ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のマルチ滅法

 
  楽山のマルチ滅法
 
 『日本奇僧伝』宮本啓一
 2020年11月03日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26846826.html
 
 
キリスト教を否定したり、仏教のことを言ったり、スピリチュアルを語ったりと、無駄に忙しい楽山です。しかし、一度も、独創的な説得力のある言説など、述べたことなどありません。それこそ、楽山という化け物は、無駄と嘘と詭弁と疲労であり、ただただ、末法を思わせるだけの、滅法の極みでしかありません。
 

*全体の印象
本書で紹介されているのは、役小角行基、陽勝、泰澄、行叡、教待、報恩、日蔵、蓮寂、玄賓、性空、叡実、行巡、増賀、仁賀、西行空也、教信、理満、千観、平等、桃水、東聖、徳一、行空などである。
全体を通読した印象では、前半は人を驚かせるような神通力に関する話が多く、後半は名利を捨てて仏道を求める生き方に関する話が多くなっている。紹介されている話は、どれもみな、にわかには信じ難く、また常人にはとても実行できないことばかりなのだが、それだからこそいろいろと考えさせられるものがあるともいえる。

 
楽山は、常人ではありません。常人未満であります。今までの根拠から、楽山は異常者です。だから、霊が分かるっぽい?主張の神通力に意味を感じるのでしょう。実行できないことばかりなのに、そこを、考えて?捏造してゆくのが、楽山の宗教観?なのでしょう。
 

*二つの話
ところで、著者は名僧の逸話以外にも興味深い話を二つほど書いている。まず一つは、戦後は歴史上の人物について史実に基づいて語ろうとするあまりに、現代人の視点からみて荒唐無稽に思える逸話は事実でないとして否定する傾向が強まっているが、たとえそのような逸話であっても、それが多くの人々に信じられ、大きな影響を与えて来たことは紛れもない事実に違いないという話である。

 
多くの人々に、信じられ、影響があることを、今さらのように、事実だと言っています。楽山の言うような辻褄合わせをする事実ではなく、宗教は、生きる寄る辺となりうる心の真実を語る分野です。生涯無反省、永遠無責任を生きている楽山に、何かを言える心など、見られたことがないのです。
 

もう一つは、「オウム真理教を根本的に批判することのできない仏教など、あるいは仏教学など、少なくとも「オウム以後」にあって、どれほどの存在意義があろうか」(p.253)という日本仏教界に対する厳しい問いである。

 
言説が偽りだらけで、何を言っても、何も語ったことにならない楽山には、何も言う資格はないのです。伝統宗教は、カルトの野蛮な攻撃に、正面から対応することを好まないわけです。
 
それで、楽山というカルト思想屋には、私のような、逸れ者のクリスチャンが対応するしかないのでしょう。楽山やシャロームのような、野蛮で危険な無反省無責任の偽善者には、一切の、おとなしい議論は不可能だからです。
 
言い換えると、いちばん、カルトに近いのは、楽山自身であって、他者ではないのです。自己顕示欲で書くことをやめない、書いても反省しない、最も邪悪なカルトの性質です。
 

*カルトと奇僧伝
自分はこの二つの意見はそれぞれ一理あるとは思うのだが、でもよく考えてみれば、オウムにしろ、幸福の科学にしろ、そういうカルト宗教の背景には、超能力信仰、霊能力信仰、グルイズムといったものがあり、さらにその根っ子には、本書で紹介されているような名僧が神通力を発揮したという逸話の影響があるのだろうし、そうであれば日本仏教がオウムを批判しようとするならば、まずは名僧の行ったという奇跡話の真偽を批判的に検証する必要があるということにもなり、この意味ではオウム批判の必要性を問いつつ、奇僧伝を著すというのはいささか矛盾しているということにもなるのではあるまいか。

 
霊が分かるっぽい?楽山は、即ち、霊能者気取りなど様々な気取りだけで、丁寧語で中庸に見せかけている、受けねらいだけの、卑怯卑劣な詭弁屋ですから、他者の超常の話を、とやかく言う資格は、さらに、ないのです。
 
直観の優れた人の話には、はっとさせられるところがあります。しかし、霊能者気取りの楽山は、実際は、ふつうの意味でインスピレーションとか、ひらめきとか言われる人間的直観と直感を、何も持ち合わせていない貧相な人です。だから、話が進まず、議論が成り立たない障害物です。
 
