楽山の批判くずれ
幸福の科学大学が、不認可になった理由について(平成26年)
2020年09月16日 楽山日記(LD)
http://mn266z.blog.jp/archives/26286401.html
楽山は、なおも、正義の味方を気取って、カルト批判を続けたいようです。こちらは、いかに、楽山が、他者を批判する資格のない自己愛・自己中の、無反省・無責任かを書き続けてゆきます。
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*幸福の科学大学を「不可」とする理由
ツイッターを見ていたら、HSUの不認可理由(平成26年)が発掘されていたので、ここに保存しておきたい。
「
・平成27年度開設予定の大学の設置等に係る答申について(平成26年10月29日):文部科学省
」
このページの「2.配付資料」にある「平成27年度開設予定大学一覧(判定を「不可」とするもの)」において、「幸福の科学大学を「不可」とする理由」が説明されている。
その内容を要約すれば、こんな感じだろうか。
「幸福の科学大学では、大川隆法の著作をベースに教育をするそうだけど、そこでは、霊言集を科学的根拠のあるものだとしてるね。いやいや、霊言には科学的根拠なんてないっしょ。いくらたくさん霊言集を出してるといっても、そんなん科学的根拠になるわけないじゃん。
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「根拠になるわけないじゃん」と、あざ笑うかのように、呆れるかのように、なじっている楽山の筆致と、その慢心を見てほしいと思います。楽山は自分が客観的な立場にいるかのように吹聴していますが、もっとも、嫌らしい詭弁で欺いてきたのは楽山その人です。
中立の立場が必要な場において、資格のないものが物を言うと、いかに不自然な印象になるかを、考えるべきです。楽山は、自分の目にある梁(はり)に気づかない人です。
(マタイによる福音書、口語訳)
7:3
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
(マタイ7:3-5、新約聖書)
(ネットより)
梁(はり、りょう)とは建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材のこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81_(%E5%BB%BA%E7%AF%89)
梁は、勘違いの大きさを比喩として表しています。それは、そのまま、楽山の姿です。人の目のちりを笑いながら、自分の目の木材に気づかない愚か者のたとえです。
楽山は、これまで、キリスト教をなじり、別のときには、クリスチャン芝居をして、一切責任を負わないで、何を言ってきたかを弁えないで、自らの意見を全く整えないまま、その時その場で、自分が気持ちよくなるように、言いたい放題を言ってきた人だということです。
自らを自己批判すなわち反省の対象にしないで、人を批判する資格はないのです。
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「霊言集は新聞広告に載っているから社会的信用があるというけど、これもおかしいっしょ。新聞広告に載ったからってそんなこと言えるわけないじゃん。
「『霊言なるものは真実だ! 科学的根拠がある!』などと宗教として信じるのは勝手だけど、これを学問として認めろってのは無理っしょ。これを学問の自由として保障するなんてできないよ。
あとさ、認可を強要するかのような行為は、ダメだよ。ここ、厳重注意しとく。以上」
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「言えるわけないじゃん」と、また笑っています。そして、「ダメだよ、ここ、厳重注意しとく」だそうです。自らの整わない理路と、鈍感な感性を、しっかりわきまえなさいと、厳重注意しておきます。全然ダメだよってことです。
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いやはや、これは、公的機関がHS教義は宗教ではあろうが、学問ではないと明確に否定した文書として貴重だ。
大川隆法の言葉を引用しつつダメ出ししたり、霊言には科学的根拠がないとしたり、「幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切に配慮」などの要件を満たしてもいないとしているところは、まさにアンチ側の主張そのまんまであるところもいい。
HSは、「霊言は真実だ!」「HSは社会的信用がある!」と言うけれども、これらの主張は根拠薄弱だとして打ち返すのには、本当に便利な文書だ。
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つまり、楽山は、書いたことが、宗教でもなく、学問でもないと、明確に否定されていることに、全く気づかない人です。楽山は、批判者としての要件も資格もない人です。
家族の、仏様が分からないっぽいという発言で、楽山自らは霊が分かるっぽいと、自認していたことを忘れたのでしょうか。その根拠も中身も、まるで表れたことがない楽山自身を、楽山は、まず批判しなさいということです。呆れたペテン師の楽山です。
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*申請取り下げの理由
今回、HSU側が、不認可とされる前に、自ら申請を取り下げたことについて、不認可とされればその理由が公開されることになるので、これを避けるために不認可決定前に申請を取り下げたのだろうと囁かれているわけだが、上の文書を見ると、この噂は説得力がある。
一度ならずも、二度までも、上のような文書が公開されたら、HS本体への影響も大きかろうし、そのような事態は避けたいというのはよく理解できる。
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HSは、理由が公開される前に申請を取り下げましたが、楽山は、数えきれない批判が公開されているのに、まだ、自説を反省せず否定せず取り下げることなく、ベラベラベラと恥ずかしい発言を、しまりの悪い蛇口のようにジョボジョボ吐き出し続けています。それで気分がよくなって笑う楽山は、人間性が欠けており、見苦しさも甚だしいと言わざるを得ません。
楽山は、何事にも、実感というものが、まるでないのだろうと思います。
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*参考
