ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神義

 
  神義
 
   神義論って難しい…。
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41562913.html
   楽山のブログ記事。2019/7/20(土) 午前 8:00
   コメントの順序が前後しているところがあります。
 
 

 詩編について調べていたら、次の文章を見つけた。
・「何故この世の悪があるのか」、神義論と呼ばれる問題だ。哲学者のヒュームは次のように述べたという
-ヒューム「神は悪を阻止しようとする意思は持っているが、できないのだろうか。それならば、神は能力に欠けることになる。それとも、神は悪を阻止することができるが、そうしようとしないのだろうか。それならば、神は悪意があることになる。悪を阻止する能力もあり、その意思もあるのだろうか。でも、それならはなぜ悪が存在するのだ」。
・2009年7月29日祈祷会(詩篇10編、神の沈黙の中で)

 
(私)
神の行為を決めつけることは、人には出来ないはずです。その節操がない者は、そのことをもって、神を信じない自分を正当化してきます。信仰は自由ですから、神を信じないことも自由なのですが、それを正当化することは、神の前に自分は正しいとすることです。自尊が、背伸びすると、楽山やシャロームのようになります。
 

この辺りの矛盾は、ほんと、どうなってるんだろうと思う。
神は善であり、全能であるという信仰から考えると、どうしたって、この世に悪があるという現実との間に矛盾が生じる。この矛盾は、上にある通り、なかなかの難物であって解消しがたい。

 
(私)
神は善であり全能なのだから、悪はあってはならないというのは、先入観からの決めつけです。それ以上の視野を持てない楽山ならでは、ということでしょう。
(私)
神は善だが、人は悪も善もいるし、人の中には両方住んでいる、という常識を知らないようです。宗教を恣意的に扱うもの、楽山やシャロームは、とても幼稚な考えで、話をしたつもりになります。
 

でも、視点をコロッと変えて、この世に悪があるという現実から考えると、神は善であり、全能であるというのは信仰ではあっても、事実ではないんだろうということで、けっこう簡単に一件落着となる。

 
(私)
信仰は、そのような現実離れしたところには、ありません。現実の中で生きるためにあります。
したがって、現実から遊離した信仰?は、信仰ではないのです。
(私)
楽山は、どこまで、知らないくせに分かっているふうを装うのでしょう。
また、分かっていないシャロームは、めでたい讃美の唾を飛ばすだけなのです。
汚い詭弁家のシャロームと楽山は、信仰について語る資格がないのです。
この二人は、陰気な暗闇で策をめぐらすだけなので、公正さを考えないのです。
これだけ言っても、彼らが分かることはないでしょう。
(私)
不快なことは無視するカルトのアドラー教に楽山が、
決めつけた妄想の神?しか知らないシャロームに味方していると
こういう話にしかならないでしょうから。
 

もっともこれについては、「善悪は人がそのように評価しているだけであって、現実には善も悪もない」という意見もあるかもしれないが、仮にその通りだとすれば、ますます「神は善である」ということは事実でないことになりそうではある。

 
(私)
現実に被害者がいて、二人は被害者を出し続ける生業であるのに、
楽山の刷り込みは、善も悪もないことを、想定できるのでしょうか。
恐ろしく質の悪い言説をもって、信仰を否定しています。
 

こうしてみると、神、霊、死後の生などなど、信仰上の問題は、信仰の中で議論しているだけではなかなか解決できないけれども、現実を認めれば案外、簡単に決着がつくことは少なくなさそうな気がしてくる。
最近は、人々の宗教離れが話題になることがあるけど、こういったこともその一因になっているのかも…。

 
(私)
神、霊、死後の生などは、信仰上の問題であっても、人の手に負えることではないのです。
人、心、生前の生こそ、信仰上の問題であって、人が考えるべきことです。
(私)
楽山やシャロームの話を真に受けないでください。
この二人は、何も分かってはいません。
また分かろうとしないで、揶揄だけしてくる成長のない者たちです。
 

楽山さん
「神義論って難しい」
それはそうでしょう。
神は「ありてあるもの」人は「ありてなきもの」
神は永遠不変の自存者。人は有限で、死すべき依存者。
人は限りある、相対的な知性、理性的存在なのでですから。
2019/7/20(土) 午前 9:35 [ shalom ] 返信する

