ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の企みごと

 
  楽山の企みごと
 
 「鬼滅の刃」と「幸福の科学
 2020年10月25日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26740959.html
 
 
楽山は、思考と学習の障害のために言葉が拙劣で、かつ、落ち着いた平常心がないので、いつも、何か、企(たくら)んでいます。楽山は、本心から、どうしても言いたいことなど持っていないので、企まないと書けないのかもしれません。
 
つまり、楽山の書く文章には、必然的に、だます意図がある、人を操(あやつ)る意図がある、つまり、作為的にしか、動けない、書けない、話せない、ということなのでしょう。
 

*霊的な危険性
ツイッターを見てたら、幸福の科学(HS)の会員が、「鬼滅の刃」の危険性を訴えていた。
(省略)
プロフィールには「発信する内容は私見であり責任は古山」とあることからすると、この発言は教団の公式見解ではなく、個人的な意見ということなのだろう。
*鬼の霊言
でも最近、HSでは鬼の霊言が公開されたらしく、アンチ諸氏の間で、次の記事が話題になっていた。
記事中から、「鬼滅の刃」に関連する箇所を貼るとこうなる。

鬼滅の刃」に関係する黒鬼より、「鬼滅の刃」鑑賞者を“鬼化”して操ろうとする狙いや、日本古来の裏側系の宗教を復活させようとする意図が語られました。
・新たなリーディングと霊言の開示「UFOリーディング―馬型宇宙人の予言編―(ウマリー星)」+「『鬼滅の刃』が流行る理由(わけ)―黒鬼/草津赤鬼の霊言―」 - 危機に立つ日本
 」
こうしてみると、古山氏のツイートは、私見としつつも、実際にはHSの意向にそったものであるといえそうだ。
それはそうと、HSに出てくる霊は、いつも、みんな口が軽いね。たくらみ事でも何でもぺらぺらしゃべっちゃう(笑)。

 
軽くても正直ならば嘘を吐くよりはマシということです。楽山は、軽口で、しかも、嘘を吐きます。そして、あとで、責任を、いっさい負いません。
 
さらに、企みごとを、一切、しゃべりません。楽山の本性がバレないようにしているつもりなのでしょう。つまり、楽山の思想は、考えた計画などではなく、企みごとであり、その本音を、一切、しゃべらないのです。
 
しかし、結果としては、その文脈と理路と筆致と言葉づかいから、楽山の企みごとは、バレてしまっているということです。
 

はてな
ところで、一応、自分は元信者なので、古山氏の意見の大枠は理解できなくもない。「鬼滅の刃」には、愛、友情、努力、反省などが描かれてはいるが、それ以上に、残酷な場面は多く、怖ろしい姿の鬼も多数出てくる。前者ならまだしも、後者の要素は非常に危険であるから、この影響は受けないように注意が必要である。云々と。

 
楽山は、鬼が恐ろしいから影響は受けないように注意、などと書いています。常識ある楽山を出したいようだが、丁寧語で言いながら、罪悪感を持てないサイコパスに近い楽山は、自らの悪鬼と悪魔を隠しているのです。楽山は、フィクションの鬼などよりも、よほど、リアルに恐ろしいのです。注意というより、楽山に、近づかないでください。
 

また霊的な影響を持ち出すまでもなく、残酷描写、異形の怪物など、ホラー的なものが苦手の人は、「鬼滅の刃」は避けた方が無難ではあろうとも思う。

 
フィクションだと分かっておれば、楽山のような、恐ろしく冷たい人格よりはマシだと思います。楽山は、自らの残酷さと、醜さに、全く気づいていないことが表れています。自覚がまるでないのです。楽山は、人にアドバイスできるような人ではありません。
 

でもさすがに、「「鬼滅の刃」鑑賞者を“鬼化”して操ろうとする狙い」という話は、いささか馬鹿げているように思える。「鬼滅の刃」を見て、炭治郎に感化され、愛に目覚める人はいても、鬼に感化され、鬼になろうとする人っているのだろうか。
映画が大ヒットすれば、観客数は増えるわけだから、その中からおかしな人が出てくる可能性も増えるのだろうけれども、観客が次々に鬼化して行くというのは、ひどい妄想だと思う。

