ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

不変の正当化

 
  不変の正当化
 
   気が付いたこと (神経過敏かも…)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41557563.html
   楽山のブログ記事。2019/6/30(日) 午前 11:39
 
 
今日の記事は、楽山のアドラー教の、批判を無視して不変であることが楽だし正しい、という危険な虚偽に満ちた詭弁と印象操作です。まあ、いつものことではあります。
 

ふと気が付いたのだが、
自分は最近、
変化に敏感になっているかもしれない。
何かが変わるとか、
何かが終わるとか、
その手のことには影響を受けやすくなってる。

 
楽山が、どれだけ批判して根拠を示しても不感不応でいられるのは、アドラー教の、気に入らないことは無視する、という習慣が不感不応の体質となって、鈍感になっているからだと思います。
 
楽山は、影響を全く受けない信条と体質が固定しているわけですから、人間の社会性からは、最も遠いところにいるのです。人が何を言っても、都合の良いことしか耳にも頭にも入らない精神構造を自分で作っているのです。影響を受けやすいというのは、嘘だと思います。
 

その手のことに直面すると、
心は、
穴の開いた風船のように、
しぼんでしまう。

 
楽山は、今までなかったような批判などに接すると、穴の開いた風船のようにではなく、穴の中にもぐりこんだように、無反応になるのです。でありながら、一連の記事のように、自分の言いたいことだけは、好きなだけ書いて読ませようとする執拗な自己中心の欲望が勝っているのでしょう。しぼんでしまうというのは、嘘だと思います。このように、楽山は、いたるところで、演技をしています。
 

若い頃は、変化は大好きだったし、
一切は過ぎ去って行きます
すべては移ろい行く
うたかた
諸行無常
という言葉、表現は、趣が感じられて好きだったが、

 
好きとかではなく、人間失格平家物語を引用するまでもなく、総ては、とどまることなく、移ろってゆくのです。でありながら、楽山は、自ら、アドラー教によって、自分で、変わりようのない、また、変化に対応しようのないあり方を固定してしまっているのです。今さら、何を言っているのでしょう。
 

年を取ったら、
それらはあまりにもリアルすぎて、
苦手になってきたようだ。

 
ここで、楽山は、変わりたくない願望を表しています。その産物が、心理学の名を利用した、訂正不能の自己絶対保身のカルト宗教、つまり、アドラー教なのです。年を取ったから・・ではないと思います。
 

*そういえば、
スタインベックの『怒りの葡萄』では、
環境の大変化には
お年寄りが一番に被害を受けてたのだった。
先の大震災については、
お年寄りが、環境の変化に適応できずに苦労してる
というニュースを見た記憶がある。

 
年を取ると、融通が利かなくなり、心も体も敏捷で亡くなり、環境の変化への適応が、若い人よりは難しくなることは、誰もが知っていることですが、そのことは、そういえばと言って、初めて思いましたみたいに、わざわざ話すことでしょうか。
 

親戚、知人のなかには、
因果関係ははっきりしないものの
家を新築したら、まもなく、
祖父母が認知症になったという話はいくつかある。

 
警戒してください。楽山のこういう話は、自分が、批判に対応せず、弁明も反論もできないか、しなかったことについて、年を取れば誰でもそうですよね、誰でもそうなるの当たり前じゃないですか、というネトウヨみたいな文脈を作って、無理はないと同意を得るための作為なのです。
 

こうしてみると、
ある程度、年を取ったら、
環境の変化はあまりよいことではないのかもしれないな。

 
祖父母の世代の老化の話から、ある程度、年を取ったら、という話への、すり替えを見逃さないでください。そして、環境の変化は良くないと、楽山は、自らの、不変から、不感不応、そして、不都合な意見の無視、自尊の保身、不動の精神に見せかけた精神固定までを、まとめて正当化するつもりのようです。どこまでも、成り立たない詭弁の、作為の罠であることを忘れてはいけません。
 
カルトの問題は、年寄りが環境の変化に弱い、などということで語れる問題ではありません。個別の話で全体を語る、全体の漠然とした話で個別を語る、この両方とも、印象操作と詭弁の常套手段です。そのために、楽山の筆致が、ボンヤリ言語になるのです。今までの「ていうか」「かな」という軟弱言葉も、楽山の軟派カルトの特徴なのでしょう。
 
 
 
  さみしかったこと(ブログの休止宣言)
  https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41557558.html
  楽山のブログ記事。2019/6/30(日) 午前 11:17
 
 
嘘と無視の履歴が積み重なっているところに、同情を買いたい芝居をちょいと入れてきても、決めつけではなく、過去から現在への人格の一貫性がないのだから、無駄なのです。
 

先日、
とあるクリスチャンブログを見たら、
休止宣言をしてた。
これには、
自分でも意外なほど、
さみしい心持ちになってしまった。

 
お仲間のことか、でなければ、嘘だと思います。完璧に近いほど、批判を無視できるのが楽山であり、その履歴と罪悪が積み重なっています。この楽山の、シャロームと同様の、不感不応で、平気でいられる心性に、さみしい、という気持ちはないだろうと思います。
 

このブログ主は、
自分とは意見がちがうところはあるけど、
自説を率直に語るところ、
他の人の面倒見はよく、
人柄もよさそうなところなど
いいところもたくさんあるので、
記事を読んでいておもしろかったんだけどね。

 
これも嘘臭いです。なぜなら、意見が違うところがある、率直に語る、面倒見はよく、人柄もよさそうな、いいところもたくさん、記事が面白い、ここまで盛り沢山に言えば、世辞か作り話だと分かるでしょう。楽山は、嘘臭い、ということを自ら感知できないようです。
 

でも、
ブログ主にもいろいろな事情もあるだろうし、
休止が必要と判断したのであれば仕方ないかな。
復活の時を期待して待つことにしよう。

 
そして、いつものボンヤリ言語らしい結論として、いろいろな事情、とだけ書いて、復活を待つことにしよう、ということにしています。この記事、相手への誠意を書いたつもりかもしれないが、私は、白々しくて、寒くなります。楽山は、決して、やさしい人ではないからです。
 
アドラー教の楽山、理路と人間性欠損のシャローム、荒らしの易坊、という3者には、一人による成りすましを疑っています。3者の共通点は、自己中心、訂正不能、自我執着、神と他者への傲慢不遜、誇大的自尊、それをごまかす丁寧語の優しさが寒気がするほど、芝居がかって、わざとらしい、などです。
 
 
(2019年07月08日)
 
 
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