ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

空体語の交流(2)

 
  空体語の交流(2)
 
   気持ち
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41563997.html#41564746
   楽山のブログ、コメント欄。
   私のコメントは、削除されるでしょうから、おもに記事用です。
 
 
(楽山)
> shalomさん
十字架のアクセサリーについてのお話、ありがとうございます。
shalomさんは、おおらかな考えをお持ちのようですね。
ちょっと思ったけど、
 『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』にあっても不思議でない考え方かも。
2019/7/27(土) 午後 7:45[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
> stさん
申し訳ないですけど、
 今後は、もう少しだけでも連投は気をつけてもらえればと思います。
よろしくお願いします。
2019/7/27(土) 午後 7:46[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山は、続けて書くなと言っているようです。批判をするなと、批判されている側が、
「もう少しだけでも連投は気をつけてもらえればと思います」
と言えると思って、書いてくる丁寧語が、あざとい。柔和面をする楽山は、卑怯者、そしてカルトという判断ですから、批判を続けます。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん おはようございます
『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』
初めて知りました。
上馬と言えば東京、世田谷ですが、
高卒後、東京に出て、近くの池尻にほんの短い間住んでいました。そして大卒後は、また池尻に本社のある会社に入社し、大阪、京都で仕事しましたが、ちょっと懐かしいですね。
 『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』
 聖書通信講座でもしているのでしょうか。
 検索してみましょう。
2019/7/28(日) 午前 8:44[ shalom ]返信する
(シャローム
だれでもイエスさまについて、人ぞれぞれの立場や、心のフィルターをとおして自分のイエスさまについての考え方をもっているのです。エス様に選ばれ、イエス様と一緒に歩んだ弟子たちでさえそうでした。みんな自分の心のフィルターを通して見えるようにイエスさまに期待しているように信じましたが、イエスさまの死によって、みんな吹っ飛んでしまいました。それが悔い改めの意味のようです。
エス様へのひとつの信仰の一致はそこから、イエスさまによって与えられたのですね。
ペテロが初めてイエスさまに対する信仰告白をした時、イエスさまが約束された「私は私の教会を私が建てる」と言われた
言葉が成就したのです。その時、イエスさまによって弟子たちの目と心が星の王子様の言葉の世界が啓かれたのですね。
shalom!
2019/7/28(日) 午前 8:47[ shalom ]返信する
 
(私)
キリストを理解していないばかりか、反キリストであり、フィルターどころか、自己中心の欲望の色眼鏡で見ているのは、シャロームであります。
キリストが死んで、期待が吹っ飛んだことが、悔い改めの意味だと言っています。それだけなら、絶望しか残らないでしょう。それ以外の大事なものをキリストは残していたということです。だから、弟子たちは、キリストを忘れられなかったのです。シャロームは、キリスト者ではないから、それが、全く、わからないのです。
(私)
シャロームは、今も、罪を認めず悔い改めなくても、いい気持でいられる欲望の成就を、信仰だと決めつけています。そして、文脈もなく、星の王子様まで持ち出します。プラスになると思えば、実に、気楽に、何でも出してくるのは、カルトの特徴です。早く、凶悪なカルト、シャロームも吹っ飛んでほしいと思います。
 
(楽山)
ツイーターで呟いたものを本にまとめたと記憶してますけど、本の文体は、こんな感じですね。
 前に読んだ時は、本書は分かりやすさ、親しみやすさ、きっかけづくりを目的としてる事を繰り返し強調してたのが印象的でした。
・【 上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門】お腹の空いたイエス様は怖い
https://cakes.mu/posts/23238
2019/7/28(日) 午前 9:12[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
ツイッターでは、聖書関連の最近の呟きは、こんな風ですね。
>【聖書ウラ話】
使徒といえば清廉潔白な人だったようなイメージがありますが、使徒のうち大ヤコブは弟ヨハネと共に「雷の子」と呼ばれるほど怒りん坊で、ある街がイエス様を歓迎しなかった時「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐き、イエス様に怒られました。
https://twitter.com/kamiumach/status/1154962818803699713
2019/7/28(日) 午前 9:13[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
キリストが弟子に選んだ人々は、理屈屋でも、頭が良かったわけでもなく、それぞれの役割に相応しい者たちだったのだろうと思います。特に、感情が豊かだったように思います。
(私)
ペテロは、一面的で、思い込みが強かったかもしれませんが、悔い改めも激しく、キリストへの愛も強力だったのでしょう。そして殉教することになります。
(私)
のちに選ばれるパウロは、理路に優れ、頭の良い人のように感じます。それが、伝道に役に立つという経過と結果だったのだろうと思います。
(私)
楽山のように、清廉潔白などという世辞言葉で括ってしまうのは、無礼というものです。
ボンヤリ言語の楽山や、嘘吐きのシャロームとは、全然、違うのです。
(私)
楽山は、チクチクと、キリストと聖書をおとしめてきます。楽山が、キリスト教について話をすることは、全く信頼できず、魂胆がある証拠です。
(私)
では、何と答えたらいいのでしょう。分からない、と正直に言えばよいのです。
何でも分かるはずだと要求する者どもを気にすることは、信仰を妨げます。
その結果が、例えば、シャロームです。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん こんにちは
「お腹の空いたイエス様は怖い」
自分がお腹がすいていたからって、イチジクが
季節外れなのに食べられる実を結んでいなったと言って腹を立てて、呪ってからしてしまうなんて理不尽、いくら神は何でもできるからってそれは理不尽でしょうということのようですね。
ほんとうにまるで近年多い幼児、子供虐待する親のようでこわいですね。
よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)
こういうところが聖書の隠し味のようです。
2019/7/28(日) 午前 11:42[ shalom ]返信する
 
