ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

嘘と世辞と侮辱

 
  嘘と世辞と侮辱
 
   私の記事「さりげない悪意」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4003988.html#comments
   同じアメブロ記事は
   https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12540534149.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)のコメント
 
 
最近のシャロームは、名指しで批判されると、こうやってコメントを入れてくるようです。これで3回目です。そして、私は、そのシャロームのコメントを批判するわけです。
 
私の批判記事の、おもな対象は、楽山なのですが、シャロームが、コメントを入れてくるのは、シャロームの名前が出てくるからでしょうか。アドラー教もどきで無視しているように見えるお仲間の楽山の応援でしょうか。
 
私の批判記事やコメントに対して、シャロームは、一つも反論・弁明できたことがなく、気色の悪い慇懃無礼の世辞と、当てつけと嫌がらせと言いがかりと妄想だけを、無根拠に返してきたのです。
 
それだけで、シャロームは、自分は言うべきことを言ったつもりで、自己満悦できるようです。人間性を失うと、人間が壊れると、壊れた心だけで判断すると、こうなるという実例でしょう。
 
何故、書いてくるのか、かつて、シャロームのブログに私がコメントを書いてきたから、お返し、とでも言いたいのでしょう。シャロームの書くことと、私の書くことを、同質に見られてはたまりませんが、シャロームには、文字が並んでおれば、同じに見えるのでしょうね。
 
シャロームは、私のコメントの文章の理路も、道理も、情緒も、文脈も、理解せずに、以前のヤフーブログで、は、未承認のまま放置するか、削除するか、コメント欄を廃止するかでしたが、今年あたりは、未承認のままレスだけ書く、という奇妙なこともしてきました。
 
それで、書いてくるなら、説明しても分からない幼稚なシャロームに対して、私は、ずっとそうですが、削除はせず、批判材料とします。盲目の単細胞でありながら、怨念だけが強くなっているシャロームです。
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年10月31日 12:33
少し長いのですが、引用します。
「私は、毎日、批判対象のブログを覗いて、お気に入りの100くらいのブログを見て回りますが、当然ながら、お気に入りブログの中には、批判するべき対象はありません。しかし、シャロームは、約8年、楽山は約1年批判してきて、これからも批判を続けるつもりでいます。普通のブログではない、全く違う、と思っています。
この二人も、最初は、お気に入りに入れていたブログです。しかし、底が浅いだけでなく、かつ、悪意あるサイトというのは、しばらく付き合うと、疲れるだけだと分かるほどに、自己中な発言を言うだけで、他者の意見を聞く耳を持たない、ということを知るようになって、今日に至っています。
話にならないこの2つのサイトが、信仰者を含め、一般に対しても、抵抗しにくい独特の偽善的な害があることを、ずっと書いてきました。それが、批判というものです。二人とも、何か言って変わるものではないほどに訂正不能です。だから今は、機会あるごとに、関わってはいけないということを読む人に伝えるために、今までのことを含めて、批判を続けています。」
少し寒くなってきましたが、お元気ですか。
そうですか。毎日お気に入りの100件のブログを訪ねておられるのですか。すごいですね。
お元気で毎日をお過ごしのようでなによりです。

 
いつもながら、どれだけ、私の記事を引用しても、その中身を受け取っていないシャロームであることが分かります。シャロームは、引用したのに、それを無視して、何事も無かったかのように、挨拶から始めて、すごいですね、という嘘の世辞を入れてきます。これが、首筋がかゆくなりそうな、鼻が曲がりそうな、不快と腐敗に満ちたシャロームの世界です。この、世辞と挨拶に隠れているところの、不感不応の凄みが、シャロームなのです。
 

100件のうち私shalomと楽山さん以外のブログはst5402さんにとって批判するべき対象ではないとのことで、コメントを交わし共感を深め合い共有してしておられるのかなと想像しています。

 
シャロームと楽山のブログ以外が批判対象外とは言っていません。また、しょうもない詭弁をぶち込んで、先入観を与えようとしています。シャロームと楽山のブログは、批判対象になったときから、お気に入りの約100の中には入っていないということです。また、2つ以外にも、おかしなブログがあることは、既に書いているのです。
 
(私)
「罪悪感や羞恥心を感じることがなく、自己愛が過剰で、批判されると、罵ることしかできない者たちは、私の経験の範囲で、HNをあげるなら、成りすましが疑われるものも含めると、少なくとも今まで10人くらいになります。もっといるのは確実と思いますが、10人さえも、総てを批判対象にすることは一人では到底できないので、今は、批判対象を、シャロームと楽山、そして、アドラー教に限っています。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12540534149.html
 

