嘘と偽善の虚無(5)
嘘と偽善の虚無(5)
嘘と偽善の虚無(3)コメント欄
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シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
また、重ねて、罵りが加速しています(以下)。シャロームは、おとしめ、怪しい、虚言癖、と言い、かなり激しい決めつけの口調になってきました。
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16. shalomです。おはようございます
2019年12月05日 13:19
「
「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。
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悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。
安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
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新約聖書を通読だって疑わしいですね。
マタイによる福音書の初めのイエス・キリストの系図について書いてあることすら読んではいないでしょう。
ルカによる福音書にも系図が書いてありますが、その違いは分かりますか?
読んでいても、その人物がどこで登場し、どのような人物であるかもほとんど知らないでしょう。
その系図は福音の告知であり、宣言なのです。
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このように、シャロームは、心温まる話よりも、系図にこだわるのでしょう。シャロームの血筋には何の関係もない系図に。自分の血筋を憎んでいるのか。
告知と宣言を受け取って、心を無にして、福音を無にして、説得力も温もりもない解釈で、目をつり上げるかのように、豪語するシャローム。こういう豪語こそが、キリスト者でも牧師でもない自己正当化の証拠となってきました。
シャロームのように、系図が福音の告知で宣言だと言うのは、戒律を守ることが信仰だと言うところのパリサイ人などの形式主義・教条主義の特徴です。
名前、条文、戒律、という言葉だけで、決まったかのように頷き、一方、言葉から、心を受け取ろうとする姿勢を全く持たないので、結局、心の問題に何の反応も出来なくなってゆきます。
シャロームは、その典型例であることを、自ら表しているのです。
信仰が教条主義や形式主義に陥ってはいけない、ということを、聖書とキリストの言葉は伝えているのに、真逆の方向へ、誇大的に強調する羽目になっているのが、シャロームなのです。
そういう逆方向に向かうシャロームの系図には、偽善の告知と宣言に、いったい誰の名前があるのでしょうか。シャロームの言うところの古い日本教の、どこかの村社会の、誰かを村八分にした者の名前でしょうか。それとも、シャロームみたいな自分教の因習に、逆らう誰かを、頷きを刷り込まれた者たちとともに、人知れず葬った者の名前でしょうか。
心と、系図と、どちらを大事に、大切に思うでしょう。私は、心のほうです。
人によっては、系図も大事と思う人はいるでしょう。しかし、系図を、先人を、大切に思うのは、他でもない、心なのです。心を無視するところには、系図も、先人も、ただの文字列に過ぎなくなります。
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こう書けば、すぐ貶めるとか、責めるとか書いておられますが・・・つじつまを合わせるために、あなたの書いておられることにはどこを読んでも虚言癖のオンパレードです。
虚言癖の原因?についてはご存知でしょう。
思い当たりませんか?
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つじつまを合わせる、虚言癖、いずれも、私が、シャロームを批判するために書いた言葉です。また、人の言葉を使って、根拠を示さないから、嘘だとバレる。
そして、また、妄想を語り始める、原因?、思い当たりませんか?と。
シャロームの、偽善と背教の原因は?・・人格の破壊としか言いようがない。
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無関係な楽山さんや易坊さんの名前を出して、事実無根の人格否定し、誹謗中傷をして・・・
おふたりは私の仲間ではありませんが、そんなに仲間が嫌いなのですか?それともひとりも仲間がいないのがそんなに寂しいのですか?
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楽山と易坊はシャロームの味方をしました。易坊たるや、シャロームとともにコメントを荒らしました。どこが無関係なのだ。
楽山の執拗なキリスト教いびりのボンヤリ言語はごまかしで、易坊が荒らしであり、シャロームもベースは荒らしだと思うので、成りすましを疑い、かつ、楽山やシャロームなどの"易坊類"と呼んでいるのです。それぞれ、信仰を破壊する悪意と憎しみのルサンチマンです。
ルサンチマン:弱者に募る怨念。嫉妬に根差すとも、負け犬根性とも。
> 一人ぐらい仲間と言えるような人があってもいいですね。
私が、シャロームの、仲間、お仲間、と言うとき、皮肉を込めていることが分からないでしょうか。本当の仲間ではない。成りすましか、イエスマン同士か、親族か、など。
過去の文脈を全く追わず把握しないまま、まだ問うてくる、まだ勧めてくる、まだ正しいつもりでいる、そういうことが出来てしまう心性、ただ言うだけの一方向、原始的反応の罵って返す、嘘吐いて返す、実に、気持ち悪い。
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17. shalomです。おはようございます
2019年12月05日 13:39
「
「困ると個人情報を出してきて、半ば脅すシャロームの常道ですが・・・」
」
あなたが自分の不安や恐れ、悲しみ・・・の原因として、正直に「わたし」「トラウマ」という記事をブログに書いて、公にしておられることですね。
単に記事の引用であれば、あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね。
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私の記事「わたし」「トラウマ」は、ここでは関係ありません。兄と母を出してきたことを言っているのです。シャロームの度外れた勘違いです。あるいは、わざと的を逸らしているのでしょうか。
シャロームコメント3「お兄さんにもお母さんにも」
なぜ、お姉さんじゃなくて、お兄さん?、お父さんじゃなくて、お母さん?、知っているのか。昔、言ったことがあるのかもしれません。
そうか、シャロームは、私の記事「わたし」「トラウマ」を読んだから、兄と母のことを書いているのでしょう。読んでるぞ、都合の悪い話・・と暗に脅しているのです。
シャロームという人に迂闊に打ち明け話をして相談していると、のちに、シャロームに背いたとき、どうなるか、ということが、ここに表れています。
罪と偽善の重さが全然わからないシャロームらしいコメントです。兄と母を出す必要など、どこにもないのです。こういうことをするのは、侮辱したいだけの荒らし根性なのです。単なる記事の引用ではないから書いているのです。
「あなたが私の記事を引用された数は数え切れませんね」・・引用の数を比較して、少ないほうの勝ち!、とでも言いたいのでしょうか。みじめだ、シャローム・・
数ではなく、どこに根拠を求めているか、その根拠を、自分でどう理解し得ているか、ということです。
シャロームは、考えもせず、言葉という形を鵜呑みにして、聖書を、子どもの、お伽噺に、おとしめています。
さらに、シャロームは、それを、金科玉条のごとく、つまり、お伽噺を、そのまま、押し出して、信仰を語ったつもりでいるのです。成長がなくなり、心がなくなると、そういう妄想世界に頷いてしまうのでしょう。
シャロームが使徒信条を引用したのは、自分で何も言えなくなったから、信じてもいないし、罪を認めず悔い改めないことで真っ向から背いている権威を、この時だけ利用するわけです。
これは、詐欺師の手口に酷似してきます。シャロームの言語は・・こんな権威ある偉い先生がおっしゃっているんだから間違いはないですよ私を信じてください(隠して、エヘヘ)・・のパターンです。
まさしく、前に書いた、シャロームの、意地悪なエヘヘ言語。ちなみに、楽山のボンヤリ言語、易坊の問い詰め言語とも書きました。シャロームは、神も、キリストも、信じるどころか、名称の文字列として、好きなように、自己正当化に使っているだけなのです。
(2019年12月08日)
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