ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

スタンダード

 
  スタンダード
 
   スタンダード
   https://blogs.yahoo.co.jp/nogatera/56491570.html
   政治ブログからの転載。+コメント欄
   私の意見は、コメント欄と、
   あとは(私)という始まりで挿入的に書いています。
   
   スタンダードという名の偶像?
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/29000356.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
    シャロームの転載記事。
 
 
興味深い記事です。
 
しかし、シャロームは、コメントを書いて、教育問題なのに、いつものように、ノアの洪水やバベルの塔まで持ち出して、誇大的な内容と理路の奔逸を噴き出しています。
 
>(前略)
>■教師たちを縛る「スタンダード」 >その1つの象徴的な例が、「◯◯スタンダード」なるものです。 >すべての先生の授業の方法を統一し、時に「めあて」を何色のチョークで書き、「まとめ」を何色のチョークで囲むか、といったことまで決める授業スタンダードや、子どもたちの持ち物を統一し、時に机のどこにどの筆記具を置くかといったことまで決める学習規律のスタンダードなど。
 
こと細かに決められていますね。
 
>かつてあれほど、日本の教育の画一主義が批判され、その反省から、多様性の尊重や個に応じた指導などが言われるようになったのに、いつしか多くの自治体や学校が、またぞろスタンダードという名の画一化に舵を切るようになっているのです。
 
画一主義と思考停止は、近縁関係にありますね、スタンダードは、建前 (言い訳・言い逃れ) になる。だから、思考停止の人には役に立つ。だが、感心してはいられない。
 
(私)
多様性は自分の妄想信条の正当化の、信仰は人それぞれ、だけを言い張って、キリストの愛も導きも感じることが出来ないのです。そして、実際は、無罪妄想を固定して、思考停止となり、それを、あまり表に出さずに、敬虔で熱心なキリスト者に成りすましているシャロームです。
 
(略)
 
> <小学校で見られるスタンダードの例> >【学習について】> 使うノートや、行頭から文字を何マス下げるかなどを、学年ごとに規定。 >それをすべての生徒で統一するように、教員にも指導する>【生活について】 >・登校から下校まで、学校において目指すべきふるまいを、文字やイラストで明示>・授業中の机の上に置く物の、置き方を統一する >【持ち物について】>・筆箱に入れる鉛筆の種類、本数、その他文房具の種類を、例えば「赤鉛筆1本、青鉛筆1本、定規は透明なもの1つ」などと決める> ・道具箱に入れるものについても同様に規定
 
これでは、自分で考えて行動する部分がなくなりますね。いつも他人の考えを気にしなくてはならなくなります。
 
(私)
そのうち、軍国主義が顔を出すんじゃないかと思う。
 
(略)
 
>実際、全国の教育学部のカリキュラムは、多くの場合、教科の内容の学習がメインになっています。>つまり学生たちは、「何を教えるか」は学んでいても、「どう教えるか」「子どもたちの学びをどうサポートするか」については、十分に学びきれていない現状があるのです。
 
教師の創意・工夫による教育が必要ですね。
 
>教育実習を含め、実地での経験も圧倒的に不足しています。>こうしたさまざまな問題のゆえに、今、学校現場において統一的なマニュアルが必要とされているその理屈や気持ちは、わたしもわからなくはありません。>スタンダードを全否定するつもりはありません。
 
そうでしょうね。
 
>あくまでも1つの参照枠としてなら、あってもいいかもしれません。
 
参照枠は、助かりますね。
 
>でも、教育学の多くの研究が明らかにしているのは、過度のマニュアル化、スタンダード化は、かえって教師の力、そして子どもたちの力を著しく奪ってしまうということです。
 
そうですね。教師・子供たちの力に枠をはめますね。
 
>■教師も子どもたちも「枠」に縛られている
 
日本人には意思がない。だから、能動の動きがない。受動の動きには、枠が必要となる。
 
意思は、未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。
 
>授業方法の行きすぎた統一は、教師の思考の自由を奪い、創意工夫を妨げることになるでしょう。
 
そうですね。悪い影響が出ますね。
 
>あまりに細かな「求める生徒像」は、子どもたちを過度に枠にはめてしまうことになるでしょう。
 
考えの内容は、一人一人違いますからね。過度の枠は良くないです。
 
(私)
シャロームの説教方針は、シャロームの妄想教理という枠になりますが、そのために、キリストの肉体の復活に、譲れないとまで言って、こだわっているようです。二千年前に何があったか、奇跡があったか、そういうことにこだわっても、心がふるえることはなく、今の救いには何の役にも立たず、ただ、不思議世界を信じているという虚栄に過ぎないのですが。
(私)
シャロームは、他者に向かって、やかましく言わないのです。はぐらかしや世辞でごまかします。結局、シャロームが、キリストも神も信じていないから、無関心だから、ではないかとも思います。自分を先生として高めることだけが目的のようです。だから、信仰についての発言は、誇大的神秘的になるのでしょう。そこまで行ってしまうのがシャロームのようです。
 
