ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

トラウマ反応??

 
  トラウマ反応??
 
 トラウマ反応!?
 2020年06月13日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25146142.html
 
 
私には、トラウマがあるんだろうと思っています。そのトラウマに楽山は関係ありませんが、ずいぶん昔のことで、一部はブログに書いています。
 
楽山は、不感不応と無反省から、トラウマを与え続ける人だと思います。
 
楽山は、彼の特徴として、例によって説明していませんが、
トラウマ反応とは、トラウマの後に起こってくる、むしろ症状のことで、再体験、苦痛、思考や会話などの回避、反応性の麻痺、一方で驚愕反応、意欲減退、睡眠障害、などがあるようです。
https://www.iff.co.jp/counsel/trauma_2.html
 

ツイッターを眺めていたら、トラウマ反応うんぬんという話があり、次のページに行き着いた。
・自分自身のトラウマ反応にどう対応するか?
どうやら過剰な攻撃の裏には、トラウマがひそんでいることがあるということらしい。

 
楽山については、トラウマを感じて受ける繊細さは無いと思っています。したがって、心に傷を負った人についても共感できなのです。
 
カルトは、抜けた後でも、小さくないトラウマと後遺症を残す原因となりうるでしょう。楽山は、トラウマを受けやすい人ではなく、与えやすい人なのです。
 

これを自分に当てはめるなら、認めるのは癪ではあるがHS批判がそれなのだろうな。大概の一般人はHSのことはさして気にせず、スルーしているわけで、自分にそれができないのはそこにトラウマがあるからなのだろう。

 
楽山の、不感不応の、他者無視の、無反省の訂正不能の、執拗なボンヤリ言語の、あくどい筆致は、誰の心にも消えないトラウマを残し得るものなので、以前から、決して誰も関わらないように、批判を続ける必要があるのです。
 

一般にはあまり知られていないHSの問題点を明らかにし、社会に知らしめ、注意喚起をするために批判をしているとも言えば言えるわけではあるが、それにしたってトラウマは皆無であり、それが批判の動機になっている可能性は微塵もないとは断言できないのだから仕方がない。

 
トラウマは、心の傷ですから忘れることなど出来ないものです。トラウマに気づいた人にとって、トラウマが「微塵もないとは断言できない」という曖昧な言い方は出来ないのです。
 
つまり、ここでも、楽山は、トラウマを受けた人を、高みから見下ろして批評しているわけです。その結果、このような曖昧表現でトラウマを語る文章こそが、楽山に、トラウマに対する共感性が微塵もないことを表しています。
 
どこまで行っても、何を書いても、誰とも共感できない楽山が表れるだけです。自己愛の我執と我欲から、どこまで行っても、書けば書くほど、関われば関わるほど、楽山は、他者の心にトラウマを与えるだけです。
 

考えてみれば、これは信者側でも同じかもしれない。ツイッター上の信者のなかにはアンチに対して過剰反応を示す人は少なくないが、これは過去にアンチと何かあり、それがトラウマになっているためかもしれない。信者ブログの中には、もう何年も前に終わった話を度々蒸し返し、既にブログは止めて消えてしまった人のことをとやかく言うブログ主もいるが、これもトラウマが関係してるかもしれない。

 
楽山が残した嘘と偽善については、楽山が、反省もせず、修正もせず、無視している分、いつまでも、無反省の自己中の厚顔の偽善者である楽山の遺残物として、その内容と言動を、資料として、参照できるようにしておかなければなりません。
 

ああそうだ。上とは別の信者ブログの中には以前、記事をパクられたとして騒いでいた人がいるが、この人は最近はまた別の人に向かって同じことを言っている。反省と爽快感、顔施(笑顔)、知ることと信じることなどは大川隆法の本に書いてあり、支部でも話題になることであろうし、信者または元信者であれば普通に話題にのぼることであるし、他者の文章を引用しその感想または意見を書き、長文になるときは分割するというのは一般に行われている常識であろうし、パクリ、パクられたという話にはならないと思うのだが、それにもかかわらず、パクられ妄想を持つということは、そこにはやはり何らかのピンがあるのだろう。
そういえば、大川隆法もわりとちょいちょいそういう話を繰り返しているのだった。自分の意見をパクられた、真似されたとか…。でも実際は次のようになってるんだけどね。

 
記事の引用は、批判するために必要ですが、まだ、ピンという言葉を使って、それを説明しないところに、HSに心が残っているようですし、楽山の高慢も表れているのです。
 

根本経典からしてこうであれば、あとは推して知るべしというべきか…。(画像など省略)
とりあえず今思いついたのはこれだけだが、詳しい人であればもっと具体例を挙げられるだろう。こうしてみると、激しいパクられ妄想の根っ子には、過去にパクリを批判されたトラウマがある可能性は低くはなさそうにも思えてくる。
なんだかいつのまにか自分のHSに対するトラウマ反応が発動されて、大分話がそれてしまった観がないでもないが、結局のところ、人は誰でも多かれ少なかれトラウマがあり、それに影響されているということなのだろう。

 
"トラウマ反応" という題で、楽山が書いていることは、冒頭に書いてリンク付けているようなトラウマ反応とは言えないことです。
 
トラウマ反応は、体験からのもので症状を伴うものですから、話が逸れることではありませんし、話を逸らすことでもありませんし、ありもしないトラウマの嘘を吐くことでもありませんし、他者を無視することでもありません。
 
トラウマというのは、誰でもあるなどという気安い見解で済ましてよいことではありません。楽山はトラウマとトラウマ反応という言葉を利用して遊んでいるだけです。
 
楽山は、何を言われても返せないのに、平気でいられる人です。つまり、人格からの故意の自己中なのです。トラウマを与える人であって受ける人ではないのです。根拠は、今までの総ての批判記事です。
 

もし、トラウマがない人はいない、一人もいないというのであれば、それについて人を責めても仕方がないし、それならまずは人のことをどうこう言うよりも、まずは自分のトラウマを解消することに努めるのがよさそうだ。うん。納得。

 
人を傷つけても平気な人には、トラウマはないでしょう。傷つくという心の状態が分からないのです。そういう人に限って、人を責めても仕方がない、などと言ってきます。
 
そして、そういう人は、自分の無反省なことを棚に上げて、「自分のトラウマをを解消する」などと言って、「うん、納得。」などと平気で言ってきます。
 
トラウマとトラウマ反応について書いておきながら、自分だけの独り納得で解決を装って満悦することはとても醜い、ということが分からないからでしょう。
 
 
(2020年06月14日、修正再録)
 
 
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