ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の作為

 
  楽山の作為
 
 ノルマと幸福の科学
 2020年12月02日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27192547.html
 
 
この記事、まず、楽山自身は、ほとんど書いておらず、引用とリンクで出来ています。引用とリンクについては、かなり省略しています。
 
楽山が、以前から取ってきた手法であり、自己正当化の言葉を漁る姿であり、他者の言葉の中から、都合の良いことを引用して、自己を飾っているわけです。楽山の読書が、そういうあり方でした。
 
ある意味、自分で書くよりも、作為は強いと言えるでしょう。ゆえに、いつものことながら、節操もなく、長く長く書けばいいと思っている安易さと軽薄さの偽善臭が、鼻を突きます。
 

*「幸福の科学にノルマがあるか」
 怒りのジョニー氏が、ノルマについての議論をまとめておられたのでここにも貼っておきたい。

・「幸福の科学にノルマがあるか」論争 - Togetter
・「幸福の科学にノルマがあるか」論争 (2ページ目) - Togetter
・「幸福の科学にノルマがあるか」論争 (3ページ目) - Togetter
 」
*身の丈論争
 上の議論を読み、身の丈論争を思い出したので、これも貼っておきたい。旅人氏が保存してくれていたのはありがたい。

・【拝金宗教・幸福の科学】「布施は身の丈相応?」植福大論争【舞華氏vs名無し信者】 前編 : HSログ倉庫番
・【拝金宗教・幸福の科学】「布施は身の丈相応?」植福大論争【舞華氏vs名無し信者】 後編 : HSログ倉庫番
 」
前編より、後編の方がより盛り上がっていて、密度が濃い話になっていると思うが、布施以外の話も出ていて興味深い。
 たとえば、こんな話。
 「HSでいうところの従順さ」
 「疑いを禁じる信仰」
 「100パーセント信じなければならぬ信仰」
 「HSで三帰者に求める条件」
 「『仏に借金するとは!』という台詞」
 「『これはおかしい』と思っても言ってはいけない?」
 「おかしいことは、おかしいとするのが大切?」
 「大川隆法とイエスは全然ちがう」
 「総裁の無責任な発言が招いたこと」
 「的外れな反論」
なんといったらいいか、これらは今もちょいちょい見かけるテーマだというのがおかしい。それって、つまり、HS絡みの話はすでに語りつくされていて、同じような話が繰り返されてるってことじゃん(笑)。

 
「興味深い」と誉めておきながら、「おかしい」と揶揄している楽山です。「同じような話が繰り返されてる」ってのは、いちばん、楽山の嘘と偽善と詭弁の、まとも芝居に顕著なのです。他者を笑ってごまかしている場合ではなく、楽山自身は、信頼度ゼロで、あらゆる価値が、倒壊しているのです。
 
「じゃん」で結ぶ楽山は、このように、宗教と信仰の問題を、雑談でしか語れないのだということを覚えてください。まともそうなことをいくら言っても、まともから、いちばん外れているのは、楽山その人だから、話になりません。
 
人を批判したいなら、まず自分の無反省・無責任を直してからにしろ・・って話なのです。でないと、いつまでも、楽山の脳天気ボロクソ芝居です。
 
畏まって固い筆致で書くと、理路の破綻がボロボロ出てくるので、雑な言い方で、ちょっと言ってみただけを装い、実際には、無反省に、他者を批判しているところなど、何も変わってはいません。若者ぶっても、無駄なのです。
 
楽山は、「(笑)」と書いていますが、楽山自身が、自我だけに従順であること、自我を疑わないこと、無反省無責任で100%自己中であること、罪悪感の欠如によって少しも自分をおかしいとか思わないこと、的外れだと言うことが分からない、など、呆れた始末であります。
 
上にあげられていることを、楽山は、まるで意識もしないで、自分に当てはめないで、他者を批判しているのです。これが、自己中の偽善者の特徴です。他者のことも、自分のことも、何の後始末も出来ない楽山です。
 