だから、書く文章は、当たり前の平凡なことで、今さら聞いても仕方ないことですし、そうでない場合は、反省しない妄想的に訂正不能な決めつけで、他者をおとしめてくるだけで、しかも、無責任ときてますから、何のヒントにも助けにも参考にもならないのです。
 
対話が成り立たない、こちらの言うことを聞いていないか、無視している、自分の言いたいことだけを勝手に言って満悦する、反省・訂正を一切しない、有名人の名前を引用・悪用して自分を高めようとする、無条件に根拠も理由もなく執拗に言い続ける、さらに、発言に責任を負わないということで、まさに、自分→他者、という単方向しか持っていない、どこにいても、迷惑な疲労物質でしかない存在なのです。
 

『日本奇僧伝』というタイトルにひかれて本書を手に取った自分が言うのも、これまた矛盾ではあるのだろうが、霊能力信仰やグルイズムをあおるような奇跡話の流布には注意が必要であるし、そういう話をするときはこれはあくまで逸話にすぎず、史実ではないということはいくら強調しても強調し過ぎということはないのだと思う。

 
楽山は「奇僧」という言葉が好きなのでしょうか。"自分は他の人とは違うんです、霊も超常も分かってるんです" とでも言いたいのでしょうか。楽山自身が奇僧だとでも言いたいのでしょうか。
 
とんでもない。楽山は、ただの嘘つきです。詭弁屋です。人に文句を言うことだけに熱心で、それは、ただ一途に、自分を偉く見せようとする自己顕示の無根拠の思い込みであります。
 
楽山の言の、どこをとっても、偏向し、執念深く、訂正不能で、自己中心で、悪意だけの産物であり、自分のあやまちを認めず、不都合を全部人のせいにして、人を悪者に仕立てることしか知らず、人間とさえ思えず、腐った心の、人間とは違う異物臭だけが鼻を突いてくるのです。
 
それが、ずっと続いていて、恐らく、一生涯に及ぶのでしょう。関われば疲労と人格破壊の害だけを与え続ける楽山に、決して近寄ってはいけません。
 
 
 「鬼滅の刃」と「幸福の科学」(7)広報チャンネルの反応 
 2020年11月04日
 http://mn266z.blog.jp/archives/26862615.html
 
 
宗教を語る楽山の見方の欠陥と、映画という娯楽を語る楽山の見当外れ、ということになります。楽山は、他者のことをとやかく言うより、自分を見るべきですが、言っても無駄なのでしょう。
 

*バランス感覚
幸福の科学 広報チャンネル」で、「鬼滅の刃」についての動画が出ていたので見てみた。

・「鬼滅の刃」宗教から見た注意点【時事法談 第10回】 - YouTube
 」
お二人の宏洋批判は、宏洋氏を全否定するかのようなものが多いので、「鬼滅の刃」に対してもそんな風に全否定するんだろうと思っていたのだが、これは自分の見当違いだったようだ。コメント欄をみると、「御二人のバランスの良い評論に賛成です」と書いている方がおられるけれど、自分もそのように感じた。

 
この映画のように、ストーリーが鬼退治というフィクションである場合、批評というのは、そこに、どのような、人間に対する教訓が描かれているかということだろうと思います。ところが、楽山は、「バランスの良い評論に賛成」に、「自分もそのように感じた」と賛同しているだけです。
 
賛成、または、反対、と言うだけなら、誰でもできることでしょう。なぜ、中身を書かないのでしょう。記事を書くこと自体が、大事だったからでしょうか。書くには書くが、読む人のことは考えないということでしょうか。
 
それとも、「バランスの良い」ということだけを、言いたかったのでしょうか。楽山は、丁寧語で書いているから自分の記事はバランスがよいと思っているのでしょうか。楽山は、バランス以前の問題として、中身も根拠もない記事を書いてきたのですが。
 

お二人の述べていること…ある登場人物の生き様に共感した、不思議かつ神秘的な世界観に引きこまれた、絵がきれい、残酷描写が多いところは気にかかる…というのは、ごく自然な感想だろうし、これは自分にもよく分かる。

 
「生き様に共感した」「不思議かつ神秘的な世界観」「絵がきれい」「残酷描写が多いところは気にかかる」「よく分かる」・・・このような記事を書くことに、何か意義があるでしょうか。
 
