ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

カルト体験?実践?(2)

 
  カルト体験?実践?(2)
 
   ★カルト体験 
   (人間観の問題:人は神性を有する神の子だと思い込み過ぎると、
   反省できなくなってしまう?)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41338653.html
   楽山のブログのコメント欄つづき。私の意見はこの記事のみです。
 
 
シャロームの断末魔らしい嘘と詭弁が盛りだくさんです。楽山のブログですが、シャロームは、主役になりたいのか、書きまくってくるのです。シャロームは、議論する気はないが、恥も知らないので、だらだらと書いてきます。
 
(シャローム
人間が有限で、相対的存在である以上、その思想も有限で、相対的であることは避けられないはずなのですが、でもそのような不確かさからくる不安を逃れるために、その思想を確かなものであると信じようとするのも人の神を求めずにはおられない弱さゆえでしょうか。
2019/1/22(火) 午後 5:47[ shalom ]返信する
 
シャロームは、キリスト信仰とは何も共通していない自身の、罪は悔い改めなくても救われるから気にしなくていい、という信条、つまり身勝手で幼稚で単純な、そして正反対の思想を訂正不能に信じ込んでいます。よくもまあ、思想が有限で相対的などと言えたもの。全部、嘘です。反例は、シャローム自身です。
 
(シャローム
> 自由さん こんばんは
 イエス・キリスト信じる「霊性進化」に方向についてですが、普通私たちの進化という言葉のイメージからすると「下から上に向かうこと」と考えがちだと思うのですが、イエス・キリストを信じる道は「下へ上る道」と言えるようです。
それがイエス・キリストの道なのですから、
 
霊性進化をネットで検索すると、終末予言、テレパシー、空中浮揚といった超能力など、超常的な内容が表れます。シャロームは大好きなのでしょう。それがシャロームの奇跡信仰だからです。
 
恐ろしいことですが、信じる道つまり信仰が「下へ上る道」だと言っています。上と下で信仰を表すことは出来ません。上と下という言葉を使うなら、私たち人間は、神よりも、いつも、はるかに下だとしか言えません。
 
ここで、シャロームは、「下へ上る(したへのぼる)」という矛盾をもてあそんで、深い逆説を語ったかのような知ったかぶりをしているだけです。分かるような説明が何もありません。シャロームの愚劣な有頂天です。
 
さらにシャロームは、キリストと、私たち人間の道を一緒に見ています。自分は特別なのだと思い込み、皆も自分のようになれというカルトの安易な救いを説いて、いかなる罪も気にしなくなったシャロームという偽善者の末路なのです。むしろ、こういうふうにだけはなったらおしまいだ、という有り様なのです。
 
私たち人間が、あくまで、神の下である自覚においてのみ、神とキリストの救いは、この地上で人間に気づかれ、人間を生かすでしょう。
 
(シャローム
聖書にはそのイエス・キリストの上から下へ歩まれたことを次のように記されています。
使徒パウロの言葉です。
 「2:6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」と。(ピリピ3:6~8)
2019/1/22(火) 午後 10:42[ shalom ]返信する
また使徒ペテロは次のように書いています。
「 2:21 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。 2:22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 2:23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」と。
 新約一ペテロ2:21~24)
さらに使徒パウロは次のように記しています。
 『3:16 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。
3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」
 (新約第二コリ3:16~18)
2019/1/22(火) 午後 10:43[ shalom ]返信する
 
神の子の、父なる神への従順を、上と下という言葉を使って詭弁を吐いた後、聖句を乱用するという無理解なカルトの常道手段を見せています。一度も、主イエスのほうを向いたことのない、そういう文章をいっさい書けなかったシャロームが言っています。
 
(シャローム
「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。」とはしてへ上ることを意味しています。
それは十字架の道です。
イエス・キリストはご自分の苦難と十字架につけれられ死ぬ時が近づいた時、言われました。
『12:23 すると、イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。 12:24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
12:25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」と。
 
そして、立派な結びを書いているつもりで、栄光から栄光へ、上る、永遠の命、という誇大的な大仰な言葉と聖句の乱用をしています。シャロームは、敬虔ということが、まるで分っていないから、ヒーロー気分で、預言者気取りで、悦に入っている、のぼせ気分なのです。とても見苦しいです。
 
(シャローム
 (新約ヨハネ12:23~25)
「自分の命を愛する者」はそれを失い、この世で「自分の命を憎む者は」それを保って永遠の命に至るであろう。
「自分の命を愛する者」とはこの世の下から上への道を歩む自己愛に生きるこの世を支配している道であり、それは死の道です。
「自分の命を憎む者」とはこの世でイエス・キリストの道である上から下への歩む自己愛をイエス・キリストともに生ける神にゆだねるいのちの道です。
2019/1/22(火) 午後 10:44[ shalom ]返信する
 
シャロームは、一度も、自身を下に置いたことはないのです。丁寧語と聖書語で、敬虔を装っているだけのペテン師です。聖書を何もわかっていない者が、文言だけを悪用している例なのです。聖なる霊ではなく、悪しき例なのです。聖句の乱用と悪用は、まだ続きます。
 
