ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

思いこみの強い人

 
  思い込みの強い人
 
   思い込みの強い人
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41569205.html
   楽山のブログ記事。2019/8/11(日) 午後 2:22
 
 
楽山は、自分の非と欠点について、ボンヤリ言語で認めるようなことを書いていますが、ここに書いてあることは、恐らく、誰かに当てつけたものではないかと思います。
 
成りすましの疑われている楽山は、今まで、非を認めたことがないですから、ナルシシストだろうと思います。ボンヤリ言語だと、何とでも言えるのでしょう。
 

恥ずかしい話ではあるが、
自分はどうも、
偏見、先入観などに
惑わされることが、
少なからずあるらしい。

 
自分は、と言いながら、批判者が偏見や先入観に惑わされていると言いたいのでしょうか。
 

人に対して、
こんなことも知らないのか、
無知なやつだ、
と小馬鹿にしてたら、
後から、
他の方面では知識豊富なのが分かったり、

 
褒めているのは、楽山自身のことではないかと思います。凝った細工をしてきます。私は、楽山が知識豊富だと思ったことはありませんが、そう思っている人がいそうなので、憂慮しています。そういう人に、楽山のボンヤリ言語は、効き目があるのでしょう。
 

こんなこともできないのか、
不器用なやつだ、
と呆れていたら、
後から、
他のことでは優秀だと分かったり、

 
これが、楽山以外の人のことを言っているのなら、今までの、ふざけた書き方や、遠回しや、曖昧な表現は、していないはずです。どれもこれも、ああでもない、こうでもない、というのが、楽山が用いてきた筆致です。なんとなく肯定してしまいやすいような書き方が、ボンヤリ言語の脅威です。
 

この人は人格者だ
と尊敬してたら、
後から、
おかしな言動があることが分かったり、
ということが時々あるので…。

 
これは、HSの誰かか、批判者のことでしょうか。楽山の文章は、いつも、対象を明示しない、はっきり言わない、一見柔和に見せかけるところの、侮辱になっています。
 

巷では
人に対して
その一部だけで、
全体を決めつけてはいけないというけど、
本当にその通りと思う。

 
一部だけで、全体を決めつけていると、本当に、その通り、誰かを、何かを、決めつけてきたのが、楽山です。決めつけているとは、表現だけでなく、その理路と内容を検討しない限り、書けないはずのことです。楽山は、それを、ボンヤリ言語で、ほのめかすのでしょう。
 
それぞれの個別のことについて、理路と内容を考えて、指摘するしかないことを、一般則のように、文だけ見ると、当たり前のような書き方で、曖昧に言って刷り込んできます。誰かをおとしめて、自分が楽になるように、そういう小細工だけを練習してきたのでしょう。
 
総ての場合に成り立つとは限らない一般則を、個別のことに当てはめる、
個別のことでしかないことを、一般則のように当てはめる、
という詭弁を、何度も使ってきたのが楽山です。きたないと思います。
 

その人の
短所だけ見て、ダメな人と決めつけるのも、
長所だけ見て、スゴイ人と決めつけるのも、
どっちもよくない。
この点、
気をつけねば…。

 
このような、どっちつかずのことを書いてきます。短所だけ見て、と書いているけど、楽山は、短所か長所かを、また、正邪や、是非についても、見分けることはしてこなかったと思います。何か、引っ掛けのような一部を持って、具体的には全面的に、シャロームの味方をしてきたのが、楽山の経過です。
 
楽山は、文章も書き手も、何も気をつけていないと思います。自分に有利な、言い訳になるような理屈を、またボンヤリ言語で刷り込んできているだけだと思います。
 
ちょっと見ると悪くない道徳のような楽山のボンヤリ言語を信頼してはいけないと思います。
 
よく見れば、よく読めば、当たり前なのだから、わざわざ書く必要のない曖昧なことなのです。
 
 
   「課題の分離」(アドラー心理学
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41569993.html
   楽山のブログ記事。
 
