ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の遊び半分

 
  楽山の遊び半分
 
 「ブロック宣言!」
 (ツイッター上のHS信者が、アンチにブロック宣言していた)
 2020年12月21日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27406541.html
  一部、引用して批判。
 
 
これから毎回書こうと思っていること:
楽山のキリスト教批判は、神が、楽山の都合の良いように奇跡を起こさないから、信じない、神はいない、というものです。言い換えると、キャバクラのホステスみたいな、しかも便利で快楽で無料の神?を要求して、そうでないから、信じない、神はいない、と言い張っている楽山です。
 
(ネットより)
あそび‐はんぶん【遊び半分】 の解説
[名・形動]いいかげんな気持ちで物事に取り組むこと。また、そのさま。「遊び半分に受験する」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%81%8A%E3%81%B3%E5%8D%8A%E5%88%86/
 
記事タイトルは、遊び半分という慣用表現にしましたが、実際は、楽山には、遊びしかないと思います。楽山には、宗教も信仰も、生き方も命も、真実も、どうでもいいのでしょう。
 

*基本教義論争
 ちなみに、田中氏とアンチとの間では、直近では、基本教義論争があった。
 その内容は、大雑把に言えばこういうものだ。
・田中氏「アンチに問う。幸福の科学の基本教義とは何ですか」
・アンチ「正しき心の探究、四正道だろう」
・田中氏「間違いです」
・アンチ「えぇっ! 月刊誌でもそう書いてるぞ。月刊誌は間違いなのか」
・田中氏「……」(無回答)

 
無回答は、楽山の得意技、というより、他にないのです。そして、何事もなかったかのように、また、同じようなことを繰り返して言ってきます。
 
この楽山が、他者を云々していることは、自分の罪と悪と偽善を考えないためなのでしょう。だから、どんな書き方をしても、真剣味など、全くないと言えるのです。
 

*よくあるパターン
傍から見ての感想だけども、アンチ批判を試みる信者は、大概の場合、次のパターンにハマってる。
・ものすごい勢いでアンチに物申すものの、アンチから反論がよせられ論争に発展すると、逃げ出してしまう。
・逃げた後は、信者仲間の間で、「自分は少しも悪くない。すべてアンチが悪い」という風に、アンチの悪口をいってまわる。
どうやら田中氏も、このパターンに落ちてしまったようだ。残念。

 
自分は少しも悪くない、総て批判者が悪い、というパターンは、楽山には、一貫してみられることで、珍しくもありませんが、楽山は、自分のやってきたことを棚に上げて、言っています。いつものように、評論家気取り + ジャッジ気取りでしょうか。まるで、ゲームを解説しているかのようです。
 
楽山は、学習不全のために、また、高等感情の鈍麻のために、言葉のニュアンスが理解できず、表現として使えないので、言葉面を並べるか、他者の言葉を引用するかしか出来ません。
 
楽山は、書けば、それで、満悦するようだが、忠告や助言を書いたつもりでも、褒め言葉を書いたつもりでも、心を込めた適切な、気遣いの表現と、細かい配慮が出来ません。貼り付けた褒め言葉だけが浮いているような、わざとらしさが表れてきます。
 
また、今まで、そうであったように、楽山は、無反省と無責任のために、伝わったかどうかを全く気にしません。書いた後は、書いてやったという自己満の達成感に酔うみたいです。だから、反省とか、「残念」とかいう言葉なども、同じように、重みも実感もない他人事にしかなりません。
 
そういう楽山の筆致を、トホホ言語、あるいは、ボンヤリ言語と呼んでいます。そういうこともあって、楽山は、人には、アドバイスめいたことを、とやかく言っても、同じことが自分に当てはまっていることがあっても、全く気づかないのです。
 
自分を見ない人というのは、そういう意味で、とても厄介です。だから、本人を批判するのも、本人以外の人が、本人に近づかないようにするため、ということになります。
 

*分かれ道
私見ながら、上のパターンに落ちるかどうかの分かれ道は、間違いを認めるか認めないかにある。

 
一貫して、自らの間違いを認めない楽山が言っています。無根拠に、無視して、平気で、しらばっくれる。これが、100%宗教の敵である者の、物の言い方です。嘘と、詐欺と、詭弁だけで出来ています。
 

基本教義論争を例にするなら、正しき心の探究や四正道は基本教義でないといってしまったとしても、その間違いを素直に認めるなら、逃げ隠れする必要はなくなるし、そういうケジメをつけて以降も、いちゃもんをつけてくる者に対してはスルーブロック対応をしても止むを得ないことになるが、もし間違いを認めないなら、批判非難が殺到し続け、逃げ出すしかなくなるし、逃げ出すということは言いたいことも言えないということだから、後から恨み言(悪口)を言わないではいられなくなるという寸法である。

 
楽山は、キリスト教を、ゲームの筋書きのように、決めつけて、神がいるなら云々と、神がいる場合を把握できるかのような大言壮語の嘘を吐き、神さえもジャッジしてしまいます。
 
