ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

悪魔とは

 
  悪魔とは
 
   悪魔とはどういう者か
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28979104.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
私は、シャロームに対して、数え切れないほどの批判記事を書いてきました。
それらに、いっさい弁明せずに、あざ笑うかのように、何事もなかったかのように記事を書いてくるのが、シャロームの人間離れした特徴です。
 
それは、偽善者やカルトの特徴でもありますが、良心が全くないような、この特徴を有するのは、いかなる有形無形の存在の特徴でしょうか。今日の記事と批判は、その判断の糧となるかもしれません。
 
>★今日のみ言葉★(2019.5.3)
>「悪魔とはどういう者か」

前回に続き、マタイ4:1-11のところから霊的な真理を発見するための質問をしています。
聖書のマタイ4:1-11のところは次の通りです。
4:1 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
4:2 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
4:3 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
4:5 それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて
4:6 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
4:7 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
4:8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
4:9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
4:10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
4:11 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
(シャローム
これはあくまでも、
ひとりひとりが自分で何かに気づくことや新しい発見があることを期待してのことです。
人から教えれることも大切ですが、求める人は聖霊によって気づきや発見が与えられるからです。

 
「求める人は聖霊によって気づきや発見が与えられる」
シャロームは、こういう発言の妥当性の有無を事前に考えないようです。
分からない人は、聖霊が降りていないからだ、ということになると気づかないのでしょうか。
こういうことを言うのは、神聖の意志と行為を決めつける者たちの信仰?です。
 
神聖の意志と行為は、つまり、今何か与えられるかどうかは、神聖の専権行為であります。
むしろ、このことを弁えているかどうかが、神聖との絆があるかどうかに関わってくるのです。
シャロームには、この弁えは、与えられていないようです。
 

そして、聖書から自分で発見したものは残っていきます。
わたしはひとりひとりのそのような発見を大切にしたいと思っていますので、
このような質問をしています。
前回の質問の続きです。

 
ここに、聖書から学んだつもりの自分の知識を絶対化するシャロームのカルト性が表れています。ゆえに、どこまでも教える態度で、知っている態度で、上から質問をしてくるのです。まるっきり、預言者気取り、教師気取りに終始して、共感性を欠いたシャロームです。
 

6.イエスに対する、3つ目の悪魔の誘惑は全世界の国々とその栄華とを手に入れたければ、
わたしにひれ伏し、拝みなさいという勧めでした。
この誘惑の狙いは何でしょうか。
《shalomのコメント》
エスさまに対する悪魔サタンの誘惑の根底には
この世、全世界の統治者がだれであるかを示しています。
聖書はこの天地万物、世界が神の創造とご支配のもとに存在し、
神の目でご覧になられ、すべてはよかったと宣言された被造物であり、
神の栄光を表すにふさわしいものであると証ししています。

 
キリスト者は、今さら言われなくても、そのことを知っています。解説が必要なのは、人間として、どう考え、どうすればよいかということです。そのことが考察と議論の対象になります。しかし、シャロームは神聖に成り上がった者らしいことしか言わない、というのが今の、そして、次の発言です。
 

神は最後の被造物として、ご自分の命の息を吹き込み、人を霊的、人格的な生きた者とし、
神との交わりによって生き、神とともに被造物をすべ治める、統治者とされました。
人が神の栄光を表し、その祝福の中に生き、神を喜び、礼拝者と生きるためには、
神との交わり、導きに信仰によって従う、礼拝者として生きることによってはじめて
被造物を統治できるのです。

 
このように、聖書由来の聖書語をつないて並べて飾って、大仰に豪語することしか出来ないのがシャロームであり、そのことが、人間離れしたカルト信仰の末路を表しているのです。
 

しかし、イエスさまに対する悪魔サタンの誘惑は
神によって人に与えられた被造物の統治権が奪われ、悪魔サタンの手にあることを示しています。
悪魔サタンは人に与えられた被造物の統治権を奪い、支配し、
神の栄光を汚し、人を悪魔サタンの支配のくびきのもとに支配し、
人は神の礼拝者とではなく、罪の奴隷となり、悪魔サタンの奴隷とされていたのです。

