ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

丁寧語の災い2

 
  丁寧語の災い2
 
   「知と恥を捨てる者」コメント欄
   http://st5402jp.livedoor.blog/archives/5021654.html
   シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
   過去記事を再録+
 
 
シャロームは、バカ丁寧な言葉で、まるで今でも先生であるかのように書いてきます。もう、既に何度も馬脚をあらわして、偽善者でしかなく、反キリストでしかなく、良心の欠片もないことが明らかになっており、弁明の余地はないのに、まだ、何かを教えようとする、びくともしない説教根性というより因業であり、シャロームが、何かを書けば、嘘か妄想か背教が、そのたびに明らかになるという繰り返しの成り行きであります。
 
シャロームは、もはや、常識的な判断力がないのでしょう。完全に拒否しているのに、相変わらず、お愛想で訪問すればいいじゃろ・・と思っているのです。総てが崩れているのに。つまり、シャロームは、既に瓦礫と化した中を、デパートの売り場を巡るように、和みを表しているつもりの世辞とともにうろついている亡者なのです。説得力の欠片もないからです。
 

1. shalomです。おはようございます
2019年12月16日 08:49
引用した言葉はST5402さんが書かかれたものです。
精神科の医師として患者さんと面会し、あなたは大切なことを学んでいながら、実践しておられることは前半だけで、後半は少しも実践していないようですね。

「精神科の面接をしていて、心に弱点を持つ人に接して、考えたことがあります。依存されないために大事なことは、好意的な、よそよそしさを持つ、ということです。あなたはあなた、私は私、でも、できることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然のことなのです。」
「あなたはあなた。私は私、でもできることはしますよ、というスタンスを持つことが大切だろうと思っています。これは、精神的な距離の問題ですが、距離という言い方をしなくても、当然なのです。」
 」
いいですね!

 
私が、個人のこととして書いたことを、好きなように持ち出して、あたかも一人前が半人前に説諭でもするように、いいですね!と、ここに至って、丁寧語でごまかしていますが、シャロームの丁寧語=慇懃無礼の害毒であること知ってほしいと思います。
 
「後半は少しも実践していないようですね」と、シャロームは、シャローム自身に対して私が出来ることをしていない、と言いたいようです。これが、慇懃無礼の、無礼であり、侮辱なのです。
 
反キリスト丸出しのシャロームに対しては、書いてくる嫌がらせについて、根拠をもって否定するのみであり、好意的に出来ることなどありません。もはや、シャロームは、背教と反キリストの実例としての資料に過ぎません。
 
シャロームは、持ち前の丁寧語という害毒で、思いやりを示したつもりのようですが、シャロームの丁寧語は、底意地の悪さを隠すための、言うだけはタダという、これも気持ちとは裏腹な作り事、つまり嘘、すなわち、偽善なのです。
 
シャロームの発言を、長く受けておれば、むしろ、いっそう、嫌らしさが伝わってきます。これが、学習機能の、有りと無しの違いなのです。学習しない者は、成長がないので、嘘で飾り続けるしかなくなってゆくということです。
 

2. shalomです。おはようございます
2019年12月16日 08:52
精神的な距離という言葉もいいのですが、私は境界線という言葉をよく使います。アドラー心理学もとても大切にしている考え方のようです。
日本社会は母性社会であり、自他未分化、共依存社会ですから、この人と人との精神的な距離、境界線が不明瞭な社会であると「母性社会日本の病理」において河合隼雄氏は書いておられるようです。
自分が自分であることができないため、他者を他者として認め、人を個人として受け容れることができない、つまり、自分と他者を区別できず、あるがままで受け容れることができない、愛することが執着化してしまい、心の病の主因ということもできるかなと思います。もちろんその他の多くの要因はあると思われますが・・・

 
あなたの見解など、何も聞いておりません。私は、あなたシャロームの日本語には、ずいぶん以前から、理路もなく共感も感じないと言ってきました。心が無いのに、何かを伝えた気になりたいのでしょう。
 
