ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

いい言葉?

 
  いい言葉?
 
 
「人は独りではない」という記事のサイトに書いたコメント2つ:
 
ひとは、ひとりではありません。たすけてくれる人がいます。しかし、世の中には、甘言ですり寄る、とても悪い人もいます。そういうのに、はまったら、判断は、甘くなり、偽善者と同じように、厳しいことを言っている批判者に、押しつけはよくないとか、教えたくなり、結果として、偽善者を庇(かば)ったりするようになるのです。
2019/7/9(火) 午後 3:35st5402jp返信する
 
今、世の中には、いい言葉は、いい意味で受け取りましょう、という、教育がなされているようです。しかし、うわべだけ、いい言葉を言うのは、詐欺師も同じです。つまり、詐欺師や悪い政治家に騙されないための、最低限の洞察と学習、これが、為されていないように思われてなりません。
2019/7/9(火) 午後 3:39st5402jp返信する
 
 
ですから、いい言葉を、そのまま、いい意味だけで受け取って、相手を受け入れる人は、相手が偽善者の場合、格好の餌食になります。
 
偽善者、ペテン師、カルト的宗教は、世の中にたくさんあります。特に、ネットでは、匿名ゆえに、好きなように書き、あるいは、成りすまして、闊歩(かっぽ)していると言ってもよいでしょう。
 
そのカルト的宗教信条の典型が、シャロームです。罪を認めず、悔い改めもしないのに、神、キリスト、どんでん返しの奇跡による救い、などといって、好き放題に、神の名をけがしながら、書いています。
 
シャロームが、コメントのレスに書く最初は、たいてい、挨拶と世辞です。それを、いい意味にだけ受け取ると、次に、謎をかけてきたり、自説を並べてきたりしますが、情けないほど、キリスト信仰に反していて、これで、よくキリストの名が使える者だ、という妄想的超常話です。
 
しかし、聖句を交えて讃美しまくりながら書かれると、そのまま、いい言葉だからと、いい意味に取りやすく、熱心な信仰とさえ思ってしまいやすいのです。
 
いい言葉と受け取ることに、分別を持たないと、よさそうな言葉で、熱心な信仰らしい、きっとお手本になる先生だということになって、既に、そのとき、カルトの手助けをしたことになるのです。
 
いい言葉は、表面が、よさそうな言葉に過ぎませんが、今日の教育や、社会の受け取り方も、同じような、いい言葉がそのまま受け取られやすい傾向があるようです。
 
いい言葉、つまり、よさそうな言葉、というのは、検証が必要です。まず、ベタな挨拶は、挨拶以上の評価はありません。それで、言説を受け容れる根拠にはなりません。
 
それと、付き合っているうちに、言ってることが、本当に、いい言葉に相応しいかどうかを、考えてほしいと思います。
 
総ての人がそう信じたらどうなるか、例えば、信仰は人それぞれ、というのは、聞こえはいいですが、信仰は好き勝手にやっていい、という意味で使って、批判を聞き入れないのが、シャロームです。
 
そして、シャロームは、真実の追求が出来ません。何故なら、既に真理を得ているつもりだからです。教える立場だけを持っていて、そこから、妄想教理を何度も垂れ流してきます。
 
犠牲者は、いつのまにか、刷り込まれて、同じような丁寧さで、いい人、ということを真似するようになるでしょう。シャロームのお仲間は、実に、他者のあしらいが、よく似ています。それで、易坊、楽山が、お仲間ですが、同一人物の3者への成りすましを疑っています。
 
上の2者は、証拠がないことをよいことに、シャロームの味方をするのですが、ネット上では、はっきりした物的証拠は、見つからないのです。だから、カルト、荒らし、成りすまし、など、偽善者が、法的な犯罪で罰せられることもなく、活動しやすい環境だということです。
 
いい言葉、つまり、よさそうな言葉、偽善者の言葉は、中身がありません。言ってることと、していることが、合ってないような気がするとき、また、ネットでも、尊大さが目立つときには、警戒するべきです。
 
シャロームなど偽善者は、自尊に凝り固まっているので、反省をしません。失敗や失言を認めません。指摘すると、当てつけや嫌がらせを返してきます。そうして、コメントを受け取らなくなるのです。
 
コメントを受け取らなくなっても、批判する意義というのは、本人を変えるのではなく、本人に近づき関わって犠牲となる人がなくなるように、偽善者の情報を敷衍(ふえん)して警鐘を鳴らすということです。
 
