ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

クソリプ?

 
  クソリプ
 
   アドラー心理学サロン
    2019-05-25  
   https://www.adlersalon.com/entry/2019/05/25/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%97%E3%81%AB%E7%89%A9%E7%94%B3%E3%81%99%E2%9D%97%EF%B8%8F
   アンチのクソリプに物申す❗️
 
 
クソリプ
主に短文投稿サイト「ツイッターTwitter)」におけるリプライ(特定のツイートに対する返信・応答)のうち、内容がまったく見当外れであったり気分を害するような言葉が含まれるなど、罵倒したくなるリプライを指して用いられる語。「クソ」と返信を表す「リプライ」を合わせた造語。クソみたいなリプ。(ウィキペディアより)
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%97
 
だんだん、口が悪くなって、余裕がなく、批判的リプライに対して、クソと呼ぶ罵詈雑言を使ってしか返せないカルトの性質が、表れてきたようです。
 

今回はよく来る、誤解されている人や、アンチからのいわゆるクソリプと呼ばれるコメントに対して、今後アドラー心理学を活用してより良い人生を送って頂きたいという思いから痛快な意見を述べたいと思います。

 
このような事態に対して、痛快な意見と、自らを持ち上げるのは、自己愛の強い人のすることです。
一般に、自尊は、過ぎれば、自己愛性人格障害すわわちナルシシズムとなり、トラブルに際して他害的になりやすいという特徴を持ちます。
 

アドラー心理学を理解するのにも、どのように生きていくべきなのかを考える為にも、本記事が役立つことを願います。
また、タイトルには「クソリプ」というキーワードを入れており、本記事が「クソリプへの反論」をまとめた内容だと誤解されてしまいそうですが、そうした意図は決してありません。

 
上に挙げた、痛快な意見、という慢心した言い方とともに、クソリプと呼んでいる批判に返しているのだから、反論~返しのつもりであることは明らかです。
 

一般的にクソリプと呼ばれる返信や、単純に誤解をされている方への、「本音」や「本質」を解説する文章を通して、多くの方へより良い人生を生きる為のアドラー心理学の活用をお伝えするという趣旨で書いております。

 
クソリプという言葉のように、だんだん、荒くなり、当初の救いとは、かけ離れたものになってゆきます。自分が言ったことによって起きている可能性を一切認めず、相手の課題としてしまうのは、思慮が足りないとも思えます。
 

意見を求めた時に良く来る勘違いリプ
私は主にTwitterにて、フォロワー様へアンケートなどを通して意見をお伺いすることがあります。
頻繁ではありませんが、時にはより良いサービスをご提供させて頂く為に行わせて頂いてます。
いつでも、必ず心外な内容であったり、意味不明なリプは来るものであると思っていますが、頻繁に来る誤解リプについて解説させて頂きます。
よく、下記のような返信を頂きます。
「自分で決めた方がいいですよ!、他人の意見を聞き入れたら、承認欲求を満たそうとして他人の人生を生きることになってしまいますし」
「それを決めるのはあなたの課題であって、他人の課題ではないのでは?」
これらはクソリプと呼ばれるものとは異なる普通のご意見ですが、発信している内容を勘違いされてしまっているなと思えるものが多かったように感じました。

 
勘違いされて、と書いていますが、勘違いさせるような文言や表現があるのに、相手の課題だけではなく、自分の文章の書き方・表現力、さらには、アドラー教が持っている本質的欠陥の可能性としての受け止めることが全く見られないわけです。
 

アドラー心理学の課題の分離の考え方は、下記となります。
「他人が自分をどう思うのかは相手の課題であり、自分の課題ではないので介入できません。
他人の課題には介入せず、自分の課題にも他人を介入させるべきではないのです」
自分にできることは意見を伝えたり、諭したりする程度であり、最終的にどう思うのかは他人の課題なので割り切るしかありません」

 
一応、念のために書いておきます。
しつこく他者が介入、すなわち、言ってくる場合、
「それはあなたの課題だ」と言っても、さらに追いかけて言ってくる場合ですが
 逃げる → 集団外までですか → クビになると思いますが。
 警察を呼ぶ → クビになるか、警察に、いちいち組織内のことで呼ぶなと言われる。
 殴る → 警察が呼ばれるかもしれません。
これらは、「良い人生を送」ることでも、「痛快」でもないと思いますが。
 

心理学者アドラーは、他人を切り捨てて自分さえ良ければいいという利己主義を推奨しているのではなく、他人と自分の違いを認識することで相互理解を図る為に、課題の分離を推奨しているのです。