(私)
シャロームは、キリストを理不尽、虐待する親のようで怖い、などと言っています。解釈が間違っていることを考えずに、こんなことを言うのは、信じていない証拠です。
(私)
このように、シャロームは、受け入れて、逆の話をもってきて、目を逸らそうというカルトらしい反応を示しています。シャロームは、分からないとは言えない人、何でも分かっているつもりだけの、現代のパリサイ人です。
隠し味?・・シャロームの、隠し強がりに過ぎません。都合の悪いコメントの不承認、おびただしい罪と偽善、隠し事で出来ているシャロームです。
 
(シャローム
使徒のうち大ヤコブは弟ヨハネと共に「雷の子」と呼ばれるほど怒りん坊で、ある街がイエス様を歓迎しなかった時「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐いた弟子たちの怒りを正当化すると、だれ一人として、神の呪い、裁きを逃れることのできる人はありません、でも神さまは園丁のように、いやそれ以上に私たちの命を救うために自分の命を呪いの代価として支払おうとしてイエスさまをお遣わしになられていると私たちに話しておられるような気がします。
 
(私)
そして、キリストの十字架を、己の無罪妄想にしてしまったのが、シャロームです。いつまで、この男の、嘘八百を聞かされることになるのでしょう。
 
(シャローム
弟子たちが「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐いた街とは本来神の民の一族であったのですが、アッシリヤに滅ぼされ、支配され、神の民として穢れたとレッテルを張られたサマリヤ人の街だったのです。神の民の純潔を誇っていたユダヤ人である人達はサマリヤ人は神に呪われ、裁かれるべきだと考えていたのです。ですから、イエス差は当然サマリヤ人に対して裁かれるに違いないと信じて、交わりをせず、サマリアの街を避けていたのです。当然の怒りだと信じて疑わなかったのです。
2019/7/28(日) 午前 11:44[ shalom ]返信する
(シャローム
しかし、イエスさまはそのサマリヤの街を通っておられたのです。
エスさまは弟子たちを厳しく叱られたというのです。
きっとイエスさまが呪われ、枯れたいちじくの木とはイスラエルの神殿の姿、神の民であることを誇りながらも、実を結ぶことのできないユダヤ人、神殿当局、指導者に対して厳しい態度を表されたのではないでしょうか。
 
(私)
では、シャロームは、どうなるかというと、滅びが進行していると思います。ますます、偽善者らしくなっています。つまり、恐ろしいことを、自分を除外して、平気で言うシャロームなのです。
 
(シャローム
後で神殿の清めのわざをされるイエスさまの心の思い、言葉だったのではないかと思います。
ヨハネによる福音書3章14、15、16節のイエスさまが言われた言葉を読んでみてください。
shalom!
2019/7/28(日) 午前 11:44[ shalom ]返信する
 
(私)
きよめようのないものは、どうなったでしょう。行ってしまえ、と言われます。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
7:22
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
 (マタイ7:22-23、新約聖書
 
(楽山)
>よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)
このお話はすきかも。
創世記18章のソドムのためのとりなしの話も、わりとすきではあります。
ヨハネによる福音書3章14、15、16節のイエスさまが言われた言葉を読んでみてください。
こちらは正直よく分からなかったです。
自分にはちょっとキリスト教色が強すぎるのかも。
2019/7/28(日) 午後 0:25[ 楽山 (自由) ]返信する
(楽山)
エスとニコデモの話も難しい。
風と霊とを関連させて話てるのは何となく分かる気はするけど、他は難しいですね。
2019/7/28(日) 午後 0:32[ 楽山 (自由) ]返信する
 
 
(シャローム
「よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)」
 
(私)
全く・・を付けるほどの、反対の話ではありません。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
13:7
そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
13:8-9
すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。
 (ルカ13:7-9、新約聖書
 
(私)
三年でもなく、もう少しでもなく、シャロームは、少なくとも、8年、実際は、もっと何十年も、我欲のために、罪を認めず悔い改めず、それで、元牧師と嘘を吐き、キリスト者だと嘘を吐き、人々を惑わせ続けています。
 
「行ってしまえ」という聖句は、もう一つ
 
 (ルカによる福音書、口語訳)13:27
彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
 (ルカ13:27、新約聖書
 
 
(私)
間違いも、過ちも、罪も、正直に告白すれば、そこで信仰は改まり、神の寛容と、キリストの愛によって、赦されるでしょう。
(私)
シャロームは、その機会を、ことごとく、無にして、しかも、正しさを偽装して、教える立場にしがみつき、反信仰を続けているのです。信じられないような背きです。
 
 
(2019年07月29日)
 
 
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