ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

神と人の未分化(3)

 
  神と人の未分化(3)
 
 神様に、心寄り添うこと。
 https://ameblo.jp/magumaria/entry-12585275432.html
 magumaria(自称マグダラのマリア)のブログ
 
 
感傷的な言い方が多いのですが、曖昧よりもじわじわと、人が神に近いのだと刷り込みながら、実際は、特に自分を神に近い者として印象付けようとしているのが分かります。
 

霊能力者じゃなくても、
すべての人は、神様からのパワーを、神様の方に想いをむけ感謝することで、受け取れる。

 
理解可能な愛と救いを、エネルギーをつけたり、霊能力者じゃなくても受け取れるなどと言い、カルト的超能力や超常現象と同じに見ていることが分かります。そして、やたら言葉で飾ろうとしていることが表れています。
 
特別の霊能力ではなく、救いは、キリストの愛に共感して、全能の神を恐れ、神と違う人間の罪性に気づき、正直に告白することで与えられます。
 
共感性の乏しい人は、超常の大袈裟な言葉を使いたがります。飾るしかないからです。
 

大勢の人に、救いを与えたイエス様は、今も父さまと、共に活きて存在されてるから。
人も神様と同じ永遠性を持つ魂がある。
魂は、、すべての人が持つ物で、まるっきり同じもの。

 
このように、恐らく自分で、確かめようもないような目に見えないものを分類したつもりで、名付けたのでしょう、魂という言葉を特別な言葉として使って、永遠性を語りたいようですが、このような言葉で明らかになることは何もありません。分からないと言えない、全能を恐れない、そういう人の特徴です。
 
やさしそうな女言葉に騙されないようにしてください。人が神と同じ永遠性を持っていると言っています。人は、神とは決定的に違うところの、有限であり、不完全な存在です。そのことを地上で学ぼうという意志のない者が、言葉を飾って、完全に近づこうとしています。キリスト信仰の根幹において正反対なのです。
 

個性、アイデンティティは、
各自の霊の意識、心によって生み出される。

 
霊のうち、意識されるものを心と読んでいるようです。霊、霊的、という言葉は、宗教者が好んで使う言葉ですが、心との違いは、使う目的によって使い分けているだけであって、いくら理屈をつけても、違いを確かめ得た者は一人もいません。
 

魂レベルで、見たら、全員同じ存在なのよ。だから他人にしたと思ってても、実は自分自身にしているのと同じだから、因果応報で、自分にブーメランで戻って来るの。

 
因果応報を、魂レベル?というものを想定して、皆同じと言っているようです。ブーメランに喩えたところで、何が明らかになるというのでしょう。今、このブログ主に戻ってきているのは、世辞の賛同と、本気の批判だけなのです。
 

みんな同じだと、分ると、、
人生で起きてることも、自分の思い込みや不安が現実化して起きたりしてる、極論したら一人芝居だと判る。
一人芝居ということは、自分が脚本も出演者も監督までもしてる。
私と、、私自身を認識している私以外の魂レベルの、もう一人の私が、全部、人生をメンテナンスしてる。

 
人生の出来事を、独り芝居だと決めつけています。自分以外の魂レベルの自分を想定しています。どこまで勝手な想定を続けるのでしょう。それが全部人生をメンテナンスしているのなら、信仰はどこに必要とされるのでしょう。自慢でしょうか。
 

魂と私が一緒の気持ちになれば、。
私が願う人生になる。
魂と同じ気持ちになるって
神様と同じ目線で、、人を受け入れ
否定せずに存在是認することなので
なかなか難易度が高い。

 
魂に気持ちがあり、自分に気持ちがあり、一緒になることが理想だと言っています。魂を望ましいものとして特別に扱っています。自分にだけ分かるという慢心を感じます。
 
魂が分かるなら、理想のあり方が分かるなら、なぜ、神を求めるのでしょう。このことからも、自称マグダラは、多くの形のない言葉を、取って付けるように我流で振り回している、ということなのです。キリスト教ともキリスト信仰とも程遠いところにいるようです。
 

人付き合いが多くて
ムカつく対象の人間が多いと、至難の業。
私みたいに、普段家にいて、人付き合いが、限られてれば、少しは楽なんだろうけど。

 
しばしば、自称マグダラは、ムカついてきました。批判すると、豹変して、悪口になり、罵り、呪ってきます。こういう、俗語としてのヒステリックな点も、冒頭に書いた変な形容も、理性も情性も不安定で、また、言葉だけ信仰に命がけみたいなことを書いてくる点も併せて、キリスト者とは思えないあり方です。
 

私も、どうしても嫌と思う人居ますし。
なかなか自我を、はい、引っ込んでてね。と追い払えるのは短時間ですね。

 
そういう性分のようです。上のことも併せて、信仰による姿勢・態度とは異なっています。
 

最初、途中まで書いて、消えたことと
まるで違うこと書いてるし。
この内容、夢で見たような、、。

 
書こうと思ったことが途中で消えてしまうのでしょうか。
 
これは、恐らく、ブログ主が、自分はスピリチャアルなんです、夢のお告げかしら、と言いたいためでしょう。安いです。
 

神様の無限分の1の創造力をね。
人は魂があるので持ってるの。

 
無限分の1はゼロですが、そんな数学的なことを持ち出すまでもなく、人の創造性は、クリエイティヴな感性として肯定されています。ただし、神の創造力、天地創造とは違います。
 
待ち望む信仰はありますが、魂を特別なものとして持っているという信仰はありません。分かっている、知っている、守っている、というのと同じようです。持っている、という慢心。
 

現実化するには、自分と自分の魂と神様の導きを、かたーく信じること。
これ一番大事。(あまりに大変で我慢しきれず神様を恨んじゃったりする。)
次に夢が叶ってる状態を、起きた状態で意識に定着させて、ニコニコしてること。

 
単純な内容ですが、固く思い込み信じ込むことが信仰で、いちばん大事と考えているようです。待ち望む信仰は、固く思い込み信じ込むことではありません。耐えがたいなら耐えがたいと、正直に告白して考える機会が与えられるのが信仰です。
 
思い込み・信じ込みは、信仰ではありません。耐え忍ぶのは、キリストに繋がっているからです。
 
夢が叶ってニコニコは当たり前ですが、夢が叶っている状態を定着させることは出来ません。それは風を追うようなものです。何故なら、人は、移り変わる世界に、移ろいやすい心で、耐え忍びながら生きているからです。
 
 
(2020年04月08日)
 
 
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