ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

駄々と児戯

 
  駄々と児戯
 
 事実と価値判断について(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著)
 http://mn266z.blog.jp/archives/23741147.html
 楽山日記(LD)
 
 
他者の意見や批判を平気で無視する楽山の、また知ったかぶりの批評家気取りの、独り舞台の独り芝居が始まったようです。全く学習する気のない楽山は、自分と同じと思った意見のことを、関心、愉快、という言葉で表します。そして、しばしば、誤読と曲解によって、内実の全く違う事柄について、同感し、賛同し、結果、自分を高めようとするのです。
 

最近、『宗教的経験の諸相』を少しずつ読んでいるけれども、なかなかに難しい本だ。でも自分が関心を持っている問題に触れている箇所もあるので、そんなときは、実に愉快な心持ちがする。例えばこの部分など。

提出された事実についての結論は同じであっても、価値の根拠についてはめいめいの精神的判断が異なっているのであるから、それに応じて、啓示としての聖書の価値についても、人それぞれが見解を異にすることになるわけである。
(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳、岩波書店、2014年、p.18)
 」

 
個人の精神的判断、という言葉に、都合がよいと悦ぶのでしょう。そうならざるを得ない人間の知性の限界を示しているのですが、それを、それでいいのだから、自分も正しいという方向で書いてゆくのでしょう。・・何とでも解釈できるからです。
 
楽山は、こういうのに、幼稚な短絡で出来た自説のお伽噺を結び付けて、高名な学者に賛同した体を装い、実は、自分もそのレベルの識者だと、婉曲的な印象操作や刷り込みや暗示的表現によって、自慢、自己満してゆく習性のようです。
 
既に、心の理論においては関係ない霊感の話をぶち込み、奇跡についての考え方においては詭弁が循環論法に陥る、などという、小中学生でもしないような幼稚な初歩的な誤謬~詭弁を露呈しているにもかかわらず、なおも、同じことを続けて、高い自分を執拗にアピールしたがる悪癖が、インテリ気取りのナルシシストの楽山の汚い筆致として表れてくるのです。
 

思い起こしてみれば、自分がこういうことをはじめて意識したのは渡部昇一の本を読んだときだった。タイトルは失念したが、聖書について学問的に研究している神父がおり、どのような歴史的事実が明らかになろうと、それによって信仰は揺らぐことはない云々というような話で、キリスト教とはすごいものだと感動したのだった。

 
楽山には、真の感動はないと思います。自分のお伽噺に一致した文言や言葉があれば、賛同し、感動芝居をしてきます。分かるんだと言いたいのです。
 
楽山の、言葉の一致だけの"分かる"は、聖書とキリスト教およびキリスト信仰の理解にはありません。前から言っているのですが、同じようなことを書いてくるのは、カルトの特徴です。学習機能のなさが、ここでも表れています。
 
恐らく、この部分は、キリスト教を揶揄するために書いているのでしょう。だから、私は、こういうのを白々しい芝居と言っています。"キリスト教とはすごい"とは心にもないことで、キリスト教を論じている自分を、根拠もなく、自慢したいだけなのです。だから、すごい、としか書けない。
 

またこの手のことは中村元の本にもあったと思う。歴史上の人物としての仏陀と、信仰対象としての仏陀を分けて考えるというように。

 
歴史上の人物については、確からしさを、ある程度、明らかにするのが学問ですが、決定的にはなりません。根拠が覆り、新しい説が出てくる可能性は、残り続けるのです。そして、いくら明らかにしたつもりでも、信仰対象となると、話は、別のものになりうるのです。
 
楽山は、キリスト教についても、史実上のキリストと神の表れのほうについてだけ、いちゃもんをつけて、それで、キリスト信仰をも批判した気でいる自己満なのです。読むたびに、楽山の中立を装う態度には身の毛が弥立ちます。
 

似た考えとしては夏目漱石の『文学論』にもある。観念とそれによって起きる情緒とを分ける考え方だ。自分はこれによって、小説の文章は、事と心とを分けて書いてあり、その二つがよく整理されている文章ほど読みやすいと知ったのだった。

 
今までの記事とコメントから、情緒を持たない楽山が表れています。それだけでなく、理路は臭い詭弁のペンキまみれであることが表れてきました。今回も、そうだから、これからも、そうでしょう。こういうのを、因業というのだろうと思います。
 