境界線、母性社会、自他未文化、共依存社会、・・シャロームの言っていることは、既に、大方、私に当てつけたボロクソ節なのです。しかも、何かの本から取ってきた言葉で、シャロームが理解しているとは思えません。
 
そして、境界線を守ることを他者無視と自分勝手と置き換え、母性社会の未熟を境界線がないことと置き換え、自他未分化を批判者に当てて、自己正当化をしたつもりなのです。しかし、総て、シャロームのほうの自己中・身勝手・人格の未熟・自己中に従わない他者への侮辱の正当化の詭弁です。
 
そういう話を何度も聞かされている者、つまり、こちらとしては、おえっと吐き気を覚えるほど、食傷する独り善がりなのです。シャロームこそ、自他未分化で、自分の言うことに他者が従わないことを考えることができず、何の対処も弁明もできない人です。
 
シャロームは、恐らく、自他未分化だけでなく、人神未分化の状態でしょう。だから、自己の妄想を、そのまま神意として、前には、聖霊による導きだと言っていました。
 
既に、私を、散々貶めてきたという今までの状況で、今ここで、その話をして、教えようとすることが、状況と前後関係からありえないし、独りで浮いている格好だし、奇妙で不適切であるということだけであり、それを弁えることも出来なくなっているシャロームです。
 
鬼のような顔の次の瞬間、仏の顔真似だけしてくるのは、嘘吐きの詐欺師だからこそできる劣悪な原始反応です。状況の把握ができない証拠です。シャロームの丁寧語は、そういう本質を持ちます。
 

※人を個人として受け容れることができない・・・
自民党憲法改正案には現在の憲法に規定してある「人は個人として尊重される」ではなく、「人として尊重される」という文に書き換えられていることは注目しなければなりません。基本的人権を否定する道に通じています。

 
シャロームは、ここで、脈絡もなく、政治の話になっています。私は、護憲派ですが、嘘吐きの話を、誰かの正論の引用であっても、決して受け入れてはいけません。これも騙しのテクニックです。シャロームの、体のいい話に、体のいい返事などすると、大喜びの振りをして、うんざりするような続きを聞かされるでしょう。すでに経験・実証済みです。
 
シャローム憲法の精神を全く理解していません。憲法によって守るべき個人の尊重は、それが、公共の福祉に反しない限り、という制約が吐きます。反社会的な詐欺師などの犯罪者が個人の尊重によって無罪になることはありません。
 
であれば、自己中妄想に凝り固まって嘘と詭弁をばらまいているシャローム個人の場合、強制的に刑罰を与える対象でもないのだし、言論で批判対象とすることは、何ら憲法に反することではありません。吐き気のするようなシャロームの詭弁の大嘘です。
 

グローバル化し、異なる国、民族が、異なる価値観、文化が激しく衝突を深め、国も民族も、個人もアイデンティティー危機によって、ますます混乱と閉塞感を深めていくことでしょう。
分断を深めていくか、統合の道を見出すことができるか?
わたしたちは、死ぬか、生きるかの分かれ道に立たされているようです。迷走と模索は続きますが、人の手の内に、その道があるのか疑問です。 

 
このような話は、シャロームの得意なボロクソ節です。独り有頂天の誇大妄想です。脅しに近い極端な言い方を好みます。シャロームは、預言者気取りなのでしょう。実質は、真逆です。
 
シャロームの言論が統合を失調しているのは、文脈が、個人の人間関係から、国政の話へと、脈絡もなく飛んでいます。つまり、その間にあることを、スコ~ンと無視している、つまり、話の筋を追えないのが、シャロームの文章です。シャロームの言のベースに理路はありません。
 
グローバル化、民族、価値観、文化、衝突、国、アイデンティティー危機、混乱、閉塞感、いずれも、シャロームが、既に、他者の言葉を拾い集めてきた言葉で、深い理解も考察もなく、自分は政治をも語れるのだ!という誇大気分で豪語でもしたくて興奮したときに、並べ立てるボロクソ節であります。
 