でも、舞華氏、聖杯と剣氏をはじめとして、アンチ諸氏の話は含蓄があって、心にぐっとくるものがある。あとで感想をまとめておこうと思う。
*舞さん語録
舞華氏はやっぱりいいこと言うなあと思ったので、ひさしぶりにこちらものぞいてみた。

 
読んでみると、自称マグダラマリアの筆致に似ているような気もするが、それはさておき、これを、全部、引用する気には、とても、なれません。
 


・舞さん語録 - したらば掲示
 」
以下に、一部抜粋してみる。

>>640
>救済には宗教的な救済と、この世的な救済があるのです。
>~中略~
>宗教的な救済は幸福の科学、この世的な救済は幸福実現党が担うということです。
なんとか一連の議論が終われそうです
幸福の科学に決定的に欠落しているのは、
政治にも宗教にも省みられない狭間で苦しみのうちに
死んでいく最も弱者への慈しみなんです
曰く「人類が闇に沈むから時間がない」、曰く「天変地異がくるまえに」・・・
そうじゃないんだよ
闇に沈むときも天変地異のときにも
生きて居合わせる人たちはまだ幸せなんですよ
少なくとも伝道されるんだから。教えを聞けるのだから。
でも、全人類救済ならそんなタネを撒くとか闇に沈むまえとか、
悠長なこと言っていられないはずなんだよ
今、今もこの瞬間にも神を知ることもなく、誰からも必要とされず
政治と宗教の狭間で虚無と絶望のうちに死んでいく人たちが毎日、毎日大勢いるんだよ
そういう人たちに「それは政治の仕事」なんて言っていられないんだよ
教えを与える時間だってないんです
そういう人たちを、とにかく「神はあなたを愛してる」と体現して緊急でも救うのは
政治じゃなくて宗教の役目です
アフリカで総裁の評判がどうとかこうとか、そんなどうでもいいことに一喜一憂する余裕があったら
幸福の科学はホンモノだと自負するのでしたら、
会におかれましてはもっとも弱い人たちにも眼を向けていただきたいと思います
ではこれで終わるね

 
幸福の科学を支える人なのでしょうか。
 

217 :舞華:2010/01/19(火) 03:10:51 id:msWRm8kV
>>195
>高等宗教ってのはユダヤ教キリスト教イスラム教も仏教もそうですが、
>高度に知的なものですよ。それが分からない新興宗教ジプシーの人は安易に
>答えを求めたがるからフェイクを掴まされるんですよ。
>「伝統宗教には救済力が無い」なんて大嘘でね。
あなたがおっしゃる、ここね
すごくよくわかるし、実感しています
わたしが現在お世話になっているシスターが日常の心を綴った詩があります
会員さんは「なんだこんな悟りなんだ?」って感じるかしら?
わたしには、神と誠実に向き合う穏やかな「凄味」すら感じました
まぁ、カトリックの現役シスターの詩なんてそうそう読めるものじゃありませんからいくつか転載しますね
218 :舞華:2010/01/19(火) 03:12:05 id:msWRm8kV
ことば
村田亮子さんの生活詩に
「おい」という言葉があって
ご主人が奥様を呼ぶ時の代名詞
一日に何回も出てくる「おい」の中に
夫と妻のきずなが見られ
夫婦のいたわりが感じられる
修道女の私は「おい」と呼ばれたことがない
私の中のイエスは完全な沈黙
すべての言葉のオリジナルな方であるはずなのに
なんとまあ ひとことも話されない
それでもはじめの頃は
夢の中でもいいから
話してほしいと願っていたのだが
十年 二十年慣れ親しんで
おもしろいことに今では
彼の沈黙がありがたい
今朝もイエスとともに過ごした一時間
沈黙の中にすっぽりはまり込んで
無言のうちに感じられるイエスのぬくもり
心がほっこりくつろいで
私にはいま
沈黙はめぐみのことば

