ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

アドラー教について(10)

 
  アドラー教について(10)
 
    2019-11-11  
   【読まなきゃ損❗️】人を傷付けたら、必ず自分に返ってきます❗️
   https://www.adlersalon.com/entry/2019/11/11/233008
 
 
分析が分析にならず、説明が説明にならず、結局、豪語に終始しています。
私が批判したネット上のカルトとの関連で、考えてみます。
 

アドラー心理学サロンです。
人の悪口を言ったり、嫉妬したり、けなしたり、責めたりする虚しくて浅ましいことを考えること自体が、その対象となる相手よりも自分自身を強く傷付けています。

 
悪口、嫉妬、けなす、責める、といったことからは、まず、批判を除外する必要があります。批判は、ときに悪口と見なされて、特に信仰者において、間違って戒められています。その結果、批判されにくいことをいいことに、カルトが蔓延る要因になっているのです。
 
人間の不完全性を考えれば、真実の追求に、批判、反省を通して、修正、そして、共感、といったものは、不可欠の要素なのです。
 

「悪口を言ったり、他人を傷付けたり、陥れるような人には必ずその報いがある」
こんな話を、あなたも一度や二度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
まさにその通りなのです。

 
批判を悪口としか受け取らない者は、理解力不足を批判者のせいにしますから、学習と成長による理解力の成長がなくなります。これは、カルトの大きな害毒でもあります。カルトは、文句を言わず鵜呑みにすることを要求するからです。
 

青臭い正義を振りかざすつもりも、非現実的な道徳的、宗教的な主張をするつもりも一切ありませんが、心理学的に実証されている事実なのです。
なぜかと言いますと、自分の思考や行動、言動は、望むと望まざるとに関わらず、自分の潜在意識に深くインプットされていくからです。
潜在意識というのは、無意識的に自分の行動に影響を与えて自分という存在を作り上げている意識のことであり、自分が自覚している顕在意識とは区別されます。

 
潜在意識は、簡単にとらえがたいもので、ゆえに、潜在意識というのです。無意識とも書いてあります。あくまで一般論に過ぎないことを忘れてはいけません。
 

先ずは、潜在意識と顕在意識の違いについて紹介させていただます。
潜在意識は無意識と同義語で、生命を維持する活動である呼吸や食事、睡眠などの習慣は潜在意識レベルで行われている活動となります。

 
これで、潜在意識を語ったことにはなりません。潜在意識が働いているのは生命維持の活動だけではありません。何と浅い理解なのでしょう。問題となるのは、意識せずに、信じ込んでいたり、刷り込まれたりする思想内容なのです。
 

顕在意識は自分で自覚ができている意識のことを表しており、「今日は早めに寝よう!」などと意識して行う活動は顕在意識によるものです。

 
意識を、潜在も顕在も、日常活動だけで述べるのは、片落ちというものです。
 

アドラー心理学では、無意識と意識を包括する全体としての"私"を取り扱うので、潜在意識の話をするのは少し変なのですが(笑) 大切なお話ですので潜在意識の機能面については解説をさせて頂きました。

 
今までのブログ主の記事において、無意識と意識を包括するといった大きなテーマについて、述べた文章も、それにつながる文章もなかったのです。
 

無意識的に当たり前のように行なっている生命活動を司る潜在意識は、前述の通り普段話している言葉や日常生活レベルでやっていること、ぼんやりと少しでも考えることに非常に敏感に感化されてしまいます。

 
ブログ主が言っている日常の生命活動は、潜在してもらわないと、いちいち意識していたのでは、不便でしょうがないことです。
 
問題となるのは、日常生活レベルの生命活動ではなく、当たり前のように思い込んで信じ込んでいる様々なことです。カルトは、そこを目的として擦りこんでゆくからです。
 

例えば、いじめをしている学生がいたとして、その人達は暴力を振るったり、人の嫌がることをしたりとネガティブなことばかりを考えては、積極的に行動に移しています。
こうした人達は、相手よりも自分自身を傷付けている可能性がかなり高いのです。
なぜなら、潜在意識は暴言を吐いた時の言葉の主語や、暴力を振るった加害者と被害者を区別できないからです。

 
区別できないでしょうか。大方、区別していると思います。いじめをする者たちが潜在意識で暴力をふるっているとでも言うのでしょうか。
 
これは、ちょっと、ひどい勘違いです。働いているのは、大方、悪意の攻撃性です。
 
過去のトラウマや、刷り込まれた差別意識や、自身の性格的な易怒性などという自覚されないものが、潜在意識から働いているのでしょう。
 
暴言の主語とか、加害者と被害者を区別できない、などということで表現できるものではないと思います。文脈も表現も安易すぎます。
 

つまり、知らず知らずのうちに、他人に八つ当たりをして憂さ晴らしをしているように見えて、自分の自尊心を痛め付けては潜在意識に「自分の愚かさ、惨めさ」を大量にインプットしているからです。

 
もう一度言います。暴言の主語とか、加害者と被害者を区別できない、などということで表現できるものではないですから、トラウマ、刷り込み、先入観、固定観念、性格、人格障害、などを掘り下げることが必要になります。
 
そういう暴力的な者は、「自分の愚かさ、惨めさ」をインプットしてはいないと思います。むしろ、インプットし損なっている常習者でしょう。
 
ブログ主は、安易に、感心されるような気取った言葉を並べて、言い得たつもりになっているだけのように思われます。潜在意識は、苦手の人のようです。
 

他人から言われたことは、自分には影響はあっても最終的にどう思われようと、何を言われようと、どんな気持ちでどんな行動を取るのかは自分で決めることができます。

 
潜在意識について、安易に済ませて、文脈が繋がっていないと思いますが、ここで、ブログ主が、いつも言っているアドラー教の"課題の分離"の話に持っていくようです。強引~無理やりです。
 

しかし、自分でやったことは、自分の生命活動を司る程に強烈なエネルギーである潜在意識によって、ネガティブな思考、行動、言動をひたすらに引き起こしては、同じ部類の人種を引き寄せてしまうのです。

 
ブログ主は、潜在意識が働く生命活動について日常の活動のことを言っていたのですが、そのエネルギーが、ネガティブな活動を彦起こすと述べています。日常活動が、暴力や暴言を引き起こすでしょうか。この辺になると、言ってる理路が、かなり、いい加減で、捏造に近いと思われます。
 
>つまり、すべては科学的に自分に返ってきてしまうのです!
>断言します!
 
