ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

不感不応の偽善

 
  不感不応の偽善
 
 2020年06月11日 楽山日記(LD)
 「第五講 ヨブ再び口を啓く」(『ヨブ記講演』内村鑑三
 http://mn266z.blog.jp/archives/25122498.html
 
 
楽山の学習意欲の障害と慢心が表れています。楽山の迷惑日記です。
 

ヨブ記講演 内村鑑三
https://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/56908_64142.html

 
一筋縄ではいかない記事です。信仰は、このような文章を読解しなければ成り立たないようなものではない、ということを強調しておきます。
 

第五講を読んだので、例のごとく、その内容をメモ。

 
一筋縄ではいかないし、決してメモで語れる文章ではないのですが、引用の講演を、楽山が、メモで済ましているところに、楽山の、きわめて安易な宗教への姿勢が表れています。
 
前から言っていることですが、楽山の、難しい読書もできるんだ根性からの自慢だけなのです。頭がいいですねと言われたいだけの楽山の根性が、とても浅ましいです。
 

・第6、7章の研究。
・14-30節。「友の頼みがたきを述べし言として頗る有名」「西洋の文学書にしばしば引用せらるる」。
・26節。「友人らはヨブの言語の表面の意味のみを見て」あれこれ言うばかりなので、言葉を戒めることにはなっても、「ヨブ自身を規正むることは少しも出来ない」。
・27節。ヨブは「三友のオルソドクシーの怖ろしさを説いた」。特定の考え方を絶対視し、それを人に押し付けたり、裁いたりする高慢さ、無慈悲さ、理不尽さを批判。

 
 (ヨブ記、口語訳)6:26
あなたがたは言葉を戒めうると思うのか。
望みの絶えた者の語ることは風のようなものだ。
 (ヨブ6:26、旧約聖書
 
 (ヨブ記、口語訳)6:29
どうぞ、思いなおせ、まちがってはならない。
さらに思いなおせ、
わたしの義は、なおわたしのうちにある。
 (ヨブ6:29、旧約聖書
 
ヨブは、神が顕れるときまで、自己正当化を続けるようです。
 
オルソドクシー:オーソドキシーのことでしょうか。楽山は説明をしない人です。専門家気取りが、ここにも表れています。
 
(ネットより)
オーソドキシー【orthodoxy】 の解説
《「オーソドクシー」とも》正統性。正統的信仰。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%89%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%BC/
 
本当に正当であるなら、絶対視してもいいでしょう。しかし、実際には、不完全な人間が、本当の神聖や絶対の信仰など、知ることはないのです。
 
ゆえに、信仰者は、真実を求めて、日々、聖書を読み、考え、暫定的な判断をして実行し、それを祈りにおいて告白し、求めるという成長の道を歩みます。修正可能な努力の道であります。
 
その道から、いちばん遠いのが、楽山です。
 
それこそ、「特定の考え方を絶対視し、それを人に押し付けたり、裁いたりする高慢さ、無慈悲さ、理不尽さを批判」しているつもりで、ただ、いたずらに、キリスト教とキリスト信仰を否定するような、自身の "特定の自己中の考え方" に合うことを絶対視して、いちゃもんをつけてきたのは、楽山その人であります。
 
その証拠は、楽山は、自らに向けられた批判を受け取ることなく、都合の良い本から、都合よく引用して、暗に、批判者を、カルト的な考え方として話を進めます。この婉曲的で、卑怯な文脈こそ、ボンヤリ言語という、楽山の詭弁の特徴です。
 
自己正当化のヨブを、自己正当化の楽山が、批判しているという矛盾です。自分を見ない者の特徴です。
 

・28節以下。「友は人にして神ではない。友に満全を望むことは出来ない。友より得る所には限りがある。故に友に過大の要求をなすべきではない」。
・ヨブは人に頼まず、神のみを唯一の真の友とするに至って平安を得た(42章)。

 
42章はヨブ記の最終章です。楽山は、神が顕れて語ったというストーリーを無視しています。反キリストの正体でしょう。この話の跳び方も、文章を読めず信仰の話を読む気が元々ないことの証拠となるでしょう。
 

・「人に満全を望みて後ち失望ししかして人を怨む、これわが国人の通弊である。この時失望のあまり信仰より堕つる者さえある。これ出発点において全く誤っていたためである」「人は頼むべからず、頼むべきは父なる神と子なるキリストのみである」「まず神に頼みてしかる後に人に頼む、その時に人は信頼するに足る者となる」。

 
人を、神のごとく信仰してはいけない、頼んではいけない、という当然のことです。楽山は、神に頼む気持ちを、ちりほども持っていないのに、こういうことを平気で書いて、惑わしてくるのです。
 
