ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

アドラー教について(17)

 
  アドラー教について(17)
 
 ポジティブ心理学サロン(アドラー心理学サロン)
  2019-03-15  
 人の心を深読みすれば、お互いに不幸になるだけ❗️
https://www.adlersalon.com/entry/2019/03/15/%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%82%92%E6%B7%B1%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%99%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%80%81%E3%81%8A%E4%BA%92%E3%81%84%E3%81%AB%E4%B8%8D%E5%B9%B8%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A0%E3%81%91
 
 
なんだか、人同士のつきあいを、何かの駆け引きのように考えている節があります。人間関係を、冷たい説教の言葉の理屈で断定的に見なしながら交わるのは嫌だな、という感想をいだきました。
 

他人の心を読みすぎれば、あなたが振り回されてしまいます。
あなたは他人の心を込めて読もうとし過ぎては、あなた自身が振り回されてしまい疲れ果ててしまった経験はありませんか?
他人を思いやること、人への優しさを持つことは生きていく上で非常に重要なものですが、他人の心を深読みしすぎてあなたが振り回されてしまってはいけません。

 
深読みがよくないのは、それで、関係をこじらせたりするから、深読みしすぎたと思うのでしょうが、実際には、深く読み取ってなどいないからです。
 
つまり、人間は、他人の心を、深く、詳しく、正確に、読み取ることはできない、という自覚が必要でしょう。
 

人には、他人の心を察する能力があり、この能力は周囲の人達と良好な関係を保つ為に必要となる大切なものです。
この頃元気の無い友人がいたとします。
そんな時に何か困っていたり、悩んでいるのかな?と相手の心中を察することで、優しい気持ちで「何か困っていたら相談してね」と声をかけることができます。
こうしたやり取りを通して、人と人は信頼関係を構築していくことができます。

 
実際、相談してきたら、どうしますか。その人の、状況、心理など、詳しくは知りえないのだから、深読み、実際は浅読みを深読みと勘違いするような、ここのサイトがやるような、濃密で断定的なアドバイスをしようとすると、こじれることになるでしょう。
 
事情を知ろうとして問い詰めないこと、あなたはこう思っているけど云々・・みたいな分かってるふうにならないことが大切です。実際、相手について分かったつもりでも、それは、自分の世界のことで、相手の世界を知ったわけではありません。相手について分かるのは一部だけなのです。そこから推測しているに過ぎないのです。
 
ひどいのになると、ある日、唐突に、向いてないと思うね、などと、何様のつもりだと言いたくなるようなネガティブな言い方をしてアドバイスしたつもりでいる者もいました。・・あんたが、オレの、何を知っているというのだ・・と言いたくなることがありました。その頃、私は、対人緊張があって、しかも、突然のことで、唖然(あぜん)として、その場では何も言えなかった、という悔しさが残っています。
 

しかし、他人の心を読みすぎないようにしましょう。
アドラーは、感情的なやり取りよりも、理性的なやり取りをするべきとしています。
言葉以外で、人と人は正確な意思疎通を図ることはできません。相手の心を言葉ではなく忖度だけで推し量ろうとすることは、度が過ぎれば押し付けにもなりえてしまうのです。

 
読み過ぎではなく、読むことができていないのに、読んだつもりになると自己中心の説教臭さになりやすいということを自覚するべきでしょう。度が過ぎてはいけない、ではなく、正確には出来ない自分、ということなのです。
 
他者の気持ち、悩み、アドラー教で言うところの課題など、読み取るには限界が厳然とあり、どこが境界かも、いつもはっきり分かるわけではない、という自覚があれば、こちらの言い方に、その自覚が表れるでしょう。断定、押し付け、決めつけは、しなくなるでしょう。
 

思いやりのはずであった、他人の心を読むこいう行為であなた自身が振り回されては心をかき乱してしまうのではいけません。

 
他人の心を読む、などという自覚ではなく、話を聞かせてもらって、共感できることについて意見を言う、という姿勢を持つべきです。ブログ主は、また、強すぎる言い方をしています。
 

前述の元気の無い人を見て、「何か悩みでもあるのかな?もしかして私のことを迷惑だと思っているのかな?…」などと邪推して余計なことまで考えてしまいがちです。
こんな風に考えていれば、あなたがどんどん落ち込んでしまうだけで良い事は一つもありません。

 
余計な勘繰りというのは「私のことを迷惑だと思っているのかな?」という発言で邪推の例となることではなく、むしろ、他人の心を読んでいる、という思い上がった自覚がもたらすものでしょう。心を読むのではなく、心を思いやって、できることをする、ということしかないのです。
 