誤謬と詭弁しか知らない楽山ですから、事と心を分けて整理することなど、楽山には出来ないと思います。自己愛によって、反省をしない楽山には、ベースにある精神、すなわち、スピリット(エスプリ)が、育っていないのです。読書においても、楽山は、自分の言葉と同じ言葉を見つけると、満悦するものだから、読みやすいなどと言っています。
 
すべて、今までの記事とコメントに表れてきたことです。アドラー教の影響が残り続けていて、都合の悪いことを無視してきたから、知性も感性も、宗教と信仰の理解も、子供レベルの先入観を超えるものではありません。それを、ごまかすために、学者の名前を利用しているだけなのです。
 

たとえば、「彼は走った。どうか、まにあってくれと祈らないではいられなかった」とか、「彼女は振り返った。そこに彼が立っていた。なぜ? 心にそんな疑問が浮かんだ瞬間、自分が泣いていることに気が付いた」というように。

 
楽山の稚拙な勘違いが表れています。行為と心を分けていると指摘したいようですが、行為を表し、当然のごとく、心を表しているだけです。同じ人間、または、その共感を表しています。主題は分かれてなどいません、というより、表現を分けて書くことがあるのは、普通に見られるということです。また、曲解、また、詭弁、楽山が書けば書くほど、楽山の外れ方は、呆れるばかり。
 

純文学は型を崩すことを目指している面があるし、作家または作品によってさまざまな文体があるので全部が全部このようではあるまいが、少なくともこの傾向はあるだろうとは思う。

 
純文学と来ました。常に新しい表現世界を目指すことは、文学、芸術、などにおいて、当然のことです。型崩れの楽山が、型を崩す、などと、ありふれて擦り切れた型の言い方をしても、何も指摘したことにはなりません。
 
楽山は、独自の発想ができないために、広がらない通念的な言葉の世界から、ありふれた書き方をするしかないのでしょう。そこに、謙虚さが、欠片ほども見られないので、丁寧な言い方をしても、底の浅さと、因業の深さと、訂正不能の硬さと、高慢の高さだけが、表れてきます。そこが、有能無能を問わず、心の正常健康人と、決定的に異なる点です。
 
楽山は、霊が分かるっぽいと思ったときから、信じ込みに至り、カルトの安い夢物語に嵌り、中立と中庸を気取るために、はっきりしないボンヤリ言語ならいいだろうという安易さで、子供のような駄々を繰り返して、自己修正が出来ず、よくこんなことを公共にアップして人に見せることができるもんだ、という無責任の荒野をうろついているわけです。こういうのを、恥知らずと言います。
 

ちなみに自分は恥ずかしながら、宗教に凝っていたことがあるせいか、こういう区別がいまだ曖昧なところが無くもないことを告白せざるを得ない。宗教には、事実と信仰を同一視するところがあって、「私はこのことを信じているのではありません。これが事実なんです」という風に〈信仰=事実〉とする信仰告白が大歓迎されることさえある。どうも自分は宗教を止めた今でも、この癖が多少残っているらしい。この点よくよく気をつけたいと思う。

 
自分のことを言っているふうを装いながら、ありがたい教えを垂れるように、楽山が言っていることは、わけのわからないことを思い込み信じ込むのが宗教、という宗教偏見を広める方向しか持たないのです。
 
分からないだけでなく、分からないのに分かっている態度、しかも、それで、教えようとする姿勢、これは、信仰とも真実とも全く無縁の自慢であり、信仰と宗教について、甚だ迷惑な、刷り込みであり、印象操作であり、詭弁なのです。
 
むしろ、楽山のような種類の人間が、歴史においても、固着した妄想的な高慢~傲慢によって、宗教についての様々な偏見と先入観のイメージをまき散らして、宗教をおとしめてきたのだろうと思います。何の意味もなく存在して、何の意味もない言葉を吐き出して、善を装いながら、嘘の決めつけだけを伝染する偽善者は、どこまでも救いに対する害毒です。
 
 
(2020年03月02日、同日一部修正)

(2020年03月03日、一部修正)

(2020年03月04日、一部修正)
 
 
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