ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の子供だまし

 
  楽山の子供だまし
 
 宗教とアニメは同じもの?
 2020年07月25日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25655890.html
 
 
楽山の本音がむき出しになっています。宗教も、ゆえに信仰も、アニメとしてしか考えられない楽山です。これでは、楽山が、救われないのは当然ですし、この無知と無恥によって、楽山は、反宗教、反キリストとなっている証拠となります。これが楽山の正体なのです。
 

前記事の後半においては、つい宗教とアニメを並べて書いてしまったのではあるが、改めて考えてみれば両者はすごく似たところがある。
とりあえず両者の共通点を挙げてみると、こうなる。
世界観…宗教も、アニメ(漫画)も、それぞれ独特の世界観を持っている。その世界観では、現実にはあり得ないことが実現可能とされることも多い。

 
世界観は、実際の世界を表すとは限らない、ということが、楽山には分からないのです。理想であったり、その反対であったり、希望であったり、というような世界を、真に受けるのが宗教と信仰だと思っている、そうでないと気の済まない楽山の、驚くような幼稚さです。
 

物語…どちらも独特の世界観を持つように、独特の物語も持っている。

 
独特の物語と独特の世界観を想像するのです。当たり前のことが、楽山には分からず、楽山には、宗教は嘘、と言うことと同値なのです。常識も何も分かっていない。
 
物語のテーマとかいったものを考える正常な知性と感性がないために起こる未熟~退行であり、楽山が、いい年した大人だなんて、到底、思えません。その楽山が、背伸びして、本を読んだとばかり、嘘と詭弁を、ずっと噴出してきたのです。
 
楽山こそ、想像の世界の物語と、現実の世界とを、分離できてないところの、"自他未分化" の特徴的なパーソナリティです。人に何かを教えるよりも、小学校に入ったら?・・という次元の話です。
 

人物…主人公(教祖)、援助者(神や天使)、脇役(弟子)、悪役(悪霊、悪魔)などが設定されている。

 
この登場人物の類似によって、やすやすと、アニメや童話を、宗教や信仰と同じように扱えると思い込む、という、楽山の救いがたい妄想的曲解であります。
 
こういう子供だましにもならないような思考に至ってしまうのは、無反省、訂正不能、そして、自信の超過剰、という病的ナルシストの特徴なのでしょう。これからも、増悪して、最後には、混乱して日常生活も困難な支離滅裂になるだろうと思われます。
 
こういう楽山の通過点として、シャロームのような妄想信条と自己絶対の偽善者の、滅裂な豪語の世界があるのです。まるで、病気の進行のステージを見ているようです。
 

目的…世界を救うだとか、正義を実現するというような目的がある。大雑把に言えば、願望充足ということ。

 
世界を救うアニメの物語と、人間を救う宗教と信仰を、同一視してしまう未熟性は、楽山本人が、霊が分かるっぽい自分を信じ込んだ時点にさかのぼるのでしょう。
 
つまり、子供の時、既に、空想の世界があり、それを空想と認識できないために、何の根拠もなく、何の力もなく、おとぎ話を、宗教と、信仰と、思想と、大人になるまで、信じ込んで、のぼせ上がっている楽山の病の根の深さが表れています。
 
決して、楽山を、まともだと思わないように、決して、楽山に、関わらないように、決して、楽山に、近づかないようにしてください。思考も情緒も狂っています。
 

修復…設定(教義)のほころびを修復しようとするファン(神学者や信者)が存在する。
その他

 
アニメでは修復されることが多いですが、現実では修復されない場合があります。まさに、その実例が、これを書いている楽山その人だと、楽山自らが証明しているのです。設定した対応が滅茶苦茶です。これで、よく公表できるものだと思います。
 

思うに、人は無目的、無意味には耐えられない生物だ。「一切は無意味である」というような考え方を受け入れることが出来るのは、ごく一部に限られる。

 
無常というものを考え、ある程度、認めて、真実を追求している人々は、いっぱいいるでしょう。そういう人々は、例えば聖書の、風を追うようなものだ、ということを理解します。楽山は、それを認めずに、我こそは意味があると見せかけながら、リアルに虚しいだけの風を追い、悪臭を送風する者となっています。
 
「無意味には耐えられない生物だ」と断定しながら、「ごく一部に限られる」と存在を認める発言を加える、という、この卑怯者の詭弁に惑わされないためには、楽山を、いっさい、信用も信頼もしないことが必要になってきます。
 

