ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

有名人を悪用する楽山

 
  有名人を悪用する楽山
 
 『人は、なぜ他人を許せないのか?』中野信子
 2020年06月14日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25159990.html
 
 
楽山の偽善性:今までに表れてきたこと。
1.自己愛が強く自己中である。
2.後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。不感不応。
3.議論や交流が、できないし、する気がない。
4.反キリストである。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
5.キリスト教とキリスト信仰を字面だけで、理解していると思い込んでいる。
6.ボンヤリ言語:直球ではなく、曖昧で婉曲的な言い方をして印象を刷り込もうとする。
7.平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
8.相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が全く出来ない。
9.深い情感がなく、共感性がない。
10.理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
11.学者・批評家・読書家気取りで、分かっているという我執から離れられない。
12.罪悪感、羞恥心が見られない。
13.トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の反省言葉。
14.アドラー心理学の宣伝をしていた。その影響が抜けていないと思われる。
15.HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
16.霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
今回も、楽山は、学者気取り、読書家気取り、インテリ気取りの、醜い婉曲的嫌がらせだけで、何の反論にも弁明にもなりません。また、有名人の記事を悪用しています。つまり、字面だけ、都合の良いところだけを引用し、箔を付けたつもりで、もっともらしく見せかけています。
 

中野信子氏の著作は何冊か読んだことがあるが、どれも面白かったので今度は本書を読んでみた。やっぱり面白い。その内容は自分の理解ではおよそ次のようなものだ。
誰かの加害行為によって被害を受けたら、それに憤りを覚えるのは当然である。しかしネット上においては、有名人の不祥事などに対して、自分は直接被害を受けていなくとも、当事者とは何の交際もなくとも、激しく怒り、攻撃的な書き込みを執拗に続ける人たちがいる。なぜそのようなことになるのか。その一因としては、人は「他人に『正義の制裁』を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出され」るということが考えられる。「この快楽にはまってしま」うと、いつも他人を攻撃せずにはいられなくなり、「いわば『正義中毒』」のような状態に陥ってしまうこともあるのだ。こうなると「自分と異なるものをすべて悪と考えてしま」いもする。

 
憤りを覚えるのは当然と書いていますが、ならば、楽山は、なぜ、憤って書いているこちらの、上の箇条書きに結び付く指摘をしている批判に答えず、無視して、婉曲的な記事ばかり書いて、当てつけてくるのでしょう。やり口が卑怯で汚いのです。
 
こちらからの批判とは関係ないと楽山が仮に言ったとしても、こちらが書いた批判の後、批判に関係のあることを、他者の文章を引用して書いてくるという当てつけの特徴が出ています。
 
楽山は、"正義中毒"と書いていますが、正義は中毒なのでしょうか、否、本当の正義には反省機能があるので、実際は、中毒ではありません。偽の正義は、楽山が、今、有名人の本をネタにして書いていることです。
 
楽山の、慢心や自己中こそ、正義の振りをして、中庸の振りをして、実際は、キリストと神を幼稚な疑問のまま貶めてきました。楽山は、自分で理路を組み立てることが出来ません。それが、反キリストで偽善者であるシャロームの、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という信条に無条件賛同をするという経過になっています。
 
つまり、楽山の正義は、本当の正義ではなく、自己主張の保身に過ぎず、自我への執着のために、正面を向いて答えられず、他者の意見を悪用するという経過が続いているのです。
 
楽山は、批判と悪口の区別が出来ず、自分と異なる意見、つまり、批判を、総て悪と考えています。ゆえに、有名人まで利用して当てつけのような記事を書きますが、その個々の批判が悪である根拠を示しえたことがありません。
 

ここから抜け出すには、どうして人を許せなくなってしまうのかという「脳の仕組みを知っておく」ことが肝要である…云々。この後著者は、正義中毒と脳の働きとの関係を説明し、その予防と対策についていくつもの提案をしているのだが、これについてはネタバレになるのでここでは控えておく。

 
楽山は、脳の仕組みを知る、という、たいそうなことを、さらっと書いて、予防と対策などと言っていますが、肝心の中身は、今回 "ネタバレ" などという俗語を使って、書こうとしません。神通力についても許可制などと言って同様でした。
 
