ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

お忙しい?(2)

 
  お忙しい?(2)
 
   お忙しいですか?・・・(2) 2009/9/20(日) 午後 4:24
   https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/7181302.html
    by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
 
 
シャロームは、この記事とは別の記事のコメントで、自分の書いた記事を楽山に勧めています。
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41568352.html
その続きです。
 
ここで、本能に、特殊というより、まるで造語のような捏造した意味を与え、何の理解にも結び付かない妄想を語って、悦に入っているシャロームを見ることが出来ます。
 
以下、記事本文と私の批判
 

お忙しいですか?・・・(1)の続きです。
わたしたちが本当に生きがいのある充実した人生を、自分のものにするためには、
どうしても私たちの本能を満足させなければなりません。
なぜなら、本能とは人間が生きていくための基本的な欲求だからです。

 
どうしても本能を満足させなければならないでしょうか。
本能は、基本的欲求にとどまるでしょうか。
 
全か無のシャロームの書き方、妄想豪語とボロクソ節に対応しています。
 

本能はそれがどのようなものであれ、否定したり、抑圧されたりすると
必ず心身に障害を招いてしまうのです。

 
少なくとも、健康な人は、
本能的欲求を、かなり抑制することを学んでいると思います。
シャロームは、健康ではない人のようです。
 

今日心身症といわれる病気が多くの人を苦しめていますが、
どのような症例があるかについては昨日書きました。

 
シャロームが書いたのは、症例ではなく、病名だけです。
シャロームは、相変わらず、いい加減です。
 

さて、本能は次の三種類に分けることができると思います。
第1に体に関する本能として食欲、性欲、睡眠欲などの欲求です。
第2に心(魂)にかかわる本能として互いに愛し合いたいという欲求です。
第3に霊にかかわる本能で生けるまことの神を求める欲求です。

 
互いに愛し合いたいという欲求は、本能より高次の欲求です。
そこから、宗教や哲学が生まれてきます。
本能に属するのは、特別な関係として、母性本能などです。
 
恐ろしいことに、シャロームの妄想詭弁は
霊に関わる本能という言い方に、神を求める欲求を含めているようです。
本能は、動物にもあるものですが。
 
シャロームは、本能という、よく使われる熟語の意味を、勝手に変えています。シャロームは、出まかせの嘘ばかり言っています。シャロームは、異常です。何を言い出すか分からないので、決して関わらないでください。
 
シャロームの言は、自己正当化に役立てるつもりでしょうか、とても、いい加減で、迷惑なことです。こういうのを勝手に作って、人に広めようとするのが、シャロームであることを覚えてほしいです。
 
(ネットより)
本能(ほんのう)とは、動物(人間を含む)が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質のことを指す。
1.生まれたとき、あるいは発達の特定の段階で存在する性質。
2.学習なしでも存在する性質。おそらくもっとも一般的な用法。
3.遺伝的である性質。高い確率で世代を超えてみられる性質。
4.進化の過程で形成された性質。
5.役に立つようになる前にすでに発達している性質。
6.種、性、年齢などを同じくするグループに共通する性質。
7.動物の行動の一部。例えば狩猟、体を綺麗にするなど。
8.専門化された神経構造を持つ性質。現代神経科学、認知科学ではこの意味で用いられる。例えば顔認識、感情、表情などを司るモジュール。
9.発生的に強靱で、経験からの影響を受けない性質。発生生物学で用いられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD
 

これらの本能はそれぞれ独立したものではなく、互いに関係し調和しなければならないのです。
これtらの本能が調和し、満足させられてはじめて、試練や困難がなくなってしまう
という訳ではありませんが、人は本当に充実した幸せを感じることができるのです。

 
とても、いい加減な話し方だと思います。本能は、大方、原始的な欲望です。
本能が調和し満足などと、本能の良し悪しを、まるで考えてない。
本能で関係し調和するのだそうです。それが出来るなら信仰は必要ないはずです。
 

これらの本能が人は三位一体の神にかたどって造られたことを証ししているのです。
これらの本能のうち私たちが人として生きていくうえで、もっとも
大切な本能が霊にかかわる本能であって、人を宗教的な存在としている欲求なのです。

 
霊に関わる本能、などと言う言い方で何が分かるというのでしょう。どこに、そんなものがあるのでしょう。このシャロームの言は人間離れという病気です。
 

ですから、宗教は弱い人間の夢、たわごと、気休めではありません。
また科学が進歩し生活が豊かになれば消え去ってしまうような幻想に過ぎないと
言われてきましたが、決してそうではありません。
神によって与えられた本能ですから、なくなることもありませんし、
否定することもできないものなのです。