 
いつから統治権は悪魔の手にある?でしょうか。だったら、とうに人類は滅びているはずですね。神は、その間、悪魔に任せて、人の世界を放置してきたのでしょうか。シャロームは、旧約聖書を読んでいないのでしょうか。
 
これこそ、シャロームが、生ける神を信じていない証拠です。こういう発言が、全か無でしか語れないシャロームのボロクソ節であり、この世界が大嫌いのシャロームの、敵意に溢れたカルト宗教の言葉なのです。どうか、こういう誘惑と煽動だけを狙ったようなボロクソ節に、批判目的以外で、付き合わないでください。
 

悪魔サタンはイエスさまが神から遣わされた神の御子であり、
悪魔サタンに奪い取られた人に与えられた統治権を取り戻すために遣わされたことを知り、
人を悪魔サタンの奴隷とするために、神の御言葉を退け、善悪を知る木の実を食べるように
アダムとエバを誘惑をしたように、イエスさまを誘惑し、
神が罪なき神の御子であるイエスさまに与えられている被造物に対する統治権によって
神の栄光があらわされ、罪の奴隷として支配され、生きている人の霊性がよみがえり、
悪魔サタンの欺きが暴露され、被造物に対する統治権が神の手に取り戻され、
悪魔サタンは生ける神の裁きによって自らの滅びを招くことを知り、恐れていたのです。

 
まるで、超常の神聖と悪魔を知り尽くしているかのような、いけ好かない決めつけの、説教言葉を真に受けないでください。人間の良いところも悪いところも全く分かっていない聖書語の典型です。
 

7.イエスは3回とも、「・・・と書いてある」とみ言葉を引用して答えておられます。
なぜこの時、ご自分の言葉で答えられなかったのでしょうか。
《shalomのコメント》
悪魔サタンは神の言葉を巧みにゆがめ、アダムとエバの欲望につけ込み、
悪魔サタンが神に反逆し、全被造物と人を罪のもとに支配し、盲目化し、
神のようなものとなったように、荒野に40日間の断食によって、
エスさまは生存の危機に向き合われる中で、全人格を構成している
霊と心と身体に対する3回の悪魔サタンの誘惑、攻撃を受けられたのです。

 
シャロームは、神の言葉をゆがめ、人間の罪性をアダムとエバのせいにして、神に反逆し、人を罪のもとに支配しようとして、盲目化を目指し、神のようなものとなったかのように、イエス・キリストの与えた信仰から、人々に生存の危機を与えようと、信仰者と謙遜な人々に対する誘惑と攻撃を、いくら批判されても悪魔性で無視して、少なくとも8年間ずっと、今もここで、続けているのです。
 

その悪魔サタンに誘惑、攻撃に対してアダムとエバは誘惑によって、
欲望、好奇心につけ込まれ、神の言葉を退けてしまい、罪の奴隷となり、
神によって与えられた被造物に対する統治権を失い、
神に対する霊とまことをもって礼拝する者として生きることができなくなったのです。

 
また、アダムとエバのせいにしていますが、失楽園は、人間の姿なのです。自分を悪の圏外において人ばかり責めているシャロームの恥ずかしさがここに曝されていることにさえ、シャロームだけが気づかないのです。神のもとで生きることが出来なくなった人の一人がシャロームなら、もう何も言わないでください。ここまで、恥を知らない人は、全くもって珍しいことです。
 

エスさまは罪なき神の御子として、荒野という人はおろか、神の助けすらない
40日の過酷な生死を脅かされる中で、悪魔サタンの誘惑、攻撃を受けられたのです。
しかし、イエスさまはご自分を遣わされた父なる神にへの全き信仰によって
ただ神の言葉を信じ、神の手にゆだねられたのです。

 
シャロームは、批判されても、悪意を返すだけで、自己保身と自己正当化のために、このような記事を性懲りもなく書いて、神の言葉を信じず、神の手に委ねず、神へ抵抗し反逆し続けています。
いったい、どんな霊とか精神に支配されると、こうなるのでしょうか。
 

