ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神秘体験マニア

 
  神秘体験マニア
 
 神秘体験の受け止め方 (『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著)
 カテゴリ気になる一文2宗教
 http://mn266z.blog.jp/archives/23813916.html
 楽山日記(LD)
 
 
楽山は、神秘体験という言葉で超常体験を中心に宗教と信仰を語っています。神秘は、神の秘密で、人が関わることの出来ない領域ですが、楽山は、それが分かるというのでしょうか、そこが中心になっています。
 
そして、神に自分は選ばれた、だから御心のままに・・とでも暗示したいのでしょうか。逆に、この記事からも、楽山は、自分の霊力を信じているが、神など信じてなどいないことが表れてくるのです。不潔な楽山の意図を見逃してはいけないのです。
 

著者によれば、神秘体験の是非について判断しようとする際は、その後の体験者の心境が目安となるという。
幻影、幻聴、そのほか明らかに天来の賜物と考えられるものがあとに残す敬虔な気持ちこそ、それらのものが悪魔の惑わしの手だてでありえないことを私たちに確信せしめる唯一の印しなのである。
(『宗教的経験の諸相(上)』W・ジェイムズ著、桝田啓三郎訳、岩波書店、2014年、p.39)

 
楽山は、子供の頃に仏様が喜んでいたと言ったら親族が笑ったという話を書いて、親族は仏様の気持ちを全然感じないっぽいのに驚いたそうで、子供の頃だけではなく、大人になっても、記事には、楽山は、本気で自分が仏様の心が分かるっぽいと思って信じ込んでいることが表れています。そして、「心の理論」という子どもの発達過程の話を、心霊の話に改造してしまいました。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
 
神秘を体験しているなら、このようなインチキ記事は書かないはずだ、ということが、楽山にだけは分からないのです。
 
その後の心境は、ネットでは、相変わらず、霊が分かるっぽい心境で、超常のことを普通のことのように話し、分別のあるべき思想や宗教の理路や節操の話について、うわべの言葉だけや、幼稚な言葉遊びに終始しています。
 
少なくとも、この2年間は、人の言うことに、反論も弁明も出来ないのに、できるイメージを刷り込むために、書くことだけは執拗にやめません。毎度、驚き呆れるばかりです。
 

自分は以前は、善良な人は天につながり、そうでない人はその限りではないという考え方を支持していたので、神秘体験については善良な人のそれは天からの賜物であろうが、そうでない人のそれは天からの賜物とは言えないだろうと信じていた。でも段々とこれに当てはまらない話もあることを知り、それが悩みの種になっていた。

 
楽山が神秘体験を中心に置くこと自体が、超常趣味であり、人間の現実体験が嫌で、現実の、罪、失敗、失言、不祥事、不都合、怒り、恨み、など、自分の粘着体質を考えたくないのでしょう。今回も、その表れ以上ではありません。
 
楽山、という、一つ覚えの執念の脅威です。
 

たとえば、使徒行伝によると、サウロはキリスト教徒を迫害していた頃に、神秘体験を経て改心したという。これは歴史的事実かどうかは分からないが、この話を読むと、天からの神秘体験は、正しい生き方をしている人に限定されるのではなく、神を信じ従う人々を迫害している人…つまり酷く間違ったことをしている人にも起こりえるということを示しているようであり、このことを考えるとどうも天からの神秘体験は、善良な人にしか起きないという考え方は正しくないのかもしれないと疑わないではいられなくなるのだ。

 
自分にも神秘体験は起こるんだと言いたいのでしょうか。自分は悪だと認めるのでしょうか。
 
楽山の言う神秘体験が、どの範囲の超常体験を意味しているかが不明ですが、迫害者にも神秘体験が起こるというのは、どう考えても、もし、神秘体験によって救われるなら迫害者ではないことになりますから、この神秘体験は、神が迫害者を滅ぼす裁き以外にはないでしょう。
 
サウロの神秘体験が、楽山の好きな超常体験であったか、つまり、聖書の記事が現実に起こったか、あるいは、サウロの悔い改めの表現なのか、あるいは、伝承なのか、これは、謎として、他の奇跡とともに残されています。
 