 
他人と自分の違いを認識しても、他人が同じように認識するとは限りません。いろんなトラブルが予想されますが、アドラー教の筆者は、どう考えるのでしょう。
 

私は、フォロワー様と相互理解をしてより良いサービスを提供しようと考えている訳であり、他人の課題に介入する意図はありません。

 
アドラー教の筆者は、介入しないそうです。つまり、教えるには教えるが、言うには言うが、言った責任は負わないし取らない、と言明しました。
 

また、自分の承認欲求を満たそうとしているのではなく、「自分の人の役に立つ発信をしたい」自己実現の欲求を満たそうとしており、自分の課題を他人に自分の課題の援助を強制している訳でもありません。

 
何をここで、きれいごとを言っているのでしょう。あなたがどう思うかではなく、相手の他者が、どう受け取るかという問題なのです。
 

もちろん、あなたが私のことを自分の課題に介入しようとしていると思うのなら、それでも構いませんが、そこまで理解されていないのなら趣旨が違います。

 
何だか、苦しい責任逃れです。
 

Twitter等のSNSだと、短文でしかアドラー心理学を伝えられないから、正確に伝えるのは難しいですよねと良くご返信を頂きます。確かにその通りだと思いますが、少ない情報だけで理解できる人もいれば、少ない情報に触れて深掘りして理解する人もおります。

 
だから、何を言いたいのでしょう。私は、教えた責任を取るか取らないかということを聞いています。
 

どんな学問でも、思想でもそれは同じことだと思いますし、だからって発信しないという理由にはならないと思っていますし、発信した方が良いと思っています。

 
断定するのと、こういう考えもありますと言うのとは、違うでしょう。
学問や思想は、提示するだけなのです。あなたは、万能薬のように言って、さらに保身しています。
 

様々な情報が交錯するこのご時世に、誤解されない情報なんてそもそも存在しないと考えているからです。

 
誤解されることと、誤解されやすいこととは違います。前者は出来事、後者はそういう傾向を内在しているということです。
 

理解して欲しいとは思っておりますが、理解するかしないかは最終的にはフォロワー様の課題だと割り切っております。

 
聞いた人の責任だと言えば、責任を逃れられると思うのでしょうか。
そういう文句は、だました詐欺師の台詞として、よく聞かれることです。
 
誤解されやすい万能のようなことを言ったのなら、やはり責任が生じるのです。
 

アンチにはどう思っているのか?
よく来るアンチからの「クソリプ」に、どう思っているのかといいますと、気持ちの良いものでは無いものもありますが、基本気にしていません。
むしろ、アンチが多いほど存在意義があるのだと実感できますし、アンチコメントには勉強になるものもありますので、嫌ではありません。

 
批判として起こりやすいことを示していても、気にしないのでしょうか。気に入らないから?
アンチが多いほど、問題があるのだという見方もあるのですが。
 

分かり合えない人は存在すると思っており、相互理解をしようとしても、相手の目的が「あなた嫌い」、「あなたを否定してやる」というものであれば、理解してもらうことは不可能ではなくても、現実的ではないと考えているからです。

 
「嫌い」「否定してやる」は、抗議や批判においては、普通に生じる感情です。批判しながら、嫌いでなく、否定する気もないというのは、評論であって、抗議や批判ではありません。
 

どんな発言をしても、何をしてもアンチは存在するものですし、相手によっては寄り添おうとして返信したり、他のフォロワー様への参考事例となるようにアンチとの対応をすることは稀にあります。

 
稀なることを書いてもらっても、全体の問題の解決にはならないでしょう。
 

決して個人的な感情が揺さぶられて、感情が抑えられなくなったからではありません。

 
こういうことを書かれると余計に気になるものです。
どこまでも強気を表してきたわけですから、罵詈雑言で対処したことがあるのでしょうか。
 

アンチと対応したり、何らかの返信をする度に「嫌いなら放っておけ!」
「他人の課題でしょ?」
「言ってることとやってること違くない?」
というご意見を頂きますが、相互理解をしようとしてもどうにもならない時に行う最終手段として関係の断絶、スルーすることを推奨しているのであり、「何かにムカつくから」などといった理由ですぐに関係を切るのは問題です。
多くの方にご覧頂いておりますので、すべてのリプに対応したり、いつでも対応することはできませんが、時と場合によってはアンチにも対応したりしているだけなのです。