つまり、本についても詳しい理路を理解していないか、秘密性で気取るのが好きなだけだと思います。結論だけ当てはめても、引用するだけ悪用になり、無駄なのです。自身の言に説得力の無い楽山の策略に過ぎません。
 

自分にとって本書中で特に面白かったのは次のような意見だった。正義中毒は特定の誰かに限ったものではなく、「人間である以上、どうしようもないこと」であり、誰もがそのようになりうるということ、近年の研究によって、保守かリベラルかは先天的に決まっている部分がないとはいえず、いわば生まれつきの保守脳、リベラル脳といった分類は不可能ではないことがわかってきたということ、

 
楽山の理路は、どうしようもないことは、どうしようもない、誰もが成りうる、先天的に決まっている部分がある、生まれつき、などと言う、短絡であり、その中間にあるものを考えず、また、保留に出来ず、分からないと言えず、場当たり的に、思いついたらバタンバタンと薄板を叩きつけるような雑な思考で、結論を出してきます。
 
"決まっている部分がないとはいえず" というボンヤリ言語ですが、曖昧ながら、印象付けるために、その場で、のぼせて書いてくるのは、曖昧でも、当てつけには十分という計算がある、ということが、今までも繰り返されてきたのです。
 
こういう印象操作や刷り込み的な物言いしか、楽山は、出来ないのです。暫定的にも確かに主張できるものが、理路と共感の貧困な楽山の中には、何も無いからでしょう。
 

脳には正義中毒を抑制する働きをもつ部位があり、それは25~30歳頃に成熟し、加齢とともに脳の他の部分と同様に衰えるものであり、これはキレる高齢者、暴走老人と呼ばれる人々と無関係ではないこと、

 
"キレる高齢者、暴走老人" とは、読んだ本では一般論であったとしても、楽山は、老人である私に批判されているという経過において書けば、恐ろしく侮辱的な当てつけになる、ということが分からないのでしょう。楽山は、こういう言葉遣いと言葉選びに、特徴が出てしまいます。
 
つまり、反論も弁明も出来ないために、楽山は自身に対して批判する者を、異常者としてしか見れないのです。丁寧語の裏に隠された楽山の悪意が、今回、表れています。
 
表面だけ丁寧な言葉を連ねても、引用とはいえ、このような言葉を選び、使うところに、楽山の、決して穏やかではない原始的で暴力的な感情が表れます。引用したことで責任回避している一種の罵詈雑言なのです。
 
このように、またしても、自己中で無反省で、引用元の迷惑などは、いっさい、考えない楽山の厚顔無恥が表れています。
 

脳の機能にはネガティブフィードバックというものがあり、他を攻撃すればそれを抑制しようとする働きがあること、同一人が正反対または矛盾する価値観を持つことがあるのは、社会的な価値観の大変化があった場合に対応するためではないかという仮説があること…などだ。

 
概念の字面だけを追ったような書き方です。フィードバック、矛盾する価値観、攻撃と抑制、というような、抽象的な、それだけでは中身の具体性が分からない書き方を、楽山は好むのです。そして、それで辻褄があったような気分になって満悦するのでしょう。
 
だから、楽山の文章には、説得力が無いのです。うっかり、なんとなく、鵜呑みにして、褒め言葉など書いてしまうと、疲労だけを与えてくる地獄が待っています。
 

自分は、他人を批判した後に、もの言えば唇寒し秋の風という気分になることは多いし、

 
嘘です。この句のような人は、執拗に、中身の無い自説を、他者の本の言葉を借りてまで、書き続けることは、恥を知っておれば、出来ないはずです。トホホ言語の典型。
 
やんわりでも、きびしくでも、否定は否定、当てつけは当てつけ、嫌がらせは嫌がらせなのです。見た目は控えめに、中身はドロドロ、という偽善者が使う口車です。"キレる高齢者、暴走老人" という言葉の選択に表れています。
 

保守とリベラル、有神論と無神論、唯霊論と唯物論といった正反対の思想、価値観のどちらにも共感してしまうこともあるので、どうして自分はこうなんだろうと疑問に思うこともあったのであるが、

 
楽山は、どちらにも共感してしまうなら、どちらも書けないはずです。その時その時で、好きなように書いている自分の精神不安定と厚顔無恥に気づいていない人の愚痴ですが、これも自己正当化のために同情を誘う詭弁家の芝居がかった嫌らしい "トホホ言語" です。
 