超常体験が、サウロが使徒パウロになることに繋がっている、という解釈は、シャロームに顕著ですが、人間性不要のカルトの口実であって、いちばん大事な、愛、希望、信仰の、何の証拠にもなりません。楽山は、現実離れした話が大好きで、サウロは、超常を体験したから悔い改めたと思い込んでいるようです。宗教と信仰=超常奇跡ということから離れないわけですから、そこで、既に、アウトなのです。
 
超常にだけ興味を持ち、聖書を、超常体験の事実または史実としてしか受け取れないのでしょう。聖書の心を、現実を生きる人間として受け取ることができないのです。信頼度は既に皆無です。
 
楽山は、キリスト教とキリスト信仰を、自らの次元の低さに貶めるだけの反キリストの宣伝者となっています。意地だけで、愚かな話をつないでゆくところなどは、まさにカルトそのものなのです。どういうインチキ神秘体験を経たら、ここまで、厚顔無恥になれるのでしょう。
 

結局のところ、天からの神秘体験というものは、その者が善良であるかどうか、悪行を為しているかどうかに関わりなく、神に選ばれた者に起きるということなのかもしれぬ。とすると、神秘体験を評価しようとするときには、それがどのような人に起きたかではなく、著者の言うように、それが起きた後に、その人はどう変わったかで判断するのが賢明ということだろう。

 
神秘体験は善悪に関係ないと言っています。神に選ばれた者、と来ました。自分がそうだ、と言いたいのならば、カルトに、よく見られる有頂天妄想の言い分です。
 
記事を通して、楽山は自分が特別だと思いたい、というより、そう信じて疑わないから、暗示的なのに執拗なのでしょう。今までの経過を振り返ることもせずに、ひたすら自己正当化に終始しています。醜い限りです。
 
楽山の記事は、つまり、悔い改めに必要な、敬虔、反省・内省、低き罪人の自覚、などを全く持たず、ふさわしくない尊大な人格の慢心以外に何もない者が、自らを高めるために、書いているだけということになります。
 
神秘体験が大好きで、心霊のことを書き続けている楽山の、見るも煩わしい心境には、何も変わらない訂正不能の自尊が、神に選ばれる人よりも、神に対抗して、ますます、気色の悪い変人~狂気の人格しか続いてはいないのです。それで、平気で書いて、ひそかに笑っているようにさえ、思われるのです。
 
正常な神経なら、先ず、批判者に、反論か弁明をするはずですが、それを、全くしないで、書いて来れるのは、アドラー教の、気に入らないことは無視する信条に合致した自己中が、今も、楽山を支配しているのでしょう。それを正常だと思っているのでしょう。
 

精神世界の方面では、波長同通の法則だとか、引き寄せの法則だとか、さまざまな法則が語られているけれども、どんな法則をも超えることができる全能の神を思う時、そういうことは全て空しくなり、神の御心のままに…としか言えなくなるように思う。

 
自分の意のままに、自分を高めるために、自分の支持者が増えるように、シャロームとともに、嘘と妄想を、印象操作、刷り込み、詭弁をもって、人間の真実など全くお構いなしに、執拗に何度も言ってきたのが、楽山です。弁明できないのに、無反省に書いてくる、これは、人間性の欠陥による症状なのです。楽山が、心霊が分かると言うのは、結局、あってなきがごとき幽霊のような、自身の存在なのかもしれません。
 
神の御心のままに・・自分は選ばれたのだから、と言いたいのでしょうか。過去のクリスチャン芝居と同じように、御心のままに・・などと、言うのはタダだとばかり、心にもないことを、平気で言ってくるのでしょうか。人間らしく成長し、人間らしく生きたい人は、決して真に受けないでください。
 
つまり、楽山やシャロームなどの易坊類は、御心のままに・・というところから最も遠い人です。
 
 
キリスト信仰の救いに与(あずか)るのに、特別の体験や、特別の才能や、特別の霊感など、必要ありません。救いに必要なのは、人間であることだけです。
 
したがって、人間離れの方向に向かっていることは、救いから遠ざかり、自ら、破壊の獣道を選ぶことに他なりません。楽山は、何とかして神秘の世界を知っていると言いたいのでしょうが、知ったかぶりで神秘を語る者には、神秘は、ますます遠ざかり、それゆえに、神秘?の話を捏造するしかなくなるのです。
 
 
(2020年03月07日、若干修正して再録)
 
 
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