ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の知ったかぶり

 
  楽山の知ったかぶり
 
 『14歳からの哲学入門』飲茶著
 2020年09月20日 楽山日記()
 http://mn266z.blog.jp/archives/26327130.html
 
 
楽山からだけは、読書指導を受けてはいけません。何も書けていないことが、何も理解していないことの証明でしょう。あとのほうの、何が「有りだと思う」のでしょう。
 

これはしばらく前に通読したことがある本だが、すごく面白かったので、また読んでみた。やっぱり面白い。おかげでぐんぐん読める。哲学史についての本を読むと、古い話は理解できても、現代に近づくにつれて難しくなり、最後まで読むのは大変だが、本書はそんなことはなく、最後まで楽しく読めるのがうれしい。というか、先に進むほど面白くなっているとさえいえる。

 
楽山の読後感想文は、小学生にも劣るものだと思います。「すごく面白かった」「やっぱり面白い」「ぐんぐん読める」「楽しく読めるのがうれしい」「進むほど面白くなっている」・・どこが?、どのように?、何を受け取ったのか、楽山は何も書いていない。
 
ずっとそうです。書けないのです。楽山は、読書できないのでしょう。そのくせ、分かっている先輩であるかのように、今までのことを少しも反省せずに、偉そうに書いてくるのです。
 

書中では、「たいていの構造主義の入門書は難しい。読んでもわかった気分になれないような本が多かったりする」(p.230)としているが、本書はそのような入門書ではなく、十分に「わかった気分」にさせてくれる本だ。

 
「わかった気分」だけで書かれてはたまりません。楽山は、それで満足するのでしょうけど。構造主義の説明がないので、いつものことですが、また、検索しないといけなくなります。これも、楽山を疲労物質と呼ぶ一要素であります。
 
それだけではなく、面白さを説明も出来ず、ヒントとなるような言葉一つ書けないか、書いても、ああでもないこうでもない、どちらも否定も肯定もしない、かつ、責任を負わない、そして、あげくに「面白かった」と書いてくるだけで、実に煩わしい無駄に満たされている楽山なのです。
 
(ネットより抜粋)
広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である[1]。
構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、今日では方法論として普及・定着している。
研究対象の構造を抽出する作業を行うためには、その構造を構成する要素を探り出さなければならない。構造とはその要素間の関係性を示すものである。それは構造を理解するために必要十分な要素であり、構造の変化を探るためには構造の変化に伴って変化してしまうような要素であってはならない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 
こういう検索を経ても、分かったとは言えません。大方の事柄において、構造を考えるということは、意味を考えるのと同じように、私たちは、多かれ少なかれ、やっていて、楽山以外は、その不十分を自覚していることなのです。
 
楽山は何を無責任に「わかった気分」などと言っているのでしょう。理解と気分は違います。気分が理解?になってしまうのは、楽山のようなカルト思想においてでしょう。
 
楽山が、いつも書き捨てで満悦できるのは、早い話が、何も読み取っていないということです。今まで、重要なテーマについても、いつも明らかになるのは楽山の無理解だけでした。楽山がわざわざ書くということの害だけが、クローズアップされる結果です。
 

当然ながら、これはあくまで気分でしかなく、本書を読んだだけですべてを理解したと勘違いしてはいけないのではあろうが、入口でつまずいで退散させられるより、一時的にでも「わかった気分」にさせてくれて、もっと深く知りたいと思わせてくれるのは有り難いことである。

 
もっと知りたい、というところから、もっと知った話を、楽山は、一度も書いたことがないのです。楽山は、いつも、最初の、知りたい、というだけで、次は、読んだ気分だけを、インテリ風味で語ってくるだけなのです。言い訳めいたことを書いても一緒です。楽山の無反省の害です。
 
批判以外の目的で楽山の記事を読むことは、楽山の傍迷惑な「わかった気分」に振り回されるだけで、成果ゼロ~マイナスのトラウマになるでしょう。愚かな自分信仰の教祖である楽山の誘い文句に乗らないでください。
 

ちなみに本書で取り上げているのは、ニーチェデカルト、ヒューム、カント、ヘーゲルキルケゴールサルトルレヴィ・ストロースウィトゲンシュタイン、デルタ、ボードリヤールらであり、最後には、今後の哲学の可能性についても触れている。忙しくて全部を読む時間がなかったり、過去のことより、まずは著者の考えを手っ取り早く知りたいという人は、この最終章だけを読むのも有りだと思う。

 
やたら、感想にもならない記事をたくさん書いてきて、世界の学者の名前をあげるのは、自分の文章の貧相なるを、有名羅列でごまかして、オレは偉いんだぞ、という自己顕示欲の醜さになると分からないのでしょうか。
 
最終章だけ読むのは、やむをえず有るかもしれませんが、読んだことにはならないという自覚が必要です。なのに、読者に勧めて、著者の考えを早く知りたいと言う楽山は、結局、何も受け取っていないということが表れてきただけなのです。お仲間欲しさの、悪と怠慢への誘惑に過ぎません。
 
つまり、これは、楽山の読書のごまかし方です。その弊害だけが、どこにも伝わらない文章として、たくさん蓄積されており、これからも積み重ねられるでしょう。知ったかぶりだけの楽山のお仲間への誘いに、決して乗らないでください。
 
無反省で無責任の楽山のような、見せかけだけ飾るような人間にならないでください。読書量が少なくても、日常から掘り下げるのが、考える人です。
 
 

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傲慢の闇

 
 
(2020年09月21日)
 
 
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