悪魔サタンの誘惑、攻撃はただ神の御言葉を信じ告白し、
明け渡しゆだねることによってのみ、退け、勝利できるのです。

 
神の御言葉を信じないで、神に明け渡す代わりに、別のものに明け渡し、自己の妄想的聖書語を、機関銃のように発射しているのが、勝利したつもりの、シャロームに他なりません。約8年間、恐らく実際はもっと長期にわたって、破綻百出し続けても、弁明できなくても、平気でいるのです。
 

エスさまの荒野における試練と悪魔サタンの誘惑に対する勝利は
来たるべきイエスさまの十字架の苦難と死による勝利によって、

 
悪魔の誘惑に乗らないことは、救い主だから、当然のことです。
 
十字架の苦難と死は、救いの成就として、私たち信仰者そして人間に、他の奇跡とは全く異なる信仰の芯となるべき意味を持っています。何をシャロームは同列に並べているのでしょう。
 
シャロームは、復活と奇跡を、同じような超常現象による恵みとしてしか受け取っておらず、何が大事なのか、また自分が何を言っているのか、全く分からないで、思い付きで言っているのです。書けば書くほど、ボロとクソしか出てこないシャロームです。
 

悪魔サタンに奪い取られた全被造物に対する統治権がイエスさまの手に取り戻され、
エスさまに対する信仰によって、再び私たちに与えられ、
神とともに全世界を統治し、礼拝者として生きることができるのです。

 
私たち人間が神とともに全世界を統治すると言っています。そのあとで、不遜と思ったのか、ボロ布を当てるように、礼拝者として、などと書いています。このようなシャロームの信仰では、弟子たちの最初の偉くなれそうという望みと変わりがなく、さらに、弟子たちのように悔い改めもしないシャロームですから、身の程知らずの高望みのまま、傍らにいる人間のことなど何とも思っていないということが、今までの言動からも、ここでの発言からも読み取れますし、これからも表れてくるでしょう。
 

8.イエスの誘惑と創世記3:1-4のアダムの誘惑とを比べて、一番大きな違いは何でしょうか。
実際に聖書を開いて比べてみることが大切ですね。
旧約・創世記
3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
 3:2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
 3:3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
 3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
 3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
 3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
9.この話から、悪魔とはどういう者ですか。
《shalomのコメント》
不思議なことですが、
聖書には、神を見たものはいない、見ることもできないと繰り返し書かれています。
悪魔サタンも同じです。
神も悪魔サタンもだれも見たものはいないし、また見ることもできないのです。
しかし、この世界のあり様、私たち人類の歴史をかえりみると、
見えるものの背後に見えざる方、見えざる者の見えざる支配があるようです。
だから、古今東西、すべての人の心に悪しきものの誘惑や
生ける神を渇き求める信仰心が働いているのではないでしょうか。

 
見たものはいない、と言いながら、悪魔の支配があり、神を求める信仰心が働いていると書いています。他者のことばかり書いて、自分を見ない者の破綻した筆致です。シャロームが、既に救われた自己完成の立場に立って、いくら預言者気取りで書いても、共感性がゼロのシャロームから、何も汲み取れるものはないと思います。
 
共感性と良心がないと、温もりも潤いもない文章になり、心が通わなくなって、別のものの誘惑に乗って、強気で書き続けることしか出来なくなるようです。そのことを学ぶべきなのかもしれません。
 

10.この話から、イエスとはどういう方ですか。
エスさまご自身「神を見たものはいない、
しかし、私を見たものは神を見たのである」と言っておられます。
(新約・ヨハネによる福音書14章6~11節)

 
エスが物や肉体の奇跡をおこなったかどうかにかかわらず、
エスがキリストであり、救い主であり、神の子であることを聖句は伝えていると思います。
 
どうか、これからも続くであろうシャロームの、良心も共感性もないのに、超常を分かったような文章の、尊大さと見せかけの謙遜?に騙されないようにしてください。シャロームを動かしているものは、キリスト信仰ではありません。
 
 
(2019年05月26日)
 
破綻(はたん)
 
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