ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

誇る信仰?2

 
  誇る信仰?2
 
   シャロームの信仰?のぼろ
   去年の記事を再録+
 
 
シャローム shalom 批判は、約10年になりますが、ヤフーブログ終了に伴い、今は、所在不明です。
 
誇る者は、立派な祈りをしようとします。
 
救われたい者は、正直に祈ります。
神には、正直以外通用しないことを知っているからです。
 
シャロームと楽山は、神について知るべき、何ものも持っていません。
 
キリスト信仰を、正反対に曲解して改めることのないシャロームの、偽信仰です。典型的な偽善者であり、偽牧師であり、現代のパリサイ人といってよい人です。
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
18:9
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
 (ルカ18:9-14、新約聖書
 
キリストのたとえ話です。パリサイ人は、誇る信仰?です。だから、神の前に、自分がいかに戒律を守っているかを得々と語ります。このように、神の前に、立派なことを言うことがよい祈り、という信仰は、義とされないという教えです。
 
次は、シャロームが、コメントに書いたことです。
 

エスさまは十字架の上で、「私を誰も助けてはくれません」とは祈られませんでした。反対に、ご自分を十字架につけた人(私たち)のために、父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分のしていることが分からずにしているのですからと祈られました。
あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。

 
シャロームの丁寧語は、まともに見せかける偽装です。
 
あるとき、私が、神に対して、弱音を吐いたことを、信仰とは真逆だと、責めています。そして、事もあろうに、キリストの祈りを例示したのです。
 
次は、私がコメントに書いたことです。記事にも、既に書いています。
 
「私たちキリスト者が、救い主イエス・キリストとは、違うからです。
キリストは救い主、私たちは、救いを受ける側です。
なのに、あなたシャロームは、それを、立派な祈りをしなかったことで、私を責めています。
そこに、悪魔性があり、そこに、あなたシャロームが、キリスト相当と自分を並べていることが明らかなのです。愚かな。それが、あなたシャロームの次元、誇る信仰?なのです。」
 
シャロームは、現代のパリサイ人だと、私は言っていました。まさに、それが表れています。
 
しかし、パリサイ人のように、戒律にこだわっているでしょうか。そうではなく、シャロームは、誇りたいだけの偽キリスト者だと思います。批判されると、批判者を責めることだけを考えています。ゆえに、私が "立派な祈り" をせず弱音を吐いたことを、しめたと悦んで詰(なじ)っているのです。
 
シャロームは、パリサイ人の誇り方をしながら、嘘ばかりついて、人を惑わすだけの偽善者であり、パリサイ人ではなく、悪魔性だけを振り回している宗教詐欺師です。
 
シャロームは、丁寧語で、世辞を言い、ですね口調で、すり寄ってきます。応じたら、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、という、キリスト教のどこにもない、捏造した妄想信条を吹き込んできます。それを信じたら、おしまいです。おしまいの例は、シャローム自身であります。
 
前に、救われる条件は、神の前に、精いっぱい正直であることだと書きました。
 
神の前において、私たち人間には、何も誇れるものなどありません。
 
また、正直以外、何も通用しないのが、全知全能の神様という御方です。そのことを伝えているのが聖書であります。
 
信仰者は、困ったときは、困ったと、弱ったときは、弱ったと、正直に告白します。
 
神の前の強がりや豪語は、シャロームの妄想信仰であり、神の前に誇ることであり、他の信仰者や求道者をおとしめることであり、信仰に反することです。
 
シャロームの、事あるごとに、偉そうに見せたがる信仰は、神の前に、立派であることを誇る信仰?です。そのような信仰?は、キリスト信仰とは、全く相容れるところがなく、真っ向から対立する悪魔性の反信仰です。そのような、立派に見せようとするシャロームの信仰?に、一言も、惑わされてはいけません。
 
神の前においてだけは、精いっぱい正直であってほしいと願って止みません。
 
 
   病的説教 コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4359970.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   記事は、一部、コメントを編集して載せています。
 

32. st5402さん おはようございます
2019年11月30日 20:12

「今回、あなたシャロームが、キリスト者ではないこと、ましてや、キリスト教を教えるような元牧師でもないことが、証明されたのです。既に、前に、何度も書いたように、あなたが、妄想信条によって、キリスト者ではないことが証明されています。」
 」
どなたが証明されたのですか?
あなたが評価されたのでしょうか?
あなたに何度評価されても一向になんの差支えもありません。

 
シャロームキャラの易坊か。"差支えない"んだったら、黙っていなさい。
 
キリスト者なら決して言わないようなことを言えば、それはキリスト者ではないことの証明だと言わざるを得ないという判断です。それは、信条、信仰についてのコメントに、表れてきました。
 
最後に裁くのは、神ですが、時々の判断として、キリスト者ではなく、むしろ、反キリストであることの判断をするのは、キリスト者の義務であります。偽善者に、だまされないように努力することは、いつも必要です。そのために、私たち信仰者には、自由意志が与えられています。
 

正しくもなく、立派でもないと気づいておられるあなたに
人を評価ができるのでしょうか?
それとも神やイエスさまの代行者気取りのあなたの評価でしょうか?
shalom!

 
あなたは、本当に、人の意見を読んでないんですね、私の書いたこと。批判は、マイナスの評価になるのは当たり前でしょう。批判の理由は書きました。
 
書くことは、正しさを目指しているのです。あなたは、本当に理路が分かっていない。正しくないから、不十分だから、正しさを求めて書いているのです。それを邪魔しているのがあなたシャロームです。つまり、楽山やシャロームなどの易坊類です。
 
嘘ばかりついて人をおとしめているのがあなたシャロームなど易坊類です。自由ばかり主張して責任を負わない者たちです。この者たちがネットから消えたら、どんなに健全に近づくことでしょう。体質が異常だと思っています。
 
平気で嘘を吐く人は、どこにも誰にも必要とされません。
 
だから、シャロームのように、神の代行気取りの傲慢カルトが、ごまかして、まともな宗教に見せかけるのでしょう。ナルシシストで、決して評価に値しない、いわゆる、ペテン師です。
 
投稿者名に、ちゃんと、シャロームshalomと書きなさい。
また、ごまかして、責任を免れようとしている。
shalom!と感嘆詞を付けて、挨拶だと見せかけるつもりだろう。卑怯。
 
 
これだけ、決めつけだけの人が、長い間、牧師を名乗っていられるほど、今の宗教は、乱れていると言うことです。キリスト教には、批判者がいないのでしょうか。
 
 

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       ひきょうもの・ぎぜんしゃ・にせぼくし
 
 
(2019年12月02日)
(2020年12月017日、偽善者の典型として再録+)
 
捏造(ねつぞう)
 
 
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