アドラーは他者貢献は幸せになる為に必要であるとしていますが、そこに自己犠牲が伴ってはいけないとしています。

 
特定の人に依存しているかのように、のめり込むことがいけないのです。他者のために思い計らうことは、多少とも自己犠牲を伴います。人間愛の本質です。自己を全く犠牲にしないようにして、などと考えて、他者貢献は出来ないと思います。
 
他者貢献はするが、自己犠牲はしない、というのは、ええかっこしいの辻褄合わせでしょう。
 

つまり、誰が元気の無い人、悩んでいそうな人を見ても、「何か困ってるのかな?」くらいで相手の心を読むのはやめておきましょう。

 
それだけだと、他者貢献にはなっていないのではないでしょうか。言葉だけ、やさしい人っていますけど、偽善的な印象になりやすく、なんだ、あれは、と思われるんじゃないでしょうか。
 

他人が「何に」悩み、困っているのかは本人から聞かないと分からないものであるとして割り切り、あなたで勝手に悪い方へ考え巡らせないようにしましょう。
辛そうな人には優しく声をかけること、必要な援助をすることができることを伝えてあげれば良いのです。
人は人に援助はできても、それ以上のことはできません。

 
私は、好意的なよそよそしさ、というのが、双方の自立した付き合いの、弁えの言葉としては気に入っています。私にできることがあればします、ということしか言えないはずだからです。そのとき、援助、できること、というのには、実行できて、かつ、折に触れて説明できる具体性がなければいけません。言葉だけでは、偽善になってしまいます。
 
そうすれば、一方で、人間が、他者のために出来ることには限りがあることを知るでしょう。そのことによって、人間の不完全性、罪の性質、などを知ることにもなるでしょう。他者とのかかわりは、まさに、自分の成長のためでもあります。
 
ゆえに、他者に関わるときには、特に、うんちくもないのに、やたら説教をしたがるカルト臭い人とかもいますから、よくよく選んで、人間性がおかしくなっているようなところは、避けるようにしてほしいと思います。
 

アドラーの考え方で言うならば、困難を克服しようとするかしないかは他人の課題であり、あなたの課題ではないため、本質的にはあなたにはどうにもできないということです。

 
課題、課題と、アドラー教にこだわる言葉遣いを、私は好みません。人間関係は、誰の課題などという言葉の割り切りで語れるものではないからです。言葉は、万能ではありません。
 
人間にとって、言葉は仮の暗号です。心は存在の波動のようなものです。言葉は固定できますが、心は固定できません。無理に、心を固定しようとすれば、知らないうちに自らの心に痼(しこ)りと亀裂が生まれます。
 
言葉と心が、不変に一致するということはありません。その時その場で、技(わざ)としてではなく、わが身を省みて努力と工夫を必要とするのが、人間の言葉です。
 
人間関係を考える上では、言葉にこだわらない柔軟な思考と情緒の活性が必要です。大切なのは心ですから、心構えも、一通りの言葉では、とうてい表されるものではないと思います。その場で、その時に、表す言葉を、直感して、かつ、考えるアクティブな作業が必要です。
 
アクティブが、柔和につながります。パッシブな固定は、盲信につながります。
 
他人の課題、自分の課題、という分離を、神のお告げみたいに、絶対化していると、批判的に見る目を失って、正しいはずだからと現象をこじつけるようになるでしょう。さらには、同じことを繰り返し、そうでないときは、気に入らないことは無視しましょう、というような、自己中の典型に堕してしまいます。
 
 
 近況: 母入院。
 
 (2月18日午前5:05現在)
昨日、夕刻、介護施設から電話があって、母が、39度の発熱があって、肺炎の疑いで、市内の総合病院に入院になりました。今すぐ、危篤ということではないようですが、ひょっとしたら、ブログお休みになる日があるかもしれません。今日、入院手続きをしに行きます。
 
介護施設からの入院は、去年6月、尿路感染で入院して、二度目になります。あの時も、39度の発熱があったそうですが、2日経ってから同じように入院手続きに行ったときには、本人は、熱も下がって、病室のベッドで、笑っていました。今回、もし、肺炎だったら、ちょっと厄介かな。
 
 (18日午後1時半現在)
入院手続きに言って、ハンコを忘れてしまって、また、行かねばなりません。何をやっているのやら。
母は、ベッドで抗生物質の点滴と酸素吸入を受けながら、熱も下がって、意識清明で、痰まじりの咳が出るようですが、見た目は回復しつつあるようです。
 
 
(2020年02月19日)
 
 
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