あなたシャロームには、悔い改めないのであれば、キリスト者として生きる道はありません。また、政治思想は、あまりにも貧弱でお粗末な、受け売りと人真似と誇大妄想ですから、これも、生きる道にはなりません。
 
みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。
 
このシャロームに対して、かわいそうなどと思ったら、あざ笑う用意だけはいつもしているシャロームに、逆に、調子に乗られて、食われてしまうわけです。既に経験済みのことです。
 

3. shalomです。おはようございます
2019年12月16日 08:53
統合の道は人の道か?
新約・マルコによる福音書1章1~3節
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてある。

 
先ず、おのれから、まっすぐにせよ、嘘を吐くな、と言いたい。これは、聖句というより、信仰に適うところの、人間の道徳です。しかし、それよりも、信仰において、いちばん大事な、正直さを、シャロームは、神に対しても、人に対しても、全く持っていません。
 
>統合の道は主の道か?
 
先ほどの政治の話の「統合の道を見出すことができるか」の流れなら、
 
 (マタイによる福音書、口語訳)22:21
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
 (マタイ22:21、新約聖書
 
と書いてあります。信仰の話に、政治をぶっこむな。
 

新約・マタイによる福音書7章13~14節
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

 
あなたシャロームは、安易な、ぱっくりと大きな口を開けた罪と偽善の門、広き道、嘘吐きの道、讃美しておけばいいという大袈裟な豪語の道、他者を気にせず失禁する流涎の言葉とともに、陰気な暗闇の洞窟を、ずっと、選んで、実際は独りで、堕ちてきました。
 

ST5402さん 永い間ほんとうにお疲れ様でした。
随分悪態をつき、有終の美とは程遠い終幕となりましたが、
ありがとうございました!
人生の終幕はイエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ、
拓かれていますので、希望をもって、
エスさまが開いてくださった新しい道を歩みたいと思っています。
Shalom!

 
こうやって、言葉面だけ、整えようとするのが、あなたシャロームの、忌まわしい丁寧語なのです。昔、ずいぶん騙されたものです。丁寧語の中の、獣性を見逃さないことが大事です。
 
「随分悪態をつき」・・あなたのことですか。心にもないことを。もう何を言っても信頼されないところに来ています。楽山より先に、信頼度ゼロになったシャロームです。
 
「イエスさまの死と共にもう既に切り裂かれ」ているなら、あなたシャロームの「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしない」という信条も、今までの嘘っぱちも、無かったはずなのです。また、嘘を吐いています。
 
「イエスさまが開いてくださった新しい道」・・悔い改めない者には開かれていませんし、信仰の希望もありません。白々しい聖句引用はやめてください。全部、嘘でした。そして、全部、嘘です。今となっては、もう、はっきり言えることです。
 

14. shalomです。 おはようございます
2019年12月16日 13:17
>>9
「せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」
アレッ st5402さん 妄想癖、虚言癖に加えて、健忘症も加わっているようですね!まだまだ私に比べてお若いのに・・・
かつては、私が死ぬまでつきまとって批判し続けるんだとおっしゃっていましたね。

 
私の「みんな、バレてしまったのです。反キリストのシャローム、せめて、黙っていなさい。退いて、二度と来ないように。」に対するコメントですが、私が、人間だからです。あなたシャロームと違って。
 
あなたシャロームが書いてくるなら、前と同じです。ずっと、そうしています。しかし、今は、あなたシャロームが、愚かな、おとしめ言葉しか書いて来ないほどに、堕ちていますから、そのような言葉に付き合いたくないからです。
 
あなたからの殺意を感じるからです。あなたはサイコパス、人の滅びも死も、何も気にならないで、横暴な人格となった者です。人間らしい感受性がなくなっています。
 
そういう人だと思うようになっているから、低い評価の中でも、さらに低く、邪悪だ、という方向になってきたということです。よって、愚かに付き合って体力を消耗して死ぬのは嫌だなと、ふつうに思うわけです。
 