(シャローム
イエス・キリストを信じて受ける洗礼について次のように使徒パウロは記しています。
「6:3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。6:4すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。 6:5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。」と。
 (新約ロマ6:3~5)
聖書の言葉を列記しましたが、これらのことは聖書全体を貫いている事柄です。
これらの言葉は神の言葉であり、神の御心ですから、この世の常識、人の思い、考えでは理解することの困難な言葉です。
 
良識の欠片もないシャロームには理解できないので、神の言葉、神の御心、そして、理解困難、と言っています。自説妄想を主張するときには、神の啓示と言いながら、理解というより読解力のないときには、理解困難、神の、神の、と言いまくる卑怯ぶりです。
 
私たちが葬られたというのは、生きている人々に語られているので、何らかの比喩です。それは、これからは、罪の奴隷とならない生き方があるということです。正直に告白することで赦してくださる救い主がおられるということです。
 
もっと深い意味があるなら、今は、保留にしておけばよいのです。神様は、私たちが全部即座に分かるものではないことを、既にご存じなのです。
 
超常も地上も心情も人間も分かっていないシャロームは、共感できないために受け取ることが出来ず、滅裂な自説を捏造して、言葉をいじくっているだけなのです。
 
(シャローム
しかし、神は私たちを上から下へ登るイエス・キリストが歩まれた道へと導くことによって私たちにみことばの真実を悟らせることができるのです。
2019/1/22(火) 午後 10:45[ shalom ]返信する
 
こんどは「上から下へ登る」と言い方を変えていますが、無意味な詭弁であることに変わりはありません。何より、シャロームは、思想家気取り、キリスト者気取り、預言者気取り、ヒーロー気取りで、のぼせ上がってはいますが、下へ降りる敬虔は皆無であります。
 
シャロームは、分からなくなったのを、分からないと言えないものだから、上と下という言葉を混ぜこぜにして、さらに「登る」まで足して、分かったふりをしているだけなのです。このように、問題意識や疑問の共有が出来ない人は、独りで奇妙な辻褄合わせをするしかないのです。
 
(シャローム
エスさまがだれでも幼な子のようにならなければ神の国に入ることができないと言われた理由です。
 言われてわからなかったのはニコデモというイスラエルの律法の教師であるニコデモでしたが、霊的な神の真理は神が導き、開いて下さいます。
 「2:4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。
2:5 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。 2:6 しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
2:7 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。」
 (新約・一コリ2:4~7)
 
「巧みな知恵の言葉によらないで」「人の知恵によらないで」とは、例えば、シャロームの捏造した妄想、易坊の理屈倒れ、楽山のボンヤリ言語、などによらないで、人間の心で分かる言葉で語られているということです。霊と力は、神の働きと神の知恵であり、私たちは詳しく知らないことです。神の知恵を知らなくても神は聖書を通じて分かるように働きかけているということでしょう。
 
(シャローム
信仰は私たちの思想ではなく、神の啓示と神のみことばと神の導き、助けによって与えられる事柄です。
 
何をしても赦され救われると信じ込むシャロームは、根拠を神の啓示だと言い張り、訂正不能、学習不能、自己絶対の自己中心の独裁思想に堕して、きれいごとをならべて、ごまかすしかなくなり、しかも、それを豪語するという醜態を演じ続けています。
 
彼の語る妄想と詭弁で、信仰を理解することは誰にとっても、ありえないことなのです。神の啓示と神の御言葉という、それこそ言葉だけが、シャロームの中で、空回りをして、言葉面だけの珍説を捏造して、自己満足の地獄を招いているのです。
 
(シャローム
また長くなりました。また明日お会いしましょう。
おやすみなさ~い
shalom!
2019/1/22(火) 午後 10:47[ shalom ]返信する
 
シャロームのオトボケ「おやすみなさ~い」・・自分がどんなに誇大的な大嘘を吹いたか、という自覚のないシャロームです。
 
(楽山)
>2019/1/22(火) 午後 10:47
信仰は神の導き、救けによって与えられるというのは、ちょっと分かる気はします。
まえは、信仰に限らず、よい思いは自分の良心の働きと感じてたけど、最近は自分以外の働きがあるような気がすることはあるので。
まあこういうのは錯覚で、実際は遺伝や育成環境の影響にすぎないかも、だけど。
2019/1/23(水) 午後 10:30[ 楽山 (自由) ]返信する
 
「ちょっと分かる気はします」・・シャロームの味方をする楽山の世辞ですが、楽山は、キリスト者でもなく、聖書の勉強も、あまりしているとは思えない人です。
 
(シャローム
自由さん
2019/1/22(火) 午後 10:44のコメント
「してへ上ることを意味しています。」は「下へ上ること」です。「下へ上る」なんて変な言い回しですが、聖書にはこんな変な言い回ししないと表現しにくい言葉や文章があるようです。
 