 
神が本能を与えるのだそうです。それが宗教だそうです。罪と悔い改めは、どこへ行ったのでしょう。偽善のカルト妄想が全開です。まともな人間の考えることではありません。
 

私たちが変わることのない愛を求め期待したり、正しいことを願ったり、心の安らぎを求めたり、
死を恐れ救いを求めたり、何事につけ不確かであることに不安を覚え、
拠りどころを求めたりしていることの中に神を求める霊的本能が働いているのです。

 
神を求めるシャロームの霊的本能は、嘘を吐き、詭弁を弄し、言い逃れを救いとして、妄想にふけるのでしょうか。もはや、シャロームの中に、人間はいなくなったのでしょうか。
 

この神を求める霊的本能こそが、人は神によって造られたことの確かなしるしなのです。
「神はご自分のかたちに人を創造された」(創世記1:27)のです。
生けるまことの神は、人間の考えや願望、想像の産物ではありません。
私たちがその神を信じるとき、生きる意味、目的を見出すことができるのです。

 
私たちが、神を求める本能で信仰するのなら、聖書を読んで考える必要が、赦され救われる必要が、どこにあるでしょう。・・本能は信仰ではありません。
 
引用聖句「神はご自分のかたちに人を創造された」は、人が自由意志を持つことを表しています。だから罪を犯すのです。
 
その最も悪質な罪が、神の立場に立つことです。シャロームの言説は、神性を捏造し、人間性を駄目にして、神性と人間性の両方に、無知と無恥をあらわにして、見苦しく背くものです。
 
引用聖句「神はご自分のかたちに人を創造された」は、人が自由意志を持つことを表しています。だから、人は自らの自由意志で、罪を認めて悔い改めることが救いのために必要なのです。
 

「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、
そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ
陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、
親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。
彼らはこのようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、
自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。」
(新約聖書ローマ人への手紙1:28~32)

 
まさに、シャロームの精神内界を見るようです。シャロームは、不義、悪、悪意、人をそしり、高慢、大言、悪事、・・など、そして、神の定めを知っていながら、他人の同じ行為をも是認し勧めています。シャロームの言はシャロームを表しています。つまり、聖句の悪しき例はシャロームを表し、シャロームは、聖書に斬られていることに気づかないで、逆に平気で引用する、という、おぞましさを見せています。
 

エスは「わたしを見た者は父(神)を見たのである」(ヨハネ14:9)
と言われました。
私たちの限られた知識によれば、到底理解しがたい不思議なことですが、
あの十字架の上のむごたらしいイエスに、神の愛、神の正しさ、神の愛が表されているのです。

 
エスの十字架の死が愛だと悦ぶのは、この人が死んだので自分の罪は贖われたという贖罪の理屈しか思わず、悲しみと苦悩に共感できない者に、よく見られる特徴です。キリストに向かって、死んでくださって、ありがとう、と言う受け取り方であり、そういうことを、平気で書いてしまう乱暴な精神を表しているのです。このことは、前にも書いたのですが、無駄だったようです。
 

神はイエスの十字架の死と復活によって、わたしたちを生きるようにしてくださったのです。
エスの死と復活という出来事によって示された神の愛は、私たちに惜しみなく注がれ、
わたしたちを生きるようにしてくださったのです。

 
十字架の死と復活によって私たちが生きるようにしてくださった、ということを、めでたい、めでたいと、悦び、一方で、自分の罪や偽善に全く目を向けないで、悔いることなく、反省せず、いつまでも、偽善のまま、改まることのない獣性が、シャロームの信仰?の特徴です。
 

エスの死と復活は不安、失望、恐れに打ちのめされていた弟子たちを
死をも恐れぬ者と変え、ヨハネ島流しにされ、他の弟子たちは殉教の死を遂げたのです。

 
シャロームは、今も、言い逃れ、詭弁、不都合を忘れる、など、いかなる批判も受け取らないで、そして、この記事のように、わけもなく、のぼせて、何の弁えも分別もなく、自省せずに、自分の記事を人に勧めて、反信仰を悦んでいる?、という末路を、うろついているだけになっています。
 
(3)に続く。
 
 
(2019年08月16日)
 
 
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