だから人は自分はどういう流れの中で、どういう目的を持ち、どういう世界で生き、その後どこに行くのかということに興味を持たないではいられず、それがために神話が生れ、宗教が生まれたのだろう。

 
知性と感性が、一方は、アニメとして結実し、一方で、現実を見る者は、宗教と信仰に思想を進めるのです。どちらも、真面目だが、求めるものが違えば、創造力や思考力を向ける方向が別になるということです。それで、どうして、宗教とアニメは同じもの?、というタイトルになるのでしょう。
 
つまり、楽山だけが、想像力も思考力もなくて、にもかかわらず、どちらも知っていると言いたい欲望から、方向性の違いをわきまえず、ただ、おのれが宗教も信仰も理解できない欠格者だから、
・・アニメといっしょや・・とばかり、宗教と信仰をおとしめたいだけだと思います。
 
宗教を、アニメと同じ方向性で見ている時点で、楽山は、アウトなのです。
 
視野が狭くて狭くて、同じ世界に見てしまっているのです。空想と現実が未文化なのでしょう。子供のまま、成長がないのは、反省せず、学習せず、成長して来なかったからなのです。
 

そして今なお、新しい物語(神話、宗教、主義、思想、歴史観、アニメ、漫画、映画、小説…など)が作り続けられている。この点において、宗教やアニメはもちろん、すべての物語は同根なのだろう。

 
同根かどうかは、私は、すべてを検証していませんから、すべての物語は同根・・みたいな豪語は出来ません。しかし、宗教は、ましてや、信仰は、物語では済まされません。楽山が、いかに、宗教を軽く見ているかが分かります。
 
アニメで、人は死にません。宗教では、多くの人が死んだ歴史があります。宗教は、人を救うが、間違えば人が死ぬ、という、その重さを楽山は、考えてもみないようです。
 
ゆえに、楽山は、軽々しく、持ち前であるところの、のぼせ浮かれ頭で、アニメと同じ次元で考え、宗教の真実を、趣味のアニメと同等に、貶めようとしているのです。反宗教全開ですが、そういうことを言っている楽山は、自分の霊を信じ込んでいる無根拠の自分教の信者~教祖なのです。
 

こういう考え方は、熱心な宗教信者からは反感を買うかもしれないが、そういう人であっても自分が信じている宗教以外については、アニメなどの物語とそう変わらないという見解には強いて反対はしないだろうし、そうだとすれば自分の信じている宗教も、異教徒から見たらアニメなどの物語と変わらないとみなされるだろうことは推測できるはずだ。

 
自分が信じている宗教以外については、分からないと答えてよいのです。楽山は、何ごとにつけ、分からないという保留が全然できない人であります。だから、大方、嘘と妄想と詭弁の世界から、書物を漁っては、低劣な悪口だけを、宗教、特にキリスト教に向けてきたのです。
 
この記事で、楽山は、宗教をアニメの趣味に貶めていますが、それだけではなく、そのアニメ趣味では済まされないところの、自家製の霊能者妄想を信じ込んで訂正不能になっているが楽山なのです。
 
楽山の言は、何の説得力もない、ヤジか荒らしのレベルではありますが、楽山の丁寧語には、だましの作為が入っているので、十分、警戒してほしいと思います。
 

ようは、どのような宗教であれ、ある程度の距離をおいて観察し、判断すれば、一つの物語にすぎないということである。宗教という物語の中にどっぷりつかっている場合は分かり難いかもしれないが、これが現実である。

 
どのような宗教であれ、距離を置いて見ている限りは、知らない世界という謙虚な態度を持つべきであり、それが常識なのです。
 
楽山には、常識~良識~良心が欠けているので、愚かな詭弁を、のぼせ上がって続けています。恥を知らず、反省をしないと、こうなる、という典型です。
 

ちなみに宗教とアニメは物語という点では同じだと考えれば、近年の宗教離れの原因については、人の物語に対する欲求は、アニメなどによって満たされているので、わざわざ宗教を信じる必要性はなくなったためだと考えることができるかもしれない。

 
アニメを見れば、満たされて、宗教不要と言っています。趣味で生きることは出来ません。楽山は、どこまで退行するのでしょう。
 
このような者は、いかなる宗教においても失格ですが、常識においても失格と言わざるを得ません。だんだん、本性の暴力的断定が増えています。はっきり言って、ネトウヨよりも、分かりにくいぶん、悪質です。
 

また新興宗教のなかには、ずいぶん漫画的なものもあるが、これにはアニメを超える良質な物語を提供できない宗教が、アニメに近付くことで生き残ろうとしているという解釈もできるだろう。

