ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のケツの穴

 
  楽山のケツの穴
 
 ケツの穴
 2020年07月11日
 http://mn266z.blog.jp/archives/25478868.html
 
 SNS上の誹謗中傷について
 2020年07月11日
 http://mn266z.blog.jp/archives/25478452.html
 
 今回は、抜粋です。
 
楽山が、ツイッターからコピペして書いているようです。今回は、抜粋しておきます。はっきり言えるのは、自分の、当てつけや詭弁による攻撃性、という、誹謗中傷の中でも、最も悪意に満ちた策略的な、陰険なやり方についての、反省も悔いも微塵もないということです。楽山は、そういう人です。
 
自分を、被害者の立場においても、加害者の立場には決して置かないのです。反省するはずがありません。だから、記事に引用して、笑うことが出来るのでしょう。
 
今日の私の記事は、言葉遣いが下品ですが、楽山が、すこぶる下品な言葉を使っているので、私も、思い切り、使うことにしました。なお、元々、私は、それほど上品ではありません。
 
(引用)

みんな 真剣に/受け止め過ぎなんだ/ツイッターなんて/ただの意見に過ぎない/意見はケツの穴と一緒/誰にでもある

 
楽山は、これに反応して、
 
(楽山)

これには思わず笑ってしまった。この大らかさは気持ちがいい。
ただ、この譬え話を知ってしまったからには、今後はSNS上で、汚い言葉を見掛けるたびに、ケツの穴…しかもきちんと拭いていない汚いケツの穴を連想してしまいそうだ。これはつらい。どうかそんなことにはなりませんように…(笑)。

 
「笑ってしまった、おおらかさは気持ちがいい」、などと軽い扱いで、笑う楽山です。そして、"ケツの穴"、から、「きちんと拭いていない汚いケツの穴を連想」してしまうそうです。自分のケツの穴を、除外しているから、笑えるわけです。そう、楽山は、批判されている間、ずうっとケツの穴で笑っていたのでしょう。
 
楽山のケツの穴は、そんなにきれいでしょうか、否、今までの、嘘と詭弁によって、クソまみれのような気がします。つまり、きたなく笑うケツの穴、でしょうか。
 
明らかなのは、楽山が、全く、自分のこととして考えていないこと、人のケツの穴だから、拭いてなくても笑えるのでしょう。このように、自己愛の自己中の偽善者は、病識がなく、どんなことを仕出かしても、他人事で済ませて、たとえ、批判されても、びくともしない不感不応のケツの穴?を身につけているのです。
 
(引用)

二、三の誹謗中傷に対してはスルー対応もできるかもしれないが、大量に長期にわたっての誹謗中傷に対してはスルーだけで済むわけもないということか…。

 
楽山の長期にわたる嘘と詭弁に対して、私は、一年余りにわたる批判を続けています。もちろん、ケツの穴をほじくる趣味はないので、笑ってはいません。
 
私の批判に対して、楽山は、批判と誹謗中傷を区別できないまま、趣味のようにとらえているのでしょうか、ケツの穴で笑っているようです。
 
(楽山)

たしかに、正義の立場から不道徳な行いをただすとか、自分の好きな番組を台無しにされて被害を受けたとか、そういう主張が目立つ。
こうしてみると、被害者意識だとか、正義だとかいうものは、本当にやっかいだ。

 
被害者が、被害者としての意識を持たなければ、悪が栄えるだけです。また、正義を考えないで、生きることは出来ません。
 
しかし、楽山は、「被害者意識だとか、正義だとかいうものは、本当にやっかいだ」と言っています。どういうことでしょう。
 
自身の被害者意識を認めないということは、鈍感だということでしょう。しかし、他者の被害者意識を認めない、ということは、他者に対する加害者意識も罪の意識も持たない、ということです。つまり、思いやることが出来ないということです。
 
また、正義などは、厄介だから、気にしない、と宣言しているようなものです。楽山の墓穴が、どんどん深くなってゆきます。楽山は、深い深い真っ黒なケツの穴になるのでしょうか。
 
私が、楽山を批判するのは、は、被害者意識でもなければ、正義と信じ込んでのこともありません。楽山の書く宗教と信仰の記事が、カルト的で、有害と判断したから、批判しています。これは、判断であって、正義と信じ込むのとは違います。
 
楽山が正当であると分かる弁明があれば、私は、訂正するでしょう。しかし、楽山は、そのような弁明の記事を、一度も書いたことはありません。いつも、当てつけの悪口と、嫌らしい嘘と詭弁ばかりです。
 
楽山には、嫌らしいという感覚がないのかもしれません。楽山は、今回、「ケツの穴」という、絶妙な喩えを持ち出してきました。まさに、楽山の書く文章は、ケツの穴から失禁される"もの"なのです。楽山の口は、その "穴" であり、そして、その真っ赤なケツの穴を、丁寧語と詭弁のボンヤリ言語で、真っ赤な "くちびる" に見せかけてきたのです。
 
そして、あろうことか、楽山自身が、人のケツの穴を、自らのケツの穴で、笑っているのです。誹謗中傷、悪口、罵詈雑言のみならず、さらに、嘘と詭弁で塗り固めたような、嫌がらせと当てつけの言葉は、まさしく、いつも未消化の、楽山の、下痢便の臭い臭い失禁であります。自覚がないのは、痔核があるため?、そして、呆然痔疾なのでしょうか。
 
私は、批判するときには、今まで、辛辣な比喩表現も、ときに使ってきました。今回は、楽山が、いつものように自分を棚に上げて、しかし、いつもの気取りとは裏腹な、絶好の辛辣な比喩を、提供してきました。つまり、虚飾の言葉を使わなければ、締まりなくケツの穴まで落ちる楽山です。
 
当てつけのつもりが当てつけられる、人を笑えば自分が笑われる、という常識を、自己愛は、考えないのでしょうね。自業自得の因業が始まっています。
 
 
(2020年07月12日)
 
 
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