コメントを交わし共感を深め合い共有してしておられるのかなと想像しています。

 
コメントを交わし共感を深め合い共有しているとは、私は書いていませんね。ずっと前のシャロームと易坊や、シャロームと楽山のように、無根拠に無条件に褒め合ったり味方したりするような、まるで、互いに尻を拭き合うような、異常な依怙贔屓仲間の臭みなど皆無の、興味と好意だけの、依存関係のない他者へのブログ訪問です。
 
読んで、見て、何かを、温もりとか、人間らしさとか、悲しみとか、何も受け取らないシャロームからは決して受け取れないものを、暗示的にでも、ほんの一部でも、受け取れれば、それで、ありがたいのです。
 
前に、共感する仲間の数を聞いてきたように、これは、社交の世辞としても、本心とは程遠く、シャローム特有の悪意による、さぞかし交わりも深いんでしょうね(ほんとですか?あざ笑い)、という皮肉なのです。シャロームは、実に、人を嘲笑っている人です。決して、彼の社交の世辞を真に受けないでください。
 

世のため人のためという使命感に燃えてst5402さんおひとりで私や楽山さん批判に加えてアドラー心理学サロンの批判を毎日続けるの大変だと想像されますが・・・。お疲れがないように…。
続きます

 
世のため人のため、というより、信仰者の務めとして、反キリストの偽信仰の詭弁を重ねてきたシャロームを批判しています。
 
それにしても、世のため人のため、使命感に燃えて、などという、シャロームの台詞が、白々しい嘘であることは、文脈と、今までの遣り取りから明らかで、今日もせっせと偽善に偽善を重ねて、神への背きに背きを重ねている、現代のパリサイ人、いや、丁寧語の嘘のぶんだけ、さらに悪性度を増している偽善者シャロームなのです。
 
今日初めてシャロームのコメントを読む人は分からないかもしれませんが、
お疲れがないように・・は、無駄な努力をしている、という皮肉なのです。騙されていた数年+批判の8年付き合っていると、何度も何度もシャロームの嘘を味わされますから、本人は分からないから自覚しないようだが、真心でないことくらいは、こちらは分かります。それくらい根腐れの人です。
 
シャロームに褒められても、決して真に受けないでください。言っていることの大半が嘘で出来ている人です。なのに、まるで、ペテロででもあるかのように教える立場と語り口を捨てられず、不細工な詭弁と嘘を今日も書いてくるのでしょう。ゆえに、シャロームについては、きたない、きたない、と言ってきました。吐き気がするとも書きました。これからも、言うでしょう。
 
お仲間以外をそういう気持ちにさせるのが、シャロームの体質になっています。さらに、こういう成り行きの性懲りのなさは、まるで裁かれる定めの表れのように思うこともあります。
 
たぶん治らないだろうと思います。シャロームの文章を見るたびに、そう思います。息をするように、嘘を吐き、欺き、侮辱し、あざ笑うのが、シャロームなのでしょう。決して関わらないでください。
 
 

2. st5402さん おはようございます
 2019年10月31日 12:35
私や楽山さんもかつては
「この二人も、最初は、お気に入りに入れていたブログです。」
とのこと。
そういう時があったことを懐かしく思いだします。
そのコメントは今も残っていますが、
そのほか多くのコメントを交わしたyahooブロガーの方たちとの出会いも思い出を残して間もなく消えてしまうのはやはり寂しいことですね。

 
そういうお気に入りが終わったのは、他でもない、シャロームの、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という、キリスト者ならあり得ない信条が明らかになったときからです。
 
そして、そのことを裏付ける醜い言い逃れの詭弁が続いたことで確定して、今も、修正する気がシャロームにはないという成り行きです。反省もせず、懐かしむ要素など、どこにもありません。何を、寂しいことですね、などと、今さら言うのでしょうか。壊したのは、シャローム自身であります。
 
世辞と仲間意識の嘘のつきあいを、出会いと思い出と言って、寂しいと、お涙ちょうだいの、白々しい嘘か妄想の感慨を言っています。もともと共感する意志がないから、正直など考えずに、言葉の効果だけを狙って、もはや通用しない作為の虚偽を、今も武器としているシャロームです。
 

私もブログを何とか続けようとしてはいますが、
厳しいst5402さんの目を逃れながら続けるのも大変ですね。

 
私のせいにする勢いで、私の目を逃れながらでないと書けないことを、自ら、白状しています。
正直な本心で偽りのない誠意なら、誰の目に触れても動じないはずですから。
 
このように、ボロは随所に出してきたのです。その度に無視して忘れて、それが信仰?だと思い込むのです。自身の醜さに、まるで気がつかない末路です。
 

それにしてもyahooブログは便利な機能がいっぱいあって使いやすい素晴らしいブログであったと思います。感謝!感謝!

