ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

詭弁と公共の害(1)

 
  詭弁と公共の害(1)
 
 
おもにカルトのマインドコントロールのための詭弁に対して、心得るべきことを、一応、まとめておきたいと思います。あくまで、今、考えられることを書いています。
 
ここでいうカルトとは、犯罪行為の有無にかかわらず、反社会性に結び付く可能性を否定できない思想と宗教および信条のことです。
 
私のことを、自説を主張して、他の説を否定し邪魔する者のように言っている者がいます。彼らは、丁寧な言葉遣いの中に、他者を軽蔑し侮辱して止まない病理があることを、今まで書いてきたつもりです。
 
やたら批判するのではなく、カルトの説が成り立たないからこそ批判が生まれるのです。人それぞれ、というのは、無制限に成り立つものではありません。
 
その病理は、単に性格的に、強情、自慢好き、頭が硬い、頑固、などというレベルではありません。それだけなら、深刻な事態の話には、良心を見せるでしょう。カルトや人格異常では、継続し、訂正不能な、感性と知性の欠乏~ゆがみがあります。
 
自慢好きは、普段、自分を強い人や出来る人に見せかけようとします。カルトは、普段、自分を受け入れやすく親しみやすい柔和な人に見せかけようとします。両方とも、実体は、逆であります。
 
カルトは、先天的+後天的に形成される体質が影響しており、大人になるまでに固着してしまったところの、訂正不能、無反省、罪悪感喪失、という性質があり、交流によって改正することが不可能な、他害性と破壊性を持っているのです。
 
私は、おもに、信仰者としての立場から述べてきましたが、社会的見地から、人格障害、パーソナリティ障害と呼ばれるものと、かなり一致するでしょう。
 
思いやりがなく反省しない人格です。しかも、狡猾であるゆえに、処世術として、丁寧語や世辞を使うので、一部の人々に受け容れられ、それが犠牲者そしてお仲間になります。つまり、人格破壊は伝染します。
 
与えた害を隠し、あるいは、ごまかし、他者のせいにして、難を逃れ、比較的高い社会的地位を持つ者もいるでしょう。
 
そういう人に、決して就かせてはいけない職種があります。宗教関係、教育関係、福祉関係、医療関係、警察関係、司法関係、政治関係、といったところです。いずれも、強制または半強制の権威、または、教える立場を持つ職業です。
 
私は、宗教と信仰について述べてきましたが、上にあげた職種は、宗教を除けば、いずれも、公務員として勤めている場合のありうる職業です。
 
 
(敵対カルトからの悪口・詭弁と、対処)
 
悪口は、曲がった信条から、しかし、最初から故意の嫌がらせであることも多い。
 
こちらの完全には辻褄が合わないことをもって相手の信仰を全否定する。
  
  一部の謎が残されていることによって全部を否定する。
  神がいるなら、なぜ悪が?・・謎があるのは間違いだという主張。
  
  自分が完全だから神が分かるという意識がもたらす詭弁。
  神を完全に理解することは不可能。
  
一部をもって全部を言い得たかのような言い方。
  
  聖書や歴史の、復讐や、残虐行為、戦争などを言って否定してくる。
  
  理路の破綻(はたん)を指摘。
  人間に失敗があることは、信仰を否定しない。むしろ信仰の源泉である。
  
矛盾を神のせいにする。
  
  神の全能について、人間にも分からないと気が済まない欲望。
  全能に成り上がっている傲慢。
  
  矛盾しているのは人間の不完全性による。
  
似た響きを持つ言葉にすり替えて否定する。
  
  厭世と無神論をあげて、厭世の美学をもって無神論を肯定する。
  
  厭世=無神論は成り立たない。
  
自分が言われそうなことを先に言ってくる。
  
  聖書をだらだら引用して、こちらのことを、ろくに聖書を読んでいないと言う。
  
  信仰なき引用は、総て無意味。悪意による引用を指摘。
  
丁寧な言葉と、貶(けな)し言葉を、同じ時に、両方使うことがある。
  
  それをもって、カルトは、こちらと違って、柔和だと言ってくる。
  
  貶しが本音である流れに、丁寧な挨拶など入れるのは不自然。
  
  丁寧語を加えることで貶しを中和できると思っている。
  人間としての自然な情感の流れの欠如。
  
信仰者が不十分であったり欠点を持つことを指摘して貶す。
  
  クリスチャンなら・・云々・・のはず、などと欠点を指摘した気分でいる。
  
  信仰者が完全であるという先入観を否定。
  完全でないことを知って、信仰が始まり、また継続する
  という、信仰の本質的なことを全く知らないことを指摘。
  
信仰者の、完全でないこと、不名誉なこと、などを論(あげつら)い、詰(なじ)る。
ときに人間失格みたいに言ってくる。
  
  不完全のくせに、ダメ人間のくせに、批判するな、という皮肉や当てつけ。
  
  信仰を脅かすものには抗弁は必須、加害者はそちら、という指摘。
  また、むしろ、相手に、完全・不完全など語る資格がないという指摘。
  嘘や、事実に反すること、カルトの無益と害、等の表れを具体的に指摘。
  人間失格を切り返す。
  
なぜ、なぜと、機関銃のように、問い詰めてくる。
  
  故意に情緒を乱そうとする下等な戦術。
  
  それが議論だと思っている低劣さを指摘。
  その戦術の愚かさを指摘。本来の議論から外れていることを指摘。
  
  時間的余裕のある対決を選ぶ。コメントより記事など。
  
こちらの発言を無視して自分の論理?を押してくる。
  
  こちらの言うことを聞いてられないと
  呆れた風情で言い訳してくる。
  
  その旨を指摘。同じ指摘を返す。
  むしろ、こちらの言うことを聞いていないことを指摘。
  こちらへの低劣の指摘に根拠がないことを指摘。
  
こちらの意見を何も読まないで、自説を言いまくる。
  
  自説を言うことが目的であり快感らしい。
  
  決めつけであることをを指摘。
  根拠がないことを指摘。自己顕示を指摘。
  腐った欲望であることを指摘。
  
  こちらの言い分の根拠を指摘。
  異常な言を、正常な言によって否定する。
  
カルトだけでなく、妄想的無神論者もいる。
  
  熱心に、執拗に、神を否定してくる。
  
  少なくとも、神の存在は、信じる者にとってのみ有効である。
  そして、それは、人間の元々持っている良心に矛盾しない。
  
  神の不在と存在否定を決めつける主張は、
  神の存在を恣意的に決めつけてくるカルトと同じベースを持っている。
  どちらも本当の神を考えていない。
  
  個人の必要として神を信じる人にとっては
  自分をいつも味方してくれるだけの神であるなら
  欲望と自己中を促進するだけだから
  それは自己中カルトの神信仰?と同じである。
  
  神は、いつも味方してくれる神?ではなく
  いつも父としての見方をしてくれる神である。
  どちらが人を生かすだろうか。
  
  神は、ご自身の領域に人を入れない。
  神は、人の領域に愛ゆえに妬みも入れる。
  戒める神と懲らしめる神を忘れてはいけない。
  
  人間を戒める神も信じるのでなければ、
  本当の意味で、生きるための力にはならない。
  美味しいだけの神、それは、カルトの神?である。
  
  したがって
  信仰者は、神について
  時々の御心を推測し
  判断して、かつ、決めつけず、
  反省と悔い改めの心を持ち続けることが肝要です。
 
 
(2020年04月24日、同日一部修正)
 
 
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