シャロームのような変な言い回しをする必要は全くありません。変な言い回しになるのは、シャロームの思路と感性が狂っているからです。ですから、シャロームは何も理解していません。シャロームは、言葉を乱暴にいじくって妄想しているだけです。
 
(シャローム
それも大事なことほどですから厄介です。
2019/1/25(金) 午後 4:36[ shalom ]返信する
 
全く大事ではありません。シャロームの、うわごとですから、批判する人以外は、無視してください。詭弁家の排せつ物に過ぎません。決して真に受けないように、また間違っても、巻き込まれないようにしてください。ネットでは罰を受けないものだから、鬱陶しく蔓延るカビのような存在です。
 
(シャローム
根っこにあるのはやはり
「しかし言うまでもなく、それらを生み出してきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。」ということだと感じました。
 
何を理解したというのでしょう。自らの負の心性にさえ気づかないシャロームが。
シャロームは、いつもながら、他者の言葉が自分を斬っていることに、全く気づかない愚かさです。
 
(シャローム
また自由さんがこのような霊性進化論に20数年以上かかわってこられたのだとわかりました。
また少しずつ読んでみますが、やはりイエスさまとともに「下へ上る道」、十字架の道こそがいのちの道あると思わされました。感謝!
2019/1/25(金) 午後 5:12[ shalom ]返信する
 
約8年間の批判を通じて、シャロームの正体を知っている私としては、吐き気がします。
 
(楽山)
霊性進化論は、幸福の科学的にいえば、霊的人生観ということになるかと思います。
人の本質は霊であって、永遠の生命をもっていて、この世とあの世を輪廻転生しつつ、霊性の向上を目指しているというような人生観。
2019/1/25(金) 午後 8:15[ 楽山 (自由) ]返信する
 
カルトの特徴は、「霊」などの超常言葉を振り回すことです。
キリスト信仰において、
霊は、人間の心に働きかけるものくらいの理解で十分でしょう。それ以上を理解した人はいません。
 
しかし、カルトは、神秘的な意味を付けて、特別に見せないと気が済まないのです。
 
(楽山)
あと、霊性の向上といっても、それには二つの方向性があるとしてたかな。
 上求菩提、下化衆生というやつ。
 霊性向上を求めつつも、迷っている人々の救済にも励むというような感じ。
 別な言い方をすれば、進歩と調和かな。
 幸福の科学でも、それなりの理屈はあるってことですね。
2019/1/25(金) 午後 8:16[ 楽山 (自由) ]返信する
ただ、おかしいのは、幸福の科学は、ダーウィンの進化論の影響下にあるだろう霊性進化論を唱えながら、ダーウィンの進化論にダメ出して猛批判してるところ。
 
霊性進化論が霊の話なら、科学者ダーウィンの進化論の影響下にあるとは思えませんが、楽山は、科学までも身勝手に引き寄せたいのでしょうか。
 
(楽山)
さらに言えば、大川隆法ダーウィンの霊言で、ダーウィン霊に、人になりかけの猿を探していると言わせてたこともおかしい。
普通に考えれば、本物のダーウィンだったら、猿と人との共通の祖先を探してるとは言っても、人になりかけの猿を探してるなんて言うわけないんだけどね。
多分、大川隆法は、猿が人になったというのと、猿と人は共通の祖先をもつということの違いが分かってないのだろう。
2019/1/25(金) 午後 8:21[ 楽山 (自由) ]返信する
 
ここで、妄想話を持ってくるということは、ORの話をまだ間に受けていることを意味し、かつ、シャロームの話を、同じ次元で聞いていたということでしょうか。
 
(楽山)
なんか、また批判がましいことを書いてしまったけど、大川さんの本は、いろいろな分野のことを語ってるから、いろいろな分野に興味を持つ切っ掛けづくりにはなるかもしれないけど、間違い、デンパ、トンデモもすごく多いから、そこは注意が必要だとは思います。
2019/1/25(金) 午後 8:40[ 楽山 (自由) ]返信する
 
見てきたかぎりでは、いろいろな分野の嘘と妄想話だと思います。
それらは、生きてゆく上での参考にはならない性質です。
 
コメントは、まだまだ続くのです。この何倍も。シャロームは、愚にもつかぬ妄想的言説を、理解不能な書き方で書いて、話は誇大的、理路は発散してゆくので、何の糧にもなりません。楽山は、ボンヤリ言語で書いて、その時点の評価もはっきり示しさず、何も言いたくないなら書かなければよいのですから、何となく自分の都合の良いほうに誘導してゆくような感じがします。
 
どちらの言うことも、心に響く何ものもなく、受け取れる意味もなく、シャロームは虚言と妄想、楽山は現時点で、曖昧な普通+超常趣味に過ぎません。しかし、シャロームの味方をします。シャロームは、それで、いい気になって書いているのです。
 
虚しいことを承知で、人を悩ませているようにさえ見えます。超常カルト的考え方の行き着く先は、このような人格破壊の無法です。私は、批判のために読みますが、他の人が読むことは、全くの疲労に結びつくだけので、近づかないでください。ネットに巣食う疲労物質です。
 
 
(2019年06月15日)
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
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