 
やさしそうに見えて、批判されると、豹変して、俗な意味でのヒステリックになって、「プププ」「ケロッ」などと、わけのわからないアザケリ言葉を書いて、罵詈雑言を吐きまくる、というのが、自称マグダラマリアでしたが、どうでしょう。ネットだから、確定は出来ませんが。
 
神・キリストの沈黙が、有り難いというのは、一種の強がりであり、信仰自慢です。信じてもいないのに、いつも強がっているのが、シャロームと楽山です。そして、批判に対して、豹変して罵詈雑言を吐きまくる自称マグダラマリアと自称ヨシュアでした。
 
それを可能にする生き方は、無反省・無責任の自己中であり、人の、都合の悪い話を全部無視することでした。おぞましいかぎりです。
 

220 :舞華:2010/01/19(火) 03:27:05 id:msWRm8kV
新年に
師走の町をかけ足で 時間が通ります
(途中省略)
小さな手がかりに 気づきますように
私をとりまく自然の中から日毎のありふれた生活の中で
221 :舞華:2010/01/19(火) 03:38:40 id:msWRm8kV
まだまだたくさんあるのですけど、聖テレサ以外にも
HSでいえば末端職員がシスターですけれど
こういう方が何万といるのが世界宗教
救済力がないはずありませんね
わたしはHSを退会したときに、
聖杯さんから「揺り戻し」が心配って言われましたけど
シスターに何を語るでもなく、ぶつけるでもなく
それでいて、HSのときの色々がぜんぶ洗い流されました
239 :舞華:2010/01/19(火) 14:03:10 id:msWRm8kV
>>223
そうおっしゃらずに大目にみてください
幸福の科学ってね、宗教が初めての人と新興宗教を巡ってきた人がほとんどで
伝統宗教からの方ってあんまり居ないんですよね
もちろん本とか読んで、神学に詳しい人はいますけれど、
やっぱりエッセンスまでは理解できないから
少しでも会員さんの助けになればと思って、気づいたこととか書いてあげたいと思っています
>>227
うんうん、反対なんですよね
インスピレーションを受けたとして、それでどうするの?って思います
受けられる=自分の霊格が向上した
自分は今どのへん? 自分も受けられるようになりたい・・・自分・・・自分・・・自分・・・
このスレで会員さんが「僕たちは勉強と新情報に忙しくて、アンチさんたちと違うんだ」みたいなこと書いていましたけど
それは大変ね でもそれだとやっぱり総裁と会と自分のことばっかりで、本来向けなければいけない相手に顔も意識も向かないね?
そんな感じかな・・・
240 :舞華:2010/01/19(火) 14:15:54 id:msWRm8kV
>>230
>静寂の中で己の心の中のイエスと静かに対話しているシスターは、ささやかであっても、
>苦しんでいる人にイエスの思いを伝える事が出来るかもしれない。
神に誠実だからこそできるんだと思います
ささやかってだいじですよね
ささやかでも、確実に一人一人にていねいに伝え続ける
その積み重ねですものね
896 :舞華 ◆3nJSlL8onU :2010/02/20(土) 04:09:42 ID:1AdnuWWe
総裁が本物だったらですか?
どっちでもいいです
本物であったとしても後悔しません
人は神の子ではあっても神のオモチャじゃないんだ
総裁を縁として、志があった善良な人たちがたくさん苦しんだ
宗教なんて二度と信じるもんなというくらい苦しんだ人だっているでしょう
神から見れば右も左もわからない赤ちゃんのような人間に
その責任のすべてを背負わすのが神ならば
わたしは地獄にでもどこにでも行きましょう
897 :舞華 ◆3nJSlL8onU :2010/02/20(土) 04:23:33 ID:1AdnuWWe
で、自分を縁として多くの人を地獄に行かせることになった総裁は
自称、地球のすべての権限を持つ神として、
その指導力の無さの責任は問われないのですか?
西郷さんの霊言ですと、西郷さんは多くの若者にお付き合いして自分も地獄に落ちて、
同じく落ちた人たちの最後の一人が天上界に帰れるまで自分も地獄を出ないとおっしゃっていましたけど
総裁はどんな責任を取るのでしょうか
898 :舞華 ◆3nJSlL8onU :2010/02/20(土) 04:28:56 ID:1AdnuWWe
だいたいさ、子供を苦しめたあげくに地獄に落ちるなんて恫喝する親が
どこの世界にいるのでしょうか??
そんな神ならやっぱりこちらから願い下げですね
 」
はじめは少し読んで止めるつもりだったのだが、いざ読みはじめたら止まらなくなってしまった。舞華氏の言葉に触れると、心を揺さぶられないではいられないな。優しさ、勇気、率直さ、知性、行動力…なんて大きな人なんだろう。泣。

