ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神と人の未分化(1)

 
  神と人の未分化(1)
 
 神様に、心寄り添うこと。
 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html
 magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ
 
 
久しぶりに、偽キリスト教カルト、自称マグダラ&ヨシュア・ラインを批判します。
今回は自称マグダラマリアの記事です。
 
自称マグダラは、以前、私が批判したとき、誰々は体調が悪くなったなどと言い、霊の祟(たた)りが来ると脅(おど)してきました。怒ると「プププ」「けろっ」などという、笑い声を表現したつもりでしょうか、奇声を、書いてきました。
 
仲間の自称ヨシュアは、私が批判すると、悪霊憑きだと言い、あと何日・・などと言って、これも脅してきました。また、聖書の教えを守って完全になれる、などとも言っていました。それから、パリサイ人が好きなようです。
 
自称ヨシュアは、批判されると、とても怒りっぽくて、発狂したのではないかと思うほど、罵詈雑言を浴びせてきます。私がひっそり私のブログに書いていた個人情報を掘り出して曝(さら)して、ダメ人間、精神病などと罵ってきました。節操と良識が、まるでありません。
 
この二人については、同一人物の成りすましを疑っています。
 
なお、言うまでもないことですが、キリスト信仰には、霊の祟りを信じる要素はありませんし、それをもって脅す要素もありません。
 

神様に、心寄り添うこと。
してますか?

 
ペットでも恋人でもないのだから、
人が神に寄り添うのではありません。神が人に寄り添うのです。
基本的な立場の自覚が狂っています。
 

神様は、御自身に似せて、人を創造されたのですから、、知らん顔されてたら
神様でも悲しいとか、思われると思います。
人間みたいにねちっこくはないけれども。悲しみ、、、はあります。

 
神が、人に知らん顔されて悲しむのではなく、
神は、人が堕落して罪を犯すのを見て、悲しまれるのです。
 

神様だから悲しくない、。
辛くないとか勘違いしてませんか?

 
自称マグダラからの思いやりを必要とする神ではありません。
 

父なる神様は、人の御親なる御方なので
人と同じように喜怒哀楽がありますよ。

 
神は、全知全能絶対完全永遠不変、という、人が及びもつかない御方です。
しかし、神は、人間に共感する御方ですから、人に共感することが出来ます。
それは、洞察と共感の主イエス・キリストを遣わされたことに、顕れています。
 
従って、人が感じるような喜怒哀楽を、そのまま当てはめることは出来ません。
神を、あたかも人格のように、恋人のように、友人のように、人間と同じに見なしている者は、人間としての身の程を弁えないので、人と同じような感情のあり方を神に当てはめて、こともあろうに、哀れんだりするわけです。
 
彼らが信仰と呼ぶものの軽さが表れています。
 

感謝されたら嬉しい。
人が心を向けて感謝したり心を寄せること、をすれば、嬉しいのね、。
だって、ほんとうのお父さんだもの、、。

 
嬉しいのね・・などと言う馴れ馴れしい言葉遣いが、
神を神と思っていない勘違いの証拠です。
 

神様をね、
尊びすぎて遠ざけるのはおかしいです。

 
神は、隣にいるような物知り老人ではありません。
神は、尊ぶ対象ではありません。
神は、信じ仰ぐ対象であります。
 

人が、罪人に堕ちてから、、
人は神様に対して距離を置こうとするようになった。
神様が、清い御方で罰を下す御方でもあるから、、怖いのよね。
私も、神様は、世界一怖いです。

 
既に、神を恐れているとは、到底思えない筆致が、上に表れています。
 

でも、、、世界一お側に居たいです。
多分というか、絶対、怖い気持ちより、お側に居たい気持ちの方が何倍も強いのね。

 
ブログ主は、神のそばに行って、焼き尽くされないように、恐れ慎むべきです。
 

怖いより、慕う気持ちの方が強い。

 
世界一怖いと言いながら、世界一御傍にいたいと言い、慕う気持ちのほうが強い、と言っています。言葉による形容や修飾が、無節操に大仰なのは、カルトの特徴です。
 

神様から、、お父さんである神様になって頂いた日から、。
神様だから、想いをむけなくても
感謝しなくても平気とか思ってない?
肉の家族にも、気を使わず、大事にしないで、家族以外に気遣う人が多い世の中ですし、。
家族を大事にしないなら、目に見えない神様を、大事に出来てるかしら??
神様とイエス様は、目には見えないけどね。

 
家族への愛の延長で、神への愛を語りたいようですが、
それに、家族を愛することと、神を愛することは違います。
家族は恐れる必要はないでしょう。全知全能の神は恐れるべき相手です。
そこが信仰のベースです。
恐れをいだかない相手、それは神ではありません。心のペットでしょうか。
 

心がつながれば血筋に寄らなくても霊的家族でしょう?
事実として、、人の御親なる神様は、最初から、霊的家族、親子なのだけど。

 
霊的、という言葉は、何か専門家にでもなったかのように区別したかのように分かっているかのように使われますが、使ったところで、少しも、心と違うことを表すなどできないのが人間です。言葉だけ変えても、神の領域に一歩も近づいたことにはならないので、霊という言葉をやたら使って自己満足を表すことにならないように注意するべきでしょう。
 
霊的家族などと言うのは、何よりも教える立場であるところの分かっている?自分を誇りたいからでしょう。それで気の済む人のようです。
 
神の全能から掛け離れた人間の不完全を意識しない者は、神がかりとなり、人間離れとなり、分かりもしない言葉を多用して、特別になった気で、神?を気安く呼び、神?を気安く扱うようになります。
 
 
(2020年04月06日)
 
 
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