したがって、楽山のあらゆる言論は、誇大的断定~妄想で出来ていて、他者が、批判しても、あざ笑って無視するだけになるのです。
 
スルーブロック対応、やむを得ない、などと、正当めいた言葉を使っても、他者を無視して、自分の言いたいことだけを言い、反省せず、責任を負わない、楽山の卑怯は、どうしようもなく、消えようもないのです。
 
つまり、こういう、間違いから逃げる、楽山の場合は、嘘を吐いて嘲って逃げる、といった件で、最も悪質なのは、楽山であります。
 
つまり、楽山は、人間ならば、最低限、持っているべき良心の恵みを、全く持っていない非人間としか思えません。それゆえ、私は、誰も楽山に近づいて餌食となることのないように、楽山に対する批判記事を、読者のために、こういうワルがリアルにいるんです、と強調して書いています。
 

アンチ批判に熱心な信者は、アンチは悪という思い込みが強いせいか、暴言や事実誤認が多いにもかかわらず、自らの間違いを認めることができない人ばかりなので、次から次へと後者の道を選択しがちなので気の毒なことである。
上から目線になって恐縮だが、アンチ批判を決行する信者は、この点よくよく注意した方がいいと思う。

 
楽山は、自分のことが分からない人なので、他者のことにしか興味がありません。ここでいう他者とは、他人だけでなく、神であったり、ゲームやアニメや映画のキャラなども含まれます。恐らく、皆、同じ扱いだと思います。だから、楽山の発言の信頼度は、ゼロ~マイナスです。
 
楽山は、暴言や事実誤認について指摘していますが、楽山自身は、暴言よりも最悪な丁寧語や曖昧表現で書いてきます。言葉だけ丁寧にしても、内実がなければ、暴言よりも悪質で、悪よりも最悪な、偽善ということになります。
 
楽山は、事実誤認ではなく、真っ赤な嘘を吐きます。事実誤認などという専門用語を使っても、楽山の虚言癖は、ごまかせません。良心がなく、罪悪感がなく、羞恥心もなく、反省せず、責任を負わない病質が、楽山を支えて、本能のような自己顕示欲のままに言動させているのです
 
楽山は、他者には「よくよく注意した方がいい」と言っていますが、楽山自身は、他者の発言に、何の関心もなく、全くの興味本位で、上から見下ろした発言が醜悪な、さばきたがり屋であります。
 
遊びで、知らないうちに、人を傷つけ、人格を、心を破壊してゆくのが、楽山です。自覚がないのか、しらばっくれているのか、いかなる状況をも、無視することが出来る厚顔無恥であります。
 
つまり、楽山は、悔いることのない恥知らずであるために、常識がないために、非常識・非道徳な行為を、重ねているということです。本人が気づくということが期待できないために、読者が、それこそ新型コロナのように、楽山の詭弁に感染することのないように批判をしています。
 
ゲームのように宗教を語り、責任を問われると、曖昧ボンヤリ言語で、断定していないと、責任を取らず、反省もしない男です。言論の世界に、あらゆる真実追求の道に、いてはいけない男です。私が生涯で出会った人の中で、最も偽善性の高い男です。品を装う下品が楽山の持ち味です。
 
人生を大切にしたい人が嘘にまみれることのないために、楽山の、事態に全く目を向けず丁寧語でカムフラージュした非人間性に、決して、巻き込まれてはいけません、関わってはいけません、近寄ってはいけません。楽山を相手にしないでください。お願いします。
 
 
今までのこと:
 
楽山の異常性に気づいたのは、約十年のあいだ批判してきた偽牧師シャローム shalom の「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」という信条に、楽山が賛同したことが、始まりでした。
 
この信条は、「悔い改めなくても赦される」「罪は気にしない」と分解しても、正当な、どこのキリスト教の教えにもなく、妄想としか言えず、それこそ、キリスト教の信条に反することです。
 
次に、言い訳として、「悔い改めは神が与える」などと言い出しました。これもすさまじい詭弁です。悔い改めは、人間が自由意志で行うことです。これは、常識であります。キリスト教も信仰も、シャロームは、知らないということが分かります。
 
シャロームは、神が、魔法のように、人を操り、気づかないうちに悔い改めさせるとでも言うのでしょうか。この段階で、シャロームは、キリスト信仰者でもなく、元牧師でもないことが明らかです。
 
そして、楽山は、無条件に、シャロームの信条に賛同しました。この段階で、楽山は、シャロームと同一人物の成りすましか、親族か、少なくともお仲間であることが明らかであります。もはや、弁明の余地はありません。
 
私は、シャロームに数年間、楽山に数か月、だまされたのち、批判に転じています。ダメージは、少なくないです。だまされたら、楽山のように、人格が壊れ、だまし屋になってしまいますから、どうか、だまされないで、できるだけ早く、関わりを断ってください。
 
楽山は、平気で嘘を吐いて、詭弁で誘導するような、インテリ批評家気取りの詐欺師的虚言癖を持つ病質者という異常者なのです。とても有害ですから、どうか近づかないでください。
 
 

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           有害
 
 
(2020年12月22日)
 
 
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