※ シャロームは、現在、ネット上も所在不明ですが、シャロームの記事とコメント、そして、私の批判記事は、約十年にわたっていて、既に、資料となっていますから、時々、見返しては、典型的な偽善者に対する批判記事として、加筆して公開しています。
 

聖書には神様は試練も与えられますが、逃れる道も備えてくださるという言葉もあります。
yahooブログの閉鎖という思いもかけない道を備えてくださったのですね!
また新しい道はst5402さん自身が開いてくださったようです。
人には神の御業は初めから終わりまで見極めることが出来ないという言葉もありますが、本当にそうだなと、心からの讃美と感謝をささげています!

 
シャロームは、神の意志とヤフーブログ閉鎖を、結び付けています。こういうとことは、いかにも、カルトの思い込みだと分かるところです。神への恐れを知らないシャロームです。
 
いちばん邪悪な偽善は、神の意志と行為である導きを、人が決めつけることです。神を恐れない者だけがすることです。
 
自分の意見を、神の啓示と聖霊の導きによって、正当化し、絶対化しているあなたシャロームは、具体的に道を備えて下さった、開いてくださった、と決めつけながら、見極めることができない、と書いています。シャロームには、何も整っていないから、見極めるどころか、何も実がないのです。
 
つまり、自分に都合の良いようにだけ、決めつけていることが、明らかになっているわけです。今までも、ずっとそうでしょう。あなたは、嘘っぱちを書いて、しかも、嘘っぱちであることを、自ら、表すようになったのです。「心から」の心の無いシャロームの讃美は酸味の腐敗臭です。
 

それなのに、退いて、二度と来るななんてつれないお言葉ですね!
yahooブログが閉鎖され、寂しい思いをしていたのですが、
st5402さんが私の言葉を伝達するために、たくさんブログを開設してくださったので、
私は新しいブログを開設する手間が省けて喜んでいるのです・・・が・・・
ハレルヤ!
Shalom!

 
また、「つれない」などと、白々しい嘘を吐いている。いつも、嘘を吐いている。どこでも、付き合えば、結局、嫌がられる存在として、生息してきたシャローム。どこにも、弁明の余地がなくなっても、殺意に匹敵する無視の力で、人を人とも思わず、「手間が省けて喜んでいる」というような、余裕を見せようとする。
 
これは、サスペンスドラマなどによくある極悪人の、相手を呑みこんだつもりの醜く陳腐な台詞、つまり、根っからの悪にしかできない悪意の開き直りと強がりです。わけもわからず余裕に見せかけても、あなたは、既に、丸裸なのです。
 
この悪意は、易坊に通じる筆致。
 
そうだ、いつも感じていたのは、シャロームの、この獰猛(どうもう)な極悪人気質、人が死んでも、そのそばで、ニヤニヤ笑っていられるような、人間らしい感情を失った者だけが持つところの、人ではなく、ケダモノの中の、とても醜くて、醜悪な気質として、よだれを垂らしているイメージ、そして、その臭いです。
 
あなたシャロームの文章を読んでいると、喉を鳴らすのが、聞こえるようであり、汗と粘液と、蒸し暑い息の臭さが漂ってくるようであります。しみついた常習の詐欺師の臭い。あなたシャロームの書く、わざとらしい文章に深く深く染み込んでいる、この臭いを、私は、あなたの文章を見るときに、いつも感じていました。
 
丁寧語は、ある意味、暴言よりも悪質になります。どんな批判を受けても、自分は安らかで冷静で、びくともしない、ということを表すために丁寧語を使う者がいます。実際は、すべて無視しているだけなのです。
 
 

      f:id:stdsts:20210119000811p:plain

                くさい、くさい
 
 
(2020年01月06日、同日一部修正)
(2021年01月19日、加筆して再録、さらに修正)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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