ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

個人カルトの惨状

 
  個人カルトの惨状
     以前の記事とダブっているところがあります。
 
 
キリストを信じる理由に、処女懐妊、モノや肉体の奇跡、肉体の復活がなくてはならない、と信じている信仰?は、まだ信仰ではない。いちばん大事なものに触れていないからだ。神の意志と行為を決めつけて奇跡で守られると信じ込んでいるのは、シャロームという偽善者と同じ所業である。
 
例えば、総ての人がシャロームの信条を信じたらどうなるかということを考えれば、シャロームの言説の矛盾と害毒から、明らかになることがあります。
 
例えば、信仰は人それぞれ、というのは、聞こえはいいですが、信仰は好き勝手にやっていい、という意味で使って、批判を聞き入れないのが、シャロームです。それを黙認すれば、キリスト教を名乗るカルトが、好きなように蔓延るでしょう。
 
どうなるかというと、シャロームの言説は、自己中心ですから、広まれば広まるほど、自己中心が際立ってきて、人間と人間は、なかなか一致しないものですから、キリスト教内部で、憎み合う経過と結果になるでしょう。それは、根深い怨念となり、いつの日か、閾値を超えて、暴力的な争いを生む必然があるのです。
 
シャロームは、真実の追求が出来ません。何故なら、既に、固定された真理を得ているつもりだからです。教える立場だけを持っていて、そこから、妄想教理を何度も垂れ流してきます。教える立場しか持ち得なくなって、学習と成長が出来なくなるのです。
 
シャロームに、いつのまにか刷り込まれてゆけば、シャロームと同じように、丁寧であれば、いい人、ということを真似するようになるでしょう。シャロームのお仲間は、実に、他者のあしらいが、よく似ています。それで、易坊、楽山が、お仲間ですが、同一人物の3者への成りすましを疑っています。
 
その2者は、証拠がないという理由で、シャロームの味方をするのです。裁判ではないのだから推定無罪が成立するわけではなく、証拠不十分は、どちらが正しいとも言えないはずなのに、シャロームの言い分を是として選ぶことが、既に、中立ではない偏向の証拠です。
 
証拠はないというより、私が引用して書いた私のブログ記事であるということ、そして、記事数が多いので見つけるのに時間がかかるということ、そして、それを提示したところで、シャロームとそのお味方は、捏造(ねつぞう)でないという証拠を求めてくるだろうから、シャロームは都合の悪い記事もコメントも削除している現状では、それは無理なので、無駄に疲労することが予想されるからです。
 
ネットでは、どちらが正しいとも、はっきりした物的証拠は、見つからないことが多いのです。そういうわけで、カルト、荒らし、成りすまし、など、偽善者が、法的な犯罪に至らずに、活動しやすい環境だということです。
 
いい言葉、よさそうな言葉、といっても、ここでは、よさそうに見せかける言葉ですから、偽善者の言う言葉であり、中身がありません。言動が合ってないような気がするとき、ネットでの、いい行いが伴っていないときには、警戒するべきです。
 
シャロームなど偽善者は、自尊に凝り固まっているので、反省をしません。失敗や失言を認めません。指摘すると、当てつけや嫌がらせを返してきます。そうして、コメントを受け取らなくなるのです。その結果、コメント削除、コメント欄閉鎖、今は、コメント未承認のまま放置です。都合の良いコメントだけを載せて、和気あいあい感を偽装しています。
 
シャロームなどの偽善者は、神が与えた良心、つまり、良きものであるところの、思慮分別、人間的共感性、温もりと潤いという暖かい感性、など、人間らしいものを、妄想教理のために捨ててしまったので、聖書の言葉から神の導きに、人が、推測を承知で、反応して進む信仰の道だということを、つまり、一気に悟りに至って固定する境地ではないことを、理解できません。そして、訂正不能固定観念は、新しい言葉を得ても、自分の言説に合うように使うため、この8年間、少しも何も変わらないのです。
 
ゆえに、正常な人が感じて考えていることを、自分で無理やり捏造するしかなくなり、自然の良心と、作為の捏造の違いとして、奇怪にズレて外れて芝居がかった和みと世辞と豪語に頼るしかなくなっているのです。
 
