ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のごますり

 
  楽山のごますり
 
 『古事記 完全講義』竹田恒泰
 2020年08月23日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25983646.html
 
 
著者は、旧皇族で、テレビ討論会にも出ている有名人で、保守の右寄りと言われている人です。そういう人を立てて、何を言うかといえば、大いに賛同して、自分を高めたいだけなのです。
 

近頃は、古事記とその解説書をいろいろ読んでみているのだが、本書は特に分かりやすくて面白い。通読すると、古事記の全体像がおぼろげながらでも見えてきたようで愉快だ。実際のところは、まだまだニワカではあろうが、それでも自分なりに古事記をぐっと身近に感じることが出来てきたような心持ちがして楽しい。

 
「面白い」「愉快だ」「身近に感じる」「楽しい」と絶賛してます。この記事を書くこと、本人か関連に、了承を得ているのでしょうか。楽山が了承を得て書いているとすれば、今までのことから、逆に、著者の信頼性が落ちるのですが。
 

本書の中で最も印象に残ったところは、古事記古事記だけで読み解くべしという考え方だった。「『古事記』を読むときにわからないことがあったら、『古事記』の中からだけ答えを見つけ出してください。これ大鉄則です」(p.170)というのだ。

 
楽山は、聖書を聖書だけでも、聖書をこうあるとも、全く成り立たなかった人です。何を印象深いと言っているのか、分かりません。まあ、楽山の気まぐれなど、分かることはないでしょう。
 

もし古事記にはこうある、日本書紀にはこうある、発掘調査ではこうなっているとしたうえで総合的な見地から答えを出すとしたら、それは日本史研究ではあっても、古事記そのものを読み、理解したことにはならないということ。そう言われてみれば確かにその通りではある。

 
楽山は、どちらが真実だと思っているのでしょう。楽山の、真実を軽視する姿勢がうかがえます。それは、そのまま、右翼信仰に通じるのかもしれません。歴史的真実を明らかにするには、多角的調査は必ず必要なのです。それを、楽山は否定しています。
 
全く、楽山は、自身の好みや贔屓によって、ころころと視点を変えてゆく人だなと思いました。まことに、楽山は、右寄りの風見鶏であり、無名の偽牧師シャロームに対すると同じように、今度は、有名人に対して無条件賛同を表しています。
 
賛同すれば、ゴマを擂れば、引用元の迷惑どころか、ひょっとしたら、お声がかかるのでは?とでも思っているのでしょうか。あざとい。
 

自分は視野は広い方がよく、本を読むときはいろいろな本を横断的に読んだ方がよいと考えてきたが、一冊の書物を真に理解しようと思えば、その書物はその書物だけで読むという方法論にも一理あるし、これはこれで正論といえそうだ。

 
その時の自分の都合で、悪説にも賛同してきました。シャロームへの賛同がその例です。それで、視野が広いほうがよい、などと、よくも言えたものです。
 
楽山は、そもそも視野というものを持っていないと思います。楽山が持っているのは、欲望、我執、自己愛、霊が分かるっぽい妄想、自己中による訂正不能、など、偏向して、視野を狭くして、人間の真実を曲げる要素ばかりなのです。
 

本書は講義録ということもあってか、古事記の話だけでなく、他の話も挿入されており、それがまた実に面白い。「なるほど、そういうことだったのか」と納得できる話ばかりだ。その話のテーマと場所をメモすればこうなる。

 
楽山は、中身を・・・書きません、説明しません。楽山らしい。めんどくさいのです。分からないから。それで、「面白い」「なるほど、そういうことだったのか」と納得、ということだけなのです。
 

対馬の記述はすでに古事記にある(二 伊邪那岐神伊邪那美神
埋葬した妻が戻って来る話(〃)
大日本帝国憲法古事記(五 出雲の国譲り)
神と人(六 天孫降臨日向三代
天皇は神だった?(〃)
君が代(〃)
大東亜戦争、南進か北進か?(初代 神武天皇
石原莞爾(〃) 
纒向遺跡前方後円墳(第十一代 垂仁天皇) 
邪馬台国(〃)
皇后陛下と和服(第十二代 景行天皇
呪殺(第十五代 応神天皇
昭和天皇マッカーサー(第十六代 仁徳天皇
御奈良天皇と内職(〃)
仁徳天皇リンカーン(〃)
占い、誓約、タロット(第十九代 允恭天皇

 
楽山が、何も理解していないことを、楽山が表しています。中身の説明~概説の代わりに、目次を書いてきました。哀れです。
 
以前からの私の思いつきに過ぎないこととして:
邪馬台国は、ヤマト国と読めないのだろうかと、ある歴史サイトに聞いたことがあります。否定はされなかったようです。
当時の中国の人、魏の人は、訓読みとか、ないから、大和をヤマトとは読めない。それでも、日本人(倭人)は、ヤマト、ヤマト、と言うてくる。しょうがないので、ヤマトに当て字、邪馬台を当てた、とか考えても不思議はないだろう。また、日本人が、自国領土に、邪馬台国、よこしまな馬の台地の国、などという名前を付けるだろうか。
邪馬台国はなかった、大和国すなわち日本のことだった、という思いが、未だ否定できません。
 

これらは自分が興味をひかれた話題だけど、本書にはこれ以外にも沢山の余談があるので興味のある方は本書を直接ご覧になることをすすめたい。

 
興味を引かれたとだけ書いて、勧めています。それ以上の責任を負う気はないということです。賛同の「なるほど、そういうことだったのか」に比べて、この素っ気なさは、何なのでしょう。
 
分からないのです。読解できないのです。学ぶことが出来ないのです。まとめることも出来ないのです。それでも、有名人の味方であると、見栄を張りたいのでしょう。醜すぎるでしょうって話です。
 
もはや、素っ裸になった楽山、批判の動機と題材だけは、惜しみなく与えてくれるようです。
 
 
(2020年08月24日、同日一部修正)
 
 
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