ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

妄想信仰?

 
  空想信仰?
 
   ・時が経つのは早い
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41566641.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
 
(私)
星の王子様まで持ち出して、言論の責任を負うたことのないシャロームが妄想全開です。
 
(シャローム
自由さん こんばんは
「残酷な真実と
優しい嘘のうち、
後者を選ぶという人の気持ちはよく理解できなかったが、
このことを考えると、後者を選ぶのもアリかなとは思えてくる。」
 「でも結局は、そんなことを思いつつも、
自分はやっぱり前者を選ぶんだけどね。」
自分という有限で相対的な立場から物事を見て、判断している限り、諸行無常という現実である前者を…ということにならざるを得ないのでしょうね。
 
(私)
残酷は真実:選ぶ対象ではない。そこにあるものだ。理路のない楽山とシャローム
優しい嘘:楽山のアドラー教、シャロームの無罪妄想の反キリスト。あり得ないことを信じ込んで、人格破壊に向かう広き門を宣伝している。
 
(シャローム
優しい嘘を信じるには自分という立場を捨てなければならないし、自分という有限で、相対的な立場に立っていては美しい嘘を信じることは出来ませんからね。
やはり信仰は自分で得るものではなく、ありてある者である優しい存在から、ありてなき、死すべき人に与えられる事柄なのでしょうね。ほんとうはだれも自分を誇ることが出来ない存在だということではないでしょうか。
shalom!
2019/8/4(日) 午後 8:23[ shalom ]返信する
 
(私)
そう言いながら、嘘を吐き、自己絶対の立場から物を言い、嫌がらせしかできないシャロームは、また、嘘と妄想を重ねている。「自分を誇ることが出来ない存在」これを、誰よりも甚だしく無視して、シャロームは、神にべた褒めの言葉だけを並べる。どこまでもどこまでも嘘と偽善。
 
(楽山)
信じたいのに信じきれないという経験があるので、
信仰は自分の意志だけによるのではない
というのは分かるように思います。
幸福の科学からカトリックになった人が、
「召命」という言葉を使ってたのがずっと印象に残ってるけど、
この方にとって召命はすごくリアルだったのだろうと思います。
2019/8/5(月) 午前 6:30[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
楽山は、いつものように、安っぽい思い込み信じ込む信仰のことを言っています。神と人をつなぐのが、思い込みで信じ込むことだというカルトと同じ通念的理解が訂正不能になっている。
 
(シャローム
> 楽山 (自由)さん おはようございます
信仰とはやはり星の王子様の世界の旅が始まるということでしょうか。
どこから?乗っていた飛行機が故障し、砂漠のど真ん中に墜落し、大破している飛行機と荒涼とした方向も定かにわからない砂漠のような現実の中で、ふと夜空を見え上げるとそこに覆いかぶさるような星空があり、そこで初めて星に導かれる歩みが始まるスタート地点に立たされている自分に気づかされる時、所からでしょうね。
 
(私)
星の王子様が出会う相手:
(ネットより)
1.自分の体面を保つことに汲々とする王
2.賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋
3.酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助
4.夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家(絵本、新訳の一部ではビジネスマン)
5.1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫
6.自分の机を離れたこともないという地理学者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE
(私)
1,2、は、そのままシャロームという恥ずかしい裸の王様に当てはまる。3は逃避、4は執着、5は強迫性、6は凝り固まり。
シャロームは、現実では嘘を吐き、きれいごとを言う。また、自説絶対に執着し、凝り固まり、他のことを考えない。毎日、それまでの悪事を無視して、教えようとして、罪と偽善を重ねている。シャロームの、神に対する態度と同じ。シャロームは、ことごとく背きながら、よく引用できたものだ。書けば書くほど、ボロが出てくる。とても醜く悲惨である。
 
(シャローム
エス様誕生物語にはそのような三人の博士たちが訪ねてきて伏し拝んだという話がありますが、三人の博士たちはかつては繁栄を極めた、廃墟となったバベルの塔の世界である遠いバビロンの地から旅だった人たちだったのですね。
2019/8/5(月) 午前 8:45[ shalom ]返信する
 
(私)
このような、聖書の話も、シャロームの大好物の、きれいごとで、バベルの塔と、ノアの洪水を、しばしば引用する。戒めを聞かず守らず、堕落するのは、シャロームの嘘と偽善において典型的。
 
(シャローム
でも、イエスさまが生まれたベツレヘムの地にも星に導かれた人たちがいたのです。貧しく、飼うもののいない羊のような、人から顧みられることのない羊飼いの人たちでした。ベツレヘムの星と天からの声に導かれてイエスさまのところに来て、イエスさまに出会い、伏し拝んだというのです。
やさしい、ホッとするような話ですね。
 
(私)
シャロームは、お伽噺が好きなようです。そういう、星が導くとか、神が導くとか、聖霊が導くとかいった、超常の話ばかりして、現実の自分の嘘と偽善の現実を、全く見ようとせず、嘘に嘘を上塗りして、ごまかすばかり。
 
(シャローム
しかし、星に導かれた人の話は多くの人には嘘のようにしか聞こえなかったようです。ヘロデ王はそのはなしを聞くと、ベツレヘムで生まれた2歳以下の子供を皆殺しにしたというのです。
残酷な話ですが、この世の現実ですね。
今もそれは変わりないようです。
shalom!
2019/8/5(月) 午前 8:47[ shalom ]返信する
 
(私)
このように、嘘のようにしか聞こえないと他者を責めて、ヘロデ王の残酷に結び付け、現実逃避を勧めて、つまり、非現実の信じ込みを勧めて、人々を、嘘の救いへと導くのは、他でもない、シャロームです。シャロームが言えば言うだけ、シャロームの、隠している現実が示されるでしょう。
 
(楽山)
> shalomさん、おはようございます。
星の王子さまは、やっぱり読んでおくべき本みたいですね。だんだん読みたい気分が高まってきました。
唐突に思い出したけど、ヘミングウェイの「老人と海」の主人公である老漁師はイエスと重ねられているという評論を読んだ記憶があります。西洋では、イエスとからめた作品は多いそうですね。
エスの生誕地、ヘロデ王のことについては、最近読んだ本『イエス・キリストは実在したのか?』(レザー・アスラン著)でも、言及されてました。これは、現実のイエスはどのような人物だったのかをテーマにした本ですが、どうも自分は前々から、福音書のイエスと現実のイエス、仏典の釈迦と現実の釈迦という差異が気になる性質です。
2019/8/5(月) 午前 9:33[ 楽山 (自由) ]返信する
 
(私)
二千年前の事実にこだわるのは、今の現実を見ない者の特徴です。そういう立場には、信仰という無形のものは、分かるわけがなく、したがって、信じることもなく、信仰が興味になって、重さを失っているのです。必要性を何も感じることなく知ることも出来ないのです。偽善者は物や肉体の奇跡にしがみつく以外にないのでしょう。
 
 
※ 
 
神を信じて、正直な祈りをささげ救いを願う人がキリスト者です。
真実の御国を望みます。イエス・キリスト愛する人々。
 
神に救われる前提で、嘘の信仰話を次々に重ねるのが偽善者です。
虚偽の帝国を望みます。イエス・キリストの名で飾る嘘。
 
 
(2019年08月06日)
 
 
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