人生に悲しい出来事が起こると、深刻に受け取らざるを得ないときには、悲しいから死ぬか、悲しいけど生きるか、という選択になります。心に温もりも潤いもないものは、怒り恨んで人のせいにするのでしょう。
 
 (創世記、口語訳)4:5
しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
 (創世記4:5、旧約聖書
 
それらの偽善の醜さは、積み重ねられている途中であり、ますます、むごたらしい惨状を呈してくるでしょう。罪が門口に待ち伏せているからです。(創世記4:7)
 
 (創世記、口語訳)4:7
正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
 (創世記4:7、旧約聖書
 
 
人間が生きるためには、最低限の衣食住が必要ですが、それが何とかなっても、生きられるとは限りません。人間は、物質でもないし、理屈でもないし、統計の数でもないから、何かを宛がわれて、元気になるわけではありません。人間だからです。
 
人間が生きるために必要なのは、好ましい関係です。それが残っているあいだは生きることを選べるでしょう。人間関係がないと感じて、絶対孤独に陥ると、必ず希死念慮は起こってきます。信仰は、人に見離されて、どんなに孤独でも、最後の砦として、キリストがおられることを告げています。
 
私にとって、好ましい人間関係は、私の至らなさで、殆どなくなったのですが、私が、生きてみようと思い、今日一日のパンがあれば今日一日生きる、という気持ちで、生きているのは、キリストとの"人間関係"という希望からだと思っています。
 
そうです。信仰、すなわち、神聖との関係は、人間の側から分かるのは、あくまでも、人間としての関係です。だから、人間に生きる力を与えうるのです。
 
神聖との関係などと思い始めると、聖書の謎解きに走ったり、何ごとがあっても自分に都合の良いほうに恵みが与えられるんだと、気合いで、ありがたがったりするような、信じ込む信仰?になります。それは、本当の信仰ではなく、カルトと同じ信じ方の形式をベースとする間違った信仰です。
 
カルトと同じベースの信仰?は、悟り顔の、わざとらしい薄笑いや、いつのまにか、他人より自分は高いと潜在的に思い込んでしまうような、自尊や有頂天の陶酔になることはあっても、生きる力になるような、いかなる温もりも潤いも、みずみずしい気づきもないのです。何故なら、私たちが、人間だからです。人間としての弱さや罪深さで反応できることだけが人間を救うのです。
 
人間の弱さと罪深さに寄り添って同伴してくれるのがキリスト、ということになりますが、そこにおいて、私たちを飾りのない一人の人間として、二千年前に愛してくださった言行録が伝えられているのが、キリストだから、ということです。
 
キリスト者(クリスチャン)というのは、キリスト・イエスに、情緒的にも、理性的にも、囚われているがゆえに、その絆(きずな)によって、自らを尊大とは成り得ない罪人として、キリストの同伴と罪の赦しと癒しと導きを願いながら、正直な祈りとともに、生きてゆく人間に他なりません。
 
決して、一気に悟って、揺るがないのではなく、折々に反省し悔い改めて告白し、学習し修正し成長して行く生き方がキリスト信仰であります。揺るがないと言うのは、固定ではなく、忍耐力のことです。
 
キリスト者において、キリストの御名によって祈ることこそが、キリストの同伴であり、あらゆる現実から見放されても、決して超常魔術のような一方的な理解不能の力頼みに逃げるのではなく、より人間的な温度と湿度の活性に生きるのが、キリスト信仰です。
 
カルト的超常の豪語に惑わされないようにしてください。彼らは、人間でいるのが嫌で嫌でたまらなくて、超常の欲望を自らに当てはめるほうに短絡して、自己満悦しているに過ぎません。
 
彼らは、人間離れと現実離れになりたがって、妄想世界に生きているので、だんだん、実際に人間らしさを失って、人を下に見るようになり、能力がないのに、信じ込んでしまったために、自身の過大な確信による、むしろ、自らの無能と、超常の全能意識の間で、自らを破壊する道を選んでいる者たちであります。どうか近づかないでください。
 
超常からの救いは、神聖の専権事項です。神に任せるしかないことです。人間が、ああだこうだと、話して辻褄を合わせたり、信じ込んだりできることではありません。信仰の目覚めには、このことに気づくことが必ず含まれると思っています。どうか人間らしい人間の信仰者であり続けてください。
 
 
(2019年07月17日)
 
 
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