ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

不都合

 
  不都合
 
 
一応、キリスト信仰の立場から書いてゆきます。
 
生きておれば、必ず、自分にとって不都合なことに出会います。
それ自体を避けることはできません。
その不都合を無視したり、敵視するなら、
思いこみの自己正当化をする人にしかなれないでしょう。
 
 
不都合に出くわしたとき
いつも怒りと憎しみだけを生じるのはサイコパスの特徴です。
不都合をいつも誰かのせいにする心性だから
他者への恨みと憎しみに生きる人生になるのでしょう。
 
サイコパスには、
悲しむ心、罪悪感、反省し学習し自らを修正する心、などが欠けていますが、
そういう欠けた人格を持つ人は、実に、身近に存在している可能性があります。
 
 
不都合に出くわしたとき
しんみりと悲しめる人は幸いだと思います。
とても大切な人間性を与えられている証拠です。
悲しみは、悲しむだけでなく、涙や、うつ状態だけでなく、
不都合を自分の反省の機会にして
学習と成長の機会とすることが出来るからです。
 
もちろん不都合が全て自分のせいというわけではありません。
 
恨みや憎しみを持つこともあるでしょうし
むしろそういう感情は自覚しておいたほうがいいと思います。
 
他人は、ときに、勝手な見なしを自分に当てはめている場合があります。
その見なしから、物を言うことがあります。
あんたが、オレの、何を知っているというのか
と言いたくなるような場合があります。
 
その時、恨みに生きるよりも
そのような時にも、自分を失わず、他者に引きずられることもなく、
自らを成長させて、対処する力を身につける機会として
身勝手ではなく、忍耐強くなることが出来るでしょう。
 
それは、より深い人間性の理解でもあります。
 
もちろん、しょっちゅう、悲しんで、しょっちゅう、成長しましょう
などと言うのは、言うだけで、既に、かなり変です。
 
招きなど、決してしていない悲しみですが、
悲しみを克服したときには本当の喜びがあります。
それを幸福と呼んでもいいと思っています。
しかも、悲しみをもたらす不都合に対して
悲しみが訪れる前よりも、耐性が出来ているのです。
 
人間は不完全な存在ですから、
遅かれ早かれ、大なり小なり、
悲しみをもたらす不都合は、必ず訪れます。
人間としての正常な感受性があれば、必ず訪れます。
不可避な、不都合がもたらす悲しみは、人間の成長の機会です。
 
悲しみに沈むことは、あるいは、涙を流すことかもしれません。
涙が出るということは、発散および治癒過程ですから、むしろ幸いなことです。
 
 
涙が出ないような、呆然とするだけの悲しみは、長びけば命の危険があり、
下手に働きかけるよりも、専門家に相談するほうがよいと思います。
その場合は、強制的な薬物治療が必要になる場合もあるでしょう。
 
 
悲しみは成長し強くなるのに便利だから利用しましょうとか
もっと悲しみましょうということではありません。
 
悲しみが訪れることを総て避けることはできないが
訪れた悲しみを経て成長してゆくのが人間であり
 
そのためにも、カルトが宣伝するような
悲しみなど無いかのような異常気分を求めるのではなく
 
しんみりと悲しい気持ちによって
ときに涙とともに、内省し、反省し、祈り、願うことは、
欲望よりも、野心よりも、後悔よりも、
深い広がりをもって、人生を眺めることが出来る人を育てるでしょう。
 
何故なら、そこにあるのは、
浮かれた上気ではなく、一時的な陶酔でもなく、
安易な辻褄合わせでもなく、敵意や恨みでもなく、
それまで求めていた欲望や野心の成就でもなく、
立ち直りへの希望と努力に裏打ちされた肯定感であり
学習と成長に導く心の芯の強さだからです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
5:3
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
5:4
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
5:5
柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
 (マタイ5:3-5、新約聖書
 
信仰者として言えることとしては、
 
この教えの、悲しみの「さいわい」は、慰められるだろうという慰めだけではありません。それだけなら、誰でも言えるような、世辞の激励みたいになってしまいます。
 
悲しみという感情は、喜びよりも、はるかに正直であり、
何よりも、この感情には、嘘や飾りがなく、
 
それゆえに、悲しみは、
赦し、癒し、慰め、導き、という信仰の賜物を受け入れやすい器を、
人の心の中に造るということです。
 
怒りに刺激される憎しみは、人の心を、自己中心に、復讐に、秩序のない欲望に、誘います。
祈りと共に過ごす悲しみは、人の心を、反省に、熟慮に、修復に、節操に、導きます。
 
聖書の教えは、一貫性をもって、つながっています。
聖句の、心の貧しさ、天国、悲しみ、慰め、柔和、受け継ぐ、
さらにつながるでしょう。
 
私は、分かっているわけではありません。
その時々に考えればよい、ということを知っているだけです。
 
帰るところがある、今は、そう受け取っています。 
 
 
(2019年10月09日)
 
 
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