 
引用について、きれいごとは、讃美も含めて、省略しました。シャロームみたいに讃美しまくる偽善者もいるからです。また、楽山みたいに長いだけのブログは書きたくないです。
 
預言者的な気取りを持つ強気の自称マグダラマリアに、やはり似ていると感じますが、当たっておれば、楽山とシャロームに加えて、自称マグダラマリアも自称ヨシュアも、お仲間だということが、ほぼ証明されたことになるでしょう。
 
舞華という人は、沈黙はイエスの温もり、などと、キリスト者のようなことを言っていますが、黙想と勘違いしていないでしょうか。でありながら、教祖に責任を取らせないのかと言っています。
 
ということは、舞華という人は、信仰に躓きそうになったら、キリストに責任を取らせるつもりでいるのでしょうか。そして、地獄にでも行くのでしょうか。それとも、絶対、躓かない自信?があるのでしょうか。それとも、みんな、みんな、嘘なのでしょうか。
 
楽山は、自分で書けなくなったものだから、今度は、どこまでも、他者を巻き込んで、破壊衝動を満足させようとしています。手を変え品を変え、どこまでも、人の迷惑を考えない楽山です。偽牧師のシャロームなどと同根の偽善者だからでしょうか。
 
今までのことから、楽山の「心を揺さぶられないではいられないな」「優しさ、勇気、率直さ、知性、行動力…なんて大きな人なんだろう。泣。」は嘘の芝居です。うまくいったと、いい気になっているだけでしょう。そういう時に、感動したという意味だけの言葉を並べる癖なのだと思います。
 
褒め方が大袈裟で、わざとらしいことから判断できると思います。楽山は、言葉を並べるだけで、真に感動することはないと思います。共感性が欠如していることが明らかになっているからです。文章に、三文芝居で、やたら、褒め言葉を並べるのは、以前からです。
 
丁寧語の婉曲的な否定・侮辱と、賛同するときのべた褒めが、楽山の独特の臭い筆致です。自己愛が強いために、人を本当に褒めたことがなく、褒め方を知らないのです。だから、一般的な、褒め言葉を、節操もなく誇張して並べることになります。・・まだ通用すると思っているようです。
 
べた褒めで済ませるところを見逃さないでください。普通にあることのように思われるかもしれないが、楽山の場合、このべた褒めの下には、楽山が見ようとしない楽山の作為と悪意の闇がゴミの山のようにひしめいて、湯気と臭気を放っているのです。
 
何度も指摘されても平気で書き続けるのは、そのたびに、楽山が、人のことは無視します、人の記事は読んでません、読んでも何も感じません、人のことなんか考えていません、自分は欲望の虫です・・と、自分で宣言しているようなものです。
 
こういう、箸にも棒にも掛からないような訂正不能な人を批判する目的は、本人を改めさせようなどということではありません。楽山本人は、既に、どうしようもない人で、変わることはないでしょう。
 
前にも書きましたが、こういう訂正不能と思われる人を批判する意義と目的とは何でしょう。つまり、それは、書いて公表することで、こういう人がいます、反省しません、責任を負う気もありません、訂正不能です、まともに相手をすると、いずれ、とんでもない疲労感という心のダメージだけが残ることになります、等々、ゆえに、絶対に近づかないでください、ということを、できるだけ広く伝えるための批判だということです。
 
 

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                    べたぼめ
 
 
(2020年12月04日)
 
 
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