 
(私)
シャロームは、人は相対的、ということから他者を馬鹿にして、
自分については、神の啓示、聖霊を根拠に、豪語する傲慢なだけのペテン師です。
シャロームは、神を恐れていません。自分で飼っている偶像への崇拝です。
(私)
これは、凶悪な詭弁であり、聖書をけがすものです。
神義は、神の正しさの意味ですが、自分の都合の良いものを義とすることが多いのが人間です。
神義論などというものが、人の手に負えるわけはありません。
むしろ、神義は、絶対的な正しさを、人が恐れるためにあると言ってもよいのです。
恐れを知らない者は、楽山やシャロームのように、神について結論を下すのです。
 

そう、、
 神様のことを考えると、
 結局さいごは
「分からない」ということになるみたいですね。
2019/7/20(土) 午後 0:08 [ 楽山 (自由) ] 返信する

 
(私)
分からないならば、神について、自分に当てはめることを、やめるべきですが、
シャロームは、お構いなしに、悔い改めは神が与える、などといって、自分が悔い改めないことを正当化して、神の意志と行為を、自分の快楽のために、自分の欲望のために、決めつけてしまうのです。
(私)
私は、楽山とも、シャロームとも、議論めいたことをすれば、必ず、彼らは、いたずらに、ポイントを理解できず、話を食い散らかして、自分の言いたいことだけを、押してきて、疲労物質としての機能しか持たないために、直接の遣り取りは避けています。
(私)
この二人と真剣に話し合おうなんって思わないでください。彼ら、または、成りすましの彼は、サディストであり、相手よりも優位に立つことだけを狙っています。精神衛生上、極めて危険です。誰も相手にしなくなることを、願って止みません。
 

おはようございます。
私はこの世全体が悪であるとは思いません。
むしろ人間が居る所だけ、しかも人間の自己愛がある所だけに悪があると思います。
それ故、悪は人間が持つ自由意志の誤用が原因だと思います。
しかし、人間が自由意志を正しく用いれば善を現すことも出来ると思います。
人間から自由意志を取り上げれば悪は無くなりますが、同時に、善を現すことも出来なくなり創造の目的が崩壊します。
2019/7/21(日) 午前 6:24[ インターネット新教会 ]返信する

 

おはようございます。
 自分の身の回りの出来事などを念頭においた場合は、ご意見は理解できるように思います。でも大きな事件などを思うと、やはり疑問を感じずにはいられなくなるのが辛いところです。これほどの犠牲を払ってでも、達成しなければならない目的とは一体何なのだろうとか。
2019/7/21(日) 午前 8:12[ 楽山 (自由) ]返信する

 

> 楽山 (自由)さん おはようございます
「そう、、神は分からない」
同感です・・・が、私は信じています!
その神は三位一体だといわれています。
三位一体聖書全体をよく読むとそうであることがわかります。

 
(私)
シャロームは何も分かっていない偽善者です。三位一体も理解せず、後にあるように口から出まかせを言っているだけです。何も説明できない人です。なのに、何でもわかっているように見せかけます。
2019/7/21(日) 午後 0:43st5402jp返信する
 

でも三位一体なんておかしい、理解できない…わからない、信じられません。それは神義も同じく三位一体なのです。
神の義も神と同じく三位一体だからです。
神の聖と愛と義と三位一体なのです。

 
(私)
このように、シャロームは、言い張りの果てに、滅裂になるだけなのです。これは共感ではありません。ただの滅裂です。
2019/7/21(日) 午後 0:47st5402jp返信する
 

このことも限りある、相対的な人間の知性、理性、経験によって理解できませんから、理解できず、分からなくなるのです。
ですよね。人間の限りある、相対的な理性や知性、経験を超えていますのでわからないのは当たり前です。
それでは信じるなんておかしいことではないですかとなります。
ですからパウロアテネで話した言葉を聞いた人である人はあざ笑い、ある人パウロの同じ言葉を聞いて信じたのです。
不思議ですね。
2019/7/21(日) 午後 0:15[ shalom ]返信する

