ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神義(4)

 
  神義(4)
 
   神義論って難しい…。
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41562913.html
   楽山のブログ記事+コメント欄。
 
 
(コメント欄)
 
>stさん
>すべてよし、というのは、天と地と、人間以外の万象の創造について、言われたことではないか。
創世記第一章では、27で人を創造し、そのあと31で、創造したものをすべて御覧になってよしとされたようです。
2019/7/22(月) 午後 7:43[ 楽山 (自由) ]返信する
 
>shalomさん
エデンの園でへびの姿として描かれているサタンがアダムとエバをだます言葉のやりとりを注意深く読んでみてください。
アダムとエバは善悪を知る前とすると、二人は善でも悪でもない状態だったんでしょうかね。
 善でも悪でもない状態では、善因善果、悪因悪果ではかることはできないかも。
 何か余計こんがらがってきました。時期がくれば、何らかのひらめきがあるだろうと期待して、とりあえずこの問題は保留しときます。
2019/7/22(月) 午後 7:49[ 楽山 (自由) ]返信する
 
ちょっと思ったけど、善でも悪でもない状態は、これぞまさしく自由な状態かもしれないですね。
もしそうなら、インターネット新教会さんが7/21に書いておられたことと通ずるものがあるような気もします。
2019/7/22(月) 午後 7:56[ 楽山 (自由) ]返信する
 
>shalomさん
>自由さんは星の王子様よみましたか?
 乗っていた飛行機が墜落したところから星の王子様の物語は始まっていましたね。まだ乗っている飛行機が墜落していない限り、星の王子様の世界はだれにも見えてこないのかもしれません。
 星の王子様は、読もう読もうと思いつつ、まだ読んでない本の中の一冊です。
 極限状態、限界状況にならなければ見えてこないものはあるだろうけど、できればそれを経験せずに、見るべきものが見えてほしいものではあります。まあこれは虫が良すぎる考え方だろうけど。
2019/7/22(月) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]返信する
 
以下、コメント引用と私のコメント:
 

創世記第一章では、27で人を創造し、そのあと31で、創造したものをすべて御覧になってよしとされたようです。

 
(私)
そことアダムとエバの話の原典が、1章のの創造の話の?文書とかいう原典と違うという話もあったような気がしますが、そこから、人間も良かった、という結論しか出てこないことを批判しているのです。ここは、何らかの疑問をいだくのが、正常な反応です。
2019/7/22(月) 午後 9:45 st5402jp 返信する
 
(私)
創世記の中でも、あとの話と、文脈が前後していますし、あとの、アダムとエバの愛憎の豊かな生き生きとした人間物語とは、明らかに筆致が違います。
(私)
そして、人間だけが神に逆らうことに、いちばん逆らっているシャロームが、アダムとエバのせいにしてボロクソに言う資格はないし、解釈がおかしいと言っているわけです。言葉だけにこだわり、書いてある、書いてある、と言い張る教条主義というのは、その辺が、心のない判断しかできないことを表しているのです。
2019/7/22(月) 午後 9:46 st5402jp 返信する
 

アダムとエバは善悪を知る前とすると、二人は善でも悪でもない状態だったんでしょうかね。
善でも悪でもない状態では、善因善果、悪因悪果ではかることはできないかも。
何か余計こんがらがってきました。時期がくれば、何らかのひらめきがあるだろうと期待して、とりあえずこの問題は保留しときます。

 
(私)
善と悪という言葉で分けて、単純な理屈で理解しようとするのが、教条主義です。それに、神と聖霊のお墨付きを勝手に付けてしまうのが、シャロームです。自分の理屈で、神を分析しようとするのが、そもそも間違いであり、通念的な考え方を神聖に当てはめることは出来ません。言葉を受け取り、心を受け取らないから、言葉だけにこだわるのです。心のない人に言っても無駄でしょうけど。
2019/7/22(月) 午後 9:46 st5402jp 返信する
 
>善でも悪でもない状態は、これぞまさしく自由な状態かもしれないですね<
 
(私)
どこがでしょう。その前に、人間という存在に、善でも悪でもない状態を当てはめて、理路に出来ると思っていることが、実に、人間離れなのです。人間が生きるということは、善悪の問題から離れることは出来ません。
(私)
だから、心がないと言っています。直感的に、直観的に、おかしいと判断できないのでしょう。直感的に見るだけで、シャロームの言うことは、もはや、人間の言葉ではないということが分からないのです。人間ならば・・がないと、そうなります。
2019/7/22(月) 午後 9:48 st5402jp 返信する
(私)
あとのほうのアダムとエバの話には、原罪の話だから、すべてよし、は出てこないと思いますが、天地創造の話が2回出ていることになるわけです。前者がP文書(祭司だったか)、後者がJ文書だったかE文書だったか、はっきり覚えていませんが、つまり、よしとすることの意味付けも、異なっている可能性があります。それを前提に私は言っています。
(私)
アダムとエバの話を、シャロームは、あいつらのせいで、という書き方でボロクソに言って、自分は違うと言いたいようですが、この話は、人間の本質的原罪性と、神の愛が、それで終わらないことを伝えています。シャロームと楽山には、こういうのは分からないのでしょうか、勉強する気もなく決めつけているのは。
 
文書仮説について:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8%E4%BB%AE%E8%AA%AC
ウィキペディア
 
(私)
かたい締まった書き方の1章のがP文書「祭司記者資料」~2章4節の前半まで。
物語風のアダムとエバの話がJ文書「ヤハウィスト資料」2章4節後半~3章だそうです。
明らかに筆致が違います。著者を通じて何らかの神の意図が隠されているのかもしれません。
決めつけるわけではなく、疑問があり、解釈があるのだから、それを学ぶべきであります。
少なくとも、シャロームの妄想解釈よりは、すっきりしています。
(私)
創造の記事2つというのは、暫定的にも、何らかの解釈をしないと理解できないところです。
シャロームは、疑問を感じることが出来ず、調べもせずに、
幼稚に短絡して、アダムとエバを悪者にしています。
アダムとエバは、神を恐れたので、
神は、罪を犯したアダムとエバを見捨てませんでした。
(私)
シャロームは、アダムよりもエバよりも罪は重いのです。
シャロームの最も罪の赦されざる点は、神を恐れないことです。
にもかかわらず、伝道者気取りで、執拗に、説教してくることです。
その表れが、罪を認めず、悔い改めないことです。
 
 
(2019年07月23日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
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