そして、科学的に・・!と言っています。どこが科学的なのでしょう。何か証明しえたかのように、のぼせ上がっていますが、まるで、オウムの麻原彰晃のごとく、座して宙に浮いているかのようなブログ主です。実際には、ブログ主の豪語は、いたるところで、墜落しています。
 

いじめや嫌がらせをするような人達は、今後ますますネガティブさに磨きをかけて、まともな人間と関わることができないまま、落ちぶれ同士で傷を舐め合うだけの人生を送ることになります。

 
カルトも同じです。実に、かばい合い、傷をなめ合い、とんでもない信条を、共に唱え合っているのです。カルトの結びつきは、カルトの性質上、無条件で、無反省に、無修正に、無謬を主張するので、成長することがなく、同じような顔で、同じような舌で、舐め合う以外ないのです。
 

どこかで反省して、「他人のせいにしていないで自分のことは自分でやろう。自分が傷付けた人達には深く陳謝し、勇気を持って自分の人生を生きよう!」とまで思えないとまともな人生は送れません。
人の悪口を言ったり、他人に嫉妬してあることないことデマを広めては嫌がらせをしたり、他人のあら探しをしては、欠点を見つけ出してグチグチと文句を付けるような人に幸せな人は1人たりともいません!

 
元々、カルトは、根拠のないデマから始まっています。攻撃されると、根拠もなく、自分が言われそうなことを、相手に向けるという常套手段を持っているようです。・・似てる・・
 

そういえ人達は調子に乗っているように見えるだけで、一時の落ちぶれ同士の馴れ合いで自分を安心させているだけ。
言わば、他人を傷付けることは自分の心のリストカットのようなものですね。麻薬にも近い危険な行為なのです。

 
「落ちぶれ同士の馴れ合い」「自分の心のリストカット」「麻薬にも近い危険な行為」、殆ど、これが、悪口でしょう。体験からの発言でしょうか。先に述べたことは信頼できそうにないし、根拠を説明しえていないと思います。
 
やはり、安易に短絡して豪語することの弊害を、今回もあらわにしています。ブログ主は、理路を整えることが苦手か、めんどくさがり屋のようです。
 

悪口を言うような人、悪口仲間同士でも信頼し合えていません。「次は自分の番かな?…怖いからもっと弱そうな奴の悪口を自分から言っておこう!」といった具体で永遠に落ち着けることはありません。

 
カルト同士の場合も、信頼関係とは言い難く、無条件の主従と仲間であるにすぎないようです。救いを豪語しながら、少数の者たちの物質的または非物質的利益によって成り立っている結社または集団と言うべきでしょう。
 

幸せに満たされた人生を生きている人に、嫌いな人に執着して暴言を吐いたり、嫉妬するような人は1人もいません!

 
当たり前です。ただし、幸せに満たされた人生を生きている人、というのは、そうはいません。多くは、好きな一方で納得~満足し、不快な片方を耐えているのです。アドラー教もその傾向が強いので、自己中という批判があるのは当然の成り行きです。
 
不快が、心を病むほどであれば、精神の健康のために、割り切ることが必要ですが、不快と感じたら全部無視するという者たちがいて、まるで記憶障害のように、批判を無視して、同じことだけを繰り返し言い張り続けています。とぼけと、ふざけが、病気になったような者がいます。他の人間らしい思考と情緒の精神機能を捨ててしまっているのです。
 

普段から、自分を大切にして自分の思う悪いことはせず、自分が良いと思うことをしよう。

 
これは、当たり前のことです。
 

そうすればあなたは自分の潜在意識を豊かに保つことができて、どんな逆境にも挫けない勇気を得ることができ、自尊心を高く保って満たされない思いをすることはありません。

 
教祖的な空約束です。責任を負う気のないものの美辞麗句で飾った、保証のないことを保証するような豪語です。ブログ主は、潜在意識の豊かさを知らないと思います。何故なら、潜在意識の豊かさを知っている者はいないと思うからです。潜在意識なのに、どうして豊かだと分かるのでしょう。ブログ主が、言葉や、豪語することについて、恐れを知らないからでしょう。
 

常に自分の思考、言葉、行動はポジティブになっているところを想像するだけで、何だか幸せな気分になりませんか?
この状態になれれば、幸せで楽しく、自分の意志で前向きに人生を生きる人達の縁にも恵まれます。
自分の潜在意識を裕福にしてあげよう!

 
こういう暗示や豪語を受けて、アゲアゲやノリノリになってしまうと、自己中心の多幸症や躁病の陶酔気分を疑われることになるでしょう。
 
「何だか幸せな気分」が潜在意識が裕福かどうか分からないと思います。ただの一時的な気分に過ぎないこともあります。潜在意識は意識されません。だから、恐れもあり、また、深い思考も生まれるのです。潜在意識は、「裕福にしてあげよう!」などと言って、扱えるものではありません。
 
 
(2019年01月16日、同日一部修正)
 
 
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