参考として、前に「不認可」とされたときの記事を貼っておこう。
「
・幸福の科学大学「不認可」へ=最長5年間は認可不能か : やや日刊カルト新聞
・「幸福の科学大学」、却下どころか5年間は門前払い - Togetter
」
こちらは、今回の事に関連した記事。
「
・審議会に諮問された「幸福の科学大学」の「教育」 - エキサイト
・幸福の科学大学(申請中)が宇宙人霊言に基づきヤギ飼育始める 万能薬研究に乳を利用か : やや日刊カルト新聞
」
余計なお世話だろうけれども、大川隆法は霊言だの、宇宙人だのとトンデモな方向に行くのでなく、もっときちんとした宗教を目指した方がいいと思う。その方が大川隆法本人も、信者たちも幸福になることができるのではなかろうか。
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楽山は、余計なお世話ではなく、宗教と言論に必要不可欠のこととして、何も出来ないのに霊能力だの、右翼思想だの、キリスト教批評だの、カルト批判だの、言わなくなることが、人々を不幸にしない唯一の方法です。
【内部告発】HSUについて
2020年09月12日 楽山日記(LD)
http://mn266z.blog.jp/archives/26232729.html
楽山の、批判がブーメランとなって楽山自身に返ってゆく現象を、もう一度、強調しておきます。
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*勇気
ツイッターを見ていたら、次のブログ記事が話題になっていた。
「
・再度認可されなかった幸福の科学の大学:HSUの内部告発です 。教えの通り、職員はイノベーションし、事務でなく、外に出て教えを伝道すべき。
」
総裁は仏陀であり、正しく教えを説き、正しく生きているという思い込みを止めて、客観的に判断すれば、どうしたって、こういう結論に達せざるを得ないよなあとは思う。
夫婦にはそれぞれの事情があり、離婚もやむを得ないこともあるだろうから、離婚したからダメということはない。でも元妻の悪口をいうのはおかしい。
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人の家の離婚がどうとかいう前に、楽山は、自らの自前の、とても、いい加減な性根からの無責任発言を、いっさい止めるべきであります。
楽山の自己愛性人格障害による自己中と無反省と無責任は、この1年半止むことがなかったわけですから、全否定されるべき不整合の絶望的経過です。病識がないということは、どうしようもない救いがたさだ、ということだけを表してきた経過です。
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近親者の間だけで少し愚痴るだけならまだしも、公の場で、口が臭かったとか、本当は結婚したくなかったとか悪口をいい、それを本にして出版するのはおかしい。悪妻封印祈願なんでものをつくって信者に唱えさせるのもおかしい。
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ブログに批判を公開している楽山の責任は、もはや、何の補いようもないほどに臭いものにしかならないのです。楽山に味方することは、笑い茸の毒を盛られて悦ぶに等しいでしょう。
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HSには1100万人の信者がいて、影響力があり、各界から支持されているとし、選挙に出たら第一党になるようなことをいっていたのに、幸福実現党は国政選挙ではいつも全敗、得票数も殆ど最下位というのはおかしい。
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だから、信者が少ないか、いない楽山は、今の時点で、身を引くべきであり、どんなに我を張っても、不幸の現実を現出することしかできない哀れな卑怯者ぶりになっています。
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「まず今世、何を為したかが大事であって、過去世は関係ない」としておきながら、過去世がどうしたこうしたという話ばかりなのはおかしい。しかもその過去世は、大川隆法とどういう関係にあるかによって、変わるのだから、余計におかしい。大川隆法と良好関係にある者には良い過去世が与えられ、その後、関係が悪化すれば悪い過去世に変更されるとか。
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過去に、楽山を柔和と思っていた私自らを全否定して、私のように、全否定を楽山とその言論に当てている現在と未来を考えざるを得ない者が、恐らく、私以外にもいるだろうと思います。
できるだけ早く、今すぐにでも、楽山との交流をやめてください。楽山から離れてください。無責任自己中の楽山からは、何も良きものは生まれません。
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ほんと、傍から見ていれば、筋の通らない、おかしいことだらけだ。その時々で、自分に都合のよいことを言うだけで、自分の言葉の責任をとるつもりなんて無いのは丸わかりだ。
信者でいるうちは、大川隆法のことは何でも良い方に解釈しようとするものだし、そのおかしさを直視するのはなかなかに難しいことだろう。でも事実は事実、真実は真実であろうし、いつまでもそこから目を背けているわけにもいかない。つらいことではあろうが、信者には現実と向き合う勇気をもってほしいと心から思う。
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前にも書きましたが、本当に、「傍から見ていれば、筋の通らない、おかしいことだらけ」の楽山です。「自分の言葉の責任をとるつもりなんて無いの」は、これ以上必要ないというほどの証拠が挙がっています。「事実は事実、真実は真実であろうし、いつまでもそこから目を背けているわけにもいかない」ということです。
楽山は、何の説得力もなく、我を張っているだけです。楽山のためではなく、関わる人自身のために、現実の批判に対する楽山の不感不応という現実があるのだから、無駄なだけでなく有害な心無い楽山の無反省・無責任の自我に付き合うことをやめる勇気を持ってほしいと心から思います。
(2020年09月17日)
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
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