 
(私)
分かっていないから不思議で終わらせます。
2019/7/21(日) 午後 0:47st5402jp返信する
 
(私)
> インターネット新教会さん
「人間が自由意志を正しく用いれば善を現すことも出来る」
人間が自由意志を正しく用いる・・ことが出来ない、という自覚が、信仰の始まりだと思います。
自由意志、即ち、神が与えたものの中には、罪性だけでなく、良心という優れたものがあり、それによって、人間は、神の言葉に反応して、信仰に導かれるのだろうと思います。
シャロームと楽山は、その良心を無にしている偽善者です。だから、答えることが出来ていません。
2019/7/21(日) 午後 0:30st5402jp返信する
 
(私)
「これほどの犠牲を払ってでも、達成しなければならない目的とは一体何なのだろうとか」
このように、楽山は、歴史と社会の悲劇をあげて、答えられないことをもって、神を否定したいだけのです。神に希望を置いていない者たち、楽山と偽キリスト者シャロームは、実に気楽に神を否定したり、実に安易に神を讃美しまくるのです。私としては、この疑問を考えるたびに、救いは地上だけのものではないのだろう、という想いをいだきます。
2019/7/21(日) 午後 0:36st5402jp返信する
 
(シャローム
信じた人にも、信じなかった人にもパウロの言葉は同じなのに。
 同じ日本人なのに、同じ聖書の言葉を聞いて、今も、
ある人は信じ、ある人はあざけり、信じないのです。
それは世界中どこに行っても同じことが昔も今も起こっています。
この違いの理由はなにか、どこにあるのでしょうか?
それについても聖書に書かれています。
やはり聖書全体を読むとわかるのですが、どんなに鋭利な知性や理性、豊富な経験という鋭利なメスを使って分析しても、わからず、信じられないことでもあります。
はぁ?それも不思議、不可解なことですね。
ですから聖書で証しされている神は「その名は不思議」と書かれているのです。
この謎を解ける人は一人もいないのです。
神のみができることのです。
2019/7/21(日) 午後 0:26[ shalom ]返信する
 
(私)
「この謎を解ける人は一人もいないのです。神のみができることのです。」
しかし、シャロームは、わかっている、というスタンスでしか語ってこなかったのです。神のみができる、白々しい発言です。神の啓示と聖霊の導きを根拠として、議論の対象にならないと、自らの正当性を語ったのは、シャロームその人であります。
分からないならば、「その名は不思議」は、人の主張になりません。シャロームは、この言葉をブログのタイトルにして、人を惑わしてきた偽伝道者です。自分信仰の権化なのです。
2019/7/21(日) 午後 1:07st5402jp返信する
 
(シャローム
ですから聖書には、それは誰も信仰を誇ることがないため、
誇るものは神を誇れと聖書には書いてあります。
伝道は人が自分の信仰を誇るためにではなく、神を誇ることなのです。それは人が礼拝者として神の命の息吹を吹き込まれ生かされ、愛されているからなのです。
ですから、信仰についての必要不可欠なことがらは
きっと神の言葉である聖書には書かれているのだと思います。
そのことも聖書にかかれています。
2019/7/21(日) 午後 0:27[ shalom ]返信する
 
(私)
白々しくも、シャロームは、人の言うことを聞かず、理解も出来ず、自分の信仰を誇ってきたのです。
「神の命の息吹を吹き込まれ生かされ、愛されているからなのです。」
神に愛されていることを知る物は、神の前に嘘は吐きません。しかし、シャロームは、数えきれないほどの嘘を吐いてきました。しかも罪悪感を感じない人です。
私のコメントを削除するなど、聖書に書かれていることを、一言でも受け取っていたら、こうはならないという堕落を、まるで悪い見本のようにあらわしてきたのが、シャロームなのです。
2019/7/21(日) 午後 1:13st5402jp返信する
 
敬虔の本質がここにあります。
人間に正しさが分かるような神ならば、それは神ではないのです。
人間には、神の正しさは分かりません。人間は、人間の限られた正しさを求めるのみです。
ゆえに、赦しの祈りが必要になります。私たち信仰者は、判断し実行し、結果によって叩かれ、祈り、悔い改めて、学習し成長します。
 
神様は、私たちが、正しくないところを、既にご存知です。
ゆえに、正直に祈ることによる信仰の道を用意してくださったのだろうと思います。
 
 
(2019年07月21日、同日一部修正)

(2019年10月15日、一部修正)
 
 
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