 
アドラー教宣伝者の一人も、同じような理性的に見えることを書いて、実際は、こちらの言うことを無視して、ずっと前に批判して答えられなかったときと、同じようなことを言ってきました。そのとき、さすがに、身の毛が弥立って、こういうことをするんだと思いました。
 

ただ、アンケートからアンチ対応は見たくないというご意見が多く、当方としても迷惑に思っている人が多いと考えたのに加えて、良い結果になったことが少ないので、今後は余程のことが無い限りはアンチ対応は致しません。

 
アンチに対して良い結果は出ないことが多いのは当然のことです。異なった人間同士は、なかなか妥協はしません。問題は、批判した理路と内容に対して、無視することです。それは、直で、気に入らないことは無視しましょう、嫌われる勇気、ということに結び付く必然を持っているのです。
 
 
アドラー教を宣伝していた一人は、別の似たような体質の、自称キリスト者かつ自称元牧師の強力な味方でした。後者は、引用するのは韓国のビデオや教会のことが多く、韓国に知り合いがいると言っていました。在日韓国人かどうか断定はできませんが、主張は、反キリストと言ってよいもので、全く理路も共感も成り立たない自己中心の訂正不能のカルトです。もちろん国産のカルトというのもありますが、韓国系カルトというのも多いらしいですから、
http://gofar.skr.jp/obo/archives/2457
学問の名を冠しながら、そのわりに厳密性を欠いた安易な教えを広めることが、間違っても反日感情に基づいていないことを祈るばかりです。
 
 
「課題の分離」と言えば学術用語のようで聞こえはいいが、相手は課題を分離してはくれないかもしれませんし、その場合、「気に入らないことは無視」、また、嫌われることになっても構わない、という「嫌われる勇気」といった考え方は、相手との見方の違いを、さらに感情的に尖鋭化することになる恐れがあります。
 
言い張って、貫いて、一貫性があるからいいと自分は思っていても、相手が不快になったり、怒ったりすることをも無視すれば、自分は、自分の課題ではないと思うことについて、自分とは違う相手に、結局、日常でも仕事でも、相手にされなくなったり、怒鳴られたり、殴られたりすることを、覚悟しないといけなくなる可能性を考えないのでしょうか。
 
そういう成り行きの必然の予測が、可能性としても、全くなされていないところに、どうするべきかということより、どう考えるかということより、殴られながら、なおも、分かっていない相手に、なおも、薄笑いを向けて、分かっていないんだね・・みたいな見下ろす態度をとる悲喜劇の殉教者?となりはしないでしょうか。
 
アドラー教の理屈で満悦して、非アドラー教の相手の感情を予測もせず、無視するがゆえに、逃げもせず、しまいに殴られて、血を見て、途端に取り乱して、暴力はいけないんですよぉ・・と、狼狽しているイメージを想像してしまいます。
 
「課題を分離」したのだから、自分は正しい、相手は理解がないだけと、世間知らずの坊ちゃんのように言い張っても、相手からは、逆に、「殴られてどうするかは、あなたの課題であって、自分の課題ではない」などと言い返されたり、皮肉を言われたり、笑われたり、怒鳴られたり、嫌われたりするだけかもしれません。「嫌われる勇気」は、M的忍耐の処世になる可能性なのでしょうか。
 
こちら側だけで成り立っている正義?の理屈では身を守ることは出来ない、という、心理学というより、ドラマの「ビッグバンセオリー」とか、肩をすくめるとか、肩をすぼめるとか、無視した返しに無視されるとか、笑われるとか、人間じゃないと見捨てられるとか、怒鳴られるとか、殴られるとか、追い回されるとか、人間関係のこじれた地獄の有り様とか、一方の思い込みが作る笑えない災難を想像してしまうのは、私だけでしょうか。
 
アドラー教のもたらす最も大きな災いは、アドラー教を宣伝していた者との遣り取りの実体験から、こちらが懸命に説明しても、アドラー教徒は、都合の悪いことを無視して、話の全体像や流れをつかんでおらず、返せる一部についてだけ返して、正論で議論したつもりでいることです。その者が、相手しているのは世辞と社交の言葉遣いをする人だけになっています。アドラー教徒とは話にならない、真剣な議論が成り立たない、という経過が、ずっと続くことになります。
 
こちら側だけの「課題の分離」、こちら側だけの「気に入らないことは無視」、こちら側だけの「嫌われる勇気」の招くものは、・・恐らく正常で健康な人間関係には向かわないと思う。
 
 
(2019年10月08日)

(2019年10月09日、一部修正)
 
 
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