 
ここでの詭弁は、カルトと、宗教を、一緒にしている点です。こういう、隙間に仕込むのが、楽山の詭弁のやり方です。シャロームに劣らず、楽山の凶暴なところが、どんどん、明らかになってきます。
 

宗教とアニメを同列に考えることは素っ頓狂のようではあるが、これによって宗教がより理解しやすくなるということはあるのだ。

 
素っ頓狂というより、邪悪で卑怯この上ないのです。やり口が卑しく、理路がでたらめで、情緒がないために共感が成り立たず、説得力は皆無なので、嘘や刷り込みや印象操作などの詭弁を使うしかないのでしょう。
 
吠えてる分だけ、真実追求の邪魔をしている自分に気づかないのは、自己愛性人格障害も、やはり進行するのだろうと思います。どこまでも、有益、誠実、正直、というところから、はてしなく遠ざかる楽山であります。
 
良心というものが、少しでもある人は、こういう記事は書かないだろうと思います。
 
 
 ここで
 「心の理論」という発達心理学の話の記事を引用しておきます。
 楽山が著しく曲解しているのが分かります。
 
  親戚に笑われた話 (仏様の気持ちは分からない?)
  楽山日記(LD) 2019年03月30日
  http://mn266z.blog.jp/archives/17513119.html
  私の批判記事「心の理論」
  https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12450774365.html
  
(ネットより)
心の理論とは、他者の心を類推し、理解する能力である。特に発達心理学において、乳幼児を対象にさまざまな研究が行われるようになった。ヒトおよびヒト以外の動物が心の理論を持っているかどうかについては、誤信念課題によって調べられる。この課題で他者の信念についての質問に正答することができた場合に、心の理論を持っていると結論される。一般的に4歳後半から5歳の子どもはこれらの課題に通過することができる。自閉症患者では障害が認められる。
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96
 
楽山は、自閉症だったのでしょうか。
ブログタイトルには(LD)と書いていますが、
学習障害 Learning Disability なのでしょうか。
 
引用元から、まず、マクシ課題というのが書かれています。
 

1.マクシは、母親が買い物袋をあける手伝いをしている。
2.彼らはチョコレートを<緑の棚>に入れる。
3.マクシが遊びに行った後、母親はチョコレートを取り出して、今度は<青の棚>に戻す。
4.母親が卵を買うために出て行ったあと、マクシが遊び場から戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「マクシはチョコレートがどこにあると思っているか?」と質問する。正解は「緑の棚」だが、心の理論の発達が遅れている場合は「青の棚」と答える。
 」
 
「誤信念を理解すること」というのは、誤信念を正当化することではなく、誤信念を他者が持っているということを理解することのようです。
 
マクシは遊びに出ていたので、母親がチョコレートを<青の箱>に入れたことを知りません。したがって、「マクシはチョコレートがどこにあると思っているか?」という質問の正解は、「緑の箱」です。マクシは、誤った信念を持つ例として書かれています。
 

ちなみに自分としては以前は、これは霊感の一種なんだろうと思ってた。でも近頃は、「心の理論」の延長上にあるという説に説得力を感じてる。相手の心を推測する機能が拡大されて、人以外の存在…仏様、神様、ご先祖様に向けられたのではないかと…。

 
霊感とは何の関係もありません。しかし、ここが、楽山の、霊が分かるっぽい出発点なのです。
 
楽山は、「心の理論」を、勝手に延長?して、神仏を、分かる、あるいは、感じることと、受け取っているようです。しかし、これは、全くの妄想的曲解であります。「心の理論」の延長線上に、霊感のような神仏理解は、全くないのです。全面的に楽山の危険な無理解であり妄想です。
 
楽山は、最初に述べた「心の理論」を、全く理解しないまま妄想に結びつけています。
 

*参考
「心の理論」という言葉は、何となしにスピっぽい雰囲気があるけど、検索してみるとそっち系の言葉というわけでもないらしい。専門家ではないので確かなことは言えないけど。

 
"らしい" ではなく、スピリチュアルとは何の関係もありません。専門家でなくても分かります。発達心理学の話です。
 
楽山は、こういう、ひどい曲解をする人です。しかも、いつまでも、わがままが通用すると思っているようです。
 
楽山は、霊能者どころではなく、ふつうの心がないために、理路の理解も、共感も出来ない人なのです。こういう人が、傲慢だけ持ってしまうと、とても危険です。楽山は、その実例です。
 
 
(2020年07月26日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
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(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
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