 
既に、嘘と詭弁の、だまし屋の楽山として、霊が分かるっぽい酷い妄想で、人をたぶらかしては、無反省と無責任で、善人ぶるだけの楽山は、鬼より怖い存在です。今日も、自己正当化に唾を飛ばして、無駄に終わる人生を続けて、真実から遁走しています。
 

*愛の前に敵なし
ちなみに自分は、「鬼滅の刃」を見て感動したクチである。映画はまだ見てなくて、gyaoで無料配信されていたアニメを見たくらいだけども、主人公である炭治郎の生き様は、まさに愛の前に敵なしというものであり、感動させられた。

 
楽山は、感動したクチなのだそうです。なぜ、カタカナで書くのでしょう。嘘だからでしょうか。もちろん漢字で書いても、楽山の偽りの口など、決して信じてはいけないということです。
 
「愛の前に敵なし」・・こういう大袈裟で単純で見え透いた言い方しかできない楽山です。「感動させられた」・・感動したと書かずに、させられたと書くのは、いかなる責任も負わないできた楽山の履歴が影響しているのでしょうか。いずれにしても、安っぽい感想文になっています。これが、楽山の文才ですから、嘘も結局バレるのです。総ての人に、一刻も早く、バレてほしいと念願しています。
 

少し具体的なことを書くと、こんな感じだ。いちいち場面、状況について詳細な説明はしないけど、アニメを見た人なら、どの場面について書いているのか、およその見当はつくと思う。
炭治郎は、妹が鬼になっても決して見捨てない。妹を救うために全力を尽くす。
妹を守るためなら、土下座もするし、命がけで柱とも戦う。
炭治郎の愛は、人が持っている鬼に対する偏見も消し去る。
炭治郎を知った者は、みな協力者になってゆく。
鬼を差別せず、人としての尊厳を認める。
鬼の苦しみ、悲しみを理解し、寄り添おうとする。同悲同苦の徹底。
人の心を失ったかに見えた鬼でも、そういう炭治郎の前では反省をはじめる。
炭治郎の相手を信頼する心、率直さ、ほがらかさは、柱や鬼だけでなく、頑なな少年の心も、閉ざされた少女の心も、解きほぐして行く。
自分としては、「鬼滅の刃」が大ヒットしているということは、こういったことを理解、共感する人が、それだけ多いということなのだろうと思う。

 
楽山は、誰も救いません。謝ることもしません。自分の命と満悦だけが大事です。楽山についての批判は、お伽噺ではなくリアルの問題なので、偏見ではなく、実際の脅威のことです。
 
楽山には悪い仲間はいますが、楽山には共感性がないので協力者はいません。楽山は、人の、いちばん大切な尊厳をおとしめてゆきます。
 
楽山は、理解力も共感力もないので、それを、言葉だけ書いて、ごまかそうとしています。楽山は、反省という言葉を書いても、前後の文脈に反省が表れることがないため、嘘だと分かります。
 
楽山は、実際には、決して反省をしません。決して楽山に心を開かないでください。このアニメに賛同し共感する人に、楽山は含まれません。
 
楽山は、リアルに丁寧語でだます分、フィクションの鬼より怖い存在です。必要なのは、楽山が批評するのを聞くことではなく、楽山に忍耐強く抵抗して、楽山が隠すものを批判によってさらす刃なのです。
 
現代の鬼は、目に見えるうわべだけを、よさそうに整えています。
 

*水と油
ついでに、HSについても感想を述べると、HSは「鬼滅の刃」とは正反対であるように思う。

 
楽山の、丁寧語のだまし、詭弁と嘘、正面から言論しようとしない卑怯さ、無反省と無責任、これでは批判する資格はありません。楽山こそ、まさに「鬼滅の刃」の正義とは正反対であります。
 

まずHSは、権威主義的な団体であって、教祖である大川隆法の前では、何人でも頭をたれなければならないところだ。でも炭治郎は、たとえ柱という権威ある存在であっても、妹を傷つけたならば頭突きをお見舞いする。お館様の前でも、言うべきことは言おうとする。

 
楽山は、訂正不能な権威を自己に与えて修正不要とした立場から、楽山の記事において、他者について、いろいろ批評や批判を言ってきます。いつも、そうです。楽山は、評論家気取りだけで、実質は、真逆のことをしているわけです。
 
炭治郎のような正々堂々としたところが、リアルで詐欺師キャラを持っている楽山には、皆無です。楽山の言うことには、信じるに足ることなど、一言もありません。何故なら、何度も言っているように、無反省で無責任の思いつきだからです。
 