> 筆箱の中身から下敷きの色にいたるまで、時に箸の上げ下げにまで口出しをするようなスタンダードの徹底は、結局のところ、教師からも子どもたちからも、「自分で考える」力や機会を奪ってしまうことになるでしょう。
 
そうですね。個人の創意・工夫がありませんね。
 
>わたしの下には、スタンダードやそれに類するものに苦しんでいる、全国の多くの先生や子どもたちの声が毎日のように届いています。
 
自由とは、意思の自由のことですね。しかるに、日本人には、意思がない。だから、個人的な発想に困難がある。この困難を救済するためにスタンダードが作られているのでしょう。
 
(私)
シャロームの、社交の世辞以外、何も通じない姿勢は、はぐらかしや、ごまかしを通して、信仰者にも求道者にも、伝染しているようです。昨今の、いい言葉は、いい意味に受け取りましょう、というような教育か何かの刷り込みは、実に、問題意識を持てない、持とうとしない人間を作り出しているようです
 
> 教師にとっても子どもにとっても、成長のために必要なのは、言われたことを言われたとおりにさせられることではなく、自分の頭でしっかり考え、試行錯誤し、たっぷり失敗し、その失敗から学んでいく経験であるはずです。
 
そうですね。失敗から学ぶのですね。
 
(私)
シャロームは、失敗から学びません。失敗はないという信じ込みのようです。実際には、いっさいの失敗も失言も、無視します。にもかかわらず、真理は不変だから、とでも思っているのでしょうか、いつも分かってるという立場から物を言います。だから、あとに積み重なるのは、学習不能、訂正不能の、繰り言のたぐいにしかならず、ゆえに、恥と醜さだけが、積み重なってゆくのです。
 
> 管理監督、画一化、スタンダード化。>多くのリスクにさらされた学校現場で、行政や教師がそうしたものに頼りたくなる気持ちはよくわかります。
 
外部からの提案も必要ですね。自己の工夫も必要ですね。
 
>でもわたしたちは、本来、自由な思考やコミュニケーションや探究が保障されたところでこそ、本当に力強く成長することができるはずなのです。
 
そうですね。本人の自由が必要ですね。意思がなくては、意思の疎通も難しい。
 
(私)
シャロームの言う自由は、本当の自由ではありません。シャロームの言う自由は、自己正当化の身勝手に過ぎません。だから、ここは、シャロームにとって、全く場違いな発言場所なのです。しかし、シャロームが、あちこちに書くので、私も書くことになります。その時と所で、シャロームの場違いな勘違い~妄想に、注意警戒を呼びかけるためにです。
 
 
 コメント欄:
 
大宅壮一がかつてテレビが登場した時、
 一億総白痴化の始まりだと言ったようですが、それからテレビ、パソコン、スマホなどを進歩と錯覚し、日本のみならず、世界中が退歩し、総白痴化による混乱の深度を深めているということでしょう。だからスタンダードという人の手作りの自由も意志もない偶像をつくり、ひれ伏す道の行くつく先はノアの洪水か?バベルの塔の崩壊か?
しかし、確かな希望があります!
[ shalom ]
2019/7/10(水) 午前 11:28
 
転載させていただきました。ありがとうございます。
[ shalom ]
2019/7/10(水) 午前 11:29
 
(引用)
> shalomさん
>人の手作りの自由も意志もない偶像をつくり、ひれ伏す道の行くつく先はノアの洪水か?バベルの塔の崩壊か?<
(私)
シャロームの手作りの、自分は何でもかんでも自由という信条を持つ自身である偶像と、自由も意志もない他者への対応と、ひれ伏す道の行き着く先は、空約束と空疎な讃美言葉の洪水化、バレる本当の嘘信仰と理路のない思想の崩壊だろうと思います。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 4:11
 
(私)
シャロームには、執拗な妄想と、希望という名ばかりの虚偽があります。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 4:13
 
(私)
シャロームは、宿業的に、シャロームを斬るような本や記事に寄ってゆくのです。そして、斬られていることなど、全く気づかずに、日本や、歴史や、社会や、政治について、自分を悪の圏外に置いた一方的なボロクソ言葉を並べるのです。だから、シャロームブログの未承認コメントに書いたと思いますが、シャロームの、恥と醜さだけが、積み重なってゆくのです。神の導きでしょうか、裁きでしょうか、それは、誰も知りません。
st5402jp
2019/7/11(木) 午後 4:21
 
 
(2019年07月12日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
https://st5402jp.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp (更新、コメント不可)
http://st5402jp.livedoor.blog/ (移行スピードは速かった)
 
 
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html