理由
理由
私は、宗教と信仰を、自分が、生きられるか生きられないか、という考え方をするしかない人です。上手く生きるかどうかは、二の次です。ご利益などは、私の思いにおいては、圏外です。
しかし、巷の宗教、特にカルトの話を聞くと、上手に生きる、楽しく生きる、完全になる、何らかの利益を得る、満足する、というものばかりのようです。
上手には生きられません、楽しいばかりではありません、人間は不完全です、ご利益など、満足など、無理です、というふうにしか見えないのが、私が見る世界です。自分の心を見れば、悔いることや、嫌なことのほうが、より多く、思い出されるからです。内にも外にも。
それを耐えて生きるには、生き甲斐というより、むしろ、生きる理由が必要です。なぜ、悲しかったり苦しかったりの人生を、生きることに耐えなければいけないのでしょうと、仰ぐところに、私の場合、神、そして、キリストがいる、という成り行きであります。
そのことを無視することは出来ません。そこに、現実と、信仰の、交差点があります。
近況:
7月6日(月)に、入院している母が退院してからの施設の相談を、ケースワーカーと相談して、候補としての老健施設に行ってするはずでした。しかし、朝、洪水注意報が出ていて、約40年前の長崎の大水害のことも思って恐れたのか、私は、洪水警報と勘違いして、老健施設に電話をかけて、「警報出てるから、止めときます」、と言ってキャンセルしてしまいました。
ところが、その6日の夕方から夜にかけて、洪水特別警報が出て、テレビやネットで、予報や雲の図などを見て、雨も激しくなって、被害のニュースもあったりで、うちはマンションの4階だし住んでる近くに氾濫が起きたわけではないですけど、老健施設へ相談に行くことを止めて、ほぼ正解だったかと思いました。
確か約40年前の長崎の水害も、そんな感じで、あっと言う間に川が氾濫したような話でした。私は、当時、私は、熊本で初期研修中でしたが、病院から医療支援しようということになり、暇なのが私しかいないということで、長崎の現地へ、雨が上がった後の被災地へ行ったことがあります。川の中に家があって、それは流された家で、川と川でないところの境界が土砂で分かりにくくなっていた、という記憶があります。
熊本の球磨川などの被害の映像を見ると同じように思うのですが、長崎は、さらに、山が多く、平地の少ない県です。雨が、平地と山に降れば、山の雨水は、加速して、平地にくだり、平地の雨水と合わさって、水位を短時間で高くすることがあるわけです。
それと関係あるかどうかは分かりませんが、熊本のほうだったか、ニュースでは、僅か20分ほどで、車の走っていた道路が、車が流されていて、川みたいになっている映像がありました。
自然を甘く見てはいけないと思いました。7月7日(火)午後11時現在。
(2020年07月8日)
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