 
いつも詭弁臭いことしか言わず、
本音がなくて全部芝居ではないかとさえ思われる楽山です。
 

アドラー心理学関連のツイートを見て、
アドラー心理学に興味を持ったのだが、
wikiを見ると、ずいぶんと難しそうだ。
アドラー心理学
やはり自分には、
課題の分離の概要を
ざっと知っとくだけで十分だな。

 
課題の分離と、不都合を無視することは、違います。
それを区別する節操が、楽山にはありません。
 

・【アドラー心理学とは】「課題の分離」で人間関係の9割はうまくいく
・【アドラー心理学】「課題の分離」で人間関係に縛られない。嫌われる勇気を持とう。
・「課題の分離」最強説【アドラー心理学を実践してみた件】
・課題の分離ができたら、あなたに出来ることは

 
楽山が、うまくいっていると言うのは、自己満足の部屋から一歩も出ないからです。
楽山は、今の悲惨な有様を自覚しないし、その可能性も自覚していません。
人間ではなくなりつつあるからでしょうか。
 

ちなみに自分は、
若い頃はロックにかぶれてたので、
「人のことばかり気にしてるのはダサい。
自分は自分のやりたいことをやるだけだ」
というような考え方には馴染みがあるし、

 
ロックは関係ないですね。趣味は関係ないはずです。
自分勝手と、課題の分離は、違います。
楽山は、人の意見の中の、自分に都合の良いところだけを拾って批判返しをしたつもりです。
自己中心と、課題の分離は、違います。なんだか、この記事は、全体が詭弁のようです。
 

元々、一人でいることが苦にならない性質で、
話し相手が欲しいとか、
誰かに話を聞いてほしいとか、
そういう欲求はあまりないので、

 
だったら、一人で、やってください。他者に広めようとしないでください。
楽山が話せば、自分の都合に合わせるような詭弁になります。とても臭いです。
言い方さえ工夫すれば詭弁が通じる、という自己中心の思い込みが強いからでしょうか、それとも、そういう策略でしょうか。
 

課題の分離については、
さほど抵抗感もなく、
共感できたのかもしれない。

 
曲解による詭弁だと思います。今までの記事とコメントが表しています。
好きなように、身勝手にやってきて、それを課題の分離などという言葉で、しかも借りてきた言葉で、またしても自己正当化を強めているつもりのようです。もはや、反吐の有り様です。
 

多分だけど、
これとは反対に、
他とつながりたいとか、
自他は別個にあらず、一体なり
というような考えの人にとっては、
この考え方は、合わないだろうな。

 
繋がりたいとか、思わないなら、人に影響しないでください。
楽山と関われば、ボンヤリ言語と詭弁で、人格は破壊されます。
恐らく作為で、無抵抗の人間を作りたいのでしょう。
楽山に出来上がったのは、自分だけが王様気分の尊大さ。
 

何はともあれ、
課題の分離は、
周囲の声に惑わされることなく、
自分に正直に生きることを応援してくれるものであろうし、
この点、大いに有用であるのは確かではある。

 
周囲の声に惑わされることなく、
という言葉で、
周囲の声を聞かない理由にしている、
という詭弁に気づいてください。
 
自分に正直に生きる、
という言葉で、
他者の無視して
自己中心の利己主義に生きることを正当化する
という詭弁に気づいてください。
 
大いに有用、という言葉で、
誰にでもではなく、自分にだけ有用を暗に表している
という詭弁に気づいてください。
 
楽山は、詭弁が多すぎて、本音が分からない人です。
楽山は、他者のために書いているのではなく、
自分に都合の良い他者について書いているのです。
 
楽山は、小学校の説教のような書き方をすることがありますが、
やさしい人柄だと思わせて、自説を、
小学校の説教のように、当たり前だと受け取らせるためでしょう。
 
頭が、おかしい、というより、悪意があると思っています。
楽山の話は詭弁ですから、ずっと、近づかないでください。
危険です。
 
 
(2019年08月20日)

(2019年08月21日、一部修正)
 
 
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