罪の自覚がないシャロームには、罪人としての自覚がありません。だから、シャロームは、いつも尊大に振る舞います。シャロームからの丁寧な挨拶などは、受け入れさせるための嘘であり、そして、他者を尊重する気持ちが皆無であることは、逆らえば平気でコメントを削除し、反省ではなく、侮辱をもって対してくることから明らかなのです。
 
シャロームが、優しそうな言葉と、勢いだけの偽りの讃美を専らとするのは、それら、丁寧語と聖書語が、質朴な信仰者と求道者を騙し操るのに有効だからです。そして、シャロームに取り込まれた者は、次には、シャロームの片棒を担いで、偽善カルトの歩兵、サポーター、弁護者となるのです。被害が加害を生むことが、最も悪質なカルトの災いであります。
 
自分で考えることをしないで、偽善者に頷(うなず)くことは盲従となり、偽善者への批判を無視することは無抵抗な奴隷となることです。いい言葉を、そのまま、いい意味に取るのは、無抵抗の騙され屋になることです。カルトにとって、それは垂涎の的であります。
 
シャロームのような、神の啓示と聖霊の導きと病気を治す奇跡によって守られていると信じて、自分に完全を当てはめている者は、自らの過ちや罪を認めないために、自己中心の思い込みが強く、何をしても、何を読んでも、どこへ行っても、曲解して帰ってきて、経験を、偏向した主観で伝えることになります。
 
さらに、真実追求の謙虚さがなく、挨拶や世辞を言って取り入ってきて、関わると抜けにくくなるので、健康のためにも、近づかないことが唯一の予防策です。
 
挨拶には挨拶を返して、世辞には世辞を返して、影響を受けなければいい、と思っていても、批判精神の弱いところでは、関わり、聞き、答える、ということ自体が、既に、印象操作を受けていることなので、その繰り返しは、刷り込まれてゆくことになります。人格は知らず知らずのうちに蝕まれるのです。
 
表面的に聞こえがいいだけの聖句や讃美言葉は、聖句を書いておけば文句言われることもないだろう・・というような動機で書かれている言葉は、神の言葉というより紙に書いた空約束のようなものです。そこに祈りがないからです。
 
いい言葉は、いい実質を伴い、また、意外性があり、受け取ったとき、心が弾みます。ことわざ、格言、そして聖句などを理解することがそうであるように、現実の中で生きてくるような、今まで気づかなかったことを教えてくれます。
 
ですから、同じことを新しい発見も説明もなしに繰り返すと、いい言葉ではなくなるのです。聖句も、新しい経験が重なることによって、新たに、いい言葉となるでしょう。
 
シャロームは、いかにも、ありがたそうに聖句を並べて、これでよかろうと、前後に、解説も書かないこともありますが、自己正当化のために、聖句を繰り返し並べてくるでしょう。こういうシャローム的な使い方は、聖句を醜い駄弁に変えて、けがしてしまうのです。
 
いい言葉を装う良さそうな偽善者の言葉は、現実の中で生きてくるものがありません。ゆえに、理解しようという方向に心を動かすことがありません。ただ、当たり障りがないだけですが、それだけではなく、無駄という障りに加えて、繰り返しによって、感受性を平板化する、という弊害を生むのです。
 
表面的に、かつ、偽善者の都合の良いように、聖句などは特に、意味を捻じ曲げられて語られることがあります。偽善者は心がなく、本当の理解をしていないからです。
 
よさそうに見えて、心を動かさない言葉は、先入観の固定観念に合致するので、悪くないと無意識に判断して、是としがちですが、めでたいものを、めでたいと言うだけなので、そこで終わってしまう言葉であり、社交と世辞以上の意味を持たない言葉なのです。
 
ですから、いい言葉は、いい意味に受け取りましょう、これは、社交の次元を一歩も出ることのない言葉だから、偽善者が、真実に見せかけるために、ツールとして使っているだけです。どうか、騙されないでください。
 
そういう見かけだけ、いい言葉を使う者は、世辞でなければ、戒律を語ります。そして、逆らうことを許さない偽善カルトは、大昔から今に至るまで、心の欠乏を学習で補おうともせずに、自己顕示欲を満たすことで代償してきたのです。それを、真に受けることは、まさに、悪貨は良貨を駆逐する、ということになるでしょう。
 
 
本当のいい言葉は、心がしんみりとしてきます。本当のいい言葉は、語った人と、聞いた人々の、浅くない悲しみの結晶です。そこに込められたものが、悲しみを克服するのです。
 
 
(2019年07月13日)
 
 
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