本書によればどうやらこれはネガティブフィードバックだとか、価値観の大変化に適応するための生存戦略という面があるということらしい。

 
ネガティブフィードバックは、適応する必要があるものでしょうか、調節機能だと思いますが。
 
この文脈の目的語は、価値観の大変化でしょうか、適応する対称でしょうか、それともネガティブフィードバックが生存戦略だと言いたいのでしょうか。生存戦略ならば意味がありそうだが、戦略と言うほどのものでしょうか。それとも、説明抜きで、そう言うだけで、楽山は、満足するのでしょうか。
 
こういう分かったふうだけのきれいごと、シャロームの大仰な誇大言語の筆致に、よく似ています。
 
楽山やシャロームなどの易坊類には、一人による成りすましの疑いがあります。
 

終戦時、日本の勝利を信じていた熱心な愛国者のなかには、自決したり、発狂したりした人もいたというし、これから類推すれば、相反する価値観を同時に持つというのは、価値観について社会的な大転換があった場合に備える生存戦略としては確かに有効ではありそうだ。

 
楽山の、まとまらない言論を、こういうことで正当化できるものではありません。楽山は、相反する価値観を包含するような、いかなる言論も持ち合わせてはいません。
 
楽山は、反省と学習を経ていない分、言論も言葉遣いも、雑で、いい加減なだけです。
 
楽山は、"相反する価値観を同時に持つ" という字面だけを受け取って、批評家気取りで、自分もです!有効ですね!という気になって、満悦しているだけだと思います。気分易変と、相反する価値観は、全然、違います。
 
相反する価値観とは、楽山のように両方持ってふらふらすることではなく、結局は、あらゆる価値観を、絶対とせず、訂正不能とせず、相対化しておくことでしょう。楽山とは、正反対の考え方になります。
 

本書のおかげで、自分の心の動きについて長年に渡って疑問に思っていたことについて解決の糸口を見つけたようでうれしい。

 
何も解決していませんし、糸口さえも、楽山は、勘違いしているようです。このように、本を読んでも、そのたびに、勘違いし、誤読し、曲解し、自己満足して、独りよがりの思いこみを深めてゆくだけの楽山です。
 

それにしても、人というものは、脳の機能、適者生存といった視点から見ると、本当に面白いものだ。道学者的な視点からこのような問題を論じれば、「精神修養が足りん!」ということで終わってしまうのであるが、人を生物として見れば人をより深く理解できるし、さまざまなことを考える切っ掛けにならないとも限らないということなのだろう。

 
楽山は、勘違いだらけで、何を面白がっているのでしょうか。人を生物として見れば、と言っていますが、今まで、どう思っていたのでしょう。無生物として、物として、見てきたのでしょうか。それとも、人間が厄介だと言いたいのでしょうか。生物として見れば、楽山は、叱られずに済むと思うのでしょうか。
 
なぜ、生物として見れば、深く理解できるのでしょうか。楽山の言は、何の切っ掛けにもならないと思います。人は人です。人として生きたくないのでしょうか。いったい、脳科学の本を読んで、いや、見て、何を受け取ったつもりでいるのでしょう。空恐ろしいものを感じます。
 
「さまざまなことを考える切っ掛けにならないとも限らない」・・ボンヤリ言語の典型。
 

自分は元来、道学者であり、精神論者の傾向は強いのではあるが、唯物論のこういうところは有用だとつくづく思う。

 
道学:
(ネットより)
1 道徳を説く学問。また、道徳を学ぶこと。
儒学。特に、中国宋代の朱子学宋学
3 江戸時代の心学(しんがく)のこと。
道家の学問。道教
https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E5%AD%A6-103212
 
楽山のどこが学者なのでしょう。楽山は、道学と、体の良い "学" をつけても、道徳を学ぶことなどしていないと思います。また、いかなる論者にもなりえていないと思います。楽山の見栄張りと遠吠えです。だから、自尊と保身のために、ボンヤリ言語を、まるで体質のように多用し、平気で嘘を吐くのです。
 
楽山の言論は、嘘と飾りと化粧だらけです。中身がないから、失敗して、それこそ、小梅太夫チンドン屋のような、ふざけた装いになっているとしか思えません。
 
 
(2020年06月16日)
 
 
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