、信仰がある人はいいなと思う。

 
楽山は、もちろんキリスト者ではありません。そればかりか、楽山は、キリスト教も、宗教全般も、馬鹿にしていると思います。だから真面目に批判しても、意に介さず、何を言われても平気で、シャロームと同じですが、不感不応の境地から笑えるし、答えないでいて、弁明もしないで、書くだけは書き、言うだけは言う、ということが出来るのでしょう。
 
楽山、易坊、シャロームは、同一人の成りすまし疑惑があります。
 
今回のように、書けば書くほど、疑いが深まるばかりです。
 
ネットには、こういう人が、いっぱい、いると思ってほしいです。くれぐれも、だまされないように。
 
彼の書く文章を読むと、気持ち悪く、どこか痒くなります。
むしろ、だましなれた年長者の臭いがします。
だから、やさしげなボンヤリ言語が気持ち悪いのかもしれません。

 
 
(2019年05月19日、同日一部修正)
 
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