 
何を興奮したのか、わざとらしく感謝を連呼しています。まるで、ヤフーブログが消えて証拠がなくなることを悦んでいるようです。コメントが不承認で選択したものであることは、スクショ(スクリーンショット)の画像として、いっぱい残っているのです。また、シャロームが言ったことは、このコメントが新たに、私の批判とともに、残りますし、今までの私の記事にも残っています。
 

私の連れ合いも息子や娘たちもよく毎日そんなに書くことがあるねと感心していましたが、ボケ防止にもなったようです。

 
ボケ防止に、嘘を吐いてきたのでしょうか。ボケのみならず悪と偽善が進行していると思います。
 

他の多くのブロガーの方たちのすばらしい記事などもたくさん読ませていただき、刺激を受けることができ、よく引用させていただきながら、続けることができたことも感謝ですね。

 
シャロームは、どこへ行っても、自分の言いたいことを言いまくるだけでした。刺激を受け取ることがなかったと思うのは、前後で主張が、枝葉を付けることはあっても、本質的な妄想は何も変わらないからです、ずっと。
 
シャロームは、例えば思想家などの言を、自分を高めるために、べた褒めして、利用して、自分の妄想と一緒に並べて書いたりして来ました。あらゆる、真実を追求する思想的なことを書く人は、決して、シャロームに関わって、シャロームの話を聞くことのないようにしてほしいです。
 

10年以上もの長い間を振り返ると、楽しい時間を過ごすことができました。
st5402さんとは私のブログ生活の初期に出会った忘れることのできないおひとりですね。

 
毎回、今回も、身の毛の弥立つような、白々しいシャロームの世辞コメントです。
 
人間性も良心もなくなると、何を言われても、超人的に不感不応でいられるのでしょう。それを、神の平安と呼んでいました。超人と言っても、人間離れですから、上から、嘘を教えたり侮辱したりするための魔性です。何も良いものは生み出せません。私は、このようにだけは、なりたくない。
 
これだけ私が批判対象とする人は限られています。ふつう、これだけ言われると、何故と考えるはずです。理由を聞いてくる人もいるでしょうが、多くは書かなくなるでしょう。
 
シャロームには、そういう感受性が無いのです。だから、何を書いても通用しないのに、節操もなく、平気で、だらだら書いてくるのでしょう。それが、8年のみならず、恐らくは、何十年も続いてきたのだろうと思います。
 
一人も、真に受けて、シャロームの無罪妄想信仰に巻き込まれることのないように、
祈っています。
 

st5402さんはこれからも多くのブログを使いこなして充実したブログ生活を楽しみ、お元気でお過ごしください。
shalom!

 
元気で過ごしてほしいと本当に思うなら、今までの経緯を踏まえて、それを書くことなどせずに、黙っていることです。しかし、誠意ではなく、世辞でも収まらない、嘘だから、書いてくるのでしょう。私が、世辞を嫌うなら、それを承知で、うんざりするほどの世辞を書いてくる、そういうのを、サディスト、と言うのです。
 
 
前にも書き、これからも書いてゆく大事なことですが、
 
キリストの敵は、罪でもなく、悪でもなく、嘘や詭弁で善と正しさを装う者たちの偽善です。
 
神に逆らう罪のうち、最も重いのも、罪でも悪でもなく、神を恐れず、自らを高めるために他者を欺く偽善なのです。
 
神聖が見ておられるところで、心にもない世辞によって体裁だけを整えて柔和を装う偽善、自らの反逆を神聖の言葉をいじくって正当化する偽善、何があっても反省しない訂正不能でよいとする自尊によって全知全能の真似をする偽善、等々、表現は多々ありそうです。
 
いずれも、常態でなければ悔い改めることも可能ですが、常態となれば、神に対して、直接、唾を吐きかけることに相当する最大の罪なのです。
 
 
偽善と豪語で自らを高めようとする者たちは、見かけがどんなに柔和で正しそうに見えても、心に快楽原則しかなく、快で笑い、不快で憎しみをいだく者たちです。
 
罪を認めて告白できる人は、必ずと言ってよいほど、悲しみを知っています。
 
喜びを求める人は、悲しみを知っているから求めるのです。
 
喜びだけしか知らないようになろうとすることは、喜びを求めることとは違います。
 
最初から、喜びだけで生きようとすることは、笑うことしか求めないで、多くの与えられた試練の悲しみに気づかないまま、試練の中で苦しむ人を、迫害することになりかねないのです。
 
このような共感性の欠落に至るのは、悲しみを知らない人です。訪れた試練の時に、悲しみを正直に祈り、神に打ち明けることをせず、ゆえに、問うこともせず、自分で、試練を、否定したり、合理化したり、ついには、誰かを、そして、神を、恨むに至るのです。
 
 
(2019年11月01日)
 
依怙贔屓(えこひいき)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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(古い記事もインポート済み)
 
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