ずっと批判されて、何も返せないのに、まだ、まとも芝居をして満悦する楽山は、凄まじく氷結した厚顔を持っており、怖い鬼よりも、はるかに厄介なヒト型害毒なのです。
 

またHSでは、敵認定した相手に対しては、徹底的に貶めることをする。たとえ教祖の妻、子であっても容赦しない。でも炭治郎は、鬼に対しても人としての尊厳を認め、それを侵す者は、たとえ柱であっても注意する。柱が、死んだ鬼の着物を踏みつけているときは、足をどけるように求める。

 
楽山は、敵だろうが味方だろうが、他者のことなど、あわれみの言葉を発するが憐れむことなく、丁寧語で言うが騙(だま)し言葉の暴力であり、まるで、人の中にいて説明口調でありながら、周りに人亡きがごとく振る舞い、悪しき方向へ誘導する、という慢心した男です。
 

HSは悪霊悪魔を非常に恐れる。上のツイートのように、たとえエンタメ映画であっても、地獄と波長同通する可能性があれば、それを見ることを恐れる。でも炭治郎は、鬼と徹底的に向き合う。意見の合わない柱にも立ち向かってゆく。鬼からも、意見が合わない相手からも、決して逃げない。

 
楽山が悪霊悪魔を恐れないのは、霊が分かるっぽい自覚だからでしょう。楽山が聖霊とは到底思えないので、楽山は、悪霊悪魔に親和性があるのかもしれません。そして、嘘と詭弁で言い逃れしまくっています。
 

HSでは、一般の信者だけでなく、幹部、功労者、教祖の家族でさえも、次々に離反し、批判者になっているのが現状だ。でも炭治郎の場合は、出会う人たちはみな協力者になってゆく。
HSと「鬼滅の刃」の相違点は、この他にもいろいろあるだろうし、まさに水と油である。

 
楽山と「鬼滅の刃」は、水と油ではなく、楽山は、登場する鬼よりも、リアルであり、かつ、丁寧語を使うために見分けにくい分、楽山のほうが鬼より怖いということです。
 

HSが広まらない、映画が流行らない一因は、この辺りにもあるのだろうし、関係者はこの点について研究してみてはいかがだろうか。こんなことを書いても、余計なお節介にしかならないのだろうけれども、成功している映画を貶すより、そのよいところを学び、自らを反省する機会にした方が、自らのためにも、他人のためにもなるのではないかと思う次第である。

 
楽山は「思う次第である」などと丁寧語で言っていますが、実際は、楽山の思い次第で好きなように、芝居をしているだけなのです。「よいところを学び、自らを反省する」と、小学校の道徳のようなことを言っていますが、その道徳を一番踏みにじっているのが、楽山その人であります。
 
私のブログには、楽山批判記事が、恐らく百を超えて蓄積されていますし、今後も積まれてゆくでしょう。にもかかわらず、楽山は、悪口機関銃になった以外には、一向に気にする様子がありません。何故でしょう。根っからのワルだからです。今度は、私が、カタカナを使いました。
 
毎度毎度、ほんとに気持ち悪い楽山です。楽山の言は、誰のためにもなりません。全部、企みの嘘と言ってもいいでしょう。楽山は、一見、やさしい性格に見えるような文章を書きますが、実際は、自分のために、他者がどうなっても、何とも思わない、何も感じないような、自己中なのです。
 
楽山の記事から、口だけみたいな、悪い政治家の詭弁みたいな、何らかの胡散臭さを感じる人は、感性が機能している人だと思います。楽山が言ってきたことを整理してゆくと、その矛盾と偽善性は、より明らかになるでしょう。
 
しかし、楽山のような人を放置すると、弟子みたいに真似する人が出てきて、無反省と無責任の師弟関係みたいになり系譜のように続く可能性が否定できません。弟子は、もはや、楽山を否定することが出来ず、洗脳されて奴隷みたいになって、どうしようもありません。こうなるのが、カルト的な人格破壊ということになるでしょう。
 
ですから、まだ、半信半疑の人は、どうか、楽山から離れてください。そして、今後、楽山にだけは関わらないでください。そのためにも、楽山には、近づかないようにしてください。
 
 

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               企む者
 
 
(2020年10月26日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
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