ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

だらだら避ける

 
  だらだらと避ける
 
   ストレスを避ける生き方 (良心の声に耳を傾けること)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555052.html
   楽山のブログ記事
 
 

ストレスの原因は、
いろいろあるだろうけれど、
自分の場合は、
一番のストレスは、
良心の呵責のように思える。

 
良心の呵責を感じなくなったら、人間ではないと思いますが、楽山には、良心の呵責が、ストレスだと言ってます。良心が嫌いなのでしょうか、良心をなくしたいのでしょうか。
 
これは重大で、楽山に、いちばん欠けているのが、良心と、ゆえに良心の呵責だと思います。だから、どれだけ批判されても、悪いと思わず、同じようなことを、だるい筆致で書き続けられるのです。
 

良心の呵責からは、
どうやっても
逃れようがないからキツイ。

 
楽山は、良心の呵責がキツくて、良心の呵責から逃げたいのでしょうか、良心の呵責がなくなればいいと言うのでしょうか。
 
しかし、たぶん、楽山は、罪悪感や羞恥心を感じなくなっているのだろうと思います。それで、このように、良心の呵責が一番ストレス、などという、おかしな人格者気取りが出来るのでしょう。人を巻き添えにしないように。
 
正常なら、こう書くことを恥ずかしいと思うものです。良心を否定しているから書いてしまうのです。
 

だから、
余計なストレスを避けるには、
なるだけ良心に素直になるに限る。

 
良心の呵責が嫌な楽山が、良心の呵責をなくしたい楽山が、どうやって良心に素直になれるというのでしょう。
 
良心に素直になった楽山の文章を見たことはありません。いつも、良心を偽って、良心が気に入らず、良心を無視して、下心で企んで書いてきます。
 

でも
何を正しいとするかは
人によってちがうこともあって、
世の中で生きて行くには、
自分の良心より、
人に配慮し、
合わせる必要がある局面もあるし、
この辺りは本当にやっかいではある。

 
自分の良心より人に配慮・・というのは、極めて、おかしいです。良心があるから、人に配慮するのです。結局、良心というものを知らないから、こういうことを書いて馬脚をあらわしてしまうのです。そして、厄介だというのも変です。楽山は良心というものが分からないのだと思います。
 

この点から考えると、
なかなか難しいことではあるけど、
良心の呵責というストレスを避けるには、
正しさの基準が合わない人とは、
なるだけ距離をとるのが吉ではあるかもしれない。

 
良心の呵責というストレスだと考える心には、良心の呵責はなく、むしろ、良心を問うような批判や叱責が大嫌いということでしょう。これこそ、楽山のアドラー教の、基準が合わない場合、気に入らないから、距離を取る、つまり、無視する、ということになるのでしょう。
 
何という、ボンヤリ言語の、ほのめかし、刷り込み、言い換えの臭い詭弁であることか。
 
 
 
   マンネリ気味?
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41555050.html
   楽山のブログ記事
 
 

最近は、
何となしに、
ものすごく平凡で
だらだらな生活をしてる気がする。

 
共感できるものではありません。楽山は、毎回、記事の書き方を、一癖も二癖もある悪意で、企んでいます。平凡ではありません。これだけ、ボンヤリ言語で、ごまかし、刷り込んでくる執拗な悪意は、珍しいです。
 

その理由を考えてみるに、
あまりものを考えなくなったせいかも…。
何も考えず、
漫然と日々を過ごしてるから、
新発見もなく、
感動もなく、
だらだら生活になってるのかも。

 
良心がなければ、感動はないでしょう。だったら、なぜ、記事を書くのでしょう。
 
この場合、記事を書く動機としては、考えない自分を何とかしようという思って書くことではないでしょうか。
 
しかし、楽山は、漫然、感動もなく、だらだら生活、などと言って、そのままを書いて記事になったつもりでいるのです。言論の動機がないのです。策略として書いているからでしょう。
 

これはこれで、
幸せと言えば、言えるかもしれないけど、
でもやっぱり、
もう少しだけでも、
目を覚まし、ちゃんと考えることを心がけてみよう。
そしたら、もう少し気持ちにハリが出るに違いない。

 
白々しいのです。同情でも引こうというのか、そして、誰かが、間違って、慰めか励ましに来ることを期待しているのでしょう。客が来なければ騙せないからです。
 
全体として、だらだらしている自分を責める心が感じられません。だらだらして、何も考えないことを勧めるつもりでしょうか。だらだら、幸せ、考えることを心がける、セリフ一つ一つが、真剣味がなく、反省にならず、不都合を無視する楽山のボンヤリ言語です。
 
ずっと、このような調子で、ああでもない、こうでもない、でも、自分は普通、という雰囲気を出して、人が来るのを待っているのでしょう。
 
このペテンに乗ってはいけません。だらだら生きて、考えてみることがあるなら、とっくの昔に、それを書いて、誰かと話し合うはずですが、社交以外、何もしてこなかった楽山です。ものごとの是非というものを、だらだら風呂とでもいうような、ふやけたお湯に浸けているイメージです。
 
だらだらした筆致が、いっそう、気持ち悪いものになってきました。
 
 
(2019年06月25日)
 
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