趣味の話をしているのだから自由だと言いたいのでしょうか。趣味の話をするなら、宗教ををおとしめたり、持ち上げたり、クリスチャン芝居をしたりする必要はないはずです。
 
楽山が、あらゆる思想と宗教を、趣味と同様に考えていることが表れています。そういう偉そうなことをブログに書いている傲慢の自覚が楽山には無いようです。
 
楽山が、キリスト教批判記事を書いても、これは、趣味?だから、しかも、バランスが取れている?から、責任はないと言いたいのでしょうか。とんでもない話です。
 

また、インスピレーションの話や、鬼に波長同通しないように注意が必要だという話は、一般から見たら少々特殊な考え方かもしれないが、スピリチュアルな見方としては正論だろう。

 
この記事では、楽山が、HSをスピリチュアルと認めていることが表れています。楽山は、HS批判を書いていたのではなかったでしょうか。結局、HS批判も趣味だということでしょうか。
 

大川隆法の著書や、HS映画を紹介、宣伝しているところについては、広報チャンネルとしては絶対に外せぬことであろうし、宣伝過剰という自覚があるのか、お二人の様子には若干の照れがあらわれているところは微笑ましくもある。

 
HSを批判している途中で、HS映画を紹介し宣伝していることについて、微笑ましいと書いている楽山は、趣味的HS批判芝居をしていたことになるのでしょうか。その割には、キリスト教否定については、それこそ、楽山の宗教嫌いが、激しいのです。実に、傍迷惑な話です。
 

そんなわけで、ひさしぶりに広報チャンネルを見たけれど、改めてバランス感覚って大事だなと思った次第である。

 
このように、「改めてバランス感覚って大事」と言って、楽山は、自分が批判されていることを、バランスを欠いた批判だと言いたいのでしょうか。楽山批判は、前から言っているように、楽山の悪性度を考えて、言論の責任を負わない者には言論の自由はない、言論の資格はない、という全否定であります。
 
まだ、楽山は、分かっていないどころか、病質者らしく、真剣に受け取る気もなく、反省もない、という楽山の自己正当化なのでしょう。
 
バランスは、なかなか保てないものです。むしろ、揺れながら修正してゆくことが大事です。バランスは、静的な境地ではなく、むしろ、動的な活動なのです。
 
自己中が、バランスが取れていると感じるのは、自己中だからです。
 

*危うさ
ところで、伝え聞くところによると、HSでは赤鬼を善、黒鬼を悪としているようだが、もし本当にそんな主張をしているのであれば、これは大きな問題をはらんでいるのではないだろうか。霊査によってそのような結論を得たということなのかもしれないが、たとえそうであっても、肌の色と善悪を結び付けるのはいかがなものか。HSはもっと人権問題に敏感になった方がよいと思う。

 
宗教が、フィクションのアニメのお伽噺に口を出すこと自体が、お門違いなのですが、楽山は、鬼の肌の色を人種差別だと言っています。これはどうでしょう。
 

ちなみに、「皮膚の色と信仰の優劣」を関連付けた宗教思想ではこういうものがある。

・Ⅳ モルモン教と黒人問題-差別の思想とその根拠
 」
HSからすれば、赤鬼、黒鬼の話は、あくまで鬼のことであって、人のことではないというかもしれないが、ある程度の人権意識を持っている人であれば、そんな言い訳で納得する人はいなかろう。HSにはこの点について再考を促したい。

 
楽山は、鬼の色を、人種差別だと言い、モルモン教を引用してきました。
 
(ネットより)
神に忠実な霊魂は白人として生まれ、不忠実な霊魂は有色人種として生まれてくる。
http://garyo.or.tv/michi/sinjitu/sugao/086sabez.htm
 
楽山は、この強烈な人種差別発言と、「鬼滅の刃」の赤鬼と黒鬼の色の違いを、同一の差別と考えているようです。ちなみに、モルモン教は、キリスト教の教派ではなく、カルトだと思います。
 
娯楽のための映画と、宗教を、同列に並べてしまう楽山というのは、いったい、どういう教育を受け、どういう勉強をしてきたのでしょう。心が無いために、楽山の物の見方は狂っているのではないでしょうか。
 
こういう記事を、楽山が自分のブログに、悪者さがしのように載せて、自己の正当化を図ろうとするような、幼稚な短絡のまま正義の味方ぶることの身の程知らずと的外れが、とても気持ち悪いです。
 
だいたい、自分以外の人間を、人を人とも思わない否定をもって無視してきた楽山に、いかなる差別を語る資格もないと思います。
 
 

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           めっぽう
 
 
(2020年11月05日、同日一部修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
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(古い記事は載っていません)
 
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