どこまで、悪意と作為によって、人を騙そうというのでしょう。サディストであり偽善者でありインテリ気取りの偽善者が、学ぶ姿勢を持たないまま、自己顕示欲に任せて、本を読んで聖書を語ると、こういう悲惨なメモしか出てこないという結果に過ぎません。
 

・「神の存在と罪なくして降る災禍とは、両立しがたき二現象であるが」、これは信仰を棄てれば解決は容易となる。しかしそれは人生の意味を失う結果となる。人生を重んじる限りにおいては、信仰の上にこの難問に向き合う必要がある。

 
難問に向き合うことは大切ですが、楽山のように、自らに向けられた批判を受け取ることなく、考えることも、発言することも、議論することも、相手を疲れさせるだけで、何もできないまま、悪意と詭弁に頼るような者は、ごまかしに走るしかないわけですから、甚だ迷惑な話です。それでも、平気で書いてくるところに、恐ろしいほどの性格の偏りと厚顔を感じます。
 

押し付けや裁き癖が激しい教条主義者の厄介さはよく分かる。恥ずかしながら自分にもその手の性向はある。人に過度な期待はせぬ方がよいというのも合点が行く。自分もそういう失敗を多くした。

 
ボンヤリ言語の、惑わし手段としての、反省を装う三文芝居の嘘であります。トホホ言語とでも呼ぶしかありません。
 
「人に過度な期待はせぬほうがよい」と言っている楽山ですが、間違ってもコメントなど入れないようにして下さい。決して関わらないでください。まさに微塵も「楽山に期待はせぬほうがよい」と言えます。総て自己顕示の見栄なのです。
 

「神の存在と罪失くして降る災禍」の問題については信仰を棄てれば解決は容易になるというのも分かる。ただ信仰を守り通した上でこの問題の解決をはかる必要があるというのには疑問がある。

 
こうやって、反信仰へと誘導してゆきます。中身の無いのが特徴です。楽山は、全く字面だけしか受け取っていません。受け取る心の器がなく、聖書を読んでも分からない人の有り様です。
 

自分は元々はいわゆる無宗教的な家庭で育ち、青年期になるまで宗教には全然というほど興味はなかった。それでも幸福に暮らしていた。そのせいか善く生きるためには宗教はどうしても必要なものだとまでは思えないのだ。人生の意味は信仰がある人はその信仰によって知るのだろうけれども、信仰がない人は信仰とは別のものによって知るのではなかろうか。これは人生について宗教教義によって意味付けするか、それ以外のもので意味付けするかという違いがあるだけであって、堕ちた、堕ちないという話とは別であるように思える。宗教側からすればそういう話になるのだろうが、そういう立場から離れてみるならその限りではないだろう。

 
楽山は、宗教側の立場と、宗教から離れた立場を、行き来できると言っています。これこそが、宗教について、何も受け取れない楽山を表しています。
 
人生の意味を「信仰とは別のものによって知る」と言うのなら、信仰については書かないことです、関わらないことです。
 
自己顕示欲で扱うだけの楽山は、どうやっても生きる意味が分かるとは思えないのが、実感であり、その確からしさを、次々に、自分で証明しているのが、楽山自身なのです。
 
宗教と信仰と言葉に向かう姿勢が、駄菓子屋で飴を選ぶような気やすさだということを、毎回、表してきます。これからも、恐らく、同じでしょう。固定した自己愛と、柔和な信仰が、全く噛み合わないことを、毎回、実感しています。
 

著者の人生に対する真摯さには胸がどきどきするほど感動するのだが、どうもこの辺りの話になると著者との距離を痛感させられる。著者は宗教的な人であって、自分はそうではないということなのだろうと思う。

 
ここで、内村鑑三に、世辞を言っています。褒める根拠を、何も提示していないのにです。いかに、策略的であるかが、分かると思います。楽山は、息をするように、平気で嘘を吐く人です。関わる全ての人を、刷り込みによる人格破壊や、疲労による消耗、という、不幸にする恐れがあります。
 

ところで、迂闊ながら、今になって気がついたのだが、「ヨブ記講演」は青空文庫に入ってた。ふりがながあると、字面がごちゃごちゃするけど、読めない字は我流に読んで済ましてしまう悪癖のある自分としてはすごく有り難い。 

 
字を読めても、文章を読めたことにはなりません。理解など、何もしていないのに、褒めたり、けなしたり、学者の真似をして、いい気持になりたいだけでしょう。方向性も、理路も、共感性も、まるで感じられない文章が続くことでしょう。誰も近づかないことを祈っています。
 
 
(2020年06月12日、同日一部修正)
 
 
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