ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の妬み

 
  楽山の妬み
 
 幸福の科学の元幹部たち
 2020年12月06日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27237926.html
 リンクなど、省略。
 
 
楽山は、人間が、無反省・無責任の体質のまま、かたよらない言論者を目指せば、モンスターにしかならないという例になるでしょう。それは、自分の負うべき責任を放棄したがゆえに、自分という存在が消えてゆくプロセスでもあります。
 
本を読んでも、他者の意見を聞いても、反省もなく、責任も負わず、自分を高めるための自己正当化だけが目的ならば、ゆえに、都合の良いことだけ拾って、都合の良いことだけ受け取って、都合の良いことしか書かないならば、そこに、学習も成長も解決もないからです。
 
敵か味方か、分からないようなことを書いて、しかも、日によって変わってきて、不安定で、しかも、向上心がないままの高慢な人格ならば、関わる者を、傍迷惑の渦に巻き込むか、破壊するだけでしょう。あらゆる信頼を失って、過ぎてみれば、何も言わなかったのと同じ世界が、楽山とは無関係に進んでいるだけなのです。
 
楽山は、また、人の意見を引用して、自分の記事を書いてきました。断りもなく人を利用して、そのまま無反省の無学習のままの楽山の人生は、責任を負わないことで、真面目にかかわる人をオモチャのように捨ててゆきます。楽山にだけは、利用されないようにしたいものです。
 
楽山は、孤独のうちに、誰にも借りはない、責任は負わない、という世迷言を繰り返し、自らの存在をも、だんだん消していって、最後に口を利かなくなるまでを、誰の信用や信頼を得ることもなく、過ごしてゆくのでしょう。その結果として、さんざん迷惑をかけて、誰とも関わりがなくなってゆく人生なのでしょう。
 
楽山は、教祖になりたいが、なるための人望も力量もないので、もはや、存在したくないのかもしれません。だから、楽山は、欲と意地だけで、煙のような実質のない存在となり、実体がありません。何か言っても、ごまかしだけで、答えもせず、逆に、言いたい放題に言うことだけはやめないのです。邪悪な宣伝・洗脳・煽動者として批判される悪と偽善以外に、人としての存在様態がありません。
 

*元幹部
ツイッターをみてたら、このページが貼られていた。幸福の科学の幹部だった小澤利夫氏が、キリスト者になったという話である。

創価学会幹部、幸福の科学幹部からキリストへ
 」
*馬鹿げたこと
これは誰のことを言っているのかは明白だ。

考えてみると知識豊かな日本であるのに、宗教関係に至ると、本当に馬鹿げたことを平気でやっている。昔も今も、世の指導者たちの権力と、名誉と、傲り以外の何ものでもないのです。
肉体を有する人間は、生きていても、死んでも人間に変わりありません。ところが日本の宗教界には、「我は神なり」「私は仏なり」等と言っている者たちがいます。
神仏であるなら、人智で計り知れない現代日本の深刻な経済を、好景気に変えてみよ。神仏であるなら、三百万人の失業者に対し、納得のいく仕事や職場を与えてみよ。
 」
教祖が神を自称したり、生き神様を崇拝したりというのは、馬鹿げたことといわれても仕方がないことではある。

 
仏様の心が分かるっぽいこと、霊が分かるっぽいことを、自らの超常体験として書いていて、ホラーが大好きで、自ら不思議な能力者気取りで、そして、難しい問題を解決するリーダーか評論家気取りで、記事を書いている楽山も、その実質が何も伴わず、責任さえも負わないのですから、相当に、いや、いっそう、気味の悪い、馬鹿げた存在と言われても仕方がないのです。
 
このように、楽山も、人の意見など聞かずに、自分の気持ちの良さと都合の良さだけで、言いたいことを言い続けています。オレこそ生き神じゃ・・とでも言いたいのでしょうか。楽山は、誰とも、真に仲良くはなれない人です。
 

*人生は一冊の問題集
「人生は一冊の問題集」という考え方は、HSから離れても頭に残っているようだ。HSをやめた今でも、教えにはよいものがあると考えているのだろうか。

人生とは、まさに一冊の問題集です。
 」

 
問題意識など、持ったことのない楽山が言っています。総て、自分のうちに、自我によって、解決してゆくのですが、それは、まるで、人間世界に通用しない、無反省と無責任の言動となって、妄想的自己確信になってゆくのです。あらゆる問題は、楽山に言っても、一定しない楽山の、保身と妄想によって、徒労と疲労を残すだけです。
 

*生き神様崇拝
ここでは、『太陽の法』を高評価してる。
でも、神を自称する教祖には、どうにも我慢がならないらしい。

宗教に無知な人々にとり、特に『太陽の法』という「幸福の科学」の本は、宗教の何たるかを、やさしく解き明かしたものです。だからこそ、わずか十年の歳月で、数十万人の会員が世界中からその神の教えを求めて集ってきたのだと、思っています。
でも残念なことには、「我は神なり」という誤解される教祖の言動に、その頃から、その会にもいられなくなりました。私以外にも、去る人々が少なくありませんでした。
今、世で「私は神仏なり」という者を真に受けるのは、危険なのです。宗教界の中で、己が神であり仏であるとは、その教祖が口にすべきことではありません。
 」
ふと思い出したが、フライデー騒動のころだったろうか。それより前だったろうか。小澤氏がテレビのインタビューにこたえて、大川隆法は間違ってると思ったら退会するというようなことをいっていて驚いたことがあった。
支部では、これについて、小澤氏は大川隆法が間違うはずがないということを前提としたうえで、たとえ話をいっただけだと説明されたが、小澤氏のその後をみると、これは本気だったようだ。

 
楽山のような理屈倒れの精神の貧困な者でない限り、神聖なる存在は、今まで知らなかったような、魂の解放を伴う、何からの光を感じることがあるのだろうと思います。聖書の、キリストと、救いわれた人々との交流に、それは表れており、そこから、あまり正しくもなく、あまり従順でもないが、私も、キリスト者となっています。
 
楽山の言うことは、誰かが言いそうな月並みなことばかりです。一応、筋が通っているなどと思って、頷いてはいけません。誰かが言いそうなことは、誰でも言えること、人真似に過ぎないこと、そういうことばかりを、拾って来ては、中庸を気取って、偉そうに見せている楽山を、決して信頼してはいけません。
 

*十人の九次元霊
そういえば、九次元には十人の神霊が存在して、エルランティ、エルカンターレ、イエスなどが上位にあるという話があったのだった。でもその中では、イエスでなく、エルランティがもっとも偉いというニュアンスだったと思う。エルランティが、他の惑星から人類を連れて来たとか、神の光をプリズムにかけて分光させてるとか。でもまあこの辺りについては記憶が薄れてきているので、自分が間違っているかもしれん。

幸福の科学においては、東京大学出身の大川隆法ご夫妻から、イエス・キリスト様こそ、天上界の十大天使の中で最高の霊力を持たれる「神の中の神」だと、教えられてきました。
イエス・キリスト様のことは、今では聖書的な教えから理解しておりますが、イエス・キリスト様こそ最高の方であることは、じつは幸福の科学時代から教えられていたことなのです。
 」

 
楽山の「自分が間違っているかもしれん」を真に受けてはいけません。「記憶が薄れてきているので」ということと、同じ意味の、一種の安全弁なのでしょう。間違いを認める楽山、などというのは、無反省・無責任の楽山において、見られたことがありません。謙虚芝居の "トホホ言語" なのです。
 
もし、楽山が、間違える自分を認めていたら、キリスト教を否定した後で、平気で、祈りの三文芝居など、するはずはないし、その逆も、ないのです。
 
楽山は、楽山自身が積み重ねてきた実績によって、否定されてきたのです。今、ブログで書き続けているところの、他者を利用した雑言も、その類から外れるものではありません。
 
人を利用する、有名人も利用する、都合の良いところだけを拾ってくる、真剣味もなく繰り返し書いてくる、それらすべては、真実の追究ではなく、ただただ、楽山の忌まわしき因業であります。
 

*ファルコン告発

創価学会や、幸福の科学で経験したことの中には、なかなか文字にしにくいような事柄も、たくさんあります。イエス様は、
「さばくな、さばかれないためである」
と言われましたので、そうしたことなどはすべて、神様におゆだねしたいと思います。
 」
ファルコン告発では、小澤氏がHS時代のことをあれこれ言わない理由について語られていたのを思い出す。

 
ファルコンというのはHNで、HSを批判した人のようです。小澤氏というのは、元HSの幹部らしいですが、よく知りませんが、創価学会幸福の科学HS → キリスト教と、目まぐるしい人生を送った人のようです。このように、公表するにあたっての説明が何もない、というのが、楽山の記事の特徴です。
 
「さばくな」という聖書のキリストの教えは、カルトが、他者に、批判するな、という言い分のために、悪用されやすい聖句です。ここで、また、楽山が言っているのも、似たようなものでしょう。
 
言論において、批判がなければ、言論は社交に堕して、真実追求など全然できなくなります。
 

*原氏
ところで、原氏について検索したところでは、今もスピリチュアルな方面での活動をしているようではあるが、プロフィールには、幸福の科学も、大川隆法の名前も見当たらないようだ。高橋信次については恩師として多く語っていることと比べると、その違いに驚かされる。
教団との取り決めがあるために沈黙しているのか、個人的に思うところがあって伏せているのか、それともほかに理由があるのか、判然としないが、何か深い事情がありそうではある。

 
楽山が、次から次に、知らない名前をあげるのは、煙に巻くつもりでしょうか。誰がどうした、という話しか出来なくなった楽山です。「驚かされる」「何か深い事情がありそう」などと、ごまかしも、いい加減にしてほしいのですが、楽山は、平気なのです。それが、病質というものでしょう。楽山は、責任ある主張を、欠片も持ってはいないのです。
 

*期待
いろいろ難しいこともあるだろうけれども、元幹部には、できれば当時のことを率直に語ってほしいものだ。日々の平穏な生活を大事に思えば、口が重くなるのも致し方ないのではあるが、当時の本当の事情を知ることで救われる元会員、および現役会員とその家族は大勢いるだろうと思うので。

 
楽山に、元幹部に何かを勧め促すような器量はないと思います。反省せず、責任を負わず、思い付きで、いい加減なことを言い、それで、まともぶっている楽山は、ただ、ひたすら病理の路程を歩んでいるだけです。
 
誰からも信頼されていないことを、ブログで、ごまかして、人の意見ばかり書いて、ヒーロー気取りでいたいのでしょう。人間、堕ちると、こうも卑しくなるものなのでしょうか。取るに足らない楽山の、中身のない背伸びが続いています。
 
楽山は、関わる人も集団も、結局、裏切るでしょう。宿命かもしれません。何も、負うことのできない欠陥人間が、不都合を無視することで、万能を得たかのように、批判されても批判されても、自己正当化に明け暮れて、とうとう、自分の意見など、何も言えなくなって、何も成り立たなくなって、人の意見ばかり、貪っているさまは、実に醜いと思います。
 
 

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                   怨念と嫉妬
 
 
(2020年12月08日)
 
貪る(むさぼる)
 
 
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