ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

短絡と堕落

 
  短絡と堕落
 
   まっすぐにあなたの道を歩ませてください。(詩編5:9)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41557143.html
   楽山のブログ記事。2019/6/28(金) 午後 10:21
 
 
楽山は、平気で偽ることが出来ます。もはや、人間とさえ思えなくなりそうな今日の記事です。悪意のはかりごとだけで出来ている精神のように思われます。今日の記事に見合う言動が今まで一度もなかったのです。
 
それとも、批判をかわすためにキリスト教を認めるような記事を書いたのでしょうか。唐突な肯定など、狙いがあってのこととしか考えられないのが当然だと思いますが、楽山は、それも予測できないのでしょうか。
 

主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き
まっすぐにあなたの道を歩ませてください。
(詩編5:9)
これは
本当にその通りだ。

 
いちばん、まっすぐでない人が言っています。わざとでしょう。底意地の悪い人です。
大事なことには、一切答えず、こういう白々しいことを、平気で書いてくる人です。
 

人生の途上では、
ふとした出来心で
道を外れてみたくなったり、
立ち止まって怠けたくなったり、
引き返してみたくなるときがある。

 
子どもに説教でもしたいのか。道を外れて訂正不能と不感不応で怠けて、引き返すすべも捨ててしまった楽山であるのに。
 

はたまた
他の通行人との
やっかい事に巻き込まれることも有り得る。

 
ブログの訪問者という通行人にさえ嘘の信仰を語って、悪しきことを吹き込み、巻き込もうと企む楽山とシャロームです。
 

そんなことを考えると、
神様の道をまっすぐ歩かせてもらえるのは、
本当に幸せなことのように思う。

 
背筋が寒くなる。まっすぐ、ということを知らない楽山、道を求めたことがない楽山。いつからキリスト者になったというのか。大嘘吐き。
 
本当の幸せなど知らないし、知ろうともしない楽山というサディストは、素っ頓狂なことを書いて、さぞかし、驚き呆れるだろうと想像して、いじめの快感にふけるだけだと思います。
 
今まで書いてきたことを根拠として、悪意の皮だけのような人であり、真剣に何かを求めることはなく、ベースの怨念から、人を陥(おとしい)れて、自己満足に浸る楽山なのでしょう。
 

世の中には、いろいろな人がいるから
戦国武将の山中幸盛のように、
「我に七難八苦を与えたまえ」
と祈る人もいるかもしれないが、
自分はやっぱり、
神様の恵みを受けつつ、
神様の道をまっすぐ歩みたいし、
そんな風に祈りたいと思う。

 
キリスト者は、日々に感謝と告白と希望の祈りを捧げますが、
楽山は、そういう習慣も弁えも持ち合わせていないことは、今までの記事とコメントで明らかなのです。
突然、信仰告白?をしたところで、悪ふざけに過ぎず、そうなんですかと騙されたりはしないのだから、芝居はやめなさい。あなたに欠片ほどの信仰もないことが、かえってはっきり分かる数行だ。
 
楽山は、批判者を怒らせるために言っています。私は怒っています。
出会った人の中にも、聖書の中にも、
ここまで悪質な白々しい嘘を吐く者は、他にはシャロームくらいのものです。
さらに、悪質になっています。暴力的な偽信仰を吹いて多幸気分の楽山と言えるでしょう。
 
楽山には良心がないと思います。開き直りのような、このきれいごとによって、説得不能であることは、明らかです。今後は、記事の一つ一つを批判しますが、全面的に否定してゆくことになるでしょう。今までの経過から、楽山には、キリスト者の、敬虔、謙虚、謙遜、何一つ表れていません。
 
偽善者の典型です。神を恐れず、神を嘲笑い、人を恐れず、人を嘲笑い、背きと偽善ばかりを表してきたのに、悪意だけで、きれいごとを書ける人です。ふつうは出来ないことです。楽山は、普通ではありません。
 
一つ記事を書けば、その記事を否定するのは、今までの負の実績であり、記事一つ分の偽善の履歴を追加することになるだけです。シャロームも、そうでしたし、今もそうです。キリスト信仰からは、私が知る限り、神の御名をけがす最悪の部類の偽善者です。負の実績は積み重なってゆくでしょう。
 
今まで、私が、サイコパスと思い、そう言った相手は、シャロームと易坊ですが、楽山には、平気で嘘の芝居と嘘の発言をしたことで、罪悪感が皆無であることが明らかになってきました。楽山もサイコパスなんでしょうか。3者が一人の成りすましなのでしょうか。
 
神に対しては、正直な告白以外、いっさい、通用しない。
 
その正直さが、一度も表れたことのない楽山である。
 
キリスト者は、試練の時に、悲しみのうちに祈り、キリストの同伴を改めて知ることで、信仰の道を歩む人々です。楽山の、これまでの経過とは、正反対の人々です。
 
キリスト者なら、初期の段階で、批判のわけを聞き、控えるか、改めるのです。その話し合いが継続するのが信仰の人間関係なのです。それを、全くする気がなく、また、もとより、キリスト者ではないのですから、今日の発言は、破壊的な反キリストのしるしです。
 
恵みを受けつつ、神様の道をまっすぐ歩み、そんなふうに祈りたい、・・などと、ここまで、戒める神も、懲らしめる神も、恐れずに、美味しいことばかり言ってきて、ここでだけ、信仰を自分に当てはめるのは、ナルシシスト+虚言癖+罪悪感の欠如、のみならず、企みの悪意で生きている偽善者だと思います。ますます、シャローム、易坊との、成りすましの疑惑が深まります。
 
楽山は、聞いた私が震え上がるようなことを、今回、言っています。
 
楽山は、まさかとは思うが、教会にでも行って、持ち前の詭弁と、シャロームみたいに美味しい讃美言葉で、嘘の洗礼を受けて、キリスト者のふところに潜り込むつもりじゃないだろうな・・。
 
信仰告白というのは、それが希望であっても、真摯な思考と、罪の意識と、正直な告白をもってなされなければ、何の意味もありません。そのために、聖書を読むとか、教会に行くとか、牧師やキリスト者と交わるとか、準備段階の期間が、必ず、あるはずなのです。
 
そして、キリスト者になったから平安が固定されているかのようなシャロームの偽善信仰とは違って、キリスト者になっても、折に触れて悔い改めの祈りが必要であることを知り、感じ取り考えて学習し成長してゆく長い道を、キリストの同伴を信じながら、歩むのです。
 
突然、信仰を持っているかのような発言、という唐突な展開は、真面目な信仰者の生き方、つまり人生において、ありえないのです。楽山、ふざけたこととは、やめなさい。あなたは、神とキリストと聖霊と、世々の聖徒と、今のキリスト者を、またしても、けがしています。
 
 
(2019年07月01日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
https://st5402jp.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp (更新、コメント不可)
http://st5402jp.livedoor.blog/ (移行スピードは速かった)
 
 
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html