ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

嘘の偽善の虚無

 
  嘘と偽善の虚無
 
   背教の繰り言(4)コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4416756.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、コメントを一部編集して書いています。
 
 
シャロームは、全く必要とされていないのに、未練がましく、未練がましく、教えようとするのです。おぞましいことです。
 

1. st5402さん おはようございます
 2019年12月01日 08:38

「祈りを書き綴る罪をおゆるし下さい。他に方法がないのです。」
 」
祈りは人によっては文学であったり、音楽であったり、詩であったり様々ですから、書き綴ることが罪ではありませんね。

 
言ったでしょう。投稿者名をちゃんと書きなさい。いつまで責任逃れの姑息になっているつもりですか。それが、ずっと、あなたの生き方だからですか。
 
どうしたのでしょう。昨日は、私の祈りをあれだけ虚仮にして、今日は文学ですか。詐欺師の世界では、そういうのもありなのですか?・・易坊とかの。
 

他の人と共有してもらうために、公けにすることも問題ありませんが、基本は一人、閉ざされた部屋でひとりとイエスさまは言っておられます。長々と人の前でこれ見よがしに祈ったり、人に聞かせるためであったりするのはよくないようですね。

 
だから、書いて来ないでください。反キリスト者で詐欺師のあなたには関わりのないことです。
 
それよりも、あなたは、キリスト教とキリスト信仰を外部から汚さないように。
 
妄想信条も、誇る信仰も、キリスト信仰において最も忌むべきものを、何一つ訂正していないまま、信仰を語ろうとするあなたシャロームが、何を発言しても、呪いに過ぎません。
 
弁明できない、反論できない、信仰を語れない、いつも退屈で煩わしい、シャローム、災い以外の何物でもないです。
 

教会はみことばと祈りを共有するイエス・キリストの身体であり、真理の土台であると聖書には書かれていますし、イエスさまはふたり、または三人が、私の名によって集まるところに、私はいると言われあのは教会のことですね。

 
どうして、キリスト教に執着するのでしょう。キリスト教を何一つ知らないのに。
 

教会の交わりを拒む信仰は独りよがりの共有、共感のない信仰生活になってしまいやすいですね。他に方法がないというのは間違いですね。悪魔の教会とはどこにも書かれてありませんよ。
聖書をよく読んでおられるst5402さんには釈迦に説法ですが。
今日も天気が良いようでうれしいですね。
今日もどうぞよろしくお願いします。
shalom!

 
あなたが悪魔性を持っているから、あなたが唱える教会という意味です。
 
投稿者名、shalomとか、易坊とか、を書きなさい。
 
名乗れない卑怯者ですね。今日も嫌がらせだけのために来て、責任は負わない楽山やシャロームなどの易坊類のやり方ですか。
 
楽山やシャロームなどの易坊類は、ほんとに呆れるほど、失敗も愚事も失言も、あらゆる醜さ暴露も、スコーンと忘れて、無視しています。そしてゆくゆくは、証拠がないじゃろと安心して、否定するのでしょう。
 
それらをちゃんと終わらせないと、あらゆる発言は、おちゃらけに過ぎないのです。弁えがないというのは、恐ろしいことです。何を言っても、誰からも本気で受け取ってもらえなくなるのですから。よくそんな人生を生きて来れたものです。感情とか、自負とか、全然ないのでしょうか。ずるずる動物なのでしょうか。
 
だますための嘘っ卑(うそっぴ)というのは、その時も、後で思い出しても、本当に、汚らわしいです。この悪臭は、一生、忘れられません。本人だけが、慣れてしまって、気づかないでいるのです。
 
楽山やシャロームなどの易坊類のような嘘吐きのずるずる動物が、何を言っても、何も言ってはいません。謝罪しても、放屁に過ぎません。笑っても、何か捻じれているだけです。肛門でしゃべっているようなものです。気づけば、彼らは、言論が排便であり、いつも臭くてたまらない、という経験を、人に残します。
 
自らの尻さえ、拭おうとのしない者たち、それが楽山やシャロームなどの易坊類。不潔の感覚が麻痺して、上滑りの丁寧語で蔽えば、清潔だと思い込むほど、言葉を舐めている。だから、発しても、受けても、平気で無視できるほどに、人間の性能が欠落している。
 
楽山は、ボンヤリ言語、シャロームは、エヘヘ言語、易坊は、問い詰め言語、いずれも、大事なテーマで、偽り以外を言ったことの無い者たち。真摯という言葉から最も遠い者たちです。
 
楽山は、ボンヤリ言語、シャロームは、エヘヘ言語、易坊は、問い詰め言語、いずれも、自尊と保身のためにだけあり、誰の役にも立たず、何の意味もなく、人を傷つける趣味だけの言動であって、実質を持たない者の、是非を語れない者の、ごまかし言語です。
 
したがって、まともに受けて、反応することだけは、してはいけないのです。まともを装って、目的として、だますか、傷つけてきますから、まともではない相手として、庭に迷い込んだ虫として、バグとして、ワームとして、エラーで出来ている人型動物として、処理するべき相手です。
 
楽山やシャロームなどの易坊類は、罪はもちろん、恥を感じません。だから、ここまで捏造するか、いくら何でもというような酷い嘘を平気で吐きます。さも、被害者であるかのような嘘を平気で吐きます。罪悪感も羞恥心もないのです。そうして、疲れさせるのが狙いです。イライラしたり、怒ったりして、言葉を乱すと、そこを突いてきます。最初から、そういう態度しか持たない者たちであることを弁えておく必要があります。
 
人間が、憎くてたまらないために、人間を、ほぼ捨てている者たちです。その装いの見せかけに、学問や聖書や信仰?のことを言うのです。もちろん、分かっていないので、間違いだらけなのですが、間違いも正そうとせずに虚妄を続けます。とうに正しさを捨てているから、正誤などどうでもよいので、平気で利用することが出来るのです。
 
 

15. shalomです。こんにちは
 2019年12月01日 12:20
「イエスさまは十字架の上で、「私を誰も助けてはくれません」とは祈られませんでした。反対に、ご自分を十字架につけた人(私たち)のために、父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分のしていることが分からずにしているのですからと祈られました。
あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。」


御心配無用です。
祈りはどんな言葉、沈黙、どんな叫び、どんな泣き言のような祈りでもイエス様には聞き取る耳がありますから。
ただイエスさまの祈りは私たちの祈りとは違うことがわかると、なぜだろうと、祈りを聞かれる神と祈る自分との関係の姿をみことばによって気付かせてくださいます。つまり神のみ前のと自分の姿に向き合うチャンスとしてくださいます。
祈りとみことばは私たちの神のみ前における本当の姿を写し出す真理の鏡のようですね。

 
これは、あなたシャロームの発言ですよ。「病的説教」コメント23
 
もう一度、言いますが、
上の「イエスさまは・・」は、私のコメントをなじったきの、あなたシャロームの発言です。
「病的説教」コメント23
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4359970.html
 
何が御心配ご無用なんですか。
私は祈りが真逆などと思ってもいませんし心配もしていません。
 
それにしても、今まで、ボロばかり出しているのに、まだ書き続けるのが、罪悪感も羞恥心もないということなんです。だから、恥をかいても平気で、よだれを垂らし続けられるのです。あなたは、神がどうのと言わずに、先ず、自分で鏡を見なさい。ボロボロのあなた自身を。
 

聖書には次のように書かれています。
【口語訳】新約・二テモ3:16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
shalom!

 
 (テモテへの第二の手紙、口語訳)
3:16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:17
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
 (2テモテ3:16-17、新約聖書
 
シャロームは、楽山やシャロームなどの易坊類は、何故、十分な準備もせず、完全に整わず、的外れのことばかり書くのでしょう。何故、悪い技ばかり、仕出かしてしまうのでしょう。何故、整ったところが全然ないのでしょう。それは、今まで、神のもとで学習してこなかったからです。訂正不能の妄想信条?を固定してしまうと、そうなります。
 
あらゆる自らのボロを認めず無視して、白々しく、何事も無かったかのように挨拶して、書き続けて、ペロッと舌を出して、しらばっくれている姿・形のイメージだからです。反省しなければ、これから、もっと酷いことになるでしょう。まだ、恥ずかしくないのですか。神に対しても。人に対しても。そこまで恥知らずの厚顔無恥なのですか。
 
投稿者シャロームshalomという名前を書きなさい。退行したのか。子供か。
 

祈りはどんな言葉、沈黙、どんな叫び、どんな泣き言のような祈りでもイエス様には聞き取る耳がありますから。

 
あなたシャロームは、ここで、こう言っていますが、
「病的説教」コメント23においては、
 
>あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。
>イエスさまの心がわかっておられるとは思われません。
 
と書いて、私を罵っています。
つまり、また、ボロを出している偽キリスト者シャローム
 
 

今まで投稿者名を殆ど書いて来なかったが、この記事の2つ目のコメントには、shalomです と書いているようです